2016.6.26きんたメール第510号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「悔い改め・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。蒸し暑いのと肌寒いのとが混在している時期です。昼夜寒暖の差がありますのでご自愛くださいますように。熊本、エクアドルの地震で被災されたお一人一人の上に主の癒しと平安が豊かに注がれますように。復旧が速やかに行われますように。引き続き覚えてお祈りください。
さて、面白い話を聞きました。ある国の人は、「人間関係」よりも「真理や正しさ」を優先するけど、日本人は、「真理」よりも「人間関係」を優先するというのです。だから、「人の目を恐れる」と言うのです。本音を言わないで保たれている平和なので、表面的な人間関係に生きていると。もし本音を言えば、とたんに白い目で見られるのだと。村八分イズムは形を変えて現代に引き継がれているようです。
悪い例だと、よく不正問題のニュースが報道されます。大企業だけとは限りませんが、ほとんどのケースは不正そのものが明るみにでるまで、社内で対応できない状態になっています。これも組織内の「人間関係」や「保身」が優先していて、正そうとする一部の人が排除されてしまうからです。
逆に功を成しているのは、世界の治安情勢に比べると人の目を恐れる習性で治安がよいのかも知れないことです。しかし、人間関係が希薄になると、人が大勢いたとしても、かえって見失われやすくなってしまいます。この平和の中身の柱が「真理」ではなく、「人間関係」だとすれば、非常に危ういものであることにもなります。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」ルカ5:32 見た目は大工の息子でしたが、言動は愛と真理そのものであったイエスさまでした。なのに王をはじめ祭司や律法学者など当時の権力を持つ人の扇動で大勢の人から排斥されて十字架に架けられました。 しかし、3日後に復活され死に勝利されました。この御方こそ王の中の王です。
私たちは神に似せて創られていますから、悪いことをすると心がやましさで覆われるようになっています。いくら正当化しても、人の目はごまかせても、神さまの目はごまかせません。不正は不正です。やがて明るみにでるようになっています。なぜなら不自然なことだからです。「悔い改め」が必要です。道から迷っても主が見つけ出し、導かれます。いつも主に立ち帰りましょう。
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」ヨハネ14:6
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は礼拝前に子ども会、聖書教育があります。礼拝後は交わりの時があります。東京西教会(母教会)のお一人ひとりの上に主の祝福が豊かにありますように。わたなべ兄の肩の骨折が癒されますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2016.6.19きんたメール第509号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「対処する秘訣・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。ここのところ昼夜寒暖の差が大きいようです。ご自愛くださいますように。熊本、エクアドルの地震で被災されたお一人一人の上に主の癒しと平安が豊かに注がれますように。復旧が速やかに行われますように。引き続き覚えてお祈りください。
さて、皆さまは現在置かれている境遇に満足されているでしょうか。どうでしょう。理想と現実のギャップがあればあるほど、現在の境遇に満足することは難しいことではないでしょうか。
パウロはフィリピの手紙で「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。」フィリピ4:11b と言っています。何かとの比較ではなく、現在の境遇をすべて成長するための神さまからの贈り物として受け止めています。どのような境遇からでも学ぶことができると言うのです。
私は満足できない時は、すぐに不平不満が溢れるので恥ずかしいです。
パウロは、続けて「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピ4:12〜13
私は豊かで、満腹していれば満足で、貧しくて、空腹だと不満足になりやすいのですが、パウロはいついかなる場合であっても「対処する秘訣」があると言っています。そのような「秘訣」を授かったらすごいと思います。
パウロは、この秘訣を自分の力で得たのではなく授かったと言っています。授けてくださったお方のお陰ですべてが可能になったのです。パウロはイエスさまに出会ってから、対処する秘訣を学ぶためにたくさんの苦しみも味わいました。そして最も弱っている時に本当に大事なことに気づいたのです。主を仰ぐとき、弱ることも恵みであることがわかるのです。主に感謝します。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・【板橋教会】・・・本日は礼拝前に子ども会、聖書教育があります。礼拝後はバイブルクラスがあります。東京西教会(母教会)のお一人ひとりの上に主の祝福が豊かにありますように。わたなべ兄の肩の骨折が癒されますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。板橋キリスト教会ホームページ
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2016.6.12きんたメール第508号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「設計主へ心を馳せる・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。先日は暑くなりましたね。水分補給を心がけましょう。ご自愛くださいますように。熊本、エクアドルの地震で被災されたお一人一人の上に主の癒しと平安が豊かに注がれますように。復旧が速やかに行われますように。引き続き覚えてお祈りください。
さて、先日息子はテスト期間が終わり、プラモデルを作りたいと言うことで、一緒にガンダムのプラモデルを買いに行きました。待ち遠しかったようで、帰るとすぐに作業がはじまり、ものすごい集中力を発揮していました。設計図を見て、その通りに作成していくのですが、作成しながら息子がポツリと呟きました。「このプラモデルの設計をした人って天才だね。」
「設計をした人は天才」 そんな風に感じた息子に、「すごく大事なことを発見したね」と伝えました。すべてをお創りになられた御方を褒めたたえます。このようなことから神さまのお働きへと心を馳せられることは幸いだと思いました。
宇宙を見ても、実に見事に秩序正しく設計されています。すべての生き物はそれぞれの目的に敵うように高度な設計がされています。そして私たち一人ひとりも神に似せて創られた者です。ちょっと周りを見渡せば、すべてのものが高度な設計がされていることに気づくでしょう。
ただ私たちは神ではなく、不完全な者ではあります。しかし、不完全だからこそ成長する喜びを得ることができます。不完全だから罪なのではなく、神さまから離れてしまうことが大きな罪なのです。創り主にこそ心を馳せましょう。
あなたは、神さまがおつくりになった素晴らしい尊い存在です。主に感謝します。いつも感謝する心を与えてください。主に心を馳せる人は幸いです。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は礼拝前に子ども会、聖書教育があります。礼拝後は分かち合いの時があります。東京西教会(母教会)のお一人ひとりの上に主の祝福が豊かにありますように。新保牧師、つのえ兄、わたなべ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2016.6.5きんたメール第507号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「土台・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。九州・中国・四国は梅雨入りしました。関東は8日ごろと予想されています。寒暖の差がありますので、ご自愛くださいますように。6月の月日も主が共にいてくださいますように。熊本・大分、エクアドルの地震で被災されたお一人一人の上に主の癒しと平安が豊かに注がれますように。復旧が速やかに行われますように。引き続き覚えてお祈りください。
梅雨と言えば、語源は「梅の熟す時期の雨」と言うことから江戸時代に言われはじめたようですが、春が終わり、夏がはじまる時期(1か月〜1か月半)の雨季を表しています。梅雨が過ぎれば夏です。夏バテしないように梅を摂りましょう。そして御言葉の恵みの雨を受け続けましょう。
さて、聖書本文検索で「雨」と検索すると引用回数は97か所ありました。私たち人や動物、植物にとって生きるのに雨はすごく大事なものです。
また、こんな有名な譬えもあります。
「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」マタイ7:25
私たちの人生には、災いが降りかかるような経験もします。いつまで続くのかわからない時は、本当につらい状態と言えます。その時に土台がないと私は倒れてしまい、土台があると耐えられるのです。
この土台は、主が一緒にいてくださることによる「愛、希望、信仰(信じる心)」です。これ以外のものは土台とならないのではないでしょうか。
では、どうしたら土台を据えられるのでしょうか。愛も希望も信仰も目には見えません。心で信じるものです。希望が見える時、今がどんなに辛くても忍耐することができるのです。主を信じる人は救われます。
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」ヨハネ20:29
時を超えて、国を超えて、あらゆる環境を超えて、あなたのすべてをご存知の神さまはイエスさまを通して、本当の土台をプレゼントしたいと願っています。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は礼拝前に子ども会、聖書教育があります。礼拝後はバイブルクラスがあります。東京西教会(母教会)のお一人ひとりの上に主の祝福が豊かにありますように。新保牧師、つのえ兄、わたなべ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2016.5.29きんたメール第506号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「憐れみ・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。5月の月日が護られましたことに心から感謝します。熊本・大分、エクアドルの地震で被災されたお一人一人の上に主の癒しと平安が豊かに注がれますように。復旧が速やかに行われますように。引き続き覚えてお祈りください。
さて、私は手洗いとうがいを心がけていたのですが、先週の後半、どこかでもらったようで、風邪を引いてしまいました。食欲もあり元気なのですが、鼻水と咳が出ますので、周りの人にうつさないように薬を飲んでマスクを着用しています。こうして病気になった時は以下の聖句を思い出します。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」マタイ9:12〜13
健康な人は医者を求めません。医者を本当に必要とするのは病人だと言われます。自分は正しい、自分は強いと思っている人も同じように、「わたし」を必要としない。わたしを必要とするのは、神さまの前に自分を罪人であると認め、自分の弱さ、醜さを認めている人たちだと言われています。
私の中には、強い劣等感があります。だから、自分が無価値に思えてしまうことがあります。自分は生きていてよいのだろうかと考えることもあります。反面、劣等感が強い分、思い上がりをしてしまう場合もあるのです。ですから、自分のそういった醜い姿をしっかり認める必要があります。本当にどうしようもない者にも関わらず、憐れんでくださる主に感謝します。
自分こそが、醜いものであることを知らないと、私たちは弱っている人に対して、「憐れみ」よりも「いけにえ」にしてしまう弱さを持っています。
では「憐れみ」とはどんなことでしょうか。「好き」というよりも、「かわいそう」というイメージでしょうか。「好き」は自分にとって価値あるものですが、「かわいそう」と言うとき、それは相手の価値には関係ないものです。むしろ価値がないものだからこそ「憐れ」に思う時、そこに自分の姿と重ねて、イエスさまが憐れんでくださったことを思い出すように求められているのではないでしょうか。私たちには価値がないように見えても、神さまの目から見ると尊い存在なのです。しっかり覚えたいものです。
「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。」マタイ5:7
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は礼拝前に子ども会、聖書教育があります。礼拝後は交わり時があります。東京西教会(母教会)のお一人ひとりの上に主の祝福が豊かにありますように。新保牧師、つのえ兄、わたなべ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主