「神がお立てくださったわれらの王に 祝福があるように。 天よ、喜べ。 いと高き天で、神に栄光があるように。」 (ルカの福音書 19:38 JCB)
イエスさまがエルサレムに入城する際に弟子たちが叫んだ賛美の言葉です。「主の名によって来られる王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」これは、イエスさまがメシア(油注がれた救い主)として迎えられたことを示しています。
イエスさまの入城は、ゼカリヤ書9章9節の預言の成就とされ、子ロバに乗って平和の王として迎えられました。
力強く勇ましい馬に乗って来たのではなく、無力そうに見えるロバの子に乗って来たのです。つまり、救い主の姿は、わたしたちがイメージする圧倒的な力ある王ではなく、わたしたちのために十字架にかかってくださいます愛と平和に満ちた王なのです。
「神がお立てくださったわれらの王に 祝福があるように。 天よ、喜べ。 いと高き天で、神に栄光があるように。」 (ルカの福音書 19:38 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 (ヨハネの福音書 16:33 JCB)
イースターおめでとうございます。
もう終わりだと思っていたのに、新しくはじまりました。わたしたちの小さな思いでははかり知れないことが山ほどあります。
神さまから離れて生きることのゴールは死であり絶望です。しかし、どのような時も神さまが一緒におられることは、いのちであり愛と希望で満ちています。
人生には、困難や苦難はあるのが普通です。振り返るとそれが成長の糧になっているからです。イエスさまは、わたしたちが神さまと直接話しができるように、つながるように、神さまとの関係を修復してくださいます。
そのために十字架にかかってくださいました。わたしたちに神さまの愛を示すためにもっともみじめな状態となって十字架にかかってくださいました。それほどまでに愛を示してくださいます。そして復活する希望を示してくださいました。
イースターおめでとうございます。あなたの中で、新しく生まれ変わらせてくださいます主に感謝いたします。どんなことがあっても、あなたを見捨てない主が一緒おられます。
「あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 (ヨハネの福音書 16:33 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「エルサレムに告げよ。 『王がおいでになる。 ろばの子に乗って。 柔和な王がおいでになる。』」(ゼカリヤ9:9) (マタイの福音書 21:5 JCB)
救い主がエルサレム入城に関する預言の成就を示しています。この節では、イエスさまが王として迎えられるものの、軍馬ではなくロバの子に乗って入城することが強調されています 。これは、力強い征服者ではなく、「謙遜な救い主」としての姿を示すものですね。
この場面は、旧約聖書ゼカリヤ書9:9の預言の成就であり、イエスさまが平和の王として来られたことを象徴しています。
群衆はイエスさまを歓迎しましたが、彼らの期待する王の姿とは異なっていました。わたしたちも何かの力によって支配しよう、自分に都合よくしようと操作しようとします。
しかし神の国とは、力ではなく愛の支配であることが確認できます。愛はすべてを覆うからです。わたしたちに必要なのは愛だからです。
「エルサレムに告げよ。 『王がおいでになる。 ろばの子に乗って。 柔和な王がおいでになる。』」(ゼカリヤ9:9) (マタイの福音書 21:5 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「わかった。安心しなさい。わたしがいっしょに行って、失敗のないようにあなたを守ろう。」 (出エジプト記 33:14 JCB)
神さまは、モーセにイスラエルの民を「約束の地」に連れて行くようにと言われます。
約束の地とは、神さまが一緒におられるところです。土地や場所のことと言うより、あなたの心に神さまを迎えると言うことですね。
しかし、この時のイスラエルの民は強情者なのです。自分中心で、神さまをすぐに忘れてしまうのです。わたしたちのようですね。
だからモーセが、神さまに心を向けるようにと導いているのですが、なかなか大変なのです。嘆くモーセに神さまが言われます。
「わかった。安心しなさい。わたしがいっしょに行って、失敗のないようにあなたを守ろう。」 (出エジプト記 33:14 JCB)
わたしたちも都合の悪い時こそ、安心の居場所である約束の地にいきましょう。神さまとお話ししましょう。教会は約束の地です。ご一緒に神さまを讃美しましょう。
そのために、まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「神に選ばれて愛され、聖なる新しいいのちを与えられたあなたがたは、他の人々に対して情け深く、やさしく親切でなければなりません。謙遜で、どんな時にも、おだやかに忍耐強く行動してほしいものです。 」(コロサイ人への手紙 3:12 JCB)
あなたは神さまに選ばれています。あなたしかできないことがあるからです。だから、救い主イエスさまを知る人になったのです。
あなたにとっての救いは、十字架の愛ですよね。十字架の愛によって、あなたの罪は帳消しにされて(赦されて)、主がいつも共にある新しく生きる者とされたのです。
ゆえに、あわただしい中で、まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。そして十字架の愛を見上げ続けていきましょう。
「神に選ばれて愛され、聖なる新しいいのちを与えられたあなたがたは、他の人々に対して情け深く、やさしく親切でなければなりません。謙遜で、どんな時にも、おだやかに忍耐強く行動してほしいものです。 」(コロサイ人への手紙 3:12 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。