2015.6.14きんたメール第456号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「赤ちゃんを見たら・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。いつも、ありがとうございます。梅雨の季節です。昼夜寒暖の差もありますので、どうぞ、ご自愛くださいますように。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。
さて、本日は福岡新生キリスト教会にて子どもメッセージをさせていただきます。今回のテーマは「信仰」についてです。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:1)
「信仰」をわかりやすく言うと、「赤ちゃんの姿」に似てると言えます。赤ちゃんはママやパパやお世話をしてくれる人に対して、信じてお任せしています。そのように「主を信じて委ねること」を学びます。「愛も希望も信仰も、大事なことは目には見えないよ。心で見るんだよ。」と誰かが言っておりました。そのとおりだと思います。だから赤ちゃんをみたら…「信仰」を思い出せますように。
アブラハムが99歳、サラは89歳の時、神様から「1年後にサラは跡継ぎの男の子イサク(笑う)を産む」と約束されました。そして信仰を継承する人たちは数えきれないほどになるという約束です。
普通に考えれば、子供を生める年齢ではありません。だからサラは、「まさか」と笑ってしまったのです。サラの気持ちはよくわかります。
しかし、神さまは何で笑うのか、とサラに言われました。またアブラハムには、満天の星空を見せて、あなたの子どもはこのようになると励ましました。それでアブラハムは信じた。主はそれを彼の義と認められた。と言われるように、信じて祈り続けられますように、いつも励まし続けてくださいます主に感謝します。
神さまにできないことはありません。私たちは、すぐにかなわない祈りをサラのように笑ってしまって、途中であきらめたりしがちですが、アブラハムのように「心配な時は心配です」「不安な時は不安です」「苦しい時は苦しいです」と素直に祈り求める者となりたいものです。そのように「主を信じて委ねる」生き方を目指し続けていけますように。アブラハムの子孫が数えきれないほどになりますように。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は命を得ます。ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年22回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中。わたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.6.7きんたメール第455号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「条件付きの愛と無条件の愛・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。いつも、ありがとうございます。梅雨の季節です。南から徐々に北上しています。寒暖の差もありますので、どうぞ、ご自愛くださいますように。6月の月日も主が共にいてください。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。
さて、私たちの世界は、「条件付きの愛」で溢れています。「条件付きの愛」とは、条件を付ける人が、その立場を利用して、自分に都合のよい、何らかの「条件がないと愛せない」という態度のことです。つまり、その条件を満たさないと愛さないよと、脅すやり方です。結構、日常茶飯事で身近にあるのではないでしょうか。
しかも、それが自分の価値を高めるためだと思い込んでいる人が多いのだろうと思います。なぜならば、その人もそういった価値観を押し付けられて育ってきたから、それしか知らないのです。
脅されている方は、立場が弱いから従うしかないだけで、条件を付きつけられて、本当に愛されていると思う人はいないのではないでしょうか。
そのような愛し方は、いつも不安を与えます。価値観を押し付けられる方は、その条件を満たさなかったら愛されない、認めてもらえないのですから、うまくいってるときは良いけど、そうでないときは、大きく傷つきます。自分には価値がないと思わされるのです。
私たちが心底求めているモノは「本当の愛」です。これは無条件の愛です。できても、できなくても、よくても、わるくても変わらない愛です。条件のない「そのままの自分」を受け容れてくれる愛です。
条件付きの愛に慣れすぎてしまうと、無条件の愛は、ありえないことですから、信用できないように見えるかもしれません。十字架に架かるようで、無力に思えるのかもしれません。しかし、そこに「命の泉」があるのです。その泉は人を生かします。愛は人を生かします。
無条件の愛を知った人は、条件付きの世界の中でも、いつも平安も共にあることがわかります。この「平安」こそ、すべての人に知ってもらいたいものです。イエスさまに出会った人は命が輝きます。心の飢え渇きを潤すのは愛だからです。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年21回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後にバイブルクラス、映画会があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。またわたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.5.31きんたメール第454号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「ダイバーシティー(多様性)・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。いつも、ありがとうございます。先日全国的に地震がありました。どうぞ、ご自愛くださいますように。皆さまの上に主の平安が共にありますように。
さて、今、世界基準で取り組もうとしている日本の企業はダイバーシティー(多様性)という考え方を推進しています。違いを認め合い、活かし合うために、性別、年齢、国籍、障害、価値観、生い立ち、性格など内外面の違いを差別するものではなく、認め合って、共に成長していくことで、あらゆる状況や環境に対応していこうとするものです。
目標をかかげることは簡単ですが、実行することは難しいので、そのためにプロジェクトを立ち上げて、必要な学びをしたり話し合いをしたりしながら、それぞれが理解を深めていけるようにしています。こういった姿勢はとても大事になります。
そもそも教会はダイバーシティー(多様性)のお手本となるべきところです。もちろん、お手本となるべく教会もあります。しかし、実際はまだまだ少ないように思います。だから、教会に相談しにいくよりも、違うところに相談に行ってしまう現実があるのです。
主の十字架と愛(福音)を伝えるためには、パウロのように柔軟性が求められるのでしょう。
「また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。」コリント一9: 21
これは、救われた人が、求めているときの気持ちを忘れないようすることと、求めている人の気持ちに寄り添うことを意味しています。
ダイバーシティー(多様性)は当たり前のことなので、私たちにすれば、違いを感じたら、学ぶ機会を得たということになりますし、理解するためのはじまりとなるのです。対応しきれない場合は、守秘義務を守りながら、課題とそこにある気持ちの共有をしながら、「自分はどう考えるか」を深めていければ、みんなで成長していけるのだと思います。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年20回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.5.24きんたメール第453号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「祝ペンテコステ2015 ・・・」
敬愛する皆様、板橋からです。いつも、ありがとうございます。季節の変わり目です。寒暖の差もありますので、どうぞ、ご自愛くださいますように。今週はペンテコステです。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」使徒言行録2:1~4
イエスさまは十字架に架けられて殺されましたが、3日目に復活され、弟子たちはこのペンテコステまでの50日の間に、生きて働く神さまのたくさんの恵みを体験しました。
閉じていた門が開いたように、閉じこもっていた弟子たちは新しい力を受けて外に向かって福音が届けられるようになりました。生きて働く主が共にある。ここから教会がはじまっています。
「違う」ことが隔たりとなって、互いに言葉が通じない社会の中で、「違う」ことを認め合い、それぞれどの人にも通じる言葉が与えられました。そのようにして世界の人びとが福音を自分の理解できる言葉で聞くようになりました。
体の部分が「違う」のは、それぞれが補い合うことで、一つ体となるように、教会も私たちも、与えられた場所で神さまに感謝して人や繋がりを大事にする使命や目的を常に確認していく必要があります。
それぞれが、今置かれている閉じこもっていた場所の門が開かれて新しくはじまりますように祈ります。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ペンテコステのときを覚えて、ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年20 回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.5.17きんたメール第452号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「『聴す』、何てよむの?・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。いつも、ありがとうございます。季節の変わり目です。寒暖の差もありますので、どうぞ、ご自愛くださいますように。次週はペンテコステです。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。
さて、私は「聴く」ことを通してイエスさまをお伝えしたいという使命が与えられて、気が付けば20年、電話で聴くことを続けさせていただくことができました。聞くことは簡単でも、聴くことは難しいので、失敗を繰り返してはいますが、こらからも学び続けながら、出来る限り継続して聴く人を目指していきたいと願っています。
そのために定期的に研修を受けています。先週は13日の水曜日の夜、「いっしょにやる、ということ」をテーマに研修に参加させていただきました。その研修の最初に「聴す」この読み方を知っていますか。ということからスタートしました。
「傾聴」の「聴」に「く」は、「きく」と言うことはわかります。しかし、「聴す」をなんて読むのでしょうか、もちろん、「きす」でも、「ちょうす」でもありません。「傾聴」の土台になるものです。
答えは、「聴す」(ゆるす)です。
これは、その人の性格や考え方や成果や見た目ではなく、存在そのものを受け容れることになります。
だから、口を紡ぐ時、こんなこと言ったら、怒られるとか、許されないと思うから言うことができなくなりますし、人の話を聞こうとしない時は、許せない、許していないということにもなります。
「聴す」(ゆるす)の本質は、相手の存在そのものを肯定することです。土台には、イエスさまの十字架の愛があるのです。聴いてもらうことで、心に抱えている重い荷物がおろせるのです。
だから、私の場合は、イエス様に聴いてもらい、救われたからこそ、同じように聴くことを通してイエスさまの愛を伝えたいのです。それでも、聴けないときもあります。失敗を繰り返しながら気付くのは、聴くことが適ったときは、自分の力ではなく、神様から与えられている恵みであるということです。だから、聴く前にイエス様が聴いてくださいと祈ります。そんなわけで「聴く」ことに関心をもつ人が増えますようにと心から祈ります。
「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。」ヤコブの手紙1:19
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ペンテコステに向けて、ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年19回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主