メインメニュー
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

住所変更のお知らせ
新住所
板橋区仲町23−17
東武東上線 
中板橋駅徒歩12分
連絡先
090-8801-0111
(新保牧師携帯)
アクセスカウンタ
今日 : 8686
昨日 : 332332332
総計 : 1165693116569311656931165693116569311656931165693
投稿者 : church 投稿日時: 2025-06-01 05:53:53 (46 ヒット)

  2025.6.1きんたメール第974号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言


『献げることと委ねること・・・』〜そのような心を与えてください〜


 敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。来週はベンテコステ(聖霊降臨を覚える時)ですね。教会の誕生日でもあります。お助けマンであります聖霊さまは、わたしたちを自分中心から自由にしてくださいます。まず神さまに心を向ける生き方へと導いてくださいますように。神さまに信頼して委ねる生き方を学ばせてくださいますように。神さまの知恵と温もりで満たされますように。


 さて、ベンテコステによって弟子たちが新しくされていきました姿勢の「献げること」と「委ねること」について、少し考えてみたいと思います。やもめの献金(ルカ21:1-4, マルコ12:41-44)のお話しから聴いていきますね。


 イエスさまは、裕福な人々が多くの献金をする一方で、貧しいやもめがわずか2枚のレプタ銅貨(現代なら200円くらい)を献げる姿を見て、彼女の献金こそが最も価値あるものだと称賛しました。


 なぜでしょうか。それは彼女が余裕のある中から献げたのではなく、自分の持っているすべてを献げたからです。 


 どう言うことでしょうか。彼女は神さまだけが頼りだったのです。その上で神さまに委ねたのです。お任せしたのです。わたしたちは彼女のようにできるでしょうか。いざと言う時は、わたしたちには彼女の姿勢が必要なのです。まず神さまに心を向ける練習をし続けて学び続けていきましょう。


 献げることは、単に額の問題ではなく、心の姿勢にあることが理解できますね。彼女は、自分の必要を神さまに委ね、すべてを献げました。  彼女は、自分にとって大切なものを差し出し、神さまへの信頼を示しました。  


 まず神さまに心を向ける練習を日々し続けていきましょう。献げることは、自分の持っているもの、時間、愛、資源を自発的に差し出す行為ですが、それを委ねることで、より大きな信頼と平安が生まれるのです。  


 実践しようとすればわかりますが、わたしたちの中には惜しむ思いや損得など自己都合に縛られていることがわかるのではないでしょうか。来週の6月8日(日)はベンテコステです。だからこそわたしたちには十字架の愛と、お助けマンであります聖霊さまの助けが必要です。


「自分のしようとすることをみな、主にゆだねなさい。 信頼する者を、主は助けてくださいます。」詩篇‬ ‭37‬:‭5‬ ‭JCB‬‬


 わたしたちはいざと言う時だけではなく、日頃から神さまに信頼して委ねる心が必要です。なのに自分中心と言う障壁があるのです。ゆえに十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。


 ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。


 どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。


 ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2025-05-25 05:02:36 (48 ヒット)

  2025.5.25きんたメール第973号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言


『人生を豊かにする・・・』〜知恵と恵み〜


 敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。人生を豊かにしたい・・・わたしたちの心の根っこにある思いですね。確かなことは、まず神さまに心を向ける生き方ではないでしょうか。損得、勝ち負け、都合の良し悪しのような自分中心の基準よりも、本物の愛と恵みの中にあることを知って、いつも主が一緒におられます生き方がうれしいからです。神さまの知恵と温もりで満たされますように。


 さて、先日、聖書アプリのデボーションから、「キリストにはもう体がない」アビラの聖テレサ著をはじめて知りました。素敵な表現なので視点が豊かになりますね。聖書アプリおすすめします。https://blog.youversion.com/ja/


 内容(あくまでわたしの要約)としては、十字架にかけられたイエスさまは肉体がないから、あなたの目がイエスさまの目なのですよ。だからイエスさまも同じものを見ているのですよ。意識していないわたしには耳に痛くハッとさせられます。


 同じように口も手も耳も足も心も知性も応答も意識すると視点が豊かにされるのですよ。と、考えさせられる詩になっています。つまり、まず神さまに心を向けることにつながっているからです。


 神さまに心を向けることは、見た目に惑わされることなく、もっとも小さくされている人にすることは神さまにすることと同じだからですね。


 わたしたちはどうでしょうか。自分にとって都合の良いことだけを求めているのでしょうか。自分に都合の悪いことには聴く耳を持たないのでしょうか。そうだとすると人生を豊かにすることに気づかないかも知れません。自分にとって入りやすい広い門だからです。


 しかし十字架の愛にただただ感謝いたします。自分がしてもらいたいことを、同じように必要な人と分かち合うような、分ければ増える恵みを求めるならば、神さまの愛と知恵に満たされて豊かに用いられるのてはないでしょうか。人生を豊かにする狭い門から入りたいと願います。


『あなたがたは、わたしが空腹だった時に食べ物を与え、のどが渇いていた時に水を飲ませ、旅人だった時に家に招いてくれたからです。それにまた、わたしが裸の時に服を与え、病気の時や、牢獄にいた時には見舞ってもくれました。』 (‭‭‭マタイの福音書‬ ‭25‬‬:‭35‬-‭36‬ ‭JCB‬‬)


 十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。


 ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。


 どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。


 ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2025-05-18 05:49:16 (54 ヒット)

  2025.5.18きんたメール第972号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言


『理解し合うために・・・』〜聴くことは愛〜


 敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。話すことと聴くことは、どちらも大事ですね。そこに尊重し合う姿勢(心あるかないか)で天と地の開きが生まれてしまうことがわかります。あなたの関わりが豊かに祝されますように。神さまの知恵と温もりで満たされますように。


 さて、理解し合うために何が大事なのかを考えてみたいと思います。


 職場でも、家族間でも、友だちとの間でも、さまざまな関わりの間でも、より良くするためには理解し合うことがとても大事だと思います。


 そのためには、聴く耳が必要です。聴く耳とは、主体を自由にすることです。自分の思いや考え方を主体にすることもできるし、自分とは違う相手の思いや考え方に主体を置いて聴くこともできるからです。


 その基本の土台には、相手の存在そのものを尊重する姿勢が求められます。


 そのために必要なのは「理解し合う」姿勢ですね。わたしたちは目の前の見える言動に惑わされやすいのです。また身近であればあるほど、思い込み(自分の都合)が壁になるのです。ゆえに、その言動の背景にある「気持ち」に耳を傾ける必要があるのです。


 「理解する」ことの意味がわかりやすいのは、英語の表現です。理解する=understand(アンダースタンド)、つまり「下に立つ」ことが理解することなのです。


 上から目線では理解できないからですね。


 特に身近な人の間でこそ忘れやすい姿勢になるので、understandingの姿勢を忘れないように目指し続けると、面白いほど「うれしい」が広がります。


 常に変化することが普通なので、うまくいかなくてもあきらめずに、学び続ける、目指し続けることが大事なのです。


 まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように。十字架の愛こそ、わたしたちの土台となりますようにお助けマンである聖霊さまが助けてください。


「神である主は私に、知恵のことばを授けました。 疲れきった人に何を言ったらいいかを教えるためです。 朝ごとに、主は私を目ざめさせ、 御心への理解を深めさせてくれます。 主のことばを、私は耳をすまして聞きます。 逆らったり、顔を背けたりしません。」イザヤ書‬ ‭50‬:‭4‬-‭5‬ ‭JCB‬‬


 十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。


 ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。


 どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。


 ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2025-05-11 06:32:59 (60 ヒット)

 2025.5.11きんたメール第971号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言


すべての母に感謝いたします。主の祝福が豊かにありますように。


『教会ならではのコミュニティ・・・』〜あったら楽しそう〜


 敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。人生100年時代と言われていますが、少子高齢化によって労働人口も減っていきますので公務員も定年が70歳まで計画されています。現在は段階的に65歳ですが、70歳定年時代になるのですね。まだ一般企業の定年は60歳が多いのですが、さまざまなスキルを持った方々がたくさんおられます。活かさないともったいない気もしますよね。60歳以上の方々が伝授したり活躍できる場が増えてほしいと個人的に思っています。


 さて、60歳以上をシニアと言っても、一律では括れない時代です。まだまだ元気な方もいれば、いろいろ抱えておられる方もいます。本当にさまざまですよね。変わらないのはどの人も神さまの目に尊い存在と言うことです。


 そのような中で、ある、ないを比較すること以上に、唯一無二の存在であり、支えられている恵みに心を向ける、感謝の心を豊かにしていくにはどうすればいいのでしょうか。


 背景も価値観も、感じ方も、受け止め方も、また体力も健康状態も違うそれぞれの方々が、それぞれの生き様を理解し合う、与えられたスキルを学び合う場があったらいいですよね。わかり合える学び場です。


 教会なら、地域密着型のそんなコミュニティが創れそうです。オンライン活用ならどこでも繋がれますね。それぞれが必要とされる、尊重される、笑顔が増える、わかり合える、イキイキできる、何よりいつも、まず神さまに心を向ける、アンダースタンドで聴く耳を成長させていただくことで視野を広げる、そんなコミュニティをはじめていきませんか。そのための知恵と導きが豊かにありますように。


 まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように。そして、それぞれが安心の居場所を見つけることができますようにお助けマンである聖霊さまが助けてください。


「神である主は私に、知恵のことばを授けました。 疲れきった人に何を言ったらいいかを教えるためです。 朝ごとに、主は私を目ざめさせ、 御心への理解を深めさせてくれます。 主のことばを、私は耳をすまして聞きます。 逆らったり、顔を背けたりしません。」イザヤ書‬ ‭50‬:‭4‬-‭5‬ ‭JCB‬‬


 十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。


 ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。


 どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。


 ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2025-05-04 06:24:29 (67 ヒット)

 2025.5.4きんたメール第970号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言


『劣等感からの解放・・・』〜赦しの力〜


 敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。5月には入りました。ゴールデンウィークであり行楽日和ですね。5月の月日もそれぞれ守られますように。またいきなりですが、携帯電話が当たり前になっています現代ではネットによる便利さを手にしてきましたが、一方で根拠のないデマや、誹謗中傷も溢れるようになり、影響力のあるインフルエンサーによって、良い影響もありますが、悪い影響もあっと言う間に拡散されたりと問題になっています。匿名性と試聴数によって収益になるしくみもあるので、目的が正しさよりも収益にあるなどの課題もあり、目立つためなら何でもありになってしまいがちなので、安心して利用するためのわかりやすいルールが求められているのです。また利用する人の思いもさまざまなので誰もが安心して利用できるために正しく判断する知恵を求めていけますように。まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。


 さて、そんなわけで、ネットに限らず分断の根っこにある劣等感と優越感について考えてみます。


 「分断」とは、もともと何かが一つにまとまっていたものが、何らかの理由によって断ち切られたり、別々の部分に分かれたりすることを指します。


 物理的なものに限らず、社会的・心理的な面でも使われますので、ネット上で大多数の考え方や常識だとされている理解の仕方に対して、悪い言い方だと食いつきそうなエサ(反対の持論)を投げて、話題性を高めようとする働きがあるのです。


 良い場合もあれば、目立つための見せかけだけで実態はただの誹謗中傷もあるため、学ぶ姿勢と正しく見抜く力が求められるのです。


 「劣等感」とは、自分が他者と比較して劣っていると感じる心理状態を指します。これは、能力、外見、社会的地位、人間関係など、さまざまな面で生じることがあります。


 しかし、劣等感は必ずしも悪いものではなく、適度であれば成長の原動力にもなります。大切なのは、自分を否定するのではなく、「どうすれば自分らしく前に進めるか?」と考えることかもしれませんね。


 だとしたら「劣等感」の扱い方も学ぶ必要がありますね。ちなみに「劣等感」から自由になるためには「優越感」を得ることだとすると、「分断」をますます深めることになります。


 なぜならば、お互いに「優越感」を得たいからです。なので「劣等感」の正体をもう少し深掘りしてもいいのではないでしょうか。


 劣等感は誰だって嫌なものです。問題は劣等感に支配されてしまうことですから、もっと劣等感を知ることが必要なのです。


 あくまで一例ですが、難関の一流大学を卒業してある企業に就職した新入社員でしたが、入社して半年が経つと、上司から〇〇大学出なのに、こんなこともわからないのか、と責められて自信をなくして退社してしまったのです。


 もちろん上司にも問題はありますが、ここでは新入社員の気持ちになると、難関大を出た自分がわからないなんてありえない。と言うプライドもあり自分を赦せなくなったのです。


 一方で、何らかの事情で大学には行かずに高卒で入社した新入社員は、上司からお前はこんなこともわからないのか、と責められたのですが、はい、わからなくてすいません。しっかり学びたいので教えていただけますか。と、わからない自分を受け入れて、素直に対応したのです。


 つまり、自分にとって不快な劣等感を受け止めるか否かなのですが、根本はそんな自分を赦すか否かなのです。


 受け止められないそんな自分を、丸ごと受け止められると、わたしたちは安心の居場所になるのです。すごいのは、イエスさまはそんなあなたのためにも十字架にかかってくださいました。なぜならば赦されて赦す人になるためです。わたしはそのような愛を受ける価値のない者ですが、にも関わらず受け止めてもらえるイエスさまの十字架の愛を覚えて感謝いたします。


 分断を拡大する劣等感と優越感を土台にするよりも、愛を土台にする方がいい。自分との付き合い方も十字架の愛を土台にする方がいい。イエスさまの十字架の愛と復活に感謝いたします。ご一緒に愛の土台を目指していきませんか。


「むしろ、互いに親切にし、心のやさしい人になりなさい。そして、神がキリストにあってあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」エペソ人への手紙‬ ‭4‬:‭32‬ ‭JCB‬‬


 十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。


 ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。


 どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。


 ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


« 1 (2) 3 4 5 ... 140 »