2014.9.28 きんたメール第421号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「祝福・・・」
敬愛する皆さま 寒暖の差があります。どうぞ、ご自愛くださいますように。皆様の上に主の祝福が豊かにありますように。
さて、今回は「幸せ」についてご一緒に考えてみたいと思います。聖イエス会のチラシに以下のようなことが書かれていましたのでご紹介します。
私たちは誰でも「幸せになりたい」と願っています。でも、普段、私たちが言っている「幸せ」(happiness:ハピネス)は、「運、つき、たまたま、偶然」という意味の言葉からできていることもあって、偶然、今は仕事が順調なので幸せですとか、今はたまたま健康なので幸せですとか、今は親子関係が良好なので、または私たちは夫婦円満なので幸せです・・・・・と言われるように、「幸せ」とは、とても「不確かな幸せ」感のことを言っています。
だから、仕事がなくなればもう「幸せ」気分ではいられなくなりますし、病気になれば、「幸せ」だと思っていた人生は消えていってしまう・・・・・。そのような、「不確かな幸せ」を実は私たちは求めてきたように思うのです。
けれども、聖書が語りかける「幸せ」は、病気になったとしても、また失業や人生の挫折という様々な試練に直面するようなことがあったとしても、「奪われることのない心の平和」、「天からの慰め」と「消えることのない希望」を伴うものです。聖書ではこれを「祝福」(blessing:ブレッシング)と言っています。
このような、事情・環境によって変化しない、「本当の幸せ」、「神さまの祝福に満ちた人生」というものを、わたしたちは必要としているのではないでしょうか。そしてこの「祝福」をプレゼントしてくださるのが、真の神さまである主イエス様です。アーメン(「そのとおりです」の意)。とてもわかりやすいのではないでしょうか。
私たちは、あれば幸せ、なければ幸せではなくなるというような不確かな「幸せ」観に影響されやすいものです。だからこそ、不確かな幸せよりも、本当の幸せをこそ求めることが大事になります。心の奥の声に耳を傾ければ、「本当の幸せ」を求めていることがわかります。「本当の幸せ」は、あってもなくても、どんな時も変わらず、愛に満ちた御方が一緒にいてくださるという「祝福」です。教会に行ったことがない人も、ちょっとだけ勇気をもって教会に足をお運びください。あなたの上に神さまの祝福が豊かに豊かに豊かに注がれますように。
すべての教会がそれぞれの賜物を活かしながら相談しやすい教会となっていけますように。イエスさまとの交わりを証しできますように。今週も本当の命のパンであるイエスさまの恵みをいただいて、正しく判断できる知恵で満たしてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は、礼拝後に定例役員会が開かれます。今週は38回目の礼拝です。松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。新保牧師、わたなべ兄、つのえ兄、なかじま兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2014.9.21 きんたメール第420号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「繋がり・・・」
敬愛する皆さま 山口からです。今週は出張で山口県に来ています。まだまだ不安定な天候やテング熱感染症も拡大しています。また寒暖の差があります。どうぞ、ご自愛くださいますように。
さて、めずらしいことに今月2回目となる休日出勤ですが、仕事とは言え、早朝礼拝には参加したいと主に願いました。そこで山口県にて仕事のために、山口市にあるキリスト教会に、早朝礼拝をしているか、してもらえるかを確認するために連絡しました。もちろんバプテスト連盟の教会から連絡したのですが、繋がりませんでした。次に日本基督教団の教会も繋がらず、福音派の教会も繋がらず、4教会連続して連絡しましたが繋がりませんでした。とにかく繋がったところに導いてくださることを信じ、5教会目に連絡したところ、主は聖イエス会山口教会へと繋がり導いてくだいました。しかも早朝礼拝はしていないにも関わらず、わざわざ早朝礼拝をしてくださることになり、時間 も合わせてくださり、ご一緒に主を賛美しましょう 。と大変喜んでくださいましたので、心から主に感謝し、聖イエス会の教会の伝道師の方に感謝を伝え、参加させてもらう約束をしました。
しかし繋がったとはいえ、私は聖イエス会を知りませんでしたので、ネットで調べてみました。日本ホーリネス教団から、中国の瀋陽に派遣されていた大槻武二伝道師が、中国でのリバイバル運動が起きたあと、日本に戻り超教派の伝道活動に従事していましたが、その後、主の御名によって1946年に聖イエス会発会へと導かれたことが書かれていました。現在全国に102教会、約5000人の信徒がいる組織とのことです。そして山口教会は15人くらいの小さな教会ということでした。
主の導きに感謝します。私の奥さんは中国の瀋陽出身ですが、瀋陽で主に出会いクリスチャンになっています。これも不思議な繋がりです。このような機会がない限り、出会うこともありませんが、主によって与えられた交わりを感謝し、共に主を賛美したいと心から願っています。
「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」 マタイによる福音書24章 42節
いつ、声がかかるのかわかりませんが、見える声も見えない声にも、私自身が目を覚ましていられるようにと、そして同じように、聖イエス会の山口教会のように、すべての教会が目を覚まして、主の御名によって繋がる教会となりますようにと祈ります。
皆さまお一人ひとりの上に主の祝福が豊かに注がれますように。すべての教会がそれぞれの賜物を活かしながら相談しやすい教会となっていけますように。イエスさまとの交わりを証しできますように。今週も本当の命のパンであるイエスさまの恵みをいただいて、正しく判断できる知恵で満たしてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は、礼拝後に分かち合いの時があります。今週は37回目の礼拝です。●松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。新保牧師、わたなべ兄、つのえ兄、なかじま兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。板橋キリスト教会ホームページ ⇒ http://itabashi-church.net/
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2014.9.14 きんたメール第419号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。※今週の週報添付します。
「チャレンジャー・・・」
敬愛する皆さま 板橋からです。3連休で帰京しています。先週は土日も仕事だったため、福岡新生キリスト教会の早朝礼拝に参加させていただきました。感謝です。日曜日にお仕事される場合は早朝礼拝に参加されることをおススメします。週のはじめに主を賛美することからスタートできることで、曜日感覚も確かとされて過ごすことができました。精神的には緊張が続いていましたので、休みがないと疲れますが、帰京できること、そして久しぶりに息子とサッカーができましたので、元気をもらい、よい汗をかくことができました。体を動かすと気持ちが良いですね。それから最近は不安定な天候やテング熱の感染症も拡大しています。どうぞ、ご自愛くださいますように。
さて、自信を持てない人が増えているというお話を聞いたことがあります。自信とは、自分を信じることですよね。つまり自分自身との関係がよいことになります。だから自信がないということは、自分を信じることができない、自分自身に対して信頼することができないということになります。この状態から救われたいという心の叫びがあちらこちらから聞こえてくるし、わたしも、その一人です。
あくまで個人的な見解ですが、自信をもっている人の共通点は、意思が固いことです。良いと判断していることは、どんなことがあっても貫く意思が豊かにされています。それで、結果的に心によいことを目指そうとするので、信頼できるようになり、自信がもてるようになるのだろうと思います。その逆に意思がなくて、何かちょっとのことでグラグラして迷ってしまうことを繰り返すと、ますます自信がもてないようになるのです。では、どうすればよいのでしょうか。
自分との関係をよくしていけば良いので、自分の気持ちを理解しながらもいつもと反対のことにチャレンジしてみると新たな発見があると思います。たとえば面倒くさいと思うときこそ、あえて喜んでやってみる。損してるように思うときこそ、喜んで損してみる。嫌だなと思うときこそ、誠実に一生懸命やってみる。向き合いたくない時こそ、謙虚に向き合っていく。その他、自分にとって都合の悪いことに直面したときこそ、いつもと逆のことをしてみる。どれも、これも負荷がかかるようなことばかりです。無理な場合は無理しないでください。ちなみに体を鍛えるときは、筋肉に負荷をかけることで、筋肉が発達するように、ほどよい負荷は「自信」を成長させるのです。気持ち的には楽な方を選びたくなるけど、あえて狭い門から入ってみる。そのときに自分の「意思」が必要になるのです。
また神さまは、意思のないこんな自分でも赦してくださること、愛してくださることを知ると、主にしてもらったことと同じことを自分にもしてみる。そうすると、今まで自信のない自分が嫌いだったけど、そんな自分の気持ちを理解して、赦し、愛する生き方をする新しい自分が生まれます。抱えているものも、重みもそれぞれ違いますが、チャレンジする権利はすべての人に与えられているのです。わたしも、チャレンジャーの一人です。チャレンジャー求む。
皆さまお一人ひとりの上に主の祝福が豊かに注がれますように。すべての教会がそれぞれの賜物を活かしながら相談しやすい教会となっていけますように。イエスさまとの交わりを証しできますように。今週も本当の命のパンであるイエスさまの恵みをいただいて、正しく判断できる知恵で満たしてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は、手話教室、恵み会。今週は36回目の礼拝です。●松田兄のご遺族の上に主の慰めが共にありますように。新保牧師、わたなべ兄、つのえ兄、なかじま兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。板橋キリスト教会ホームページ ⇒ http://itabashi-church.net/
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2014.9.7 きんたメール第419号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「主に委ねつつ期待しつつ・・・」
敬愛する皆さま 福岡からです。9月の月日も主が共にいてくださいますように。お一人ひとりを祝福してください。癒しが必要な人には癒しを、慰めが必要な人には慰めを、それぞれに必要を満たしてください。そして、どんな時も正しく判断することのできる知恵を与えてください。また不安定な天候が続いています。どうぞご自愛くださいますように。
さて、板橋キリスト教会のビジョンである「休まれる教会」が白紙となって5か月になります。今のところ新たに「ビジョン」について考えることはせずに、ビジョンは持たずに今のままで行くことになりました。なぜかと言えば、今までいろいろな組織のいろいろなルールによって、傷ついたり、息が詰まる思いをしてきた人にとっては、ビジョンという目標をもつことは、圧迫されるような負荷を感じたり、足枷に感じる人もいるため、そういったことが取り去られて安心できる居場所が必要となるからです。
そういう意味では、心が傷ついている人や、人付き合いが苦手な人にきてほしい教会と言うことができます。そのような人が安心してこれる教会。こういった考え方はすごくよいことですので、ここまでは一致ができるのです。ここから先に進むために、もしそのような教会を目指すとするならば、そういったことに対応できる体制を整えていく必要がでてきますから、そのために何をしていけばいいのかを考えて、行動するための目標をたてる必要がでてくるのです。ところが、それをしてしまうと、また足枷が生まれるので安心できなくなってしまう。ということになるわけです。
そういうわけで、そのような繰り返しで先に進めないという状況が続くのですが、それでよいと言うことになります。これは一体どういうことなのでしょうか。体制が整わなければ、そのように傷ついた人が教会に来たとしても、対応できないことになります。それでもその人はまた来たいと思うのでしょうか。それとも傷ついた人が来れば、あとは主が成されるとして、体制を整えない方がいいのでしょうか。「教会がその人を受け入れていくのか」、「来た人が教会を受け入れていくのか」、どちらも必要だし、その時々でまちまちなのでしょうが、そのために目標を定めるか定めないか。そこが考え方として、相違するところになるのです。
従って、何とか打破したいと思いますが、打破したいということにアレルギー反応がでるため、そのままで本当に良い方向に進めるのかと心配になるのです。しかし、打破したいことにアレルギー反応が出るのではなく、負荷をかけるような提案をする私自身にアレルギーがでることがわかってきましたので、いろいろと悩んだ結果、今期は自分の責務を果たして、次期からは副牧師を退任することになりました。そうしたら不思議なことに、教会員の皆さま一人ひとりの意識に変化が出てきて、話し合いも活発になり、行動にも変化が出てきたのです。足枷がはずれたからなのか、主がお一人ひとりに働かれたからなのか、もちろん主がそれぞれの中で働かれておられるのですから、主に委ねつつ、期待しつつ、板橋キリスト教会の目指すべき道が祝福されますように祈り続けていきます。どうぞ、覚えてお祈りください。
皆さまお一人ひとりの上に主の祝福が豊かに注がれますように。すべての教会がそれぞれの賜物を活かしながら相談しやすい教会となっていけますように。イエスさまとの交わりを証しできますように。今週も本当の命のパンであるイエスさまの恵みをいただいて、正しく判断できる知恵で満たしてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は、聖餐式・バイブルクラス・映画会があります。今週は35回目の礼拝です。●松田兄のご遺族の上に主の慰めが共にありますように。新保牧師、わたなべ兄、つのえ兄、なかじま兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2014.8.31 きんたメール第418号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「人生の管理人・・・」
敬愛する皆さま 福岡からです。引き続き、広島での土砂災害で被害に遭われた方々の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように覚えてお祈りください。不安定な天候です。皆様も、どうぞご自愛くださいますように。
さて、先日、ある方から聖書の中で、不正をした人のことをイエス様がほめる話があったが、どういうことなの? という問いがありました。 そこで、以下ルカによる福音書16章1〜13節に「不正な管理人」のたとえ について一緒に考えました。
【イエスは弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。」(ルカ16:1〜8)】
内容は、主人の財産の管理人のお話です。この管理人は主人の財産を無駄遣いしていたことを咎められました。そこで、主人に解雇されても、生きれるように、今度は他人のために、主人に借金している人々の負債を減らすことをしたのです。普通に考えたらとんでもないことです。しかし、主人はこのやり方をほめたのです。では何で主人はほめたのでしょうか?
もちろん、不正をほめているわけではありません。むしろ不正をしている管理人は絶対絶命の状況です。もしこの管理人が自分だったらどうするでしょうか。素直に謝るでしょうか、無駄遣いはしていないと嘘をつくでしょうか。それとも、他に何かすべきことがあるのでしょうか。この不正な管理人がとった行動は、仲間の負債を減らすことでした。もちろん動機は不純かもしれません。しかし、この抜け目のないやり方を主人は怒るのではなくほめたのです。
ここで思うことは、与えられているものの「遣い方」についてです。どこに心を置いて遣うのか。心の遣い方は管理人に任せられていました。いっぱいいっぱいになって、右往左往してしまうような中に置かれても、心の遣い方は自由なのです。そして、ここに登場します主人は、与えられたものを、他人を救うために使うならば、損をしても喜ばれる御方であるということです。だから、そのために知恵を遣うことが大切だと言うことです。そして何よりも「正義」と「十字架の愛」に満ちた主人がいることは、なんと幸せなことでしょうか。でも、間違いに気付いたら謝らなくてもよい、ということではありません。きちんと謝りましょう。過ちに気づいたら心から反省することは大切なことです。
視点によって解釈は様々でしょうが、共通してるのは、私たち一人ひとりは、主人から与えられています「人生」という財産の管理人です。与えられているものを、どこに心を置いて遣うのか、を考えさせられる「たとえ」ではないかと思います。何を基準に判断していいのかわからない人や心の遣い方を修正したいと思われる人の上に、主の豊かな知恵と恵みが共に注がれますようにお祈りします。聖書には「生きるための知恵」がたっぷり詰まっています。どうぞ、お近くの教会に足を運んでみてくださいね。一緒に学び続けていきましょう。
皆さまお一人ひとりの上に主の祝福が豊かに注がれますように。すべての教会がそれぞれの賜物を活かしながら相談しやすい教会となっていけますように。イエスさまとの交わりを証しできますように。今週も本当の命のパンであるイエスさまの恵みをいただいて、正しく判断できる知恵で満たしてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は、定例役員会・トラクト配布があります。今週は34回目の礼拝です。●松田兄のご遺族の上に主の慰めが共にありますように。新保牧師、わたなべ兄、つのえ兄、なかじま兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主