2018.9.16きんたメール第624号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「自己受容・・・」〜変わらない愛が一緒だから〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。自然災害で被害を受けましたお一人ひとりの上に安心と安全が確保されますように。心身に負荷がかかっていますから、不安とストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように。
さて、見た目にはわからない内面に、いつも不安で胸が締め付けられるという辛さを抱えている人がいます。とてもきつい状態です。私も神さまの愛を知るまでは同じように感じていました。不安が支配するとき、焦りやら、失敗への恐れなどが、掻き立てるように煽ってきますので、対処できない自分はダメな奴だと自己嫌悪になり、自分に自信がまったくもてませんでした。
わたしはこの世が生み出した変動する基準しか知らなかったので、何かと比較して一喜一憂しながら劣等感といつも一緒にある生き方をしてきました。この生き方はとてもつらい生き方です。なぜならば自分自身をそのままで受け止めることができないからです。自分がきらいという生き方は、当然幸せではありませんでした。
しかし、そのような状態しか知らないので、そこにとどまり、そこから抜け出すこともできませんでした。まさに心は牢獄。奴隷状態です。このときの私の心には神さまが入る隙間がまったくありませんでした。しかし、私の心の一番奥では言葉にならないうめきと共に救いを求めていたのです。
その声を神さまが聞き逃すことはありません。思いもよらぬ不思議な方法で神さまの愛を知った時、私は自分で自分を嫌がっていた生き方から、そんな自分を受け入れる生き方へと変えられました。なぜならば神さまがこんな私を「よし」として丸ごと受け止めてくださったからです。それで徐々にわたしも自分で自分を受け止めていくことができるようになったのです。そのためにイエスさまが十字架にかかってくださったことを知り、本物の愛にふれたのです。
「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」ペトロの手紙一4:8
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝後、交わりの時があります。
祈り:導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2018.9.9きんたメール第623号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「無力に見えるけど・・・」〜一番必要なもの〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。関西への台風の影響と北海道の地震の影響で被害を受けましたお一人ひとりの上に安心と安全が確保されますように。心身に負荷がかかっていますから、不安とストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように。
さて、人の力ではどうしようもない時、私たちは無力であることに気づかされます。そんなときに必要なものは何でしょうか。多くの場合は奇跡的な力を求めるかもしれません。しかし、本当に必要なのは無力に思えるかもしれないけど、受け止めてくれて一緒に寄り添ってもらえる愛ではないでしょうか。
もちろん、状況によっては救助や必要な物資が先だと思うのは当然ですが、その背景に目を向ければ助けたいという思い(愛)が働かれているのです。私たちの中にはそれぞれ神さまに似せてつくられたものがあります。それが愛です。そのことに気づくのも自分の力ではなく、神さまの恵みによるものです。
ただ私たちの思いの中には違う目的のための場合もあります。お腹を空かしている人に条件を用意して食べ物を用意するような、立場を利用する条件付き援助もあれば、逆に弱い立場を盾にして、水戸黄門の印籠のような使い方をして権利を主張する場面も身近にあります。しかし、神さまの愛は無条件で注がれます。
いずれにしても大事なことは、自分は無力ではあるけども、神さまの恵みで満たされているという謙虚さを学んでいきたいものです。忘れやすいという弱さを抱えながらも。
「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」ヨハネの手紙一4:16
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝後、交わりの時があります。
祈り:導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2018.9.2きんたメール第622号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「どこに心を置いていますか・・・」〜自分にとって狭い門に自由がある〜
敬愛する皆様、いつも、あり2018.9.2きんたメール第622号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「どこに心を置いていますか・・・」〜自分にとって狭い門に自由がある〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。9月に入りました。8月もいろいろありましたがそれぞれが守られましたことに感謝します。9月の月日も「一緒」にいてくださいますことを心から感謝します。残暑もありますので皆様におかれましてはご自愛くださいますように。西日本・東北の被災地で暑さとストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように。
さて、生きることはいろいろなことがありますよね。それで「自分の思い」という器からちょっとでもはみ出してしまうと「不安」や「恐れ」がすぐに増えてしまうという人も多いのではないでしょうか。
そんなときのそれぞれの対処法があるのだろうと思いますが、いかがでしょうか。「自分の思い」という器とは、自分の思い通りにいかないときのことになります。それでも力で思い通りにしようとする人もいますし、不平不満でいっぱいになってコントロールできなくなってしまう人もいますし、どうせダメなんだとあきらめ癖を身に着けてしまっている人もいますし、そこから目線をちょっと変えてみるだけで思わぬ知恵をみつける人もいます。
本当に様々な対処の仕方を身に着けているようです。上記の人はすべて私のことですが、それぞれ経験してきた中でどれが一番難しいことかなと言えば、そこから知恵をみつけることだと思います。一番目が向きにくい選択(狭い門)ですが、一番心によいことだったのです。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」マタイ7:13
「自分の心」を自分中心に置いておくと、当たり前ですが都合が悪ければ不平不満が支配します。そんなときに(狭い門である)相手のところに心をおいてみると、その人の状態が見えてきますので、全然違う感覚になるのです。心の置き場によって、世界は大きく変わってしまうのです。
「自分中心という牢獄」は自分中心にしか見えなくするので、視野が狭くなってしまいます。その場所からでることができないようにされているのですが、そのことにも気づかなくなってしまうのです。そうすると対話も偏ってしまって自分の主張や自分を守ることだけが目的のようになってしまいます。本人は自分で自分を守っているように錯覚するのですが、かえって守れないということを味わうのです。それで誰かのせいにして片付けようとします。
「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。自分で得ようとするものはかえって失うのである。」マタイ16:25
と言われているとおりです。どうか、いつも主にこそ心が向きますように私の目を開いてください。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝後、交わりの時があります。
祈り:導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
がとうございます。9月に入りました。8月もいろいろありましたがそれぞれが守られましたことに感謝します。9月の月日も「一緒」にいてくださいますことを心から感謝します。残暑もありますので皆様におかれましてはご自愛くださいますように。西日本・東北の被災地で暑さとストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように。
さて、生きることはいろいろなことがありますよね。それで「自分の思い」という器からちょっとでもはみ出してしまうと「不安」や「恐れ」がすぐに増えてしまうという人も多いのではないでしょうか。
そんなときのそれぞれの対処法があるのだろうと思いますが、いかがでしょうか。「自分の思い」という器とは、自分の思い通りにいかないときのことになります。それでも力で重い通りにしようとする人もいますし、不平不満でいっぱいになってコントロールできなくなってしまう人もいますし、どうせダメなんだとあきらめ癖を身に着けてしまっている人もいますし、そこから目線をちょっと変えてみるだけで思わぬ知恵をみつける人もいます。
本当に様々な対処の仕方を身に着けているようです。上記の人はすべて私のことですが、それぞれ経験してきた中でどれが一番難しいことかなと言えば、そこから知恵をみつけることだと思います。一番目が向きにくい選択(狭い門)ですが、一番心によいことだったのです。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」マタイ7:13
「自分の心」を自分中心に置いておくと、当たり前ですが都合が悪ければ不平不満が支配します。そんなときに(狭い門である)相手のところに心をおいてみると、その人の状態が見えてきますので、全然違う感覚になるのです。心の置き場によって、世界は大きく変わってしまうのです。
「自分中心という牢獄」は自分中心にしか見えなくするので、視野が狭くなってしまいます。その場所からでることができないようにされているのですが、そのことにも気づかなくなってしまうのです。そうすると対話も偏ってしまって自分の主張や自分を守ることだけが目的のようになってしまいます。本人は自分で自分を守っているように錯覚するのですが、かえって守れないということを味わうのです。それで誰かのせいにして片付けようとします。
「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。自分で得ようとするものはかえって失うのである。」マタイ16:25
と言われているとおりです。どうか、いつも主にこそ心が向きますように私の目を開いてください。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝後、交わりの時があります。
祈り:導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2018.8.26きんたメール第621号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「感動とは・・・」〜感じて動くこと〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。台風の影響が継続していますが、暑さもぶり返しています。残暑も継続するような予報もでています。熱中症対策としてこまめに水分・塩分補給をしましょう。ご自愛くださいますように。西日本の被災地で暑さとストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように。
さて、日本テレビの24時間テレビ「愛は地球を救う」が土日で放送されました。もう41回も続いているんですね。私もすごく感動して小学生の時に、この番組のために貯めたお金を会場まで持参したことを覚えています。
とにかく人が一生懸命に生きている姿は感動します。人と人のつながりの中にいのちの躍動を感じるとき、共有している人もそこにつながるので、枝が木から栄養をとるように感動を一緒に味わうことができるのです。感じて動くと書いて「感動」なんですね。
同じように「いのちの源」である神さまにつながることがとても大事になるのです。神さまは、あなたを愛しています。あなたに本物の平安を知ってほしいのです。本物の平安は、環境や状況が変化してもなくなるものではなく、また誰かにとられてなくなってしまうものでもありません。どんなときも共にあるものです。そして分ければ増える恵みです。
「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」ヨハネによる福音書16:33
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝後、交わりの時があります。
祈り:導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2018.8.19きんたメール第620号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「人はなぜ生きるのか・・・」〜愛によって生きる〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。8月も後半に入りました。いくらか涼しい日もでてきましたので、秋が近づいてきていることを感じさせる今日この頃です。しかし、まだまだ日中は暑いので、熱中症対策としてこまめに水分・塩分補給をしましょう。ご自愛くださいますように。西日本の被災地で暑さとストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように。
さて、この時期は蝉合唱団が、多くの人を癒しています。不思議と蝉の鳴き声は不快感がなく心地いいですよね。自分の役目を終えた蝉はあちこちの道端に落ちては、蟻がまた群がって讃えているように、いのちの連鎖にもなっています。
私たちもいのちの連鎖に与って生かされているのです。そのように人生は神さまからの贈り物です。自分のことだけに一生懸命になりやすい弱さを持っている私たちですが、神さまに心を向けるとき、すべての人が神さまに愛されていること、そしてそのことを知らなかったり、気づかなかったりしている人のために自分が用いられることをそれぞれの役割として与えられているのです。
トルストイさんの「人はなぜ生きるのか」には、「人は愛によって生きる」ことが書かれています。トルストイさんの表現はとてもわかりやすいです。双子の赤ちゃんを残して召された母の思いや、金持ちが長靴のオーダーをするも、はく前に召されることから、「人は自分に何が必要なのか知る力が与えられていない」ことや、人間はただ愛によってのみ生きるのだとまとめられています。双子は近所の女性が愛情たっぷりに育てます。
神さまが望んでおられるのは、人間が離れ離れに生きることではなく、一緒に生きることです。あなたは誰がなんと言おうと大切な人です。そこに気づかないように様々な障壁がありますが、私たちの目を確かに開くためにイエスさまが十字架にかかられたのです。私たち人間はパンだけではなく神さまの愛によってのみ生きるように定められているのです。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝後、交わりの時があります。
祈り:導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主