2015.10.18きんたメール第474号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「当たり前・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。すっかり肌寒い気候になってまいりました。体調の変化もでやすい時期です。どうぞご自愛くださいますように。皆様の上に主の祝福が豊かに注がれますように。
さて、東京に戻ってきて「1か月ちょい」となりました。通勤通学で息子と同じ方面ですから、朝一緒に電車に乗ります。途中まで「一緒に行くこと」ができます。とても「幸せな時間」です。周りから見れば、なんてことのない光景ですが、この「なんてことのない光景」は単身赴任を経験できたことで「尊いもの」であることに気づかされます。
私たちの日常の「当たり前」のようなこと。これはすごく「幸せなこと」なのだろうと思います。何気ない普段の「当たり前」が「当たり前」でなくなった時に、「当たり前」だと思っていたことは「当たり前」ではなく「価値のあること」がハッキリわかります。お金では買えない尊いものなのです。
でも、不思議なことに、しばらくすると、いつのまにか「当たり前」という「思い」が浸透してきて「感謝の感覚」を麻痺させて眠ってしまいます。
「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」ペトロの手紙一5:8
それだけ目を覚ましていることは難しいことでもあります。ゆえに私たちは「十字架の主」にこそ目を向ける心(神の武具:エフェソ6:11)が大事なのです。主が一緒にいてくださる人生は幸せです。何よりも高価な宝物を発見したようなものです。「当たり前」ではないのです。だから感謝する「心」、正しく判断できる「知恵」、どのような時も「誠実さ」を求め続けることができますように。そのために御声に「聴く耳」を豊かに与えてくださいますように祈り合いましょう。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ、教会にお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年41回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。新保牧師、わたなべ兄の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。たなか兄の働きを祝してください。またふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
すように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.10.11きんたメール第473号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「朽ちない冠・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。秋らしい気候になってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋と過ごしやすい時期ではありますが、昼夜寒暖の差もあります。どうぞご自愛くださいますように。皆様の上に主の祝福が豊かに注がれますように。
さて、先日は息子の小学校の運動会があり応援に行ってきました。天気は曇りでしたが、子供たちが一生懸命競技をする姿勢は応援する声と熱気を誘います。徒競走や騎馬戦などいろいろな競技があり、合間には親の玉入れや綱引きもありますが、やはり一番盛り上がるのがクライマックスのクラス対抗リレー。ちょっとしたことで順位が入れ替わり、ハラハラドキドキで応援は過熱します。
そんな状況の中で自分のせいで負けてしまったと、悔しそうに泣いている子もいます。それくらい一生懸命だったのです。競技となると当然「勝つこと」が目的の一つにあります。ルールを決めて競い合うわけですから、栄冠を手にするのは一人になります。
聖書にも同じようなことが書いてあります。
「競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい」(一コリント9:24)
それも、朽ちる冠ではなく「朽ちない冠」を得るためにと書かれています。(9:25)競技場で走って勝つのは一人だけど、この賞はやがて過去の栄光として朽ちてしまうものです。
そのような朽ちる冠に目が奪われてしまいやすいわけですが、私たちは「イエス様から目を離さないで生きる」ことこそが大事だと言われています。それほど、私たちは置かれた環境に支配されやすいし、困難があるとすぐに縛られてしまいやすいため、イエス様をすぐに見失ってしまうのです。
朽ちない冠を得るには、イエス様だけをいつも求め続けていくことです。途中いろいろな困難があって、イエス様を忘れてしまうことがあるかもしれません。だから「十字架の愛」を土台に据えていけますように求めて祈り続けていきましょう。礼拝や交わりを通して気付かされますし、競技に参加している人の一生懸命な姿に学びながら、同じようにイエス様を求めていけますように祈り合いましょう。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ、教会にお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年40回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に交わりの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。新保牧師、わたなべ兄の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。またふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。たなか兄の働きを祝してください。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.10.4きんたメール第472号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「まず心を向けるところは・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。10月に入りました。10月の月日も主が共にいてくださいますように。寒暖の差が大きくなっていますので、どうぞご自愛くださいますように。皆様の上に主の祝福が豊かに注がれますように。
さて、今回は月2回行われている志村カトリック教会の聖書クラスに参加させていただきました。聖書箇所はハガイ2章で、背景としてはバビロン捕囚から帰還し、神殿再建工事をはじめるけども、先住民(サマリヤ)との対立や妨害に加えて経済的な困窮から工事が頓挫する状況の中、やがて神殿再建よりも各々「自分の家のことが整ってから神さまのことを考える」みたいな状態に陥っていた。
そういった状態を諭すように、「聖」と「汚れ」の対比から、聖なるものがほかのものにふれたとして、それが「聖化」されることはないものの、汚れたものが、ほかのものに触れた場合には、それが「汚れる」ということが書かれており、イスラエルの民(私たち自身)がまさにそのようだと、本来の目的や使命を見失いつつあることに気づきを与えようとしており、目を覚まさせるような投げかけをしている。
主に礼拝する場所(神殿)はとても大事なことで、賛美と感謝と祈りを献げることの大切さを思わされる。それぞれの中の土台である神殿建築、神殿再建はとても大事なことだと感じました。とにかく自分のことだけに心が向きやすい自分自身の姿と重ねてみることができるので、聖書から聴くことはとても有意義な心の食事です。
私はほかのものを聖化することはできませんが、この御方に触れると聖化されることは知っています。この御方こそ、すべての人に知ってもらいたい救い主イエスさまです。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ、教会にお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年39回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後にバイブルクラスがあります。礼拝と交わりが祝されますように。新保牧師、わたなべ兄の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。またふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。たなか兄の働きを祝してください。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
2015.9.27きんたメール第471号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「信じる心・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。9月も最終日曜日となりました。9月の月日を護られましたことに感謝します。私たち一人ひとりのために主が十字架にかかられましたから心から感謝します。
さて、イエスさまが「天の国のたとえ」(マタイ25章)を話された聖書の箇所を、御茶ノ水キリストの教会にて聖書の学びがありましたので参加してきました。
天の国に入るためのことが「たとえ」で書かれています。でも、わたしたちはそれがいつ来るのかわかりません。だから「目を覚ましていなさい」と言われます。よくわかりません。それで「十人のおとめ」のたとえから学んだことを共有します。答えはズバリ「信じる」ことだけです。何を信じるのかと言うと、「イエスさまを信じる」ことです。
マタイ25章 1〜10節
1:「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。2:そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3:愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。4:賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。5:ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。6:真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。7:そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。8:愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』9:賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 10:愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
油がなくなってしまったおとめたちは、どうしたでしょうか。この油は「信仰」のことです。「信仰」は買いにいくことも、借りることもできないものです。自分自身が信じるか信じないかだからです。いくら、「自分の親、兄弟姉妹、友人が信じていました」と言っても、そのことを問われているのではなく、わたし(あなた)自身の「信仰」はどうですか、ともし火の油は備えていますかと問われているのです。
賢いおとめでも寝てしまうものです。私たちは不完全ですから、完璧にはできませんが、どう生きようとするかは自分で決めることが赦されています。ただ賢いおとめは「イエスさまだけを信じる」ともし火をともす油(信仰)があっただけです。「主を信じる心」をいつも祈り求めていきましょう。これは自分の力ではどうすることもできません。救いはイエスさま以外にありません。そのような学びをさせていただきました。感謝します。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ、教会にお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年38回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後にコーヒータイムがあります。礼拝と交わりが祝されますように。新保牧師、わたなべ兄の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。またふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。たなか兄の働きを祝してください。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
「戦争はしない・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。安全保障関連法が、強引に可決されましたが、逆に不信を増長させています。国民の関心度も高まってきていますので、それぞれが「平和について」考える時となりますように。
世界の中での日本の在り方は、「戦争はしない」姿勢を強調し、どれだけ戦争が悲惨なものかを訴えながら、世界に「平和」を発信することが日本の在り方であり、被爆国として「使命」だと理解しています。だから憲法9条はどんなことがあっても変えてはならないものです。
しかし、このような形で憲法の解釈をかえてしまうと、また時代が変わったり、状況が変わったりなどの理由で、解釈を変えることができしまうという前例によって、平和のためにと言いながら戦争できる国を目指すような「言行不一致」がまかり通るようで悲しくなります。
日本は戦争をしない国なのです。この土台の上に日本という家をたてたのですから、この土台がすり替えられることがないようにお守り下さい。すべての国が戦争を放棄する時代が来ますように。そのために日本の使命は本当に重要であることを忘れることがありませんように。どうか覚えてお祈りください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ、教会にお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年37回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。新保牧師、わたなべ兄の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。またふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝してください。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。たなか兄の働きを祝してください。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主