2025.2.16きんたメール第959号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『分けるが勝ち・・・』〜温もりを増やそう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。冬晴れの日が続いてますね。寒さの中にあっても日差しは温もりを感じるように心も温もりで満たされますように。それぞれの必要に応じて主の温もりで満たしてくださいますように。いつでも、まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように、お一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。
さて、温もりについてですが、わたしたちは誰一人例外なく温もりを求めているのではないでしょうか。温もりは独り占めしようとすると温もりではなくなり、逆に与えようとすると温もりは満ち溢れるようになっていますね。では温もりとは何でしょう。
基本的に人の体は快適な温度を保つために温かさを求めます。寒いと体温が下がり、健康に悪影響を及ぼす可能性がありますよね。
温かさや温もりは、安心感や心地よさをもたらすことを知っているのではないでしょうか。特に寒い時期やストレスの多い状況の中にあると、温かさが心を落ち着け、温もりはリラックスさせる効果がありますね。
また温もりは、他人とのつながりや親密さを感じる手段でもあります。例えば、気持ちをわかってもらえると温かい気持ちになりますし、心が冷え切っている時の温かい抱擁は癒されますし、不安な時や孤独に感じる時に手をつないでくれると、温もりのある安心の居場所につながるのではないでしょうか。
温もりってすごいですよね。しかも温もりは1人では得られないけど、分かち合うところに満ち溢れるものなのです。
「また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは、『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエスのことばが、いつも頭にあったからです。」使徒の働き 20:35 JCB
「与えなさい。そうすれば与えられます。彼らは、量りのますに、押し込んだり、揺すり入れたりしてたっぷり量り、あふれるばかりにして返してくれます。自分が量るそのはかりで、自分も量り返されるのです。」ルカの福音書 6:38 JCB
十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.2.9きんたメール第958号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『赦しが必要です・・・』〜十字架の愛〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。少しずつ陽が伸びてきてますね。ほんの少しですが、春が来るんだなぁと感じます。寒さの中にあっても心は温もりで満たされますように。それぞれの必要に応じて主の温もりで満たしてくださいますように。いつでも、まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように、お一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。
さて、誰にでも「赦し」は必要ですが、赦しの必要がわかるためには、神さまの前に罪人であると言う自分の姿に向き合う自覚もセットで必要なのではないでしょうか。
ちなみに、「罪人」と言う言葉にどんなイメージをお持ちでしょうか。多くの人は法律を犯して犯罪をした人と言うイメージかも知れません。
だから自分は罪人ではないと思う人も多くいるかも知れません。わたしも神さまを知らないでいる時はそうでした。ただ、わたしたちの心には、罪を意識する思いも与えられています。ゆえに罪悪感を感じることがあるのです。
罪悪感の根っこには「赦し」を求めているのではないでしょうか。赦しが必要です。
しかし、赦されないままですと、臭いものには蓋をしてしまうように、正当化するための口実を探して忘れようとするのではないでしょうか。そんなことを繰り返しているかもしれないのですが、何かのきっかけで罪悪感は目を醒ますのです。赦しが必要です。
神さまの目には、人の心に思うこともすべてご存知なのです。ローマの信徒への手紙3:23では、「すべての人は罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」と述べられております。そのように、神さまに心を向けないばかりか、自分に都合のよいものに救いを求めてしまう姿があるのです。
そのため目に覆いがかかってしまうわたしたちの罪のために、イエスさまは十字架にかかってくださいました。どうか、わたしたちの目の覆いが取り払われて、神さまの愛と赦しに感謝する心が与えられますように。それぞれのタイミングで目が開かれますように。そのために十字架の愛に触れたお1人ひとりに聴く耳と共にそれぞれの持ち味が豊かに用いられますように。
「ある日、イエスは十二人の弟子を呼び集め、悪霊を追い出し、病気を治す力と権威をお授けになりました。 こうして、すべての人に神の国が来ることを告げ知らせ、病人をいやすために、彼らを派遣したのです。」ルカの福音書 9:1-2 JCB
ゆえに十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.2.2きんたメール第957号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『正しい人は1人もいない・・・』〜正しいのは神さまだけです〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。寒さも今からがピークでしょうか。寒さの中にあっても心は温もりで満たされますように。それぞれの必要に応じて主の温もりで満たしてくださいますように。いつでも、まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように、お一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。
さて、聖書に、次のように書いてあるとおりです。 「正しい人は一人もいない。 罪のない人は世界中に一人もいない。」ローマ人への手紙 3:10 JCB
正しい人はいないのは、皆さんも自分をも含めて、また周りを見ても納得するのではないでしょうか。
それでも自分は正しい。間違いない、と言う人はいますし、または自分自身として、身に覚えのあることであっても、実際には今までうそをついたことがないと言ううそみたいに矛盾した言動は普通にあります。完璧に正しい人は見たことがないですよね。
だから、自分が正しいとする人は、気をつけないといけないのですよ。十字架の愛の意味を知る本物の知恵が必要なのですよ。と聖書は言うのです。
ハラスメント問題は、根っこに「自分は正しい」と思い込むことからはじまっているように真理が見えなくなるのは神さまに心を向けない姿からはじまっているからです。
自分の本当の姿に気づいた人は、救いがないように思うので向き合わないようにするかもしれないのですが、すべてを包み込むようなイエスさまの愛にふれる人は恵みの宝を見つけたように喜びに変えられるので幸いです。愛と救いと希望は神さまから来るからです。
まず、神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。不完全だからこそ、わたしたちは謙遜さが必要ですし、間違いは間違いとして認めて、改めて学んでいく姿勢が必要です。主に信頼して歩む生き方へと豊かに導いてくださいますように。ご一緒にいかがでしょうか。
「暗がりを歩いていた人たちは大きな光を見ます。 それは、死の陰の地に住んでいた者を照らす光です。」イザヤ書 9:2 JCB
ゆえに十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.1.26きんたメール第956号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『わかってほしい・・・』〜気持ちに耳を傾ける〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。寒さの中にあっても心は温もりで満たされますように。それぞれの必要に応じて主の温もりで満たしてくださいますように。いつでも、まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように、お一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。
さて、わかってほしいのに、わかってもらえない時、あなたはどうしますか。普通に嬉しくはないですよね。だってわかってほしいのですから。ルカ8:26〜39には墓場を住まいにしている人のお話しがあります。
誰だってわかってもらいたいのです。なぜなら、わかってもらえることは、自分の存在を認めてくれることであり、安心の居場所があると感じられるからです。
だけど、わかってもらえないと自分の存在を否定されたように感じるし居場所がなくなってしまうので、個人差はありますが1人で抱えて自他暴自他棄(自暴自棄が自分に向く、他者に向くを含めた表現)になることもあります。
また自他暴自他棄になるくらいに追い込まれているのに、外からは見た目の言動に心が向いてしまうので、その心の奥にある気持ちは隠れて見えなくなってしまいます。だから本人はますますわかってもらえないと言うスパイラルに入ってしまうのです。
ルカ8:26〜39に墓場を住まいにしている人はなぜ、そんな場所にいたのでしょうか。そこにしか居れる場所がなかったからではないでしょうか。そのような場所にいるその人はどんな気持ちだったのでしょうか。
わたしたちも含めて周りの人は、その墓場で大声をあげたり、暴れたりしていると、見た目の言動に惑わされるので危険人物みたいに感じます。恐いと思います。
そのように見た目ではわからないけど、もしかしたら近寄り難いように思う人ほど、わかってほしい人なのではないでしょうか。自分も含めてわかってほしいけど、わかってもらえない人がたくさんいるのです。
そのようにこの墓場を住まいにしていた人はわかってほしいだけだったのに、誰もわかってくれないので、もうこれ以上傷つきたくないと誰も来ないような場所にいたのです。誰にも関わらないようにしていたのですが、イエスさまはこの人と向き合い寄り添って癒されます。イエスさまにふれられるとたちまち正気に戻ったのです。わかってもらえると生き返るのです。
「まもなく、大ぜいの者が、自分の目で確かめようと集まって来ました。と、どうでしょう。今まで悪霊につかれていた男が、きちんと服を着て、すっかり正気に戻って、イエスの前に座っているではありませんか。みんなは、あっけにとられてしまいました。」ルカの福音書 8:35 JCB
「何が起ころうと、私は主をほめたたえます。 どんなときにも、主の栄光と恵みを人々に伝えます。 主の温かいご配慮のすべてを誇ります。 失意の中にある人々は気を取り直しなさい。 さあ、共に主をほめたたえ、 その御名をとどろかせましょう。」詩篇 34:1-3 JCB
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.1.19きんたメール第955号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『心の使い方・・・』〜気持ちに寄り添う〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。寒さも深まってきてますね。それぞれの必要に応じて主の温もりで満たしてくださいますように。いつでも、まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように、お一人ひとりの上に、主の祝福が豊かにありますように。
さて、今日は「心の使い方」について考えてみたいと思います。
わたしたちは誰でも大事な存在です。しかし、わたしたちはそれぞれに感情もありますので、関係や立場の違いによって、互いに大事な存在であることを忘れてしまうことがあるのです。そのようにすぐに惑わされやすい器の小さい人たちと言えます。
昔は男尊女卑の意識があり、女性や子どもは数に数えられずに軽く扱われる傾向がありました。新約聖書の初期の時代もそうでした。イエスさまのお話しを聴きたい、触れたいと集まってくる人はたくさんいたのです。弟子たちもたくさん押し寄せる人たちを整備するだけでも忙しい状況です。
そんな時にイエスさまに子どもを祝福してもらおうと子どもを連れて来たのです。弟子たちは、イエスさまのところに来た子どもたちを邪魔者扱いしたのです。弟子たちが意地悪だったわけではなかったのですが、無意識に働く差別に対して、イエスさまは、子どもたちをわたしのところに来させないと弟子たちに強く注意をするのです。
しかも神の国は、このような子どもたちのものだと言われるのです。子どもは親や大人に頼らなければ生きていけない存在です。だから何かあればすぐに親に訴えかけるのです。子どものように、まず神さまに心を向けることが大事なのですね。
そして、子どもは存在そのものが愛されるべき存在です。安心の居場所が必要な存在です。わたしたちも同じではないでしょうか。
自分が邪魔者扱いされたら嬉しくないように、もし、あなたのまわりで居場所がないと感じている人がいるなら、その時、弟子たちが無意識に子どもを邪魔者扱いしたように、自分は何を大事にしているのか確認してみてくださいね。神さまやその人の気持ちよりも、自分の都合が大事になっていることに気付かされるのではないでしょうか。
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。神さまがしてくださいますように、十字架の愛を見上げていきましょう。そしてその人の見た目や言動に惑わされないように、気持ちに寄り添えるように知恵を求めてみる。そんな心の使い方ができることも、わたしたちには自由に与えられているのです。頑なな心をほぐしていただきましょう。
「それをごらんになったイエスは、憤って弟子たちをおしかりになりました。『子どもたちを自由に来させなさい。神の国は、この子どもたちのような者の国なのです。追い払うなど、とんでもないことです。 いいですか。よく言っておきますが、小さな子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」』それから、子どもたちを抱き上げ、頭に手を置いて、祝福されました。」マルコの福音書 10:14-16 JCB
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に知恵と恵みと希望で満たされますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
