2024.4.21きんたメール第916号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『十字架の愛の秘密・・・』〜変わらない神さまの愛〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。台湾に続いて四国を中心に大きな地震がありました。被災されましたお一人ひとりに主の癒しと温もりで満たされますように。見えないところで、それぞれが抱えています気持ちに寄り添うことができますように。また世界のお一人ひとりが争い合うことから自由にされて、むしろ尊重し合う心を求めることができますように。わたしたちを助けて導いてください。すべてをご存知の主がお一人ひとりに愛を示してくださいますことに感謝いたします。
さて、「十字架の愛の秘密」について、考えてみたいと思います。
まず十字架とは、罪人をはりつけにする刑具のことですよね。当時は罪の代価として処刑の刑具とし使用されていたのです。つまり「救いのない絶望の象徴または代名詞」とも言えます。
しかし絶望の象徴であった十字架を、まったく違う見方に変えてしまったのが、神さまの救いのご計画だったのです。
それだけ、わたしたちの見方、視点は狭いのです。だから視点が変わったり、広がったりするとガラリと受け止め方も変わってしまうのです。大なり小なり、そのような経験をされたことがあるのではないでしょうか。
ここで共有したいポイントは、わたしたちはそれぞれ視点が狭いと言うことです。狭いと表現すると反発したくなりますよね。ごめんなさい。ただ自分にとっては当たり前になっている見方なので、気づかないことが多いのですが、ほかの人と確認し合うと同じものを見ても、感じ方も受け止め方も、そのように感じてしまうそれぞれの背景も全然違うことがわかります。
このように確認し合う場があると自分の視点には限りがあるので、さまざまな視点に出会うと面白いのです。違うと言っても、自己否定するためではありませんし、ほかの人を否定するためでもありません。自分のような見方もできるし、ほかの人の見方に触れて、そんな見方もあるんだと視野が広まると、また新たな見方が養われることを楽しめるようになるからです。尊重し合いながら違いを楽しみたい、視野を広げたいと言う目的があると素敵だと思います。
そう言うわけで、「絶望の象徴」の十字架が、イエスさまによって「愛と希望といのち」の象徴にガラリと変わってしまうように、わたしたちの普段の思いこんでいる見方からも自由にされて楽しめるように心を耕されていきたいと思います。
ゆえに「十字架の秘密」は、わたしたちそれぞれに完全な居場所となる「救い」があるのです。ご一緒に「神さまの愛」を受けていきましょう。あなたは大切な存在です。
「神の愛から私たちを引き離すことができるものは何一つない、と確信しています。死もいのちも、そんなことはできません。天使にもできません。地獄の全勢力が結集しても、神の愛から私たちを遠ざけることはできません。恐れも、不安も同様です。」ローマ人への手紙 8:38 JCB https://bible.com/bible/83/rom.8.38.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.4.14きんたメール第915号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『十字架の愛によって赦された罪人・・・』〜わたしのアイデンティティ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。変化の中にある人も、そうでもない人もおられますが、変化の時は見た目では気づかないストレスがかかっていることがあります。そのように見えないところで、それぞれが抱えています気持ちに寄り添うことができますように、わたしたちを助けて導いてください。すべてをご存知の主がお一人ひとりに愛を示してくださいますことに感謝いたします。
さて、自分のアイデンティティを確認すると、私は十字架の愛によって神の子とされた罪人です。つまり赦された罪人です。
罪人とは、神さまから離れてしまうこと。神さまをすぐに忘れてしまうこと。神さま以外のものにすぐ心がとられてしまうことだとわたしは理解しています。
だからわたしは罪人です。しかし、そんなわたしのために十字架にかかってくださいましたので赦された罪人なのです。だから赦されることのありがたみを忘れないようにしたいのです。
聖書のマタイの福音書18章21〜35節のテーマは「赦し」についてです。ペテロがイエスさまに「赦すのは7回までですか」と確認すると、イエスさまの答えは「7の70倍です」。つまり、何回でも赦しなさいと言われました。そして、たとえで赦された家来のお話しをされたのです。以下概略です。
王様に多額(1億)の借金をした家来が王様に呼ばれます。家来は今は返せないから待ってくださいと懇願しました。哀れに思った王様は、すべてを帳消しにしてくださいました。喜んだ家来は感謝して帰るのですが、今度は自分に100万借金している人に出会いました。すると、その人も「今返せないから待ってください」と懇願しました。
この帳消しにしてもらった家来は、この後どのように対応したと思いますか。
王様が赦してくれたようにすればよかったのですが、その逆のことをしてしまったのです。赦さないで牢屋に入れたのです。
このように、赦されて自由にされたのに、そのことを忘れてしまうと、神さまを忘れている状態なので、赦せないと言うことに心が縛られる(牢獄)のです。このたとえは、自分のために十字架にかかってくださいましたイエスさまのことを忘れてしまうのと同じですよね。
でも現実は忘れやすい弱さがあるのです。だから赦された罪人であることを忘れないようにしたいのです。ご一緒にいかがでしょうか。十字架の愛を人生の土台となりますように助けて導いてください。
「互いに耐え、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったのですから、あなたがたも、人を赦すべきではありませんか。」コロサイ人への手紙 3:13 JCB https://bible.com/bible/83/col.3.13.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.4.7きんたメール第914号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『豊かな実になる・・・』〜聴く耳を〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。桜がきれいですね。入園式、入学式、入社式などもあり、新しくはじまる人にも、なかなか思い通りにいかなかった人にも新しく気持ちを切り替えて新しいはじまりを応援してくれているようです。桜さんたちに感謝いたします。またすべてをご存知の主がお一人ひとりに愛を示してくださいますことに感謝いたします。
さて聖書のマタイの福音書13章には、農夫の種まきのお話しがあります。種の落ちた場所と、わたしたちの聴く姿勢が対比されています。聴く耳のある人になりたいですね。
イエスさまのたとえは、とてもわかりやすいのに深いですよね。
種の落ちた場所に注目してみます。ある種は「道ばた」に落ちました。でもすぐに鳥に食べられてしまいます。ある種は「土の浅い石地」に落ちました。でも土が浅すぎて十分に根がはることができませんでした。ある種は「茨の中」に落ちました。でも茨に覆われて成長できませんでした。
しかし、ある種は「耕された良い地」に落ちました。そこに蒔かれた種は、30倍、60倍、100倍にも実を結んだのです。すごいですよね。
「良く耕された地」に蒔かれた種が成長するように、聴く耳のある人は成長するのです。
一方で聴くことの弊害になっているものがわかります。「道ばた」とは聴いても理解しようとしない硬い心のことです。「土の浅い石地」とは、聴いた時は喜んでいますが、深く根をおろすことができないため、何かあるとすぐに心が離れてしまう浅い心のことです。「茨の中」とは神さまの言葉を聴いても、生活の労苦や金銭欲で塞がれてしまう心のことです。
わたしは、この御言葉が自分のことを言われているように思えて、悩んだこともあります。でも、そんな自分のために主は十字架にかかってくださいました。十字架の愛によって、そのまま現実を受け止められるように求めると神さまは聴く耳を成長させてくださることも学んでいます。
現実をそのままを受け止める心が耕されることで、聴く耳を豊かにしてくださいます主が、30倍60倍100倍の実がなりますように豊かに祝福してください。そのためにまず主に心を向けて求めていきたいと願います。ご一緒にいかがでしょうか。
「最後に、良い地というのは、神のことばに耳を傾け、それを理解する人の心のことです。このような人こそ、三十倍、六十倍、百倍もの実を結ぶことができるのです。」マタイの福音書 13:23 JCB https://bible.com/bible/83/mat.13.23.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.3.31きんたメール第913号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『イースターおめでとう・・・』〜主と二人三脚を〜
敬愛する皆さま、イースターおめでとうございます。神さま、ありがとうございます。主と二人三脚するように、あなたのすべてをご存知の主と共に人生を歩めます恵みに感謝いたします。お一人ひとりの中でいつも愛と希望と信じる心が光として輝きますように。それぞれの心を新たにしてくださいますように。
さて人生は山あり谷あり、思いがけないことも、望む通りにならないことも、理解されないことも、悩んだり、葛藤したり、病を抱えたり、ケガしたり、愛する人との別れなどもあったり、さまざまなことがあります。
しかし、病気になったり、悩んだり、葛藤したり、望み通りにならなかったからこそ、新たな気づきや知恵が見つかったなんてこともそれぞれ経験してきたのではないでしょうか。切り株から新芽が出るように、もうダメだ、おわりだと思っても、実はおわりではなかったのではないでしょうか。
十字架にかけられた主は三日目に復活されました。死に勝利されました。暗闇を経験するからこそ光のありがたさはより明確にわかりますよね。
わたしたちは愛に溢れたよき理解者が一緒なら力を得ます。そのように復活の主と二人三脚をするのです。そして竹が節によって成長するように、さまざまな節目を通してわたしたちは自分中心から神さま中心へと成長していきます。主が一緒ならいつでも、どこでも、どんな状況でもそこが天国だからです。
聖書は人生を豊かにする知恵の宝庫です。イエスさまが1番、主に任せる、委ねる生き方(知恵)を求めて学び続けていきましょう。イースター(復活)はあなた自身に現されます。ご一緒にいかがでしょうか。
「なぜなら、もし自分の口で、『イエス・キリストは私の主です』と告白し、自分の心で、『神はイエス・キリストを死者の中から復活させてくださった』と信じるなら、あなたは救われるのです。」ローマ人への手紙 10:9 JCB https://bible.com/bible/83/rom.10.9.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2024.3.23きんたメール第912号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『節目・・・』〜十字架によって新しくはじまる
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。被災者お一人ひとりの上に、戦火に巻き込まれていますお一人ひとりの上に、困難や苦難の中におられますお一人ひとりの上に主の慰めとぬくもりで満たされますように。そのような中でこそぬくもりの灯しが消えませんように。またなかなか思い通りにいかなかった受験生とご家族の心を守り、今からのちに豊かな導きがありますように。
次週3月31日はいよいよイースターですね。その前に今週は主の受難週です。わたしたちの罪の身代わりとなってイエスさまは十字架にかかられました。
さて、「節目」は、わたしたちに必要ですね。「おわり」と「はじまり」はセットです。
たとえば保育園、幼稚園の子が、4月から小学生になる。今までの状況から、ガラリと変わって新しい環境がはじまります。補助輪付きの自転車から、補助輪なしの自転車に乗り方のバランスが新しくなる。そのように、わたしたちには、時間的な節目もあれば、それぞれの人生の中でさまざまな節目もありますね。
今までのやり方、考え方、生き方が行き詰まるような時もあれば、その時は苦しみが伴いますが、今までと違う新しい知恵を求めるようにもなり、新しい生き方になるはじまりにもなります。わたしたちにはさまざな節目があります。
いちばんうれしいのは、イエスさまを知らない生き方から、イエスさまの愛にふれて一緒に歩む生き方へとはじまることです。神さま、見た目や今までの慣習に惑わされやすいわたしたちが、イエスさまの十字架こそ救いである新しいはじまりへと導いてください。
わたしたちは日々新たにされるのです。その恵みを見失わないように、イエスさまの受難と十字架に心を向けたいと思います。ご一緒にいかがでしょうか。イースター(復活)はあなた自身に現されます。共にある恵みはすべてに勝ります。お近くの教会へお越しくださいね。お待ちしています。
「しかし、私たちがまだ罪人であった時、神はキリストを遣わしてくださいました。そのキリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに大きな愛を示してくださったのです。」ローマ人への手紙 5:8 JCB https://bible.com/bible/83/rom.5.8.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主