2021.2.21きんたメール第750号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 もっとも大いなるものは』〜愛である〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。日が延びてきましたね。希望と共に春を身近に感じながら「思いやりの心」をもって過ごしていけますように。また、そんな余裕はないという中にある方もおられますが、いっぱいいっぱいの方々の上には癒しと平安で満たされますように。皆さまの健康が守られますように。それぞれの必要を満たしてくださいますように。
さて、わたしは親の家まで電車で1時間くらいの距離に住んでいます。いつでも行ける距離ということもあり、それが逆に年に2回しか行けてない状況でした。しかし最近は月に2回ほど顔を出すようになりました。『スマホのラインがうまくできない』『なぜか消えてしまった』など、機械やシステムについては苦手な世代でもあり、本人もどうしていいのかわからないため、急に携帯の機種も携帯会社も変えてしまうことが何度か続きました。
ライン(アプリ)に限らず、今までの内容を継続して引継ぐには、IDとパスワードが必要ですが、パスワードを忘れているため、引き継げなかったり、またIDも前の携帯会社のアドレスになっているため、機種変更後にパスはワード忘れで対応しても、メールでの確認ができません。だから、今後機種変しても問題ないようにIDはPCで使用するアドレスにして、パスワードも忘れないように、自分だけが確認できる方法で記録しておくことなども共有しました。
そういったわけで、一緒に過ごす時間が生まれたので、朝一緒に近くの土手をウォーキングしたり、富士山が見えたと喜んだり、小さな花や、魚、鳥を見つけては感動を共有しています。安心できる誰かが「一緒にいる」ことは、「大きな支えになる」ことを共に学んでいます。
年を重ねていくと、脳血流の問題で物忘れが多くなります。しかし昔のことは何度でも話しができるくらいよく覚えています。だから心に刻まれた記憶は忘れにくいようになっていること、そして、忘れてしまう状態のときにバカにされたり、責められたりすれば心は傷つきますし、不安になっている気持ちに寄り添ってもらえると安心するのです。
これが人間なんだなーと思います。だから、本人がバランスを崩してしまったような状態であっても「自分が大事にされているかどうか」は、はっきりわかるのです。
つまり心(気持ち)に影響する「愛を感じるセンサー」は衰えることがないということですね。だから「思いやりの心」が世界を救うのです。「神さまの愛」こそが、どの人にも必要なのです。
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」コリント一13:13
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.2.14きんたメール第749号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 探しなさい』〜そうすれば見つかる〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。桜のつぼみも膨らんで開花を今か今かと待ち構える状態になっています。春がそこまで来ているのがわかりますね。ただ寒波もまだがんばってますので寒暖差にご自愛くださいますように。
また13日の23時すぎに福島・宮城を中心に広範囲に地震がありました。津波がなくて安心しましたが、被害のあった方々、不安になられた方々の上に主の癒しと平安で満たされますように。皆さまの健康が守られますように。それぞれの必要を満たしてくださいますように。
さて、副作用の心配はあるもののワクチンが身近になってきました。コロナ禍終息を目指しながらもなお不透明ではありますが、今年の夏にはオリバラも控えています。個人的には開催してほしいですね。なぜならば今後の新たなイベントのあり方のベースになるでしょうし、どのような状況の中にあっても世界が一つとなれることや、スポーツを通して世界平和を共有する会として創造されることを期待しているからです。特に2021年は各国で、そしてわたしたち地球人1人ひとりの中ででさまざまな課題も山積みです。
今まで慣れ親しんだやり方が行き詰まった時は、希望よりも諦めや絶望感に支配されがちになりますが、そこから視野が広げられますように、そして新たな目線が開かれて希望の光が差し込むように、いつでも、どこからでも「主に心を向ける」ことを覚えさせてください。
変化の時は、新たな知恵が必要ですから、求めていくことで必ず与えられると信じています。変化は不安でもありますが、それ以上にそれぞれの置かれました場所で、「あるべき姿」を目指して意識も行動も新たな芽となって成長していきますように助けてください。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 」マタイ7:7-8
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.2.7きんたメール第748号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『人間をとる漁師』〜とはどんな漁師なの〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。コロナ禍の中、緊急事態宣言の影響で感染者数も減少傾向になっていますが、基本の対策は引き続き心がけて行きましょう。それ以上に、自分のことだけでいっぱいになりやすい中で、相手の気持ちに寄り添うこと、思いやりの心をこそ求めていけますように助けて導いてください。皆さまの健康が守られますように。癒しが必要な方々の上に主の癒しが豊かに注がれますように。それぞれの必要を満たしてくださいますように。
さて、わたしたちは、誰もがわかってもらいたいと思うのは共通していますが、置かれた場所や背景によってさまざまですよね。そんな違いを超えてわかりあうためには、自分と相手の立場を自由に行き来できる心が必要です。今回はその辺をテーマにした聖書のお話しが以下子どもメッセージとなっています。
人間(にんげん)をとる漁師(りょうし)マルコ1:17
みんなは魚(さかな)つりをしたことがありますか。つれたら、すごくうれしいよね。漁師(りょうし)さんは魚つりのプロです。だから魚くんの特徴(とくちょう)をよく理解(りかい)しています。いろいろな魚くんがいて、みんなちがいます。それぞれの魚くんの行動(こうどう)パターンに合わせて漁(りょう)をします。
同じように「人間をとる漁師」とは、魚くんを理解するように「人の気持ちによりそう」ことですね。その人の立場(たちば)になって「何でふあんなのかな、何でかなしいのかな」と考えることです。かならず「りゆう」があるので、その人を「そのまんまでうけとめる」ことです。なぜならば、みんなも自分がつらい時、わかってもらえたら「ひとりぼっちではない」と安心できるでしょう。
だから、イエスさまはみんなにも「神さまの愛がいつもいっしょ」であることを伝えるために「人の気持ちによりそう」漁師さんのようになってほしいと言われたのです。
「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう」マルコ1:17
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.1.31きんたメール第747号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『向き合うこと』〜主により頼むこと〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。コロナ禍の影響が長引いています。生活スタイルも変化し、不安定な状況が続いています。それを誰かのせいにしても意味がないので、そこに心を使うよりも、気持ちに寄り添うという思いやりの心をこそ使いあえますように。皆さまの健康が守られますように。癒しが必要な方々の上に主の癒しが豊かに注がれますように。それぞれの必要を満たしてくださいますように。
さて、以前、ボクシングの基本は「怖くても目をつぷらないこと」と教えていただきましたが、わたしにはとても難しいことだと思います。なぜなら怖いと目をつぶってしまうからです。でも、向き合うということが大事だと言う基本はその通りだと納得しています。
自分が直面している問題にも同じことが言えますよね。もし自分に都合が悪かったら、目をつぶったり、見えないふりをしてしまうかもしれないからです。そういう弱さがあることを理解しつつも、向き合うことを選択できるように目指し続けたいものです。
人生振り返ると目を向けたくない時こそ、向き合うことが大事だったりします。向き合わないままだと心はすっきりしないし、向き合わないクセがついてしまうと、自由ではなく不自由になるからです。
向き合うことは、場合によっては自分のプライドが傷つくし、自分のメンツがなくなってしまうような怖さがあるかもしれません。それだけに、自分の都合や小さな保身に支配されていることに気づくのではないでしょうか。
だから、自分の都合に支配されている不自由から、都合よりも心によい方を選択するという本当の自由を求めるように、いつでも主に心を向けることを知っている人は幸いです。なぜならば、主に任せて向き合おうとする人はあらゆる束縛から自由にされて成長していくからです。
「主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。 」イザヤ61:1
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.1.24きんたメール第746号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『伝え方』〜受け止め方〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。今年は日本海側を中心に雪が多いですね。関東も雪の影響もありますので路面状況なども確認してくださいね。また感染対策としてマスク、手洗い、うがい、消毒、ソーシャルディスタンスなどの基本の対策を徹底していきましょう。その上で思いやりの心は忘れないようにして乗り切りましょうね。皆さまの健康が守られますように。癒しが必要な方々の上に主の癒しが豊かに注がれますように。
さて、「伝え方」と「受け止め方」について考えてみます。どちらも、それぞれの文化や背景や状態によって様々ですよね。だから伝え方も受け止め方も違うものですね。
今年からリモート会議方式で全国のチームと内容共有を開始したのですが、面白いことに同じ内容であってもエリア(その地域の状況など)によって、またそこに集うメンバー(はじめての人、慣れている人、不安な人、自分の考えがはっきりしている人、否定的な人、楽しみにしてる人など)によっても反応が全然違うので貴重な時間になっています。
同じ内容でも、聞く人の状態(反応)に合わせて配慮しながら伝えることが必要であることを学んでいます。
パウロさんも、その人の状態や背景に配慮して迫害する人にも、迫害されている人にも、さまざまは立場の人に神さまの愛について、十字架の意味について、わかりやすく伝えることを目指しています。それぞれの個々を尊重し理解しようとされるその姿勢に倣いたいと思います。
「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。」コリント一9:20-22
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の
祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
