2024.8.18きんたメール第933号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『神さまの愛を知るために・・・』〜それぞれの人生はある〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。台風7号の影響がありました。交通機関にも影響がありました。被害を受けた方々の上に癒しと温もりで満たされますように。台風一過で暑さも戻ってきました。こまめに水分プラス塩分補給もしてくださいね。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちが、互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、いきなりですが人は老います。おいおい。生まれたら必ず死を迎えます。わたしたちは限られた時間の中で、それぞれの人生があるのですね。さまざまなことを経験して学んで年を重ねていきます。
個人差はありますが、老いることで今までできていたことが、うまくできなくなることも出てきます。その逆もありますが、できないことだけに心がとられると、なかなか気持ちを受け止められなくなります。受け止められない時は認めたくないので隠そうとしますが、気持ちを隠せばまた理解してもらえないことにもなり、それもまたつらいものです。
気持ちを受け止められないことについては、老いるか否かに関係なくそれぞれの都合によって大小さまざま身近にあるのではないでしょうか。ある意味、一つひとつを受け止めていくのがわたしたちの仕事でもあるのですが、なかなかそうはいかないですよね。
基本的に誰もまわりに迷惑をかけたいとは思いません。だから迷惑をかけてしまったと思うとつらくなってしまうのでしょうし、プライドもありますから言いたくても言えなくなってしまうのでしょう。
そう考えると、やはり人は安心して気持ちを出せて、尊重されて理解してもらえることが必要ですよね。つまり人は愛なしには生きれない存在なのです。
わたしたちは、その立場にならないとわからないことがたくさんあります。その立場からしか見えるものと見えないものがありますが、受け止められるまで、都合によって見ようとするものと見たくないものとしてしまうのでしょうね。
それぞれさまざまな人生を生かされているわたしたちですが、1つ確かなことは、本当の神さまの愛を知る人は幸いだと言うことです。安心して気持ちを出せて、気持ちを理解してくださいます。そして正しく導いてくださいます。助けてもらうことも一つひとつ受け止めていくことで感謝する心が豊かにされていきます。意思のあるおまかせをします。
わたしたちは神さまの愛を知るために生まれてきたのです。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
「神の愛から私たちを引き離すことができるものは何一つない、と確信しています。死もいのちも、そんなことはできません。天使にもできません。地獄の全勢力が結集しても、神の愛から私たちを遠ざけることはできません。恐れも、不安も同様です。 あるいは、私たちが空高くのぼっても、海の底深くもぐっても、どこにいようと、神の愛から私たちを引き離すことはできません。」ローマ人への手紙 8:38-39 JCB https://bible.com/bible/83/rom.8.38-39.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.8.11きんたメール第932号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『イエスさまがいちばん・・・』〜だってイエスさまは神さまだもの〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。宮崎で大きな地震がありました。被害に遭われましたお一人ひとりの上に主の癒しと温もりで満たされますように。暑い日が続いています。こまめに水分プラス塩分補給もしてくださいね。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちが、互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、金、土の2日間でCSキャンプに参加させていただきました。テーマは「イエスさまが1番」です。みんなで讃美しました。「イエスさまがいちばん」(友ようたおう 2番)詩 若色和夫・曲 松岡和弘 以下詩です。
どんなに淋しい時でも、どんなに悲しい時でもイエスさまがいちばん、イエスさまがいちばん
(※折り返し)たとえそれが どんなばあいでもイエスさまが いちばん、イエスさまが いちばん(な〜ぜ) だってイエスさまは 神さまだもの、だってイエスさまは 神さまだもの
どんなに泣きたい時でも、どんなに叫びたくても、イエスさまがいちばん、イエスさまがいちばん ※折り返し
どんなにいじわるされても、どんなに苦しめられても、イエスさまがいちばん、イエスさまがいちばん ※折り返し
単純明快な讃美ですね。イエスさまが1番にできないような時こそ、まずイエスさまに心を向けましょう。と言う讃美です。
わたしたちは自分の力ではどうにもならないことがあるのです。その時に1番頼れます御方はあなたを愛されます神さまだけなのです。
ちなみに今の地球には人口はどのくらいだと思いますか。なんと82億人です。日本は少子高齢化で減っていきますが、地球規模ではまだまだ増えていきます。
わたしたちは、自分の力で生きているのではないですよね。神さまに命の息を吹き込まれて生きています。だから人数が多くても神さまからすれば、あなたも私も1人ひとりが神さまにとって1番なのです。
上記の讃美歌のように、どんな時でもイエスさま1番の生き方はすごく幸せなのです。この世の平安は移り変わりますが、神さまの平安は常に一緒にあるのです。
この平安はイエスさま1番をしたいと願うならば与えられますし、1番にしていない時でも変わらず与え続けてくださいます神さまの愛と恵みに気づかせていただけるのです。
ご一緒に本当の平安をいただきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
「ほんとうの神を信じない人たちのまねをしてはいけません。彼らは、それらがたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。しかし天の父は、それらがあなたがたに必要なことをよくご存じです。 神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。」マタイの福音書 6:32-33 JCB https://bible.com/bible/83/mat.6.32-33.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.8.4きんたメール第931号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『失敗するから成長する・・・』〜そのカギは十字架の愛〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。神さま、8月の月日もお守りください。暑い日が続いています。花火大会もあちこちで開催されていますね。こまめに水分プラス塩分補給もしてくださいね。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちが、互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、聖書から紐解く「幸せ」とは何でしょうか。誰もが願うものですよね。
例えば自己中心に何不自由なく思いどおりになることは幸せだと思いますか。
一見この世的には幸せのように思いますが、神さまではなく自分に頼っているとしたら、その場しのぎの幸せ?みたいで心配になってしまいます。では聖書には何と書いてあるのでしょうか。
「心の貧しさを知る謙遜な人は幸いです。神の国はそういう人に与えられるからです。」マタイの福音書 5:3 JCB https://bible.com/bible/83/mat.5.3.JCB
何で「心の豊かな人」ではなく「心の貧しい人」が幸いなのでしょうか。
もちろん「心の豊かな人」は幸いではないと言われていません。ただ豊かなのは良いことなのですが、勘違いすると神さまを忘れてしまうリスクもありそうです。ただ豊かでも貧しくても「神さまを忘れてしまう」と「幸せ」ではないんですよね。
ここで「心の貧しい人」が幸いと言われますのは、思いどおりにいかず、どうにもならないことで自分に頼ることに絶望している人も含まれます。的が外れているといくら求めても求めてもうまくいかない。そんな自分の貧しさを理解して受け止められない人でもあります。つまり八方ふさがりになってはじめて神さまにしか頼れないことに気づいていく人のことですね。
では、はじめから神さまに頼ればいいのに、何で頼らないのでしょう。
わたしたちは本当に信頼して頼るまでに個人差はありますが時間がかかるからです。神さまはそのことも理解してくださいます。
信頼して頼るまで失敗して失敗して失敗を繰り返して、痛い目にあって少しずつ、神さまにより頼む生き方が成長していくのです。
そのカギが十字架の愛なのです。失敗することはみじめに感じるものですが、否定もせずに理解してもらえると、失敗から学ぶ力が与えられて成長するのです。謙遜も感謝も失敗することで身に着くのです。痛みを知ることで人に優しくなれるのもそうです。自分に都合が悪いことを通して学んで成長するのです。
だから、今、思いどおりにいかない。こんな自分には価値がないと思う人は、その痛みが宝に新しく変えられるので「幸い」なのです。変われないと思う狭い視点から自由にされるのです。
今までの生き方では、うまくいかないし幸せに感じないならば、生き方を変えればいい、方向を変えればいいのです。だけど、今までの生き方が習慣になっているため、そこに縛られているから不自由に感じたり、生きづらく感じたりで、その支配はすごくつらいと思います。
自由になるためにはよき理解者が必要です。そのカギが十字架の愛なのです。あなたが本来の自分を取り戻してイキイキできるように、一緒に成長させていただきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
「心の貧しさを知る謙遜な人は幸いです。神の国はそういう人に与えられるからです。」マタイの福音書 5:3 JCB https://bible.com/bible/83/mat.5.3.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.7.28きんたメール第930号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『不完全なのに・・・』〜価値がある〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。暑い日が続いています。台風の影響なのか雷雨があって不安定さもあります。天気予報を確認しながら、こまめに水分プラス塩分補給もしてくださいね。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちが、互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、神さまの愛は「価値ある」ものに向けられますよね。だから、あなたは神さまから愛されています。つまりあなたは価値ある尊い存在なのです。あなたは、そのことを信じますか。
もし、信じられないと思うなら、そう思ういろいろなことがあったのでしょう。無理解の中でたくさん傷ついてきたのでしょう。信じられないと思うあなたこそ癒されますように。神さまの愛で満たされますように。
ちなみにあなたは完全な人を見たことがありますか。わたしは一度もありません。尊敬する方々はたくさんいます。でも完全な人を見たことはありません。
わたしたちは誰もが不完全だからですね。でも、不完全でいいのではないでしょうか。
不完全だからこそ、勘違いをすることもあるし、失敗することもあります。でも学ぶことができるのです。学び続けることが恵みなのです。わたしたちはそれぞれ、さまざまな経験や交わりから学びます。
1番学んでほしいのは、神さまを神さまとして理解することです。わたしは神さまの愛を知ったら、どんなことでも乗り越えていけると信じています。たとえ自分が思うことと違っても必ず最善へと導いてくださいます。
神さまは完全です。だからイエスさまも完全です。聖霊さまも完全です。わたしは不完全です。しかし不完全なわたしに三位一体の完全な神さまが一緒にいてくださいます。と言うことは不完全なのに完全です。すごいことですよね。
それぞれのわたしたちは不完全ですが、それで価値がないわけではありません。子どもが失敗しても間違えても、親の変わらない愛が注がれますように。神さまは変わらない愛であなたを包みこんでくださいます。その愛によって、わたしたちは悔い改めて(神さまに向き直って)新しく生きるようにしてくださいます。あなたの存在に価値があるからです。それぞれのわたしが神さまの愛を分かち合うためです。
神さまは、わたしたちにそのことを伝えているのです。その変わらない愛は、イエスさまの十字架によって成し遂げられました。だから十字架の愛と復活にふれると、わたしたちは誰でも生き返ります。
わたしたちは自分にとって価値がある人は愛しますが、価値がないように見えるとどんな態度になるのでしょうか。
神さまの愛は、どの人にも注がれています。同じように不完全なわたしたちは、価値のない自分のために十字架にかかってくださり、価値あるものとして取り戻してくださいました。その十字架の愛を忘れないように主に祈って互いに励まし合っていきましょう。
「あなたを生かすために他の者が犠牲になった。 あなたのいのちを買い戻すため、 他の者のいのちと交換した。 わたしにとって、あなたは高価で尊いからだ。 わたしはあなたを愛している。」イザヤ書 43:4 JCB https://bible.com/bible/83/isa.43.4.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.7.21きんたメール第929号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『くさいものには蓋をしない・・・』〜蓋をしなくても終わりじゃないから〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。関東も梅雨明けしました。暑いですね。こまめに水分プラス塩分補給もしてくださいね。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちが、互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
さて、先日は最近あまり耳にしなかった「くさいものには蓋をする」と言う言葉を耳にしましたので少し考えてみました。
蓋をすることで、とりあえず嫌なニオイに対して応急処置をすることができます。今はとりあえず解放されるからです。でも実際の解決にはなっていません。蓋が外れたらまたニオイはでてくるのです。
わたしたちの心の問題にも同じようなことがあるのではないでしょうか。人にはどうしても言えないことだったり、弱さだったり、コンプレックスだったり、自分にとってはなくしたい、隠したい、受け止められない、忘れたいことなどです。
蓋をしても、さまざまなキッカケによって、自分の中から嫌なニオイが溢れてしまうようなことがあるかもしれません。今までは、何とか蓋をすることで対処できたけど、それだけでは対処できなくなってくる時期がきます。
大抵の場合、蓋を開けたらダメだと思い込んでいますから、必死に蓋が開けられないように頑張って疲れてしまう場合があります。
たまたま聴く耳のない人に相談してみたら、受け止めてもらえないばかりか責められたり、バカにされたり、ひかれてしまったりするとキズついてしまいますよね。そういった経験が繰り返されるとキズつきたくないから誰にも相談が出来なくて、苦しいのに心の奥底に感情を隠してしまうのも当然です。
あなたも大なり小なり経験されたことがあるのではないでしょうか。感情に蓋をして終わりではないですよね。だから感情を安心して出せる場所が必要なのです。感情とは怒りや悲しみなどの溢れてくる気持ちです。その気持ちに耳を傾けて聴いてくれる人が必要なのです。感情の解放が必要なのです。
今までの対処方法として、感情を出さないように蓋をしてきたので、感情を出してもいいと言われても簡単に出せないものです。だけど出さないようにすることが苦しいことなのです。本当は出してもいいのです。
それでも出さないことで自分を守ろうとしてきたのです。なかなか複雑だけど、人の心は思い通りにはいかないですよね。
だから簡単ではありません。しかしできないわけでもありません。癒されながら出し方がわかるまで時間がかかるだけです。
隠してきた感情を出せる場所があればいいでしょう。蓋を開けてもいい場所があるのです。そのことがわかると蓋の役割は終わります。ぜひ教会にお越しください。一緒に出せる練習をしましょう。やがて出せるようになります。重い荷物をおろしましょう。
「重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。」マタイの福音書 11:28 JCB https://bible.com/bible/83/mat.11.28.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主