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投稿者 : church 投稿日時: 2017-07-23 06:54:26 (753 ヒット)

2017.7.23きんたメール第566号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「あなたはたいせつな人・・・」

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。関東も梅雨明けしました。不安定な天候ですが、暑さは厳しくなっています。こまめな水分補給を心がけましょう。局地的な大雨で秋田・新潟・福島も影響がでています。また九州の朝倉市と日田市の被災地も暑さが激しくなっています。一人ひとりが主にあって慰めと平安が豊かにありますように覚えてお祈りください。それぞれ与えられています場所にて主が共にいてくださいますように。必要を与えてください。今週もあなたの上に「主の平安」が豊かにありますように。

  さて、私の大好きな絵本「たいせつなきみ」(マックスルケード著)があります。1997年に出版され全米で100万部を超え、七カ国語に翻訳されているベストセラー絵本です。どちらかと言うと大人向けの絵本です。

  内容は、木の小人達を通して、評価に縛られて不自由にある若者が、創り主との関係を知って自由になっていく物語です。小人たちはピノキオみたいな感じで、丘のてっぺんに住む彫刻家のエリに創られたものです。

  その小人達は、毎日同じことを繰り返して生活しているのですが、その中で評価し合って生きています。よくできるとキラキラな「星印」のシールを貼られて、失敗してうまくできないと全くダメという評価の薄暗い「だめ印」シールを貼られてしまうわけです。主人公は「だめ印」ばかり貼られています。

  そのように評価シールをくっつけ合いながら暮らしているという設定になっています。要は「勝ち組」と「負け組」みたいな評価の価値観という支配に縛られて生きている小人たちの中で、神さまの愛を知っている子にはまったくシールがつけられないのです。それで不思議に思った主人公が創り主エリに会いに行くというお話です。

  何となく、私たちの世界にも通じる価値観ではないでしょうか。正しい評価は成長するために大事ですが、評価自体が人よりも大事になったりする。人よりもお金が大事になったりする。不自然でおかしな支配になっています。

  比較のための評価になると優劣になりますが、人の価値とは全く別物であることを覚えないといけません。その人の与えられた賜物や能力は一律の基準でははかれません。

  だから、もし評価基準などに縛られているとしたら、そこから自由になるために、「神さまがあなたを大事にしていること」をまず理解する必要があります。本物の愛にふれると評価シールは無効となり剥がれていくからです。

  何かに縛られて不自由だと感じている人、自分を変えたいと思う人は、ぜひ教会に相談ください。あなたがどれだけたいせつな人なのかを一緒に確認しましょう。

「私の目にはあなた高価で尊い。私はあなたを愛している。」イザヤ43:4

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、午後は交わりの時があります。のだ姉の上に平安が共にありますように。故あらた兄、わたなべ兄のご家族の上に主の平安が共にありますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

  それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2017-07-16 08:07:55 (720 ヒット)

2017.7.16きんたメール第565号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「たった1つのこと・・・」

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。梅雨らしくない状況の中、暑さは厳しくなっています。こまめな水分補給を心がけましょう。九州の北部の被災された地も暑さが激しくなっています。一人ひとりが主にあって慰めと平安が豊かにありますように覚えてお祈りください。それぞれ与えられています場所にて主が共にいてくださいますように。必要を与えてください。今週もあなたの上に「主の平安」が豊かにありますように。

  さて、今回は二人の母について。私の母が5月にバプテスマを受けた時、ちょうど家内の母も中国から日本に来ておりました。クリスチャンである中国の母にとっては本当にうれしいニュースでしたから真っ先に駆けつけてくれたのです。今まで物理的にも会う機会がなかったので、今回のバプテスマをきっかけに意気投合して大の仲良しになりました。息子として一番嬉しいことです。

  言葉は通じないけど、姪っ子が間に入って温かい通訳をしてくれるので絆の対話が生まれます。気持ちが通じることで関係が成長していきます。このように交わりの根っこには主が豊かに働いてくださっているのです。

  それぞれ違った環境の人と人が出会う。文化も違えば、価値観も違うのがむしろ普通です。しかしお互いに尊重し、理解し合う関係を育てるためには、たった1つのことだけを大事にすればいいのです。それが「相手を思いやる」気持ちです。たった1つだけ。主が私にしてくださったこと。このたった1つのことを大事にするだけで関係は主が育ててくださるのです。

  しかし、この1つのことを妨げようとする働きもあります。思いやることを無価値のように思わせる働きもあります。だから惑わされないように私たちには十字架のイエスさまが必要なのです。痛みを伴ったとしても、本当の宝を手にする方が嬉しいことだからです。

  聖書には愛の知恵が溢れています。私たちは関係が良くなるも悪くなるも、相手次第みたいに思ってしまいますが、私たちは聖書の愛の知恵に従って、相手を思いやり続けようとチャレンジし続けていくだけなのです。難しそうであればあるほど、関係がよくなると喜びも大きくなるのです。聖書に溢れている愛の知恵をそれぞれのところから求めていきましょう。

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、午後は交わりの時があります。のだ姉の上に平安が共にありますように。わたなべ兄のご家族の上に主の平安が共にありますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

  6月28日(水)早朝あらた兄(藤村姉の義弟)が召されました。人生の終盤、難病と向き合いながらご家族と共に歩まれました。生活リズムが変えられて、家族との必要な時間を与えられました。主の御手の内にありますように。残されましたご遺族の上に主の慰めと平安が豊かに豊かに豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。

  それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2017-07-09 06:38:19 (754 ヒット)

2017.7.9きんたメール第564号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「『じ』の〃が取られて『感謝』に変わる・・・」

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。九州の大雨によって大きな影響や被災がありました。少しでも早い復旧と、その場におられますお一人ひとり避難生活の中で不安になられています。どうぞ、主の癒しと平安が豊かに注がれますように覚えてお祈りください。また熱中症対策も必要です。それぞれ与えられています場所にて主が共にいてくださいますように。必要を与えてください。今週もあなたの上に「主の平安」が豊かにありますように。

  さて、私たちは自分の「求めるもの」と「必要」が必ずしも一致するとは限りません。むしろ「本当の必要」よりも「都合よいもの」の方に心が向いてしまうことが「当たり前」になっているのではないでしょうか。

  そんなところにスポットを当てた人がいます。作者は不明ですが、ニューヨーク大学リハビリテーション病院の壁に書かれています大変有名な詩です。私はこの詩に出会って20年くらい。この詩に救われた一人です。まだ知らない人のために以下紹介します。

  「大きなこと」を成し遂げるために「力」を与えてほしいと神様に求めたのに、慎み深く「従順」であるようにと「弱さ」を授かった。(I asked God for strength, that I might achieve I was made weak, that I might learn humbly to obey)

  より「偉大なこと」ができるようにと「健康」を求めたのに、「人生」を間違わないようにと「病弱」を与えられた。(I asked for health, that I might do greater things I was given infirmity, that I might do better things)

  「幸せ」になろうとして「富」を求めたのに、「賢明」であるようにと「貧困」を授かった。(I asked for riches, that I might be happy I was given poverty, that I might be wise)

  世の人々の「称賛」を得ようとして「成功」を求めたのに、「神様」の存在に自分が気付けるようにと「弱さ」を授かった。(I asked for power, that I might have the praise of men I was given weakness, that I might feel the need of God)

  人生を「楽しもう」とたくさんのものを求めたのに、あらゆることを楽しめる「命」を、自分はすでに「授かっていた」ことに気付いた。(I asked for all things, that I might enjoy life I was given life, that I might enjoy all things)

  求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。自分は神様の「意にそわない者」であるにもかかわらず、心の中を言い表せない祈りは全て叶えられた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに「祝福」されていたのだ。(I got nothing that I asked for  but everything I had hoped for Almost despite myself, my unspoken prayers were answered. I am among all men, most richly blessed!)

  本当に祝福された人の詩です。そこに至るまでの葛藤は想像を超えるものがあったと思います。作者は「患者」さんと思われますが、「患い」を与えられたことでかえって神さまの恵みに目が開かれて、必要は与えられ「なかった」のではなく、実は与えられて「いる」ことに気付いたのです。

  比較することや、自分の都合に縛られて、余計なことに心疲れてしまうことがありますが、「神さまの恵み」に目を向ける時、患者(かんじゃ)の「じ」の〃が取られて感謝(かんしゃ)に変わるようです。神さまの恵みに感謝して主と共にある自由に与って、前進していけますように共に祈っていきましょう。

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、午後は交わりの時があります。のだ姉の上に平安が共にありますように。わたなべ兄のご家族の上に主の平安が共にありますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

  6月28日(水)早朝あらた兄(藤村姉の義弟)が召されました。人生の終盤、難病と向き合いながらご家族と共に歩まれました。生活リズムが変えられて、家族との必要な時間を与えられました。主の御手の内にありますように。残されましたご遺族の上に主の慰めと平安が豊かに豊かに豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。

  それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主

 


投稿者 : church 投稿日時: 2017-07-02 07:33:38 (729 ヒット)

2017.7.2きんたメール第563号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「交わりの目指すもの・・・」

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。7月の月日も主が共にいてくださいますように。梅雨らしい時期の特徴である「じめじめ」が蔓延してきました。水不足が心配なので雨も降ってほしいところです。昼夜寒暖差もあります。ご自愛ください。熱中対策も必要です。水分補給も忘れずに。それぞれ与えられています場所にて主が共にいてくださいますように。今週もあなたの上に「主の平安」が豊かにありますように。

  さて、SNSでクリスチャンの交流するグループに入れてもらいました。カトリックに属する人もいれば、プロテスタントに属する人もいます。その中のある方が「カトリックとプロテスタントはもっと仲良くすればいいのに」みたいなことを投稿しました。すると「カトリックとプロテスタントは違う宗教で、自分たちとは異質なので同姓同名の神さまを賛美している」と言うビックリするような投稿がありました。

  いろいろな立場の人がいますので、所属するところからの意見のある方は「党派心」を前面に出してくる人もいますし、その意見に賛同する人もいれば、無用な議論は避けるべきとする人もいるし、お互いに刺激しあえて良いという人もいれば、みんな違って創られたのに、同じ神さまを賛美できることは素晴らしいと言う人もいます。投稿された内容にさらに反応する意見もあったり、それぞれの立場から宗教観、信仰観と様々な投稿がされます。

  大きく分けると、一個人として投稿している内容は、神さまと自分の関係でその人の信仰による思いであるのに対し、宗教観で投稿されている内容は、個人の解釈が属するところの解釈みたいに混同して党派心を煽る内容です。それぞれ重点を置いているところが、「信仰」か「党派心」かみたいな感じなので平行線になってしまいます。

  解釈の自由は尊重しますが、「党派心」の優劣を競う内容だと話が違う方向に行ってしまいます。従って、なぜそうしなくてはならないのかという自分を支配しているものに向き合う必要があるのです。

「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」エペソの信徒への手紙6章12節

  見た目に惑わされやすいですから、主に知恵を求めながら向き合っていくことが大事になります。信頼のない批判し合いは違う支配に促されてしまいます。こういう場所での交わりは属するところの壁を越えて一人の人として個人が主体になった思いを分かち合える方がよいし、その方が分かり合えるのです。そんなことを改めて学ばせていただいた交わりでした。

「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」コリントの信徒への手紙一1章9節

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、午後は交わりの時があります。のだ姉の上に平安が共にありますように。わたなべ兄のご家族の上に主の平安が共にありますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

  6月28日(水)早朝あらた兄が召されました。人生の終盤、難病と向き合いながらご家族と共に歩まれました。生活リズムが変えられて、家族との必要な時間を与えられました。主の御手の内にありますように。残されましたご遺族の上に主の慰めと平安が豊かに豊かに豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。

  それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2017-06-25 06:57:33 (749 ヒット)

2017.6.25きんたメール第562号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「目覚めよ。俺。・・・」

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。夏がそこまで来ていることがわかりやすい時期、昼夜寒暖差もあります。ご自愛ください。熱中対策も必要です。水分補給も忘れずに。それぞれ与えられています場所にて主が共にいてくださいますように。今週もあなたの上に「主の平安」が豊かにありますように。

  さて、12〜3年ぶりに一緒に仕事をしていた友人と再会しました。彼は弁護士になるために脱サラして、猛勉強の末3回目の司法試験で見事突破。その後1年の研修を経て弁護士になりました。その時、彼は何が嬉しかったのかと言うと、合格したことはもちろんですが、それ以上に猛勉強から解放されたことだそうです。それほど苦しみを抱えながら勉強したということですが、私からするとそこまでできることがすごいな〜と感心するばかりです。

  しかも障害を持った子供が与えられたことから、障害のある人と共に生きるあるべき姿プロジェクトなどの勉強会も盛んに行っています。子どもの時から、別の学校や学級にわけ隔ててしまう今の社会の中では、障害を持った人との関わり方がわからないのは当然です。しかし、障害をもつ人が当たり前にいる社会になれば、自然に関わり方が身に着くし、思いやることも身に着くのです。関りから知恵を学ぶことができるのです。自分の損得から自由になって目線や価値観が変わるのです。一番学ばなければならない「愛」を、邪魔しているものが「わけ隔て」です。拍手喝采。

  与えられた賜物やスキルを発揮しながら、わけ隔ての壁を少しでも低くしようと、闘っている友人の姿を通して、私の中の寝ている人に、そろそろ起きないとね。と声をかけてもらったような思いです。目覚めよ。俺。(毎朝5時30分、サッカー朝練の息子に『朝だよ、起きて』と声をかけると、息子は気だるそうな声で決まって『あと1分』と言う。つまり、もう少し寝かせろという意味)こういうところは教えてないのに私と同じ姿。子を見て親の姿を見る。とほほ・・・目覚めよ。俺。祈り求めていきましょう。

「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」マタイによる福音書26章41節

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、午後は交わりの時があります。のだ姉の上に平安が共にありますように。わたなべ兄のご家族の上に主の平安が共にありますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主

 


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