2025.1.19きんたメール第955号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『心の使い方・・・』〜気持ちに寄り添う〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。寒さも深まってきてますね。それぞれの必要に応じて主の温もりで満たしてくださいますように。いつでも、まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように、お一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。
さて、今日は「心の使い方」について考えてみたいと思います。
わたしたちは誰でも大事な存在です。しかし、わたしたちはそれぞれに感情もありますので、関係や立場の違いによって、互いに大事な存在であることを忘れてしまうことがあるのです。そのようにすぐに惑わされやすい器の小さい人たちと言えます。
昔は男尊女卑の意識があり、女性や子どもは数に数えられずに軽く扱われる傾向がありました。新約聖書の初期の時代もそうでした。イエスさまのお話しを聴きたい、触れたいと集まってくる人はたくさんいたのです。弟子たちもたくさん押し寄せる人たちを整備するだけでも忙しい状況です。
そんな時にイエスさまに子どもを祝福してもらおうと子どもを連れて来たのです。弟子たちは、イエスさまのところに来た子どもたちを邪魔者扱いしたのです。弟子たちが意地悪だったわけではなかったのですが、無意識に働く差別に対して、イエスさまは、子どもたちをわたしのところに来させないと弟子たちに強く注意をするのです。
しかも神の国は、このような子どもたちのものだと言われるのです。子どもは親や大人に頼らなければ生きていけない存在です。だから何かあればすぐに親に訴えかけるのです。子どものように、まず神さまに心を向けることが大事なのですね。
そして、子どもは存在そのものが愛されるべき存在です。安心の居場所が必要な存在です。わたしたちも同じではないでしょうか。
自分が邪魔者扱いされたら嬉しくないように、もし、あなたのまわりで居場所がないと感じている人がいるなら、その時、弟子たちが無意識に子どもを邪魔者扱いしたように、自分は何を大事にしているのか確認してみてくださいね。神さまやその人の気持ちよりも、自分の都合が大事になっていることに気付かされるのではないでしょうか。
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。神さまがしてくださいますように、十字架の愛を見上げていきましょう。そしてその人の見た目や言動に惑わされないように、気持ちに寄り添えるように知恵を求めてみる。そんな心の使い方ができることも、わたしたちには自由に与えられているのです。頑なな心をほぐしていただきましょう。
「それをごらんになったイエスは、憤って弟子たちをおしかりになりました。『子どもたちを自由に来させなさい。神の国は、この子どもたちのような者の国なのです。追い払うなど、とんでもないことです。 いいですか。よく言っておきますが、小さな子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」』それから、子どもたちを抱き上げ、頭に手を置いて、祝福されました。」マルコの福音書 10:14-16 JCB
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に知恵と恵みと希望で満たされますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.1.12きんたメール第954号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『継続は力なり・・・』〜まず神さまに心を向ける練習をし続けていく〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。寒いですね。それぞれの必要に応じて主の温もりで満たしてくださいますように。いつでも、まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように、お一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。
さて、「継続は力なり」と言う言葉の通り、継続することは力になることを実感する人も多いのではないでしょうか。
毎日挨拶するなんてこともすごいことですし、誠実に対応することも簡単なことではないですし、自分の目標や目的のために勉強し続けていくこともすごいことです。スポーツでもそうですし、人生を学ぶことにも当てはまるわけです。もちろん心に良いことならいいのですが、持続不可能なことのために、人を騙したり、心のないことを習慣にしても結局気づかないだけで自分の心を貶めてしまうことになるのです。
だから心に良くないことは、やはり違和感があるのではないでしょうか。たとえば自分の立場を守るためにウソをつき続けても、その時はごまかせたとしても、やはりどこかで不自然さが溢れてきますので、心にはいつも余計な不安が伴うので、やがて疲れてしまうのではないでしょうか。
「継続は力なり」は、やはり心に良いことのために目指す方がいいですよね。それぞれにみなさん、いろいろと目指すものがあるでしょう。その土台に「まず神さまに心を向ける」ことをお勧めいたします。わたしたちは不完全ですから、間違えたら、間違いを認めて反省して、次に進む方がより成長できるのです。
「なんと幸いでしょう。 悪者のたくらみに耳を貸したり、 罪人といっしょになって 神のことをさげすんだりしない人は。 その人は、 主がお望みになることを何でも喜んで行い、 いつも、主の教えを思い巡らしては、 もっと主のみそばを歩もうと考えます。 その人は、川のほとりに植えられた、 季節が来ると甘い実をつける木のようです。 その葉は決して枯れず、 その人のすることは、みな栄えます。」詩篇 1:1-3 JCB
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今年もあなたにとって知恵と恵みと希望に満ちた1年となりますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.1.5きんたメール第953号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『まず神さまに心を・・・』〜成長させてください〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。2025年に入りました。それぞれの場所ではじまりますこの1年も、まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように、お一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、2025年の目標を決めている人も、まだ考えている人も、これから考える人も、それぞれに立ち止まって神さまに心を向ける時となりますように。
今年のわたしのテーマは、「まず神さまに心を向けること」です。すごく単純ですが、向き合うと意外にと言いますか、かなり難しいことですよね。それだけわたしたちは、目の前のことや不都合な感情に、心がとられやすいからです。
そのような時は神さまを忘れてしまうし、神さまの居場所をなくしてしまっているのではないでしょうか。でも実にそんな時も主が一緒におられるのですが、そのことに気づかないくらいに心の遣い方が的を外しているのです。だからこそ、まず神さまに心を向けられますようにと求めていきたいのです。
神さまに心を向けることは、状況によってはみじめに思うかも知れません。自分の都合は悪くなるかも知れません。それでも必ず主は最善へと導いてくださいます。主に信頼できますようにわたしたちの心を、さまざまなことを通して学ばせてくださり成長させてくださいますように。
どうか、ひとりで抱える生き方から、自分のベストは尽くしながらも主に委ねる心と自由を与えてください。御言葉をじっくり食べさせてください。
「恐れるな。わたしがついている。 取り乱すな。わたしはあなたの神だ。 わたしはあなたを力づけ、あなたを助け、 勝利の右の手でしっかり支える。」イザヤ書 41:10 JCB
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今年もあなたにとって知恵と恵みと希望に満ちた1年となりますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.12.29きんたメール第952号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『へりくだる愛を・・・』〜宝探しのように見つけよう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。2024年もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。いつまで配信できるのかはわからないのですが、できます限りできんたの独り言を配信させていただきます。わたしの願いは、わたしも含めてみなさんの心がまず神さまに向かうことです。なぜならばいつも一緒におられます神さまの愛を知れば、どのようなことも乗り越えていけますし、自分の狭い視点からも自由にされますし、神さまの知恵と恵みに気付かされて成長させていただけると信じているからです。それぞれの場所でお一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。
さて、クリスマスの物語を覚えますと、神さまの愛は、とてもさりげなく、気づかれにくいほどに「へりくだる愛」であることがわかります。
救い主であられますイエスさまは、もっとも小さな町の家畜小屋でお産まれになり、飼い葉桶に寝かされていたのです。しかし、これが救い主のしるしなのです。まさかと思うような「しるし」ですよね。
そして、神さまから離れて自分の力で生きようとするわたしたちには、個人差も意識の温度差などもありますが、「へりくだること」は無価値に見えてしまうのです。結果救いのない空しい生き方でもがいているのです。
そのように罪の支配の中では、自分のことでいっぱいいっぱいになり、自分の思いと言う牢獄に閉じ込められていることにも気づけないために、神さまの愛が見えない、気づかない、向き合えないのです。
そのようなわたしたちの目と心を開いて、温もりと誠実さに満ちた本物の愛に気づかせてくださいます。そのために、イエスさまはご自身を犠牲にされて十字架にかかられたのです。
十字架の愛は、わたしたちの心を動かします。赦されるべきではない自分が無条件で赦されることは普通にありえないのですが、わたしたちは十字架の愛に触れると悔い改められるのです。とるに足りないこんな自分のことも気にかけてくださるからです。ゆえに神さまに立ち帰れるのです。神さまに心を向けることができるのです。
どんな時も見捨てない神さまの愛を知るのです。条件のない本物の愛を知るのです。与えられていますそれぞれの人生は違いますが、それぞれが神さまの愛をいただいて、比較でも優劣でもなく、欠けを補い合う、賜物を分かち合う豊かな恵みに満たされるのです。教会だけではなく、それぞれの与えられています日常の場は失敗しながらも学び続けて目指し続ける実践の場です。
困難なことはいろいろありますが、それでも神さまの愛を求め続けていきましょう。そのために、まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。意識の温度差にあっても、理解し合うために、アンダースタンド(下に立つ)心が必要です。イエスさまの十字架の愛によってへりくだる愛を覚えましょう。
「主に感謝しなさい。 主は恵み深く、愛と思いやりにあふれたお方なのです。 主のおかげで自由の身となれた人は、 大声でそう人に伝えなさい。 主に敵の手から救い出してもらったことを、 ほかの人に知らせなさい。 主は、最果ての地で囚われの身となった人々を 連れ戻されました。 住む家もない人々は、荒野をあてどなくさまよい、 空腹をかかえ、のどはからからに渇き、 体力も衰え果てました。 しかし彼らが「主よ、助けてください」と叫ぶと、 その切なる願いは聞かれました。 神はすぐさま、安全で住むのに適した地へと 移してくださったのです。 主が優しい心づかいを示し、 すばらしいことをしてくださったかを知って、 彼らが主を賛美しますように。 主は渇いたたましいを潤し、 飢えたたましいを良いもので満たされるからです。」詩篇 107:1-9 JCB
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたにとって恵みと希望に満ちた2025年となりますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.12.22きんたメール第951号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『メリークリスマス・・・』〜本物の愛をいただきましょう〜
メリークリスマス!
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。今週はクリスマス礼拝ですね。それぞれの場所でお一人ひとりの上に、本物のクリスマスで満たされますように。
さて、クリスマスは救い主であられますイエスさまのご降誕をお祝いする日ですね。見過ごされそうなくらいにへりくだる神さまの愛は、本当にすごいのです。
取るに足りないと思っていたマリアとヨセフですが、ビックリするような神さまのご計画を受け止めるために、それぞれ犠牲も伴いましたが、それ以上に神さまを信頼する姿勢があったのです。
そして預言の通り、イエスさまは赤ちゃんとしてベツレヘムと言う1番小さな町の家畜小屋の飼い葉桶で産まれたのです。救い主はなぜそのような来られ方をされたのでしょうか。
また当時は人口調査の発令もあり、自分の町に帰って申告しなくてはならないので、どこの宿屋もいっぱいです。日本でもクリスマスの時期は、年末の1番忙しい時期かも知れません。みんな忙しくて自分のことでいっぱいいっぱいです。
身重のマリアがいるにも関わらず、譲る人もいないし、自分の家に招く人もいません。そのような中、普通なら人が寝泊まりしない家畜小屋だったら、使っていいよみたいに扱われるのです。
神さまの愛は、そのように心が忙しい人には気づかないことがわかります。わたしも忙しさを盾にすることが多いように思います。イエスさまを飼い葉桶に追いやっていたのは自分の姿ではないでしょうか。
にもかかわらずイエスさまは、わたしたちが生きるようにとご自身のいのちを投げ出す御方です。アンパンマンはイエスさまがモデルですが、自分の顔を食べさせて弱っている人に力を与えるのです。愛には犠牲も伴いますが、共にあることはそれ以上に喜びがあるのです。
まさに本物のいのちのパンがイエスさまです。イエスさまを信じる人は永遠のいのちが与えられるのです。永遠のいのちとは、神さまが一緒におられるからです。この神さまの愛はいかなるものも奪うことはできません。
しかし与えることはできるのです。しかも分ければ分けるほど増えていくのです。だから忙しい時も余裕がないと感じて焦ってしまう時も含めていつでもまず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。いつも神さまの愛が一緒におられます本物の愛で満たされますように。救い主であり本物の愛であるイエスさまをあなたの心に迎えていきましょう。メリークリスマス!ご一緒にイエスさまを讃美しましょう。
「マリヤは初めての子を産みました。男の子です。彼女はその子を布でくるみ、飼葉おけに寝かせました。宿屋が満員で、泊めてもらえなかったからです。 」(ルカの福音書 2:7 JCB)
「今夜、ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 布にくるまれ、飼葉おけに寝かされている幼子、それが目じるしです。」ルカの福音書 2:11-12 JCB
クリスマスの本当の意味を分かち合いましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主