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住所変更のお知らせ
新住所
板橋区仲町23−17
東武東上線 
中板橋駅徒歩12分
連絡先
090-8801-0111
(新保牧師携帯)
アクセスカウンタ
今日 : 149149149
昨日 : 178178178
総計 : 832124832124832124832124832124832124
投稿者 : church 投稿日時: 2022-12-24 20:23:46 (28 ヒット)

祝 クリスマス 


Merry Christmas


本日の聖書  ルカによる福音書211


宣教題「あなたのためにメリークリスマス」 牧師 新保雅雄


主の御使いは、長々と退屈な説教を必要としない。この短い一言の言葉で、救いの全てを語られている。(ルカ211


「今日あなたがたのために 救い主がお生まれになった。」


あなた方とは誰か?


「孤独の中に眠れない夜を過ごすあなた。


善を行おうと願いながら悪を行ってしまうあなた。


数々の罪の中にあるあなた。死に定められているあなた。


欲望の奴隷になっているあなた。」


何の為に?


「あなたを決してみなしごにはしない。古い自分を脱ぎ去るために。数々の罪の身代わりになり、あなたを赦すために。死ぬべきあなたを永遠の命へ導くために。あなたを解放し自由にするために。」


主は、貧しさの中にひっそりとお生まれになられた。祝いに駆けつけたのは、数人の羊飼い達であった。


この社会から遠くにいる、休む場所は暗い孤独の中、この羊飼いの姿は、まさに社会の喧騒の中で心ふるわす。私たちの姿なのです。


「大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。


ダビデの子にホサナ。主によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(マタイ21:8,9)


あなたが主イエス・キリストを心からお迎えするいなら、主はあなたの救い主になられます。我らの主。ハレルヤ!


投稿者 : church 投稿日時: 2022-08-14 06:35:12 (112 ヒット)

 コロナ感染状況が落ち着くまで板橋での対面礼拝は自粛致します。


しかし今週は東京西教会(母教会)はスペースのある貸し会議室での対面礼拝なので、密になりにくい上、感染対策しながらの礼拝が可能なため、母教会で合同礼拝となります。よろしくお願い致します。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。


投稿者 : church 投稿日時: 2022-07-31 06:02:06 (197 ヒット)

7 月31日(日)の会堂での対面礼拝はありません。


次週8月7日(日)以降、感染状況からの対応に合わせて対応します。ご理解賜りますようお願い致します。今週も皆さんの上に主の祝福が豊かにありますように。健康が守られますように。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2022-07-24 06:28:31 (135 ヒット)

 7月24日(日)の会堂での礼拝はありません。


次週31日(日)以降、行政からの対応に合わせて対応しますが、今のところは安全対策しながら対面礼拝を予定しております。皆さまの健康が守られますように。


投稿者 : church 投稿日時: 2022-07-17 08:04:40 (125 ヒット)

本日の聖書  マタイによる福音書514


「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることが出来ない。」


宣教題「地の塩、世の光」 牧師 新保雅雄


主イエスは、弟子たちに向かって「あなたがたは地の塩である」、「あなたがたは世の光である」と言われています。


主イエスは、何か条件を付けて、「もし、○○ができるならば、地の塩、世の光になれる」だからなれるように、しっかり頑張りなさい、と言われたのではないのです。


また、特に選ばれた人、才能をもった人にだけ言われた訳でもないのです。今のままの、ありのままに「あなたが、地の塩であり、世の光なのだ」と言われています。


ここに、神の恵みによる「幸い」があります。「神が、一方的に、恵みによって、私たちを選んでくださり、地の塩、世の光としてくださった。だから、相応しく生きよう」これが、生き方なのです。


救いも同じです。「何かが出来たから救われたのでは、ありません。」「救われたから神の言われるような人生を生きよう。」なのです。(出エジプト)先に神の救い恵みがあり、感謝の人生があるのです。


光は自分を照らすのではありません。 世の光としての私たちは、自分自身に光が当たることを望むのではなく。世の光として、人々を照らすことや社会を照らすことが光の役目なのです。


ですから、世の光としてのクリスチャンは、この世に仕えることが役目です。その時、光が光らしく輝くのです。また塩も自分自身のためにあるのではなく、周りの腐敗を防ぐための清めに使われる。


地の塩も世の光も、自分のためにではなく、世や人の為にこそ存在します。だからこそ、私たちは、礼拝の場から、地の塩として、また、世の光として、それぞれの働きの場へと遣わされるのです。


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