2021.4.18きんたメール第758号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 受け止める力』〜赤ちゃんのように〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。コロナ禍が続いています。まだまだ先行き不透明な中ですが、いかがお過ごしでしょうか。いろいろな変化が自分ごとになってきたことは、置かれた状況によってさまざまですが、不安と心配が共にある反面、新しく変われるチャンスの時でもあります。そんな混乱の中にあってもなお、それぞれの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、わたしたちは日々成長しています。特にそのことを感じ取れるのは、落ち着いて振り返られる時ではないでしょうか。
赤ちゃんにスポットを当ててみますと、人間の赤ちゃんは未熟な状態で生まれてきますよね。みなさんは、その経験者ですから、ずいぶん成長してきたのではないでしょうか。不安になったり悩むことは成長している証しです。
面白いことに生まれてから1年で、体重は約3倍くらい成長します。よく考えるとすごい成長率です。しかも自分の力ではないのがわかりますよね。
またその時に必要な栄養は、おっぱいとミルクという乳汁だけです。生きるために吸う能力が与えられていて、それだけで必要な栄養を得ることができます。
個人差はありますので、あくまで目安ですが5ヶ月くらいになると、はじめて乳汁以外のものから栄養を取りはじめます。いわゆる離乳食のはじまりです。
赤ちゃんにとっては、はじめての経験です。こうして栄養をとって生きることを学んでいくのです。
赤ちゃんの時からどれだけ成長してきたのでしょうか。何もわからない、できない状態の時も、「必要」を与えてくださいます神さまは、今もあなたに「必要」を与えてくださっています。だから今があるのです。
わたしたちは、赤ちゃんがはじめての経験から学んでいくように、人生学んで成長して行くと言う原理原則は変わりません。大人になっても、はじめてのことはたくさんありますし、今までと違う変化もありますし、思いもよらないこと、思い通りにいかない、停滞しているように感じることなどなどいろいろあります。それが人生ですよね。
そのことを通してわたしたちは学んでいくのです。学び続けることが人生とも言えます。そして共通して大事なのは「支え」ではないでしょうか。赤ちゃんは「支え」なしに生きていけません。だから「支え」は当たり前ではなく、支えられていることに「感謝する心」も養われていくことがより大事なのです。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」 マタイ4:4
と、イエスさまが言われますように「心の栄養」つまり「心の支え」が大事なのですね。神さまの御言葉の中にあるいのち(心のパン)を栄養としていただくことが必要です。
だから、わたしにとっては単純明快に「神さまの愛」こそが「まことの支え」です。この支えのおかげで「弱くても強い」ことを経験しています。
この奇跡的な恵みの支えは、直接関わる場合もあれば、間接的に関わる場合もあれば、時には気づきにくい場合もあれば、あらゆる形で支えてくださいます。すごい支えです。
わたしたちは、失敗したり、消化不良したり、怪我したり病気になったりしますが、痛みを食べる(経験)ことで、人としての優しさや思いやりも学んで成長できるのです。
だから、すべてから学ぶことができるようになっていますが、そのときの自分の器に収まらないと慌ててしまうので、ゆえに慌ててしまうときこそ、「成長のサイン」ですから主に心を向けて受け止められるように求めていくのです。
すると、受け止められない自分を責めるより、まず「受け止められない自分」を「認める」「受け止められない自分」を「受け止めていく」ことが「そのままを受け止める」ことに気づいていきます。そう考えると受け止めやすいでしょう。それでも葛藤はおこりますので、主に器を広げていただけますように祈り求めていきましょう。1人で抱えないでくださいね。あなたは1人ではないのです。
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 」コリント二4:16
「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。 」ペトロの手紙一2:2
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.4.11きんたメール第757号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 混乱の中にあっても』〜そこから主に心を向けたい〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。先週はイースターでしたね。しかし復活することに対しての理解はよくわからない人も多いのではないでしょうか。わたしたちは、状況が飲み込めなくて混乱してしまうなんてことがあります。そんな混乱の中にあってもなお主に心を向けることを都度学ばせてくださいますように。それぞれの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、死んだ人が生きかえるなんて確かに信じられませんよね。なのに復活が確かなことだと確信できるのも不思議です。クリスチャンは頭がおかしいのでしょうか。
ては当時の弟子たちはどうだったのでしょうか。混乱のただ中にいました。だからイエスさまが十字架にかけられて息をひきとる場面に、こわくて隠れていた弟子もいれば、立ち会っている弟子もいましたが、いずれにしても誰に対しても向き合い尊重してくださる救い主が殺されてしまったことは、信じられないし、希望も何もわからない落胆とどうしてよいかもわからない混乱の中にいたのです。
そんなときに、イエスさまが一緒にいてくださっても見えません。そんな状態もすべてイエスさまはわかっていますから、落胆してエルサレムからエマオに向かう弟子のところに現れて道々話しながら、弟子たちの目を覆っていたもの(神さまに心が向かないようにするもの)から、霧が晴れるように導いてくださいました。
イエスさまが、以前語っておられた大事なことに気づいた弟子たちは、すぐにエルサレムに戻って、同じように混乱している弟子たちに伝えますが、やはり信じられないのがわたしたちの姿なのです。カギをかけて恐れて集まっている混乱ただ中にある弟子たちのところに、イエスさまが現れて、優しく語りかけて向き合う力を与えられます。
こうして弟子たちは混乱したままでも、神さまに心を向けることに導かれて行くのです。まさに希望の復活です。そして、イースターから50日目の日曜日に聖霊(神さまが約束されたもの)神さまの思いと働きを知る力を受けるまで弟子たちは混乱しながらも主に守られ、導かれて整えられていったのです。今年のペンテコステは、2021年は5月23日(日)です。
今、混乱した中にあっても(混乱の中にいると不安だし、寂しいし、落ち着かない)、そのところから神さまに心を向けていけますように祈ります。主が豊かに導いてくださいますように。
そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて.言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて.あなたがたはこれらのことの証人となる。 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」ルカ24:45-49
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.4.4きんたメール第756号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 イースターおめでとう』〜神さまありがとう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。そしてイースターおめでとうございます。わたしたちは、それぞれさまざまな背景をもっていますが、神さまとの新しいはじまりの時を祝福してください。それぞれの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、月はじめの子どもメッセージも共有させていただきます。わたしたちは、今までもそれぞれ大小さまざまなな復活(生きかえる)経験してきているのではないでしょうか。イエスさまの復活は、神さまの愛は永遠であること、そして神さまとの関係があるべき姿に修復されることを現されています。それは本来の居場所です。どの人も尊重され、尊敬し合う場所です。
イースターおめでとう ルカ24:1〜12
イースターは希望の日でもありますね。なぜならば、イエスさまは何も罪がないのにとらえられて、バカにされたり、つばをはかれたり、たたかれたり、手首と足に大きなクギを打たれて十字架にかけられました。
どれだけつらく、苦しまれたことでしょうか。なんで、そんなイヤなことをすべて引き受けてくださったのでしょうか。そこに神さまの愛があふれているのです。イエスさまは、どの人の痛みもわかるのです。だから、ひとりぼっちになったように思っても、実はいっしょにいてくださいます。くらやみに閉じこめようとしても、閉じこめることができないのです。神さまがいっしょなら自由なのです。あなたが安心できるいばしょを用意してくださいました。だから、いっしょにいてほしいのです。
何もイエスさまをしばることができませんでした。3日目にイエスさまは復活されました。だから、もうダメかなと思ったとしても、そこから新しくはじまることを教えてくださいました。
みんなも、今まで落ちこんだり、苦しくてつらい思いをしたことがあると思いますが、たちなおったり、元気がでてきたり、生きかえるようなことがあったのではないでしょうか。神さまの愛は人を生きかえらせるのです。人間にはできないことも、神さまはおできになるからです。イースターおめでとう。そんな神さまの愛がいつもいっしょにありますように。みんなの心にいつもイエスさまがいっしょにいてくださいますように。
イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」 マルコ10:27
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.3.28きんたメール第755号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 十字架に向かって』〜目をあげよう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。3月最後の日曜日です。4月になると新しい期のはじまりです。環境が変化する方も、またいろいろあって今の状況を変化させたい人も、置かれた場でのさまざまな思いをお持ちなのではないでしょうか。それぞれの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、「十字架」とはなんでしょうか。十字架刑はローマ時代に行われていた苦しみとみじめにさらしながらゆっくり殺す刑です。
だから、そんな目に遭わされた救い主なんて弱いし、まして自分とは関係ないから信じられないなど、十字架のイメージは無関心と暗闇のシンボルと言えます。
なのに、そんな「暗闇のシンボル」が一変して「救いのシンボル」になっている人もいるのです。なぜでしょうか。
同じ十字架を見上げても、見るところが違うと受け止め方も違うからです。
一方はみじめに殺された「無力な姿」を見ており、もう一方は罪のない御方が罪深い自分の身代わりとなってくださっている「愛の姿」を見ています。
目を背けたくなるものに、目を向けると本質が見えてきますが、目を背けて表面だけに惑わされてしまうと、的外れの正当化をしたり、恐いし意味もわからないので、ますます向き合うことができません。
つまり、十字架によってイエスさまに起こった出来事が、なぜ救いになるのかがわからないのです。そのように、わたしたちはどちらの視点にもなる今の世の中で生きています。
だから、本質を見る目を求め続けていくことが必要です。本質は向き合うことで見えるから、目を背けたくなることにこそ、向き合う力が必要になります。ゆえにその土台になるのが十字架です。
ここで言う十字架は、弱くてみじめな自分に向き合うことです。自分が赦された経験を忘れないことです。赦された時にどんな気持ちになったのかを忘れないことです。次週はイースターですね。それまでの時間は十字架にかかられたイエスさまの気持ちを想像してみましょう。
「それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 」マタイ16:24
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.3.21きんたメール第754号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 保身する性質』〜無知な自分に気づかせてください〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。首都圏でも緊急事態宣言が21日で解除となりましたが、継続して対策は心がけていきましょう。それぞれの必要をご存知の主が豊かに満たしてくださいますように。
さて、法治国家には公正な社会を目指すために、公正な判断を維持する裁判制度があります。それで起こった問題に対してその人がどんな罪を犯したのか、どんな罰が妥当なのかを判断する場が裁判です。そのため必ず弁護者がいてくださるのです。
イエスさまが裁判にかけられた時代は、ユダヤはローマの支配下にありましたから、ローマ帝国の許可がないと死刑にはできませんでした。
その裁判を司る立場の方は公正さが保たれることで信頼されます。しかし、そうでない裁判はただのパワハラです。間違った不正な裁判です。当時のユダヤの宗教指導者(権威あるリーダー)が、なぜ不正してまで躍起になって罪のないイエスさまを殺そうとしたのか。
それは指導者として人々に神さまの思いを伝える役割でしたが、次第に神さまから目を離してしまったようで、上席に座ること、先生と呼ばれること、挨拶されること、自分は知恵ある人という変なプライドが成長しすぎたのかもしれません。
そんな勘違いした間違った慣習や人への差別に対して、真正面からイエスさまに指摘や批判をされたのです。そのことで人には教えながら、都合の悪いことは聴こうとしない頑なな姿が浮き彫りにされましたし、改めるよりも、自分の小さなプライドが傷ついたことの方を最優先する有り様でした。
本来なら、改める姿こそ良いお手本になるのですが、改めるよりも自分の面子の方を大事にしてしまったのです。何かを得たり、偉くなればなるほどかえって難しくなるのは、得たものを失うかも知れないという保身が働くからでしょう。これは、どの人にも共通することではないでしょうか。正しさよりも、保身のためのプライドを優先する姿です。
わたしたちは、人と比べて自分はそんなに悪くないと思いたいのですが、神さまの前では50歩100歩で、悪いことに上も下もありません。小さなウソも詐欺することも悪いことのです。罪のない人は1人もいません。
そんな自分の姿にこそ向き合うことができるように、イエスさまは復活の道(悔い改める道)をも用意してくださいました。罪深いわたしたちは最後に「人生の実について」裁判にかけられるのですが、イエスさまが弁護者としてすべてを引き受けてくださったのです。だから、今からでも無知な自分に気付かされていきますようにと求めていきましょう。
「この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 」コリント一2:8
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主