2024.2.11きんたメール第906号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『小さな種が成長するように・・・』〜主の温もりを分かち合う〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。被災者お一人ひとりの上に、戦火に巻き込まれていますお一人ひとりの上に、困難や苦難の中におられますお一人ひとりの上に主の慰めとぬくもりで満たされますように。そのような中でこそぬくもりの灯しが消えませんように。またすべての受験生の上に主の祝福が豊かにありますように。
わたしたちはそもそもみんな違います。だから多様性は当たり前ですよね。身近だからこそ見逃してしまうこともあるのではないでしょうか。ますます互いに理解し合うことが求められています。気づかなかったそれぞれの賜物をそれぞれが分かり合える知恵で満たされますように。
さて先日は医療衛生用品関連商品の展示会があり参加して来ました。その中には介護関連のコーナーもあり、大人用のオムツや手袋、口腔ケア商品、介護食などいろいろあります。
基本的に当事者ではない立場から見ると、自分には関係ないと思うのが普通です。わたしたちは自分に関心があれば意識しますが、そうではないと無関心になります。
でも、何らかの形で当事者になると、また違ってきますよね。個人差はあれ、ほっとけないような課題がでてくるからです。わたしたちは人としての「関心」がバランスよく豊かになると素敵だと思います。
例えば「介護食」と聞くと健常者や関わりがない方にはピンとこないでしょう。介護食は「噛む力」や「飲み込む力」に合わせて「栄養が摂れる食」のことです。
噛む力が弱くなってきたり、飲み込む力が弱くなると、今まで食べられたものが食べにくくなってきます。そういったことが理解できないと「食が細くなった」で片付けられてしまい、本人の気持ちがないがしろにされてしまう上に必要な栄養も摂れなくなってしまうのです。
噛む力、飲み込む力が弱くなった人の中には周りに迷惑をかけたくないと思って1人で抱えてしまう方々もおられます。だから1人で抱えないようにするための配慮が必要なのです。必要な栄養が摂れないと低栄養になってしまいます。
そうならないように、その人の状態に合わせて栄養を摂れる方法があるのです。個々の状態に合わせてとは、その人の状態や気持ちを理解する姿勢が必要です。
こんな事例があります。80代の要介護4の車椅子の男性が、噛む力、飲み込む力が弱くなり、そんな自分を受け止められず気落ちしていました。
しかし、この方の場合は自分の状態でも栄養が摂れると聴き、勇気を出して地域包括支援センターの勉強会に参加しました。そして実践しました。しばらくすると栄養が摂れてきたのと周りから受け止められていることを感じる関わりもあって心も元気になって来ました。
自分に合った栄養の摂り方を学び、実践。人と関わり、話しをする機会も増えて、気が付けば要介護2まで回復して、車椅子がなくても自力歩行できるまで回復したのです。すごいですよね。
今の自分の状態を受け止めて、その状態に合わせた栄養の摂り方をすると同時に、理解ある方々との交わりは大きな力になっています。よき理解者がいると心もカラダも元気になります。
関心を持って理解することを目指すことは、1つ1つは小さな働きでも、わたしたちの世界に笑顔が豊かに広がっていくのです。それぞれを忙しいと思わせてしまう無関心から自由にされますように。
「また、こうも言われました。『神の国をどう説明し、何にたとえたらいいでしょう。 それは、小さなからし種のようです。からし種は種の中でも最も小さいものですが、 成長すると、とても大きくなり、鳥が巣を作れるほどになります。』このように、イエスは多くのたとえを使って、人々の理解力に応じて教えられました。」マルコの福音書 4:30-33 JCB https://bible.com/bible/83/mrk.4.30-33.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.2.4きんたメール第905号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『いつも今からはじめよう・・』〜幸せが広がる道〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。能登半島中心の地震による被災者の上に、戦火に巻き込まれて心を痛めているウクライナとパレスチナエリアの上に、困難や苦難の中におられますお一人ひとりの上に主の慰めと必要で満たされますように今一度覚えてお祈りください。またすべての受験生の上に主の祝福が豊かにありますように。
ますます多様性のある中で、互いに理解し合うことが求められています。わたしたちはそれぞれが分かり合えると喜びで満たされますので、いつも求め続けていけたら最高ですよね。
わたしたちは誰もが幸せになりたいと願っています。幸せの基準はさまざまですが、世界の中で日本の幸福度ランキングは60位前後です。国民の幸福度がいつも上位にあるスウェーデンの諺(ことわざ)を聴いたことがあります。以下1つ分かち合いたいと思います。
「目の見えない人が足の動かせない人を背負う時、2人は一緒に前進する。」
たしかに。なんか温かい感じで嬉しくなるような世界観ですね。1人では限界があって進めないことがあっても、互いに補い合えば前に進めますよね。力を合わせれば道は開けます。
互いの弱点を批判し合うより、その弱点を受け入れて、互いに力を合わせたら、本当に素敵です。こういった知恵がわかり合うためには必要です。きっと幸福度がアップします。
本当に様々な背景の人がいます。愛し易い人もいれば、自分の性格に合わず、苦手な人がいることも事実です。
しかし、そんな私たちにイエスさまは新しい教えとして思い起こさせくださいました。
「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」ヨハネによる福音書 13:34 JA1955 https://bible.com/bible/81/jhn.13.34.JA1955
頭ではわかっていても、いろいろなことに惑わされてしまうのがわたしたちです。そんなわたしに、あなたに、「いつも今からはじめよう」と言われているのです。
ちなみに幸福度の高い国は仕事も大事にしますが、それ以上に家族を大事にする傾向があります。尊重し合うことが幸福度を高めるような感じなのですね。
新しい基準として受け止めたい聖句です。今までの自分のワンパターンから自由になって、まずはイエスさまの十字架の愛を思い起こさせてください。そして主が働きやすいようにわたしたちを用いてくださいますように。もう一度、
「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」ヨハネによる福音書 13:34
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.1.28きんたメール第904号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『愛を求めて・・・』〜渇きを潤す〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。能登半島中心の地震による被災者の上に、戦火に巻き込まれて心を痛めているウクライナとパレスチナエリアの上に、困難や苦難の中におられますお一人ひとりの上に主の慰めと必要で満たされますように今一度覚えてお祈りください。
2024年はますます多様性のある中で、互いに理解し合うことが求められています。わたしたちはそれぞれが分かり合えると喜びで満たされますので、いつも求め続けていけたら最高ですよね。
聖書ルカ19:1〜9に、ザアカイさんのお話しがあります。ザアカイと言う名前は「正しい」と言う意味です。でもここに登場するザアカイさんのやっていることは的外れのため正しいことではありませんでした。
当時のユダヤはローマの支配下にありましたので、ユダヤ人はユダヤとローマの税金をダブルで払っていたのです。そのため立場を利用して税金の基準よりも多く徴収して裏金のようにお金を集めていたのが取税人です。
だからユダヤ人からは裏切り者のように嫌われていたのです。生きるための手段でしたが、まったく満たされない孤独な気持ちなどわかっでくれる人は1人もいませんし、信頼できる人もいません。しかし心の穴を埋めようと嫌われれば嫌われるほど税金取り立てに精を出すのです。
経済的には豊かになりますが、心は愛に飢え渇いています。そんなザアカイがイエスさまのうわさを聴いて、イエスさまがエリコに来ていると知って会ってみたいと切望するのです。とても大事なことです。
しかし、嫌われ者ですから、イエスさまに近づこうにもなかなかそうはいかないのです。そこで、先回りしてイエスさまが通るだろうと思われる道の木の上で待っていたのです。ただイエスさまを一目見たいと言う思いでです。
そして、ついにその時が来ました。イエスさまが木の下を通られたのです。そのまま通りすぎると思いきや、なんと、「ザアカイ、降りてきなさい」と声をかけられたのです。
名前で呼んでくれるなんてなかったのでしょう。だからザアカイはビックリしました。
さらに「ザアカイ、今夜あなたの家に泊まるよ」と言うのです。誰も家に来てくれなかったし尊重されたことがない中で心が渇ききっていたザアカイさんでしたから本当に嬉しかったのです。
イエスさまの愛にふれたザアカイさんは、ガラリと変わります。愛は人を癒します。そして自ら生き方が変わろうとする力で満たされます。自分さえ良ければいいと言う状態から、分かち合う人に変えられたのです。心が満たされていることが伝わってきます。
あなたにとって受けつけられないと思う人があなたのまわりにいるのではないでしょうか。もしくは、自分がまわりに大事にされないからと言う問題を抱えている人もいるのではないでしょうか。
イエスさまの愛は、どの人にも注がれています。あなたにも。わたしにも。ザアカイさんのように「今日あなたの家に泊まるよ」と言われますイエスさまをお迎えしましょう。温もりで満たされます。
「これを見ていた人々の心中は、おだやかではありません。『なにも、あの札つきの悪党の家の客にならなくても……』と言って、つぶやきました。 しかし、ザアカイは主の前でこう告白しました。『先生。今からは、財産の半分を貧しい人たちに分けてあげます。税金を取り過ぎた人たちには、四倍にして払い戻します。』イエスは言われました。『その告白こそ、今日この家に救いが来たことのあかしです。この人も迷い出たアブラハムの子どもの一人なのだから。メシヤ(救い主)のわたしは、このような人を捜し出して救うために来たのです。』」ルカの福音書 19:7-10 JCB https://bible.com/bible/83/luk.19.8-10.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.1.21きんたメール第903号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『自由な心を・・・』〜与えててください〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。能登半島中心の地震による被災者お一人ひとりの上に、戦火に巻き込まれて心を痛めているウクライナとパレスチナエリアのお一人ひとりの上に、困難や苦難の中におられますお一人ひとりの上に主の慰めと必要で満たされますように引き続き覚えてお祈りください。
2024年はますます多様性のある中で、互いに理解し合うことが求められていくでしょう。そのために今までの慣習とは違う知恵に聴いていくことができますように。気づかされていきますように。学んで成長させてくださいますように。
『隣人を愛し、敵を憎め』とは、よく言われることです。 しかし、わたしは言います。敵を愛し、迫害する人のために祈りなさい。マタイの福音書 5:43-44 .JCB
上述の聖句ですが、1つ目は、自分の敵を愛すること。2つ目は、自分にいじわるする人のために祈ること。どちらも難しいことですよね。
相手が自分によくしてくれているならば楽かもしれません。しかし、そうではない相手のために祈ること、ましてや愛することは、わたしたちが思い込んでいる常識ではありえないのではないでしょうか。
なぜなら、わたしたちは自分の側に主体がありますのでバカにされたら頭に来ますし、いじわるされたら感情的になるからです。
これが国同士なら戦争になります。自分の利権が1番のリーダーは力で従わせようとします。神さまに従うよりも、自分の利権が1番だからです。そこに愛が見えますか。
神さまを忘れてしまうと、わたしたちは自分中心と言う牢獄に囚われてしまうのです。
だから、神さまがわたしを愛してくださいますことに心を向ける必要ががあります。わたしのために十字架にかかってくれた愛を知ることがすごい恵みなのです。
そして主に祈ることです。難しければ難しいほど祈るのです。心の使い方が主に向くことでわたしたちは自分中心の牢獄から自由になるからです。
そうすると今までの慣習とは違う知恵が与えられて、手放さないように必死だったものが見えてきます。今までの慣習に縛られていただけに気づかされていきます。主体が自由になれば新しい景色が見えてきます。心にもいのちが溢れてきます。あれほど仲違いしていたのに仲良くなる奇跡が起こります。
神さまに心を向けることが大事なのです。救い主イエスさまの十字架の愛と復活はわたしたちの希望です。最高の人生の宝です。主が一緒におられるならそこが天国だからです。いつも神さまに心が向けられますように助けてください。
『どうか神様があなたを祝福し、守られるように。あなたを喜んでくださるように。あなたに優しく親切にし、平安を与えてくださるように』民数記 6:24-26 JCB https://bible.com/bible/83/num.6.24-26.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.1.14きんたメール第902号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『分ければ分けるほど増える・・・』〜主の温もり〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。能登半島中心の地震による被災者お一人ひとりの上に、戦火に巻き込まれて心を痛めているウクライナとパレスチナエリアのお一人ひとりの上に、困難や苦難の中におられますお一人ひとりの上に主の慰めと必要で満たされますように引き続き覚えてお祈りください。
2024年はますます多様性のある中で、互いに理解し合うことが求められていくでしょう。そのためにさまざまな課題がありますよね。
その課題が個人では到底解決しないと思うような時はどうしましょうか。無理だと諦めてしまうでしょうか。周りに相談して解決策を探っていくでしょうか。すぐには解決できないとしても、まずは神さまに祈りながら自分でできることからはじめていくでしょうか。
マタイ14:13-21に、5000人の給食のお話しがあります。コンビニもスーパーもない場所で、イエスさまのおはなしが聴きたくてたくさんの人が集まっていました。
みんなお腹が空いてます。みんなの食事はどうしたらいいのでしょうか、と言う課題です。
そこに参加していた1つの家族は自分たちのために用意したお弁当がありました。イエスさまの温もりに触れたその家族の一員である男の子が、イエスさまに自分たちで食べようと用意していたお弁当を差し出したのです。
自分たちで食べるために持ってきたお弁当です。普通ならどのように考えるでしょうか。でも、まわりを見るとお腹が空いている人がたくさんいるのです。
この男の子と親の気持ちを考えてみるとどうでしょうか。自分たちよりもみんなのために差し出そうとする気持ちに温もりを感じるのではないでしょうか。
イエスさまは、その気持ちを祝福しました。まさに十字架の愛が働いていますよね。すると、ほかにも持っている人たちが差し出したのでしょうか。イエスさまは豊かに祝福されて、みんながお腹いっぱいになってもあり余るほどになったのです。
わたしたちの世界に必要なのは、自分さえ良ければまわりは関係ないと言うことでしょうか。自分の思いとおりにするためには、相手を傷つけてもかまわないと言うことでしょうか。それが幸せなのでしょうか。
それともすぐには解決できないとしても、まずは神さまに祈りながら自分でできることからはじめていくことでしょうか。
あなたはどのように思いますか。
いろいろなことで傷だらけのそれぞれの心が癒されますように。癒された人が豊かに用いられますように。主の温もりですべてが満たされますように。
『どうか神様があなたを祝福し、守られるように。あなたを喜んでくださるように。あなたに優しく親切にし、平安を与えてくださるように』民数記 6:24-26 JCB https://bible.com/bible/83/num.6.24-26.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主