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板橋区仲町23−17
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090-8801-0111
(新保牧師携帯)
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投稿者 : church 投稿日時: 2015-03-08 04:34:59 (1086 ヒット)

2015.3.8 きんたメール第442号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「驚くことに・・・」

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。花粉症の人にとってはきつい時期となっております。どうぞ、ご自愛くださいますように。レント(受難節)の中、今年のイースターは4月5日(日)です。イエス様が十字架にかかるまでの歩みを心に留めて過ごしましょう。皆様の上に主の祝福と恵みが豊かに注がれますように。

  さて、十字架は、キリスト教会のシンボルです。シンボルは象徴のことなので、十字架は「救いの象徴」と言うことになります。ちなみに十字架は、死刑の道具としてイエス様が磔(はりつけ)にされたように本来忌み嫌われたシンボルだったものです。

  皆様にとって、忌み嫌われたものとは何でしょうか。弱さ、みじめなこと、暗闇、罪、死などなど、それぞれの中で受け容れがたいものに違いないと思います。

  そのように忌み嫌われていたものが、「救いのシンボル」に変わってしまうとしたら、どうでしょうか。そんなバカなことがあるものかと思うかもしれませんが、暗闇に光が差し込むように、「希望」が生まれるのではないでしょうか。驚くことに、どの人にも「救い」は用意されているのです。なぜならば神さまは、どの人も愛されているからです。その愛を信じるならば、それぞれを苦しめていた忌み嫌われたものが、イエス様の十字架によって、それゆえに「救いのシンボル」へと変えられ、新しい命によって生きる者へと変えてくださるのです。

  イエス様が十字架にかかるまでの歩みを心に留めて過ごしましょう。皆様の上に主の祝福と恵みが豊かに注がれますように。

【板橋教会】・・・本日は、2015年9回目の礼拝です。礼拝前に子ども会、聖書教育の時があります。午後は恵み会があります。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は先月末からの放射線治療を終了し退院されましたが、引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2015-03-01 07:18:29 (1199 ヒット)

2015.3.1 きんたメール第441号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「休ませてあげよう・・・」

  敬愛する皆様、福岡からです。3月に入りました。陽も伸びてきましたね。先週からレント(受難節)に入っています。今年のイースターは4月5日(日)です。イエス様が十字架にかかるまでの歩みを心に留めて過ごしましょう。皆様の上に主の祝福と恵みが豊かに注がれますように。

  さて、今回は「重荷」について考えてみたいと思います。「重荷」と言う言葉を調べると、「重い荷物」。そのままですよね。または「能力をこえた大きな責任」。そのように精神的に耐えがたい負荷がかかることと言えます。一人で重い荷物を抱えていたのでは、当然疲れてしまいます。

  では、疲れた時はどうすればよいのでしょうか。疲れたら、休めばよいのです。しかし、この簡単なことが難しいのです。そこで不思議に思えるけど、本当の平安をご紹介します。

  私たちが、負荷のありそうな重荷を抱えているとき、おおまかですが、一人ではどうしようもないから、誰かに相談したいと強く思います。ところが、そんな時は自己消化できませんから、当然、自分の中で整理できないのが普通です。だからこそ相談したいのに、「整理してから相談に来いよ」とか、正論で責められたり、批判されたり、返って傷ついてしまったなんてことを経験すれば、なおさら相談できなくなります。

  そのように、傷だらけの状態で重い荷物を一人で抱えて、暗闇の中で叫んでいる人が、私たち自身も含めて身近にたくさんいるのです。

  もちろん、その時の状態によって、自分の荷物以外に他の荷物を持とうとすることは、受け入れられるものではありませんが、主が一緒にいると、荷物が重い人ほど、誰でも受け入れることができるものでもあるのです。

  しかし、そのことを知らないと、ほとんどの場合は、理解しようとも、受け入れようともせず、自分のはかりで裁判官になってしまう方が多いのではないでしょうか。その上で、正論をかざしますが、結局は「自分に負荷をかけるな」と言うメッセージがほとんどと言えます。

「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。」(マタイ23:4)これは自分にも耳の痛い御言葉ですが、どの教会でもよく吟味する必要があるのではないでしょうか。

  それで、ここで伝えたいこと、確認したいことは、自分が救われた時のこと、助けてもらった時のことを忘れないようにすると、今、自分はそうではなくても、疲れている人の気持ちを察することはできるのではないかと言うことです。またイエス様はそのように私たちの周りにおられると言うことです。疲れている時に必要なのは休息です。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)イエス様のところに行きましょう。行き方は、求めて祈るだけです。できれば教会で一緒に祈ってもらうことです。

  負荷を負うことは本当につらいことです。でも誰かが一緒にもってくれたら少し軽くなるのです。よき理解者が一人でもいれば軽くなります。イエス様のところにいきましょう。不思議なことに、重い荷物をもっていればいるほど、同じように抱えている人の荷物をもつ力へと変えてくださるのです。よき理解者が一人でもいれば軽くなります。イエス様のところに行きましょう。ぜひ、教会にお越しください。皆様の上に主の慰めと本当の安らぎが豊かに豊かに豊かにありますように。

【板橋教会】・・・本日は、2015年8回目の礼拝です。礼拝前に子ども会、聖書教育の時があります。午後はバイブルクラス、映画会があります。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は先月末からの放射線治療を終了し退院されましたが、引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主


 


投稿者 : church 投稿日時: 2015-02-21 22:43:51 (1166 ヒット)

2015.2.22 きんたメール第440号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。※今週の週報添付します。

「無理解の中で・・・」

 敬愛する皆様、福岡からです。春はもうすぐですね。しかし、まだまだ寒い日が続いていますから、どうぞ、ご自愛くださいますように。皆様の上に主の平安が豊かに注がれますように。

 さて、今回は「無理解」について考えてみたいと思います。無理解と言う言葉を調べると、「あることについての理解がないこと」「相手の気持ちなどをわかろうとしないこと。また、そのさま」という解釈がされています。

 私たちの日常に中にあふれている事かもしれません。「何で、どうして理解してくれないのか」と思うようなこと。逆に「どうしても理解できない」と思うこと。そのようにどちらもあるのではないでしょうか。日本でも外国の人だからということで差別したりいじめをしたりする人がいます。日本人同士でも、気に入らないからとか、違いがあるからということで、自分のものさしで、いじめることを正当化しても、それは間違いです。ただ自分を正当化したいだけです。自分が無理解な人であることを理解できていないだけです。教会に行っている人でも牧師でも同じことをしている人はいます。私も間違いなくしています。そのように私のようなものを「迫害する者」と言います。だからこそ、反省して自分の目の中の丸太にこそ気づかせてくださいますように主に強く求めます。

 サウロはイエス様を信じる人を迫害していました。理解できなかったからです。しかし、イエス様と出会ってから、サウロ(偉大な者)という名前から、パウロ(もっとも小さな者)という名前に変えて、イエス様こそ救い主だと伝える人になったのです。つまり、超エリートマンが、もっとも小さな者になって喜んでいるということです。今度は理解されない者、迫害される側になったのです。理解できますでしょうか。

 パウロは何を見つけたのでしょうか。超エリートの栄誉を損失だと思うほどものとは何なのでしょうか。イエス様と出会った人はどうして変えられてしまうのでしょうか。この本物の宝物の正体は何なのか。ここまで人の心を動かすものとは何なのか。ぜひ、教会にきて主に確認してください。本当の愛と平安を受け取ってくださいますように。 

 無理解の中で、つらい思いをされている人の上に主の慰めと平安が豊かに豊かに豊かにありますように。

【板橋教会】・・・本日は、2015年7回目の礼拝です。礼拝前に子ども会、聖書教育の時があります。午後は定例役員会があります。新保牧師はリハビリ継続中ですが、2月から宣教されています。感謝します。またわたなべ兄は先月末からの放射線治療を終了し退院されましたが、引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。

ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2015-02-15 01:21:06 (1211 ヒット)

2015.2.15 きんたメール第439号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「身に沁みるように・・・」

敬愛する皆様、板橋からです。寒さもましています。どうぞ、ご自愛くださいますように。皆様の上に主の平安が豊かに注がれますように。

さて先日の土曜日は、息子の所属するサッカー部の練習試合を応援に行きました。天候にも恵まれ1ゲーム20分ですが10試合ありました。

みんな熱く応援していますから、いろいろな声援が耳に入ってきます。「ナイスシュート」「ナイスカット」「もっと声出せ」「ナイスプレー」「フォローフォロー」「逆だよ逆」「左にパス」「そこじゃないよ」「どんまいどんまい」「おしい」「おー」「あー」などなどの声は、熱くなればなるほど大きくなってきます。

面白いのは、応援側からはよく見えるということです。もちろん、全体を見ている人もいれば、自分の子だけを見ている人もいますし、見てるポイントは様々ですが、応援側からはよく見えるのです。だから、その声の通りにできれば、すごいな〜と思います。

しかし、実際にプレーしてる選手は、応援側から見てる視点とは違います。現場の狭い視点の中で、周りの選手が声を掛け合うことで視点を広げたり、判断を促したりしてプレーをしていますから感動的な素晴らしいプレーもでてきますし、それでもミスをしてしまうこともあり、相手の動きに、思い通りに体が動かないこともあります。精神的にプレッシャーを感じたり、周りが見えなくなるような、本人にとって身に沁みるような苦い体験と、納得できるような練習を繰り返しながら成長していくのです。

人生に置き換えても、成長するためには、身に沁みるような苦い体験も必要ということがわかります。でも、あまり味わいたいと思うものではありません。それでも味わうのが人生なので、そんな時はイエスさまの十字架をほんの少し味わうことができたと思うだけでもラッキーだと思います。とにかく逆境を順境の糧へと変換できる主に心を向けるならば、見方や、受け取り方が変わり、見てる世界観はガラリと変えられていくことを体験しながら、そして、こんな自分のために主が十字架に掛かってくださったことを益々感謝していくことができますように期待します。


投稿者 : church 投稿日時: 2015-02-08 08:11:00 (1167 ヒット)

2015.2.8 きんたメール第438号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「継承したいもの・・・」

敬愛する皆様、福岡からです。寒さもましています。どうぞ、ご自愛くださいますように。皆様の上に主の平安が豊かに注がれますように。

さて、今回は「継承したいもの」について考えてみたいと思います。先週はいろいろなことが重なって慌ただしい時を過ごしました。皆さんはそれぞれどんな週をお過ごしだったでしょうか。自分の人生を振り返れば、ある出会いからすごく大きな影響を受けることがあります。皆さんも、今までの生き方がガラリと変わるような出会いを大なり小なり経験されているのではないでしょうか。

私は自分がどう生きていいのかわからない暗闇を彷徨っている時がありました。自分でも自分をコントロールできないうつ状態の時は、人と会うのもつらい、夜は眠れなくなり、ひきこもりがちになり、そして、そんな自分が嫌いで赦せないという悪循環に入り、まるで出口のない暗闇の中で不安と恐れに支配されて、絶望と自暴自棄がいつも一緒にいるような状態でした。

このような状態の時を、今振り返れば、声にならない心の奥の声は、ものすごく強く救いを求めます。暗闇の中に差し込む光を求めます。気力はないのにも関わらず、ものすごく強く求めているのです。その声にならない声を主は聴いてくださっているのです。

それで私の場合は、そのような時に、もとヤクザの親分だった牧師のところへと導かれました。ヤクザの生き方は、力の支配を目指す生き方ですから、ボス猿の力が弱まったりすると、すぐにその座を求めて新勢力が現れるような世界です。ですから死を目前とした病を担うことは、力関係に大きな変化が生まれるわけです。その牧師は、いつ死んでもおかしくない病を担ったことで、死人に口なしのごとく、すべての罪を被せられた経験の持ち主でした。もう煮るなり焼くなり好きにしてくれと思ったそんな時に、イエス様と出会い、「力の支配」ではなく、「愛の支配」を知るのです。

そして、よい時も悪いときも、変わらずに一緒にいて正しく導いてくださる御方こそ、本当の親分であること悟ったのです。しかも今まで散々悪いことをしてきたこんな自分のためにも、身代わりとなって十字架に架かり、罪を赦してくださるのですから、どう考えてもありえないほどの驚きであり、それゆえに本物の救いであり、計り知れない大きな愛を知ることになるのです。その御方がいつも一緒にいてくださること、しかも、すべてご存知で、過ちを犯した時は気付かせてくださり、正しく導いてくださる御方に出会えば、生き方が変わるのは当然と言えます。

しかし、それで完璧な人になるわけではありません。完璧な人だからクリスチャンや牧師になっているのではなく、むしろ自分は罪人の親分であることを認識してる人がクリスチャンであり、牧師として用いられていると言えます。教会に来てるから完璧な人になるのではありません。赦しは与えられましたが、罪人であることには変わりないのです。赦されたことを知った罪人です。

だから、神さまから目をそらしてしまうと、すぐにもとの自分が顔を出すような弱いものであることも、その牧師からも自分自身からも、また関わりを与えてくださったいろいろな人からも学びました。救いはイエス様以外にないことを確信しました。イエス様なしの人生は考えられません。ものすごい恵みであり希望であり本物の宝なのです。すべての人に気付いてほしいものです。

私にとっては恩師となる、もとヤクザの親分であった牧師から継承したものは、このアブラハムの時代からずっと継承されてきている「インマヌエル」信仰です。インマヌエルとは、神様が一緒にいることを知った生き方です。そして私も、家族にはもちろんですが関わる人に継承していきたいものです。継承下手な私だからこそ、用いられる方法で継承していくことができますように。このことを教会も私も忘れることがないように助けてください。

それぞれの気づきが豊かにありますように。ぜひ教会に足をお運びください。皆様の上に主の祝福(インマヌエル)が豊かに豊かに豊かにありますように。

【板橋教会】・・・本日は、2015年5回目の礼拝です。礼拝前に子ども会、聖書教育の時があります。新保牧師はリハビリ継続中ですが、2月から宣教されています。感謝します。またわたなべ兄は先月末から放射線治療のため入院しています。共に主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかじま兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主


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