2023.2.12きんたメール第853号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『心の絆創膏の貼り方・・・』〜実は同じようにするだけ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。雪の日は寒かったですね。また大変な状況にありますトルコとシリアの被災者の上に主の慰めと救いがありますように。ウクライナとロシアに平安が訪れますように。すべての受験生とご家族の上に、またそれぞれの場所でいろいろなことがあるお一人ひとりの上に人生を豊かにする知恵で満たしてくださいますように。主の祝福が豊かにありますように。
さて、みなさんは、自分が傷ついた時に
心の絆創膏の貼り方
をご存知でしょうか。今までそんなこと教えてもらったことがないよ。と思う方がほとんどだと思います。実はとても簡単です。よきサマリア人のたとえを応用するだけです。
たとえば、目の前に足を骨折した人がいます。とても痛そうにしています。あなたはどうしますか?
まさか、否定するように「走れ」とか「何で走れないの」とは言いませんよね。でも、傷ついた時にさらに追いつめたり、責められたりした経験もあるのではないでしょうか。
なので、否定ではなく、よきサマリア人のたとえのように、「痛かったね」と気持ちに寄り添いながら手当して病院に行きます。それが安心のケア、つまり心に絆創膏を貼ることになります。普通に当たり前のようなことですね。
これを自分にも同じようにするだけです。心ない言葉や、いろいろあって思い通りにうまくいかないと自分に自信がなくなるだけではなく、こんな自分なんて嫌いだと思うことがあります。その状態はとても辛いことです。
それで自分を責めるか、まわりを責めるかしますが、結果的にそんな自分を受け止めきれずに、自分を責めてしまう、いない方がいいと思うようにもなりますよね。
しかし、それが骨折している人に「走れ」と言っているのと同じことをしていることになるのです。だから、一度立ち止まって、ちょっと深呼吸してみましょう。
そうすると今、必要なのは「手当」だとわかります。そして「辛かったね」「苦しかったね」と気持ちをわかって、寄り添うことが必要です。必要なのは否定(責める)ではなく「手当」(寄り添い)ですね。単純だけど難しいかもしれません。
なので、あえて自分で自分に声をかけます。不安な時は「不安だよね」、辛い時は「辛いよね」と状況に合わせて声をかけます。気持ちに寄り添います。それが心の絆創膏の貼り方なのです。
何を幼稚なことを言ってるんだ、そんなことしたら、もっと落ち込んでしまうじゃないかと思われるかもしれませんが、試してください。不思議なことに居場所ができます。
慣れてくるまで大変ですが、すごい力になります。なぜならば、あなたは痛みを知っているからです。人は言葉で傷つきますが、また言葉で癒されます。その言葉に「心」があると癒されるのです。
そして、実は骨折した人にするように、自分でも自分にできるのです。自分にする人はほかの人にもできます。誰でも自由にできます。(神さまが一緒にいるところは、どこでも天国だからです)
よきサマリア人のたとえには、隣人候補が3人登場します。2人は社会的に地位のある立派な人と言われている人ですが、強盗に襲われて傷ついた人を見ると、関わらないように避けて通りすぎました。しかし社会的にはバカにされていたサマリアの人は、傷ついた人を見ると気持ちに寄り添って手当したのです。痛みを知っていたからです。つまり立場ではなく「痛みを知る心」があるかないかなのですね。心(痛みを癒される神さまの愛)を求めていきましょう。
「この三人のうちだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」 律法の専門家は答えました。「もちろん、親切にした人です。」この答えを聞くと、イエスは言われました。「そのとおりです。あなたも同じようにしなさい。」ルカの福音書 10:36-37 JCB https://bible.com/bible/83/luk.10.36-37.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2023.2.5きんたメール第852号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『狭い門から・・・』〜いつも心に神さまを〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。すべての受験生とご家族の上に、またそれぞれの場所でいろいろなことがあるお一人ひとりの上に人生を豊かにする知恵で満たしてくださいますように。主の祝福が豊かにありますように。
さて、聖書には「狭い門から入りなさい。」とマタイ7章で言われています。とてもインパクトがあって、すごく気になる御言葉の1つてす。「狭い門から」みなさんは、いかがでしょうか。
極端ですが、わらにもすがりたい状況の時は、とにかく楽になりたい、この状況から解放されたい、プラス不安や心配でかき混ぜたようなそんな思いがあふれてくると、普通に楽な方(広い門)を求めてしまうのではないでしょうか。
でも、それが神さまを忘れさせようとする罠みたいなものでもあります。けものの習性を利用して、猟師がけもの道に罠を仕掛けるのと同じように、それぞれの習性、いつものパターンでは、同じことを繰り返すからです。
だから、いつもの「自分のパターン」は、見事に神さまを忘れてしまうのではないでしょうか。視野が狭くされてしまうからです。
でも、実はそんな時であっても、神さまに心を向けることはできます。そのままの状態を神さまに祈ります。助けてと伝えます。つまり、「神さまに心を向ける」ことが罠にかからないポイントだからです。世界で見るとクリスチャンが多いのは、たとえ嵐の中でも平安を与えられることを知っているからです。どんな時でも一緒にいてくれるからです。
しかし神さまに心を向けることは、不思議なことに自分の力でもなく、意思でもなく、神さまの恵みによること(謙遜)を学び続けていくように思います。
なぜならば、「自分の意思や力だ」と勘違いすると傲慢の罠にパクリと食べられてしまうからです。
パウロが、神さまの愛(イエスさまの十字架)を知ると、そういった人と比較して優位だと思っていた自分を誇るための印籠が、塵あくたみたいになったと言われています。なぜならばその印籠はいざと言う時、まったく役に立たないからです。
しかし、逆に、嫌がっていた「弱さ、無力さ」の前で、それでも一緒にいてくださいます神さまの愛がどれだけ支えになるか、助けになるか見つけたら、本当の力を知るのです。神さまの愛が何よりも必要な宝であることに気付かされていくのです。いざと言う時も、そうでない時も「神さまに心を向ける」ことが、「狭い門から入る」ことなのです。
「狭い門を通らなければ、天の国に入ることはできません。人を滅びに導く道は広く、多くの人がその楽な道を進み、広い門から入って行きます。 しかし、いのちに至る門は小さく、その道は狭いので、ほんのわずかな人しか見つけることができません。」マタイの福音書 7:13-14 JCB https://bible.com/bible/83/mat.7.13-14.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2023.1.29きんたメール第851号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『たとえ思い通りにならなくても・・・』〜お任せします〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。まだまだまだ受験シーズンです。すべての受験生とご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。思い通りにいく、いかないなどを味わいますが、人生を豊かにする知恵で導いてくださいますように。どのような時も、主が共にいてくださいますように。一緒にいることの恵みを豊かに学んでいけますように。
さて、願っている通りにならない時、みなさんはどう感じますか。感じ方はそれぞれですが、中には絶望感でいっぱいになるなんてこともあるのではないでしょうか。
どうしても自分の「都合」はなくならないので、影響を受けやすいですよね。受験も点数と言う基準によって合否があるから影響を受けやすいものとなります。
そこで、スポットを当てたいのは、自分の願い通りにならなかった時にどうするのか。あなたはどうしますか。
この時の気持ちを考えると、現状を受け止められる状態ではないし、簡単に切り替えられるものではないですよね。
だから、整理する時間、現状を受け止める時間が必要です。簡単ではないし、気落ちしない方が逆に不自然な状態と言えます。つまり、落ち込んでもいいのです。
少しでもヒントになればいいのですが、聖書から学べるのは、聖書に出てくる方々は、たとえ死の谷を歩もうとも、葛藤しながらもそこで神さまに「任せる姿勢」です。
任せるとは、どっちに転んでも、そのままそこで神さまに向き合うことです。どこでも、どんな時も「一緒」にいてくださいます神さまに心を向けることなのです。
その時の基準は、損得やまわりとの比較や自分のプライドが障壁になりがちです。まるで十字架にかけられたような気持ちになるからです。でも、耐えられないような十字架が、イエスさまの十字架によって変えられてしまうのです。
基準はそれだけではないことを知ることなのです。自分の狭い思いと言う牢獄から自由になれることを知ることができます。
それでも気落ちしますが、気落ちして当たり前だと受け止める力にもなっていきます。この経験は、人生のチカラになるものです。そして、そこから、誠実にできることをはじめていけばいいのです。
面白いことに、思い通りにいかなかったことが、かえって良い方向に進むきっかけになるなんてことは、いくらでもあります。
視野が狭くなりやすいだけで、そこから視野が少しでも広がれば、人生は恵みに満ちています。あなたの上に主の祝福が豊かに豊かに豊かにありますように。
「主は私の羊飼いですから、 必要なものはみな与えてくださいます。 主は私を豊かな牧草地にいこわせ、 ゆるやかな流れのほとりに導いて行かれます。 主は傷ついたこの身を生き返らせ、 主の栄光を現すことができるよう、 私を助けてくださいます。 たとえ、死の暗い谷間を通ることがあっても、 恐れません。 主がすぐそばにいて、 私の行く道をいつもお守りくださるからです。 主は私の敵の前で、 私のためにすばらしい食卓を備え、 大切な客としてもてなしてくださいます。 それは、あふれるほどの祝福です。 生きている限り、主の恵みといつくしみが、 私を追ってきます。 やがて、私は主の家に帰り、 いつまでもあなたとともに暮らすことでしょう。」詩篇 23:1-6 JCB https://bible.com/bible/83/psa.23.1-6.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2023.1.22きんたメール第850号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『どんな時でも誠実さを求めて・・・』〜内面の輝きの素〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。まだまだ受験シーズンです。すべての受験生とご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。思い通りにいく、いかないなどを味わいますが、人生を豊かにする知恵で導いてくださいますように。どのような時も、主が共にいてくださいますように。一緒にいることの恵みを豊かに学んでいけますように。
さて、今回はハイブリッド教会学校のメッセージ担当ですので、子どもメッセージの概略からわたしがスポットをあてたポイントを共有させていただきます。
エステル王妃 エステル記4章14節
今回のエステル記は、属国となったユダヤ人であるエステルが、シンデレラのように王妃に選ばれるだけではなく、そんなエステルが用いられてユダヤ人を救い出す物語りなのです。源流には信仰による「誠実さ」がポイントになっています。
まず、何でエステルが王妃に選ばれたのか。もちろん神さまの恵みが満ちています。大きな要因は、はじめの王妃は、「王妃に選ばれたわたしは偉い」といばっていたこと。王はそれが嫌だったのです。
でも王妃候補の人たちは、チヤホヤされると勘違いしてしまい、みんな自分が1番で、プライドが高く、候補と言うだけで威張っていたのでしょう。
しかし、エステルはいばるのではなく、「誠実さ」がにじみ出ていたので、王の目により輝いて見えたのです。
内面の美しさは、良い時も、そうでない時も、また自分の都合の良い時も、そうでない時も、「誠実さ」を求めるかどうかだからです。
特にわたしたちは、思いあがったり、自分の思い通りにいかなかった時にこそ、「誠実さ」を忘れてしまいやすいからです。
だから、とてもむずかしいことですし、うまくいかない時もあるけど、どのような時にも、そこから「誠実さ」を求めようとすること、求めて続けることが内面の美しさにつながっていくのではないでしょうか。
エステル王妃やモデルカイの姿から、「神さま1番」の姿勢が、「誠実さ」を求めるカギになっていることが学べます。
指をちょっと切っただけで痛いから、そんな時はケア(手当て)すると救われます。「誠実さ」は自分以外の人へもケアをしますが、「無誠実さ」は自分以外は関係ないとなります。
この違いが、誠実なエステルやモデルカイと、反対に立場を利用して、いばって悪だくみをする大臣ハマンや以前の王妃の姿が対象的に浮き彫りになっていきます。
でも、わたしたちの姿は、大臣ハマンとそんなに違わないのが現実です。そんな罪深いわたしたちのために、イエスさまは十字架にかかってくださいました。ユダヤ人だけではなく、全人類が救われるためです。
わたしたちの罪(神さまを忘れてしまう)によって、自分さえ良ければいいになると「誠実さ」はないがしろになります。そんな天国の反対のものに囚われている状態にあったわたしでさえ、神さまは見捨てないのです。
そのビックリするような大きな愛に気づいた時、わたしたちは救われます。神さまを讃美せずにはいられなくなるのではないでしょうか。わたしたちは、それぞれの与えられた場所で、どんな時でも「誠実さ」を求めていけますように求めていきたいと願っています。この時のために備えていきたいですね。
「もしも、この事態をおまえがそしらぬ顔で見ているなら、神様は別の人を用いてユダヤ人をお救いになるだろう。だが、おまえとおまえの一族は必ず滅びることになるのだ。神様がおまえを王妃となさったのは、もしかすると、この時のためかもしれない。」」エステル 記 4:14 JCB https://bible.com/bible/83/est.4.14.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2023.1.15きんたメール第849号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『弱いのに強いのは・・・』〜主に委ねるから〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。受験シーズンです。すべての受験生とご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。思い通りにいく、いかないなどを味わいますが、人生を豊かにする知恵で導いてくださいますように。どのような時も、主が共にいてくださいますように。一緒にいることの恵みを豊かに学んでいけますように。
さて、子どもメッセージの当番シフトが第1・4から、第3に変更して、幼稚課合同になりましたので、以下共有させていただきます。
らいおんのなかでも ダニエル6しょう23せつ
こんにちは。さむいですね。おうちにかえったら、「てあらい」と「うがい」はわすれないでね。
さて、きょうはダニエルさんのおはなしです。ダニエルさんは、かみさまがだいすきです。バビロンの王さまは、みんながしあわせになるためにダニエルさんにリーダーになってもらいました。
ところがダニエルさんに、やきもちをやく人がいました。その人たちは「王さまにしか、いのってはいけない」というルールをつくるように王さまにおねがいしました。
王さまが「いいよ」といえば、それをまもらないとライオンのおりの中にいれてしまうというきまりだからです。
それで、いじわるな人たちは、ダニエルさんが、かみさまにいのるのをみると、つかまえてライオンのおりの中にいれてしまいました。
さあ、たいへん。ダニエルさんはどうなってしまったのか。
かみさまがまもってくれたので、ライオンはおとなしくしてます。よかった〜
王さまはダニエルさんを、ライオンのおりからだすと、いじわるした人たちをライオンのおりの中にいれました。すると、ライオンはおおあばれしました。
王さまは、「ダニエルさんがしんじるかみさまこそ、ほんもののかみさまです」といいました。
「王は我を忘れて喜び、ダニエルを穴から引き上げるよう命じました。ダニエルは神に信頼していたので、体にはかすり傷一つ負いませんでした。」ダニエル書 6:23 JCB https://bible.com/bible/83/dan.6.23.JCB
おうちの方へ
寒い中ですが、暖かい日もありましたね。ちょっとあたたかいだけで、うれしくなります。同じように、わたしたちはそれぞれ「気持ち」がありますので、気持ちをわかってもらえるだけで、うれしくなります。
今回のダニエルのお話しは、神さまを信じたからライオンに食べられなかったと言うことではなく、どんな時も、わかってくださる神さまが「一緒にいる」ことに気づくことが大切だよ。と言うことです。
だから不安の時に一緒にいてくれることで、わたしたちの心はうれしくなります。
ダニエルが、どんな時でも「誠実」を求めていたのは、神さまが一緒にいてくださると信じていたからです。
わたしは目の前のことで、すぐいっぱいいっぱいになってしまいやすいので、不安な時も「誠実さ」を忘れないダニエルに学び続けたいと願っています。
今週も神さまの祝福が豊かにありますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主