2015.5.31きんたメール第454号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「ダイバーシティー(多様性)・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。いつも、ありがとうございます。先日全国的に地震がありました。どうぞ、ご自愛くださいますように。皆さまの上に主の平安が共にありますように。
さて、今、世界基準で取り組もうとしている日本の企業はダイバーシティー(多様性)という考え方を推進しています。違いを認め合い、活かし合うために、性別、年齢、国籍、障害、価値観、生い立ち、性格など内外面の違いを差別するものではなく、認め合って、共に成長していくことで、あらゆる状況や環境に対応していこうとするものです。
目標をかかげることは簡単ですが、実行することは難しいので、そのためにプロジェクトを立ち上げて、必要な学びをしたり話し合いをしたりしながら、それぞれが理解を深めていけるようにしています。こういった姿勢はとても大事になります。
そもそも教会はダイバーシティー(多様性)のお手本となるべきところです。もちろん、お手本となるべく教会もあります。しかし、実際はまだまだ少ないように思います。だから、教会に相談しにいくよりも、違うところに相談に行ってしまう現実があるのです。
主の十字架と愛(福音)を伝えるためには、パウロのように柔軟性が求められるのでしょう。
「また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。」コリント一9: 21
これは、救われた人が、求めているときの気持ちを忘れないようすることと、求めている人の気持ちに寄り添うことを意味しています。
ダイバーシティー(多様性)は当たり前のことなので、私たちにすれば、違いを感じたら、学ぶ機会を得たということになりますし、理解するためのはじまりとなるのです。対応しきれない場合は、守秘義務を守りながら、課題とそこにある気持ちの共有をしながら、「自分はどう考えるか」を深めていければ、みんなで成長していけるのだと思います。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年20回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.5.24きんたメール第453号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「祝ペンテコステ2015 ・・・」
敬愛する皆様、板橋からです。いつも、ありがとうございます。季節の変わり目です。寒暖の差もありますので、どうぞ、ご自愛くださいますように。今週はペンテコステです。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」使徒言行録2:1~4
イエスさまは十字架に架けられて殺されましたが、3日目に復活され、弟子たちはこのペンテコステまでの50日の間に、生きて働く神さまのたくさんの恵みを体験しました。
閉じていた門が開いたように、閉じこもっていた弟子たちは新しい力を受けて外に向かって福音が届けられるようになりました。生きて働く主が共にある。ここから教会がはじまっています。
「違う」ことが隔たりとなって、互いに言葉が通じない社会の中で、「違う」ことを認め合い、それぞれどの人にも通じる言葉が与えられました。そのようにして世界の人びとが福音を自分の理解できる言葉で聞くようになりました。
体の部分が「違う」のは、それぞれが補い合うことで、一つ体となるように、教会も私たちも、与えられた場所で神さまに感謝して人や繋がりを大事にする使命や目的を常に確認していく必要があります。
それぞれが、今置かれている閉じこもっていた場所の門が開かれて新しくはじまりますように祈ります。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ペンテコステのときを覚えて、ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年20 回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.5.17きんたメール第452号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「『聴す』、何てよむの?・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。いつも、ありがとうございます。季節の変わり目です。寒暖の差もありますので、どうぞ、ご自愛くださいますように。次週はペンテコステです。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。
さて、私は「聴く」ことを通してイエスさまをお伝えしたいという使命が与えられて、気が付けば20年、電話で聴くことを続けさせていただくことができました。聞くことは簡単でも、聴くことは難しいので、失敗を繰り返してはいますが、こらからも学び続けながら、出来る限り継続して聴く人を目指していきたいと願っています。
そのために定期的に研修を受けています。先週は13日の水曜日の夜、「いっしょにやる、ということ」をテーマに研修に参加させていただきました。その研修の最初に「聴す」この読み方を知っていますか。ということからスタートしました。
「傾聴」の「聴」に「く」は、「きく」と言うことはわかります。しかし、「聴す」をなんて読むのでしょうか、もちろん、「きす」でも、「ちょうす」でもありません。「傾聴」の土台になるものです。
答えは、「聴す」(ゆるす)です。
これは、その人の性格や考え方や成果や見た目ではなく、存在そのものを受け容れることになります。
だから、口を紡ぐ時、こんなこと言ったら、怒られるとか、許されないと思うから言うことができなくなりますし、人の話を聞こうとしない時は、許せない、許していないということにもなります。
「聴す」(ゆるす)の本質は、相手の存在そのものを肯定することです。土台には、イエスさまの十字架の愛があるのです。聴いてもらうことで、心に抱えている重い荷物がおろせるのです。
だから、私の場合は、イエス様に聴いてもらい、救われたからこそ、同じように聴くことを通してイエスさまの愛を伝えたいのです。それでも、聴けないときもあります。失敗を繰り返しながら気付くのは、聴くことが適ったときは、自分の力ではなく、神様から与えられている恵みであるということです。だから、聴く前にイエス様が聴いてくださいと祈ります。そんなわけで「聴く」ことに関心をもつ人が増えますようにと心から祈ります。
「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。」ヤコブの手紙1:19
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ペンテコステに向けて、ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年19回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.5.10きんたメール第451号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「木と枝の関係・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。母の日ですね。母に感謝します。いつも、ありがとうございます。母の愛は、木に繋がっている枝に、絶え間なく栄養(愛)を与えるようものと言えます。そのような母の思いをご存知の主に心から感謝します。すべての母の上に主の祝福が豊かにありますように。
さて、以前にも「心の絆創膏」の貼り方を書いたことがあります。自分で自分をケアする方法のことです。基本的には、足を骨折してる人に対して対応することと同じことを自分にすればよいのです。
どういうことかと言うと、普通に考えて、足を骨折している人に走れとは言いません。必要なのは、「手当て」と「支え」に加えて「共感」です。共感とは痛い、つらい、苦しい、どうしていいのかわからない、不安など、その人が置かれた状況の中で湧き出る気持ちを理解することです。「痛かったね」、「一人で抱えて苦しかったでしょう」。と枝を切らずに必要(栄養)を届けるように自分で自分に声をかけることが絆創膏を貼ることになります。(自分ともう一人の自分との関係は、神さまと私の関係に繋がります)
骨折している人に走れということは、木から枝を切るようなことと同じです。枝は栄養を得ることができないと枯れてしまいます。つまり、自分で自分を虐げたり、嫌ったりすれば、誰だって心は枯れてしまうのです。枝に必要なのは栄養です。
このことをイエス様は教えてくださいます。私たちも主につながることで栄養を受けるのです。そして、自分に対しても人に対しても主がしてくださったように、同じことをするだけでよいのです。母の愛の本質を通して私たちが身をもって学ぶことです。
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」 ヨハネ15:4〜5
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ペンテコステに向けて、ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年18回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に交わりと語らいの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.5.3 きんたメール第450号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「赦しの力・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。板橋からです。ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。休みの方々も、そうでない方々の上にも主の祝福が豊かにありますように。
帰京し、久しぶりに昔の仲間と会食しました。近況報告と昔話や今後の夢などに花が咲いて、あっと言う間に時間が経ってしまいました。友達のありがたみを改めて感じています。
さて、現代病である「鬱」になる人も多くいます。私も「鬱」持ちの鬱経験者ですが、「鬱」を「うっちゃん」と友達のように呼んでいます。個人的な見解ですが、「鬱」は自分との関係がうまくいかないときに発生する症状です。背景的には、思い通りにうまくいかない、失敗した、関係が悪化した、孤立してしまったなどなど、そういった何らかの要因で、そんな「自分を赦せない」状態が続くと発生すると思います。つまり、自分が嫌い、情けない自分、弱い自分を排除したい、と、自分との関係がうまくいかない状態になっています。またはこんな風になったのは相手のせいだとすることもあります。
しかし、その状態が「不自由」になるため非常に苦しい。それで自暴自棄になり、お酒に走ったり、快楽に走ったり、とにかく逃避するもの向かおうとしてしまうのです。
それで、鬱の根本のところに目を向けると、自分で自分に何をしているのかと言うと、弱さを排除しようとすることで楽になろうとしています。まるで弱さを排除することが強いと勘ちがいしています。(イエスさまを十字架にかけることと同じです。)
本当の強さは、「弱さを受け容れること」(イエスさまが十字架に架かられる姿と同じ)です。その状態を嫌がらないで誠実に向き合うのです。これは大変難しいことです。できれば誰も苦しまないでしょう。でも、実際は知らない人が多いのです。
不自由な状態の時に、そこに目を向けることは難しいことです。向き合うなんてありえないこと、無理なことだと思っているからです。選択肢にさえ入っていないでしょう。でも、今まで何をしてもよくならなかったのですから、今までと違う選択をしていくことも大事です。だから、あえて向き合ってみればいいのです。ろくに話も聴かず、すぐ薬を出してしまう医者が多いのは残念ですが、本当に頼るべきは、神さましかいません。そんな私のために十字架にかかってくださった御方です。そこで教えられることは「赦し」です。
「赦し」にはすごい力があります。自分の中のもう一人の自分(弱い状態の自分=イエスさまの姿)に対して、裁いて追い出したら、それは苦しいだけです。しかし、なぜ、そこまで追い詰められてしまったのか、そのことで、どれだけ苦しんできたのかを理解し、受け止められたら、救われます。神さまが赦してくださったのだから、私が赦さなかったら、神さまに対して失礼になります。でも、難しいことなので神さまに祈り求めていくのです。求めれば与えられるからです。
「赦し」は「不自由」から「不」がはずされます。自分との関係改善になるすごい力です。鬱(うっちゃん)と友達になる、という、ありえないような選択をする「自由」も与えられます。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ペンテコステに向けて、ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年17回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後にバイブルクラス、映画会があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は放射線治療を終了し一時退院されましたが、状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主