2024.11.24きんたメール第947号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『実りの秋なのに・・・』〜働き人が少ない〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。秋も深まってきましたね。いかがお過ごしでしょうか。来週からアドベントですね。どうか、それぞれの場所でお一人ひとりの上に、温もりいっぱいのクリスマスが訪れますように。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちは、立場や背景や現状の出来事による見方、感じ方、気持ちは1人ひとり違いますが、十字架の愛によって互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、最近は兵庫県知事選も話題になりネットの影響力の大きさが伺えます。情報も切り抜きの伝え方次第でどちらにも理解できるような情報操作が日常的になってきましたね。
ただ恐ろしいのは、情報操作するために個人情報を平気で伝えることもされています。正義を問うふりをして、相手を攻撃するとか、相手のイメージを下げるためなら何でもありみたいな分断を煽るやり方に、違和感を感じる人も多かったのではないでしょうか。どっちが正義と問われたら、発信者も含めてどっちも正義じゃないでしょう。目指すのは県民をはじめ、職員にも安心の居場所のあることを大事にしながら、より良い県政を求めてほしいことですよね。
時代の変化も個人差もありますが、情報チャネルの利用も年代や利用率などで格差がわかりやすく出ています。もともとのチャネル(新聞、テレビ、ラジオ、情報誌)から、さまざまなネット動画チャネルに若者を中心に移行しています。
自分の好む情報だけを選択できるし、誰でも発信者になれるのです。好奇心のある人は年齢に関係なく使いこなしていますが、関心がなかったり、必要に迫られていない方々にとっては理解し難いでしょう。そういった意識の温度差もあるのです。
高齢化が進む教会にとっては、ネットや動画配信などは、なかなか対応が難しい情報のチャネルと言えます。例えば伝達の方法も、もともと(会って話す、電話で話す、手紙で伝える)が主流でした。今、手紙を書いている人は少なくなっているのではないでしょうか。
手紙の醍醐味は薄れていないものの利用する機会が減っています。離れていても今つながることができるツール(メール、ライン、チャット、動画配信など)が主流になっています。
いろいろと時代の変化はあっても、人の本質は変わりません。どの人にも愛が必要ですよね。イエスさまが必要です。イエスさまの十字架の愛がわかると安心の居場所ができます。だから、すべてのチャネルにあった伝達者が漏れることなく与えられますようにと願います。
「イエスは弟子たちに言われました。「収穫はたくさんあるのに、働く人があまりにも少ないのです。 ですから、収穫の主である神に祈りなさい。刈り入れの場にもっと多くの働き手を送ってくださるように願うのです。」」マタイの福音書 9:37-38 JCB
イエスさまはあなたのために、わたしのために、まだイエスさまを知らないすべての人のために十字架にかかられたのです。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.11.17きんたメール第946号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『あなたには愛が必要ですよね・・・」〜赦しのチカラ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。来月はクリスマスですね。どうか、それぞれの場所でお一人ひとりの上に、温もりいっぱいのクリスマスが訪れますように。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちは、立場や背景や現状の出来事による見方、感じ方、気持ちは1人ひとり違いますが、十字架の愛によって互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、本日は「赦し」について、考えてみたいと思います。ヨハネ8:1〜11に、赦された女性の話しがあります。
当時、律法に精通していたことで裁く側にいた人たちですが、イエスさまが現れたことで、自分たちに都合の良い権威が揺らいでしまったのです。
そこでイエスさまを排除しようとちょっとでも言葉じりに粗があれば、やっつける口実にしようと、姦淫の罪の現場にいた立場の弱い女性を、イエスさまのいるところにわざわざ連れて来たのです。計画的にです。
イエスさまのまわりには、イエスさまの話しを聴きたくて、たくさんの人たちがいました。彼らの計画は準備万端です。イエスさまを、たくさんの人の前で恥をかかして面子をつぶすことが目的だからです。愚かなことをしている自分の姿は見えていない状態でもあります。
「先生。この女を見てください。不倫の現場でつかまったのです。 モーセの律法では、こういう不届き者は石で打ち殺すことになっていますが、どうしたものでしょう。」ヨハネの福音書 8:4-5 JCB
と、イエスさまに詰め寄ります。どうだ、どう言い返すつもりかと言わんばかりの勢いで、プレッシャーをかけてきます。
ところが、すべてご存知のイエスさまは、何ごともなかったようにしゃがみ込んで地面に何か書いています。
彼らはイエスさまが困って追い詰められていると勘違いして追い討ちをかけるように、彼らは引き下がりません。あくまで質問を続けてやめなかったのです。
「イエスはゆっくり体を起こし、『わかりました。この女を石で打ち殺しなさい。ただし、最初に石を投げるのは、今まで一度も罪を犯したことのない者ですよ』と言われました。」ヨハネの福音書 8:7 JCB
彼らは、イエスさまの言葉じりを捕らえたかったのですが、思いもよらない的を得た愛の満ちた言動に逆に何も言えなくなり、引き下がるしかなくなりました。このシーンは、すごく嬉しくなります。スッキリするし、この女性はイエスさまの愛を思いっきり知る人になったのです。
わたしたちは、そこに目を向けることができるのです。悪いことをしたことが明るみに出るのは誰だって嫌ですが、なぜか繰り返してしまうのが罪の働きです。
この罪から解放するためにイエスさまは十字架に自らかかってくださいます。わたしたちは、責められて、裁かれるから正しくなるわけではなく、愛されるから癒されて、心動かされて思いやりと誠実に生きることを目指すのです。
愛はそうせずにはいられなくなるからです。傷ついている人、投げやりになってしまう人、希望が持てない人、疲れている人はイエスさまのところに行きましょう。わたしたちには本物の愛が必要だからです。よき理解者による本物の赦しによる癒しと平安が必要だからです。
「イエスは体を起こし、女に言われました。「あなたを訴えた人たちはどこにいますか。罰する者は一人もいなかったのですか。」 「はい、先生。」「そうですか。わたしもあなたを罰しません。さあ、行きなさい。もう二度と罪を犯してはいけませんよ。」」ヨハネの福音書 8:10-11 JCB
イエスさまはあなたのために、わたしのために、まだイエスさまを知らないすべての人のために十字架にかかられたのです。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.11.10きんたメール第945号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『視点が開かれる・・・』〜主の恵み〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。アメリカ大統領選も終わり、今後の影響も気になりますし、世界的な災害や戦争など、さまざまなニュースが日々飛び交っています。どうか、それぞれの場所で痛みのあるお一人ひとりの上に、温もりいっぱいのクリスマスが訪れますように。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちは、立場や背景や現状の出来事による見方、感じ方、気持ちは1人ひとり違いますが、十字架の愛によって互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、変化の時は新たな視点が開かれる時でもありますよね。希望の持てる時の変化ならいいのですが、そうではない時もありますよね。でも、そうではないと思うことの中にも、すべてを益としてくださいます神さまからの宝があるのです。
友人が、足を怪我して病院に行ったのですが、手術したら3日くらいで今までの生活に戻れると思っていたのに、なんと1ヶ月は安静にしないといけない状態になりました。
はじめて杖を使う生活をすることになりました。杖を使う生活をして気が付いたことは、スーパーに買い物に行っても、今までみたいに動けないのです。また誰も杖に気がつかないくらい自分の買い物に集中する人が多いのです。
本人も杖を使ってなかった時は同じだったかも知れないと思ったそうです。でも今は杖を持っている人の気持ちがよくわかると言います。
車椅子もそうですよね。押してみてはじめて通りにくい段差がたくさんあることに気が着きます。今は昔より「バリアフリー」が進んでいますが、人の意識の目はまだまだ開かれていない「バリアだらけ」みたいなこともありますよね。
わたしたちは、その立場になってはじめてわかるし、気持ちや立場の視点が開かれるのです。つまり、わたしたちは視野が狭いことに気づく必要があります。
神さまは、さまざまな方法で、わたしたちの視点を広げてくださいます。十字架の愛も赦されてはじめて目が開かれるように、違いから学ぶことがたくさんあるのです。
どの人にも居場所が必要ですよね。分断を煽るより、またその煽りに乗るより、みんな違って、みんないい社会を目指していきたいですよね。簡単ではないからこそ、ご一緒に神さまの愛によって視点が開かれていけますように求め続けていきましょう。
「私たちは、神を愛し神のご計画のうちを歩んでいる人のためには、その身に起こることはすべて、神が益としてくださることを知っているのです。」ローマ人への手紙 8:28 JCB
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.11.3きんたメール第944号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『心を開く・・・」〜安心の居場所にいきましょう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。11月の月日も守られますように。寒くなってきましたね。寒い時は温もりが嬉しいように、あなたの心も温もりで満たされますように。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちは、立場や背景や現状の出来事による見方、感じ方、気持ちは1人ひとり違いますが、十字架の愛によって互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、心を開く、閉ざすことについて少し考えてみたいと思います。それぞれに大小さまざまあるのではないでしょうか。
普通に安心できると心は開きますので、心を閉ざしてしまう状態の時は、まったく安心できないと言うことになりますよね。見た目ではわからなくても、本人にとってはそれだけショックなこと、受け止められないこと、傷つくことがあったからなのです。
心を閉ざしてしまう状況によってもいろいろあるでしょう。当てはまらない時もありますが、1つの状態としては、当然のこととして、傷つかないように自己を守ることにだけ心を使うようになりますが、うまくいかないことの方が多いし、それならば誰とも合わないようにした方がいいと思うかも知れません。
具体的には、当たり前ですが自分を守ることに必死なので、自分に対する態度のみで相手のことを評価や判断してしまいます。つまり相手の態度次第みたいな立ち位置になってしまいやすいのです。
ここでわかるのは、自分の態度は見えない状態なのでかなりバランスを崩した偏った状態になっています。傷つくとバランスも傷つくのです。なので、このバランスで関わると、背景を知らない人からは自分中心みたいに誤解されてしまい、理解してもらいたくても、理解してもらえないことが多くなり、「どうせ、誰もわかってくれない」と、ますます心を閉ざしてしまうのです。実際は傷だらけの状態ですから手当てが必要なのですが、誤解されてしまうので、さらに心を閉ざしてしまうのです。悪循環で心が苦しいし、イキイキしたくてもできないのです。
では、この悪循環から解放されるにはどうすればいいでしょうか。否定もせずに忍耐強く寄り添って聴いてくれる人が必要です。でも、安心して聴いてくれる人がいないのてす。みんな目の前のことにいっぱいいっぱいで心に余裕がないのではないでしょうか。
実際は、余裕がないからできないのではありません。心がそこにないからですよね。だからこそ心ある人が必要なのですよ。あなたが必要です。愛の器が必要です。そして愛の器にあるイエスさまの愛を知ることが一番必要です。
十字架の愛は、わたしたちに自分がしてほしいことを、同じように目指すように働きかけるのですが、実はそのことから神さまの愛はますますわかるようになっています。自分が「してもらう」ことから、自分が「させてもらう」に変わります。同じ「もらう」でも天と地くらい違う知恵の恵みだからです。
十字架の愛は、神さまとわたしの断絶していた関係を回復します。こんな自分にも愛と希望と信頼で満たしてくださいます。
ハッキリ言って自分の力ではできないことです。神さまの愛であるイエスさまは、聖霊さま(お助けマン)によって力を与えてくださいます。あなたのことをすべてご存知の神さまの愛が一緒であることを分かち合うだけで、人は癒されるのです。
だから、ご一緒にまず神さまに心を向ける練習をしていきましょう。あなたの心がイキイキできないなら、また身近にいますなら、そのままでとても苦しいこと、神さま助けてと祈ります。主の愛と癒しで満たされますようにと祈ります。必ずあなたが神さまに愛されていることがわかりますように助けてくださいます。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどのように祈ったらよいかさえわからないのですが、御霊は、ことばに表せないほどの深い同情と理解をもって、とりなしてくださるのです。」ローマ人への手紙 8:26 JCB
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.10.27.きんたメール第943号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『あなたはひとりではない・・・』〜一緒にいるよ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。先日は職場のレクレーションで、劇団四季のアラジンを観てきました。リアルはいいですね。舞台装置も音響もすごいですね。しかし出演者の魅力ある演技とダンスと歌にも引き込まれてしまいました。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちは、立場や背景や現状の出来事による見方、感じ方、気持ちは1人ひとり違いますが、十字架の愛によって互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
「どうか、父なる神が、その栄光に満ちた無限の富の中から、御霊を通して人を内面から強くする力を、あなたがたに与えてくださいますように。 」(エペソ人への手紙 3:16 JCB)
さて、あなたは、信頼できる人が一緒にいるのと信頼できない人が一緒にいるのとでは、どちらが安心でしょうか。
一緒にいると言うことは、目に見える範囲のことではなく、心の中にいると信じていることです。つまり、目に見えても見えなくても、「一緒にいる」と信じて心に思うことではないでしょうか。
たとえば、家族はいつも一緒にいるわけではないけど、離れていても家族ですよね。離れたら家族ではなくなるなんてことはないでしょう。自分の家族だと心で信じていますよね。神さまもそうですよね。
逆に目に見えても、孤独に感じることもあります。人生にはいろいろありますから、ショックなことがあると、一緒にいるのに居場所がない。それは心の中で一緒にいないからです。理解してもらえない、愛を感じない、安心できない、居場所がないからですよね。
わたしたちは神さまに創られていますから、創り主である神さまを忘れてしまうと心が飢え渇くのです。空しかったり、孤独に感じるのは飢え渇きのサインです。
わたしたちの心にイエスさまがいるならば、わたしたちは1人ではありません。神さまの愛が一緒だからです。神さまの愛はすごい力です。居場所があるとわたしたちはイキイキします。生き返ります。だからあなたの心の中にイエスさまを迎えてほしいのです。
そのために、まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。単純だと思うかも知れませんがすごい恵みです。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
「どうか、父なる神が、その栄光に満ちた無限の富の中から、御霊を通して人を内面から強くする力を、あなたがたに与えてくださいますように。 」(エペソ人への手紙 3:16 JCB)
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主