2025.5.11きんたメール第971号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
すべての母に感謝いたします。主の祝福が豊かにありますように。
『教会ならではのコミュニティ・・・』〜あったら楽しそう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。人生100年時代と言われていますが、少子高齢化によって労働人口も減っていきますので公務員も定年が70歳まで計画されています。現在は段階的に65歳ですが、70歳定年時代になるのですね。まだ一般企業の定年は60歳が多いのですが、さまざまなスキルを持った方々がたくさんおられます。活かさないともったいない気もしますよね。60歳以上の方々が伝授したり活躍できる場が増えてほしいと個人的に思っています。
さて、60歳以上をシニアと言っても、一律では括れない時代です。まだまだ元気な方もいれば、いろいろ抱えておられる方もいます。本当にさまざまですよね。変わらないのはどの人も神さまの目に尊い存在と言うことです。
そのような中で、ある、ないを比較すること以上に、唯一無二の存在であり、支えられている恵みに心を向ける、感謝の心を豊かにしていくにはどうすればいいのでしょうか。
背景も価値観も、感じ方も、受け止め方も、また体力も健康状態も違うそれぞれの方々が、それぞれの生き様を理解し合う、与えられたスキルを学び合う場があったらいいですよね。わかり合える学び場です。
教会なら、地域密着型のそんなコミュニティが創れそうです。オンライン活用ならどこでも繋がれますね。それぞれが必要とされる、尊重される、笑顔が増える、わかり合える、イキイキできる、何よりいつも、まず神さまに心を向ける、アンダースタンドで聴く耳を成長させていただくことで視野を広げる、そんなコミュニティをはじめていきませんか。そのための知恵と導きが豊かにありますように。
まず神さまに心を向ける練習をし続けていけますように。そして、それぞれが安心の居場所を見つけることができますようにお助けマンである聖霊さまが助けてください。
「神である主は私に、知恵のことばを授けました。 疲れきった人に何を言ったらいいかを教えるためです。 朝ごとに、主は私を目ざめさせ、 御心への理解を深めさせてくれます。 主のことばを、私は耳をすまして聞きます。 逆らったり、顔を背けたりしません。」イザヤ書 50:4-5 JCB
十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.5.4きんたメール第970号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『劣等感からの解放・・・』〜赦しの力〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。5月には入りました。ゴールデンウィークであり行楽日和ですね。5月の月日もそれぞれ守られますように。またいきなりですが、携帯電話が当たり前になっています現代ではネットによる便利さを手にしてきましたが、一方で根拠のないデマや、誹謗中傷も溢れるようになり、影響力のあるインフルエンサーによって、良い影響もありますが、悪い影響もあっと言う間に拡散されたりと問題になっています。匿名性と試聴数によって収益になるしくみもあるので、目的が正しさよりも収益にあるなどの課題もあり、目立つためなら何でもありになってしまいがちなので、安心して利用するためのわかりやすいルールが求められているのです。また利用する人の思いもさまざまなので誰もが安心して利用できるために正しく判断する知恵を求めていけますように。まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。
さて、そんなわけで、ネットに限らず分断の根っこにある劣等感と優越感について考えてみます。
「分断」とは、もともと何かが一つにまとまっていたものが、何らかの理由によって断ち切られたり、別々の部分に分かれたりすることを指します。
物理的なものに限らず、社会的・心理的な面でも使われますので、ネット上で大多数の考え方や常識だとされている理解の仕方に対して、悪い言い方だと食いつきそうなエサ(反対の持論)を投げて、話題性を高めようとする働きがあるのです。
良い場合もあれば、目立つための見せかけだけで実態はただの誹謗中傷もあるため、学ぶ姿勢と正しく見抜く力が求められるのです。
「劣等感」とは、自分が他者と比較して劣っていると感じる心理状態を指します。これは、能力、外見、社会的地位、人間関係など、さまざまな面で生じることがあります。
しかし、劣等感は必ずしも悪いものではなく、適度であれば成長の原動力にもなります。大切なのは、自分を否定するのではなく、「どうすれば自分らしく前に進めるか?」と考えることかもしれませんね。
だとしたら「劣等感」の扱い方も学ぶ必要がありますね。ちなみに「劣等感」から自由になるためには「優越感」を得ることだとすると、「分断」をますます深めることになります。
なぜならば、お互いに「優越感」を得たいからです。なので「劣等感」の正体をもう少し深掘りしてもいいのではないでしょうか。
劣等感は誰だって嫌なものです。問題は劣等感に支配されてしまうことですから、もっと劣等感を知ることが必要なのです。
あくまで一例ですが、難関の一流大学を卒業してある企業に就職した新入社員でしたが、入社して半年が経つと、上司から〇〇大学出なのに、こんなこともわからないのか、と責められて自信をなくして退社してしまったのです。
もちろん上司にも問題はありますが、ここでは新入社員の気持ちになると、難関大を出た自分がわからないなんてありえない。と言うプライドもあり自分を赦せなくなったのです。
一方で、何らかの事情で大学には行かずに高卒で入社した新入社員は、上司からお前はこんなこともわからないのか、と責められたのですが、はい、わからなくてすいません。しっかり学びたいので教えていただけますか。と、わからない自分を受け入れて、素直に対応したのです。
つまり、自分にとって不快な劣等感を受け止めるか否かなのですが、根本はそんな自分を赦すか否かなのです。
受け止められないそんな自分を、丸ごと受け止められると、わたしたちは安心の居場所になるのです。すごいのは、イエスさまはそんなあなたのためにも十字架にかかってくださいました。なぜならば赦されて赦す人になるためです。わたしはそのような愛を受ける価値のない者ですが、にも関わらず受け止めてもらえるイエスさまの十字架の愛を覚えて感謝いたします。
分断を拡大する劣等感と優越感を土台にするよりも、愛を土台にする方がいい。自分との付き合い方も十字架の愛を土台にする方がいい。イエスさまの十字架の愛と復活に感謝いたします。ご一緒に愛の土台を目指していきませんか。
「むしろ、互いに親切にし、心のやさしい人になりなさい。そして、神がキリストにあってあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」エペソ人への手紙 4:32 JCB
十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.4.27きんたメール第969号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『大切を大事にする生き方・・・』〜認知症から学ぶ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。イースターによって、わたしたちの人生の中で避けられない暗闇や絶望の時があっても、そこにも愛そのものである主が一緒におられますことが、光であり希望であり復活であり救いであることがわかりました。そして6月8日はペンテコステですね。復活の主が、お助けマンである聖霊さまを注いでくださいますことを覚えて過ごしたいと思います。いつも一緒におられます主の十字架の愛と復活を讃美しましょう。あなたは神さまに愛されています。
さて、認知症の問題は身近になっていますが、医学的にも心理学的にも、まだまだわからないことだらけですね。付き添いで3ヶ月に1回病院に行っても、記憶テストして様子をみて薬を出すことまでしか、今は病院もできないのです。
わたしの母も認知症で、「今を生きる」生き方になっています。ある意味、今日のことは今日と言う今を生きることが大切で、明日のことは明日になってからのことなのです。
目的や目指すゴールに向かうために先のことまであれこれ考えたりする生き方のわたしにとっては学ぶべき生き方なのです。
チームや組織であれば対話しながら、目的に向かって確認して前に進むことができますし、そのための先の約束を交わしたりしますが、約束することが難しいし、世界観の違う対話であっても、背景や思いを理解し合うこと目指すと、尊重し合う姿勢が必要であることもわかっているのに対話ができない時はイライラしてしまうのです。
でも、本人のせいではないのですよね。本人も理解しようとしているのに、認知機能がそうはさせないように働くわけなのです。この認知機能への対策が医学的にも心理学的にもまだまだ解明できていないと言う状況なのです。
ただ、心理学的なことで言えば、認知機能は衰えても、感情は衰えないので、自分が大切にされているのか否かは判断できるのです。
だから、この大切にされているのか否かが大事なのです。自分が大切にしてもらえたらうれしいように、相手が大切にされていると感じることが大事なのです。大切と大事の連発ですいません。
しかし大切を大事にする生き方は、わたしたちが関わる関係の土台となるように目指す生き方ではないでしょうか。なぜならば、神さまがわたしたち1人ひとりを大切に思ってくださるからです。認知症からも学ぶことが溢れているのです。
「人からしてほしいと思うことを、そのとおり、人にもしてあげなさい。これがモーセの律法の要約です。」マタイの福音書 7:12 JCB
十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.4.20きんたメール第968号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『新しくはじまる・・・』〜イースターおめでとう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。イースターおめでとうございます。わたしたちは新しく生まれることができます。今までとはガラリと変わるのです。それぞれの中でさまざまなことで生きづらさを感じている人もたくさんいるのではないでしょうか。そこから、びっくりするような方法で救われること、復活すること、神さまの愛に目が開かれる出来事がイースターです。イースターおめでとうございます。ご一緒に主の十字架の愛と復活を讃美しましょう。あなたは神さまに愛されています。
さて、ガラリと変わる1番大事なことは、何と言っても、あなたは1人ではないと言うことです。すべてをご存知の主が一緒にいてくださることです。主が共におられるのです。
なのに、罪(自分中心)は、神さまが一緒にいるのに、見えなくする、気づかないようにするのです。視点が狭くなっているからです。
たとえば、有名なゴリラの不可視性の実験があります。どんな実験かと言いますと、参加者に「バスケットボールをパスし合うチームの映像」を見せて、「何回パスが行われたか数えてください」と指示します。
みんな真剣に見ていますので、7回などと答えます。みんなすごいよね。正解する人が多いのです。
しかし、その映像の途中で、大きなゴリラの着ぐるみを着た人物が画面中央に現れます。ムーンウォークしているのですが、驚くべきことに、多くの参加者はパスを数えることに集中しているため、ゴリラの存在にまったく気づきません。
そんなことがあるのです。面白いよね。真ん中にゴリラがマイケルジャクソンのようにムーンウォークしているのに、その存在に気づいた人はほとんどいないのです。この実験は、注意の焦点が狭まると、明らかに存在している情報さえも認識できなくなることを示しています。
「見えているはずなのに気づかなかった!」ということは、神さまの愛もそうなのではないでしょうか。神さまが一緒にいてくださるのに、違うことに心がとられているのがわたしたちの姿なのです。まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。毎週、教会で自分の視点を確認していきましょう。
救いとは、困難がなくなるわけではありません。困難をも成長の糧にしてくださいます復活の主が一緒にいて、必ず最善へと導いてくださることです。主と一緒にいることが救いなのです。
「「わたしの上に主の御霊がとどまっておられる。 主は、貧しい人たちに この福音(神の救いの知らせ)を伝えるために、 わたしを任命された。 主はわたしを遣わして、 捕虜には解放を、 盲人には視力の回復をお告げになる。 踏みにじられている人を自由にし、 主の恵みの年をお告げになる。」(イザヤ61・1―2)」ルカの福音書 4:18-19 JCB
十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2025.4.13きんたメール第967号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『良き理解者のいるところ・・・』〜こころの絆創膏〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。来週はイースターですね。安心の居場所を取り戻してくださいます主に感謝して一緒に主を讃美したいと願っています。それぞれお一人ひとりのすべてをご存知の主が豊かに導いてくださいますように。神さまが一緒にいることに目が開かれますように、こころにキズを抱えている人の上に主の癒しと恵みが豊かにありますように。
さて、こころの絆創膏の貼り方について、参考までに共有させていただきます。わたしたちは指をケガしたら、絆創膏を貼りますよね。しかし、こころのケガは見えないのでほったらかしにされることが多いのではないでしょうか。
そうです。こころにも絆創膏は必要ですよね。では、こころに絆創膏を貼るってどんなことでしょうか。それぞれに絆創膏を貼っているのですが、うまく伝えられないのです。意外にも教えてもらえないですよね。
そこで、1番のポイントになることですが、わたしたちは例外なく、「気持ちをわかってもらえる」と嬉しいですよね。なので、わかってほしい時に、わかってもらえないとつらくなります。
つまり、こころはさまざまな受け入れ難いことがあった時、わかってもらえないことでキズつくのです。と、言うことは、わかってもらえることがこころの絆創膏になると言うことになりますよね。
たとえば目の前に足を骨折している人がパニックになっています。その人には何が必要だと思いますか。あなたは何と声をかけますか。
そうですね。まず手当てが必要です。そして痛かったね。ビックリしたね。と気持ちに寄添うことが求められています。カラダとこころの「手当て」が必要なのです。
しかし、もし、骨折している時に「走れ」と言われたらどう思いますか。わかってもらえないことにキズつくのではないでしょうか。なぜならば、今必要なのはできないことの責めや操作するような要求ではないからです。
つまり手当てが必要な時に、手当てをしないことを要求することは「的外れ」になりますよね。的外れにならないようにすることが大事なのです。
その時の状態にもよりますが、こころの絆創膏は、自分で自分に貼ることもできるんですよ。先ほどの足を骨折している人に声をかけるのと同じことを自分にするだけなのです。
真面目な人ほど、自分を責めてしまうのですが、自分を責めることは、足を骨折している人に走れと言うのと同じことをしているのです。
必要なのは、辛かったね。苦しかったね。と今の自分に寄り添っていくことなのです。これがこころの絆創膏の貼り方なのです。自分が受け止められると嬉しいように、自分で自分を受け止めていくのですが、受け止められないからつらいので、まずは「受け止められない自分」を受け止めていくのです。受け止めることの練習はできることからはじめればいいのです。
今までの習慣があるから、はじめはギクシャクするように感じるかも知れません。チャレンジしてみても慣れないので、何か違和感を感じるかも知れません。しかし、あとでわかります。責めるのではなく、気持ちに寄り添うこと。これがすごいチカラになるのです。
慣れるまでは、そのままを聴いてくれるところに連絡してください。大切なのは、ひとりで抱えないことなのです。安心の居場所が必要なのです。安心の居場所とは、良き理解者がいるところですよ。神さまはあなたを見捨てないのです。神さまがいつも一緒にいてくださいます。イースターをご一緒に迎えましょう。
「父の住んでおられる所には、家がたくさんあります。もしなかったら、はっきり言っておいたでしょう。わたしは、あなたがたを迎える家を準備しに行くのです。 すっかり準備ができたら迎えに来ます。わたしがいる所に、あなたがたもいられるようにするためです。」ヨハネの福音書 14:2-3 JCB
十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主