2018.3.18きんたメール第600号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「神さまの愛は・・・」〜弱さの中で輝く恵み〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。今日も1日主が共にいてくださいますように。
さて、イースター(今年は4月1日)までもう少しですね。厳しい冬が終わり、いのち躍動するあたたかい春が来るように、皆さんの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。
私たちは人生の冬を過ごすことが定められています。なぜなら「冬」を知るからこそ「春」の喜びを知るのです。「暗闇」を知るからこそ「光」の有難さを知るように、相対するものがあることで、私たちは理解することができるのです。
神さまの愛は、私たちの救いです。そのために身代わりとなって十字架に架かられたイエスさまが復活されたことは、「絶望」から「希望」に変えられたすごい恵みであり喜びです。
神さまの愛は、そのためにイエスさまがどれだけ苦しまれたのか、どれだけの痛みを負ってくださったのか、見る影もないほどの姿になってまで、愛を全うして全ての罪を負ってくださいました。
見る影もないほどの姿に目を向ける。目を覆いたくなるようなことなので、普通に見たくないと思いますし、私たちが受け入れたくないものが自分が「みじめ」になることです。しかし、不思議なことに、その弱さの中に神さまの恵みが輝いているのです。
神さまの愛にふれることは、自分の弱さやみじめさも含めて受け止める力に成長していくのです。なぜなら神さまの愛が自分の弱さもみじめさも受け入れてくださったように、同じように受け入れていく力になっていくからです。主が一緒にいてくださるからです。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」コリント二12:9〜10
十字架の愛が私たちの心の土台となりますように。そのためにいつも、覚えて過ごすことができますように。特にイースターの時まで主の受難を覚えてまいりましょう。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。
祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2018.3.11きんたメール第599号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「心の支えになったもの・・・」〜東日本大震災から7年〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。今日も1日主が共にいてくださいますように。
さて、東日本大震災3.11からちょうど7年が経ちました。あちらこちらで覚えて黙祷がささげられています。被災されましたお一人ひとりの上に、癒し、平安、物資など必要を与えてくださいましたあらゆる働きに感謝します。風化しないようにするのは、同じような時に正しく対処する知恵になるからです。
一番大事なことは、どうにもならないような状況の中で、心の支えになったものは「つながり」や「思いやり」という温かい気持ちでした。そのような「思いやりの種」がやがて芽をだして溢れるように拡がっていくことも確認できましたが、逆に心ない行為によって、傷つくことも確認できました。
神さまに心を向けるとき、私たちは正しく判断する知恵を見つけることができますが、そうではないときは、大事なことが見えなくなってしまうのでしょう。そのような状態のときに目を開かせるのも、やはり温かい気持ちだけのようです。
どのような時も、神さまに心を向けることが大事であることがわかります。十字架に架かられた主は、ご自分の痛みや苦しみよりも、神さまを忘れた人を心配され、その人たちの目が開かれるようにと身代わりになってまで愛し抜かれた御方です。
「あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。」ローマ11:30〜32
十字架の愛が私たちの心の土台となりますように。そのためにいつも、覚えて過ごすことができますように。特にイースターの時まで主の受難を覚えてまいりましょう。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。
祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2018.3.4きんたメール第598号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「弱くても強い・・・」〜主が一緒にいてくださるから〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。今日も1日主が共にいてくださいますように。
さて、ものすごく不器用ですが、まっすぐで能力のある人が、ある時、心が疲弊して10年間動けなくなりました。その人にとってはとてもきつい時間でしたが必要な時間でもありました。しかし周りからは、その10年が逆に弱さのレッテルとされて、さらに追い打ちにあっているのでした。
日本の多くの組織は、組織の色に染まれる人が優遇され、能力が高くても異色の人には、よくわからない理由を正当化して出る杭はたたくようなことをします。色々な色があるから可能性も広がるのに同じ色しか駄目みたいな暗黙の基準で従わせようとします。当時のユダヤの議会もそうでしたが、神さまのご計画よりも自分の都合が優先している姿が浮き彫りにされています。
しかし、そこで打ちたたかれて、十字架にかけられて倒れたとしても、立ち上がる力(復活された主)が共にいてくださるのです。だから、気付いてほしいのです。本質を見れば、乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、見えない根が養分を求めて伸びていたことを。そして耐え難いような痛みと苦しみの中で、養われてきたからこそ磨かれている素材となることを。
つまり、この人の10年は無駄な時間ではなく、人として深みが増すための時間だったのです。主の愛こそが救いであり、主が一緒にいることで安らげる恵みを知った人は幸いです。痛みを負った人は、痛みを負った人の立場に立つことができるので、主の愛によって豊かに用いられるのです。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」マタイ11:28〜30
十字架の愛が私たちの心の土台となるように。そのためにいつも、覚えて過ごすことができますように。特にイースターの時まで主の受難を覚えてまいりましょう。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。行事予定:3/25受難週、3/30受難日、4/1復活祭(イースター)、5/10昇天日、5/20聖霊降臨日(ペンテコステ)
祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2018.2.25きんたメール第597号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「へりくだるという選択・・・」〜不自由から自由へ〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。今日も1日主が共にいてくださいますように。
さて、私たちは自分ではどうにもならないほど弱っている時、その時の気持ちに共感してもらえると癒されます。しかし、見下されたり、心ない言葉によって、さらに傷つくこともあります。
「心」があるかないか、「いのち」があるかないかで、癒されもするし、傷つくこともあるのではないでしょうか。受け止めて共感してくれるところに「心」や「いのち」を感じるのです。そこに働かれている主を見るのです。
人と人の間にある隔たりを自由に超える「いのち」の源は「十字架の愛」以外にありません。「へりくだる」ことなしに「愛する」ことはできないからです。
自分を高めようとしたくなるのは、自己防衛本能がそうさせるのですが、反面いつも不安であるということをアピールしているようなことです。それだけに囚われてしまうとむしろ不自由になってしまいます。
わたしも自分中心の牢獄にいる一人ですが、そのような自分中心の牢獄から救い出してくださる主によって、へりくだる自由さを学び続けることができるのです。なぜなら神さまの愛によって見える世界が変わり、不自由から自由にされるからです。弱さがなくなるわけではありませんので、弱さに対しても受け入れていく器が拡げられますし、すばらしい宝ものを見つけることができるのです。
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」フィリピ2:3〜8
十字架の愛が私たちの心の土台となるように。そのためにいつも、覚えて過ごすことができますように。特にイースターの時まで主の受難を覚えてまいりましょう。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。
祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2018.2.18きんたメール第596号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「思いもよらない姿となった救い主・・・」〜誰が信じたのでしょうか〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。今日も1日主が共にいてくださいますように。
さて、受難節に入りました。今年のイースターは4月1日です。私たちの目には「思いもよらない姿」となって、「救いを完成」されました主に感謝します。神さまの身分でありながら、何も持たない姿となられて、すべての痛み、すべての病を担ってくださいました。
社会的な力や地位や名誉に頼らず、使わず、ただ神さまの愛を伝えて、実際に愛することを貫き通されました。この姿によって、私たちは本当の愛を知るようにされたのです。
このような御業を誰が信じたのでしょうか。残念なことに誰も信じませんでした。なぜなら私たちは「見た目」に惑わされやすいからです。このように思いもよらない姿となられた主を誰が信じたのでしょうか。誰も信じませんでした。しかし、それは私たちの痛みと病を負うためだったのです。それなのに私たちはそんなことを思わずに神さまを軽蔑し無視していたのです。
主はみんなに虐げられ、見下されました。誰も神さまの御心に目も止めませんでした。わたしたちの弱さをご存知の主は、それにも関わらず、十字架に架けられてまで、すべてを身に引き受けてくださったのです。そのことによって、私たちは目からうろこが落ちるように、見た目ではなく「本物の愛」「本物の赦し」を知ることができたのです。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠しわたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに。わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるの、と。彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」イザヤ53:1〜5
十字架の愛が私たちの心の土台となるように。そのためにいつも、覚えて過ごすことができますように。特にイースターの時まで主の受難を覚えてまいりましょう。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。
祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主