2021.3.14きんたメール第753号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 十字架の愛」〜罪を憎んで人を憎まず〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。今年のイースターは4月4日(日)です。それまでの40日間は世界中でイエスさまの受難を覚えて過ごすクリスチャンが多いのではないかと思います。なぜならば一番忘れてはならないことだからです。わたしたちのために主が十字架にかけられるまでの受難を覚えてイースターまでを過ごしていきたいと思います。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。
さて、わたしたちはそれぞれの置かれた場所で、さまざまな背景ではありますが、共通して大事にしているのは「今いるそこから主に心を向けること」です。弱いわたしたちが惑わされないためです。つまり目的から目を背けないことと同じだからです。
目的から目を離すと、わたしたちは勘違いしてしまいますし、道に迷ってしまいます。たとえば聖書を読んで知恵を得るのは素晴らしいことですが、十字架の愛から目をそらすと、知恵を印籠のような使い方をして裁き主にでもなったかのような傲慢さがあらわになります。ワイドショーやネットで誰かをよってたかって袋叩きにしているのと同じで、聖書に出てくる律法学者やファリサイ派の姿はまさに十字架にイエスさまをかける、そんな自分の姿でもあるのです。
実を見て木がわかるように、十字架がないがしろにされると的外れな状態になってしまいます。聖書から学ぶことは愛だからです。神さまの十字架の愛です。愛は自分にはないけど、神さまの恵みが働くことで愛の実が成るのです。この愛は「こんな自分でもまるごと受け止めてくださる」ほどの、目からうろこが落ちるような奇跡的な愛なのです。
だから自分が「赦された罪深い罪人」なのを自覚することは言うまでもありません。聖書に書いてある罪とは、すべてを創られた神さまを無視することです。そして自分を一番にしてしまうことです。そこから罪の実がなるからです。
自分が一番のときは、神さまの愛が入るすきがないので、愛の実はなりません。だから愛の実が成るように求め続けていきたいと思います。もちろん悪いことを寛容すると言うことではありません。「なぜそうしてしまったのか」「何がそうさせたのか」という自分の姿に気づくために、「罪を憎んで人を憎まない」ように心の声に寄り添い、愛をもって向き合うことが求められているのです。
「イエスはオリーブ山へ行かれた。 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、 イエスに言った。『先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。』イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」ヨハネ8:1〜11
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.3.7きんたメール第752号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 大事なことは』〜分けたら増える〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございす。3.11東日本大震災から10年になりますが、いまだ傷跡は残っています。しかし、わたしたちは現在までの復興の姿の証人でもあるのです。災害から何が大事なのか。それぞれが学んだことを忘れないように、形骸化しないように、覚え続けていきましょう。皆さまの健康が守られますように。それぞれの必要を満たしてくださいますように。
さて、困難な時ほど人の繋がりの大切さを心に留めたいように、人生で忘れたくないもの、またはどんなときも一番大事にしたいものがあります。
今日は大事なことを忘れないために、継続して覚えることの必要を子どもメッセージで共有したいと思います。それだけわたしたちは忘れやすいし、目の前のことに惑わされやすいのですね。
わけたら増える主の晩餐会(ばんさんかい)ルカ22:1〜20
今日の聖句には、イエスさまの弟子のユダさんが、力ある人からお金をもらってイエスさまをうらぎってしまいました。
そのためにイエスさまは正しくない裁判で十字架にかけられたのです。わたしたちの目から見たら、なんてひどいことをするんだーと思いますが、実はユダさんやイエスさまを十字架にかけた人の姿は自分の姿でもあるのです。
罪(神さまを無視すること)は、神さまの愛を見えなくします。そうすると自分の都合(つごう)が一番になって「思いやりの心」がはたらけなくなってしまいます。こうして心は「愛に飢えてしまう」のです。
おなかがすいたら食事をしますよね。同じように心にも食事が必要なのです。イエスさまのおはなしは「神さまはあなたを愛している」ことを教えてくれます。
教会では、そのことを忘れないように主の晩餐会をしているんですよ。だから一緒に分け合います。「思いやり」は、わければわけるほど増えるのです。すごいでしょう。心の食事いかがですか。あなたの心が豊かになりますように。
「『ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。 」ヨハネ6:9〜13
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の
祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.2.28きんたメール第751号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 方向転換』〜1人で抱えないこと〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。それぞれ置かれました状況にもよりますが、できるだけ、安全対策しながら日差しを浴びて外の空気をすいましょう。あなたにできる気分転換、リフレッシュができますように。皆さまの健康が守られますように。それぞれの必要を満たしてくださいますように。
さて、人生にはいろいろなことがありますよね。いいことだけならいいけど、そうではないこともありますね。まして自分が望まない状況に置かれてしまって継続すると、次第に希望が持てなくてつらい気持ちになるのではないでしょうか。
今を変えたい。誰か助けて。このつらい気持ちをわかって。この状態から救われたい。そんな心の叫びにこそ、耳を傾ける必要があります。
今までも、たくさんキズついてきたのに、さらにそんな自分を責めてしまうこともあるのです。では何で責めてしまうのでしょうか。自分は価値がない、こんな自分は生きてても意味がない。そんな理由で心を支配してしまうのです。
ここで言う価値とは何でしょう。自分の置かれた状況が望んでいる自分の姿と違うので、自分には価値がない。だから、そんな自分を責めてしまうのです。
では、どうすればいいのでしょうか。それは1人で抱えないことですね。気持ちを吐き出せる場所は自分で選択できます。いのちの電話や心のよりそいホッとラインなどに電話する、ネット相談で自分の言葉で気持ちを書いてみる、専門のカウンセラーを受ける、教会の牧師や神父と会って話してみるなどなど。
1人で抱えると疲れます。なぜならば自分と向き合うのがいやな状態だからです。そこで方向転換をするためには、安心できる誰かと一緒だと自分に向き合うことができるようになるのです。整理しながら向き合うと責めるしかない世界から、理解して受け止める世界へと広がります。
あなたは、そのままで価値があります。世界に1人しかいないあなたの存在が価値なのです。宝なのです。神さまの恵みに目が開かれていきます。だから、惑わされないように、とにかく1人で抱えないでほしいのです。
「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛しています。」イザヤ書43:4a
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.2.21きんたメール第750号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 もっとも大いなるものは』〜愛である〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。日が延びてきましたね。希望と共に春を身近に感じながら「思いやりの心」をもって過ごしていけますように。また、そんな余裕はないという中にある方もおられますが、いっぱいいっぱいの方々の上には癒しと平安で満たされますように。皆さまの健康が守られますように。それぞれの必要を満たしてくださいますように。
さて、わたしは親の家まで電車で1時間くらいの距離に住んでいます。いつでも行ける距離ということもあり、それが逆に年に2回しか行けてない状況でした。しかし最近は月に2回ほど顔を出すようになりました。『スマホのラインがうまくできない』『なぜか消えてしまった』など、機械やシステムについては苦手な世代でもあり、本人もどうしていいのかわからないため、急に携帯の機種も携帯会社も変えてしまうことが何度か続きました。
ライン(アプリ)に限らず、今までの内容を継続して引継ぐには、IDとパスワードが必要ですが、パスワードを忘れているため、引き継げなかったり、またIDも前の携帯会社のアドレスになっているため、機種変更後にパスはワード忘れで対応しても、メールでの確認ができません。だから、今後機種変しても問題ないようにIDはPCで使用するアドレスにして、パスワードも忘れないように、自分だけが確認できる方法で記録しておくことなども共有しました。
そういったわけで、一緒に過ごす時間が生まれたので、朝一緒に近くの土手をウォーキングしたり、富士山が見えたと喜んだり、小さな花や、魚、鳥を見つけては感動を共有しています。安心できる誰かが「一緒にいる」ことは、「大きな支えになる」ことを共に学んでいます。
年を重ねていくと、脳血流の問題で物忘れが多くなります。しかし昔のことは何度でも話しができるくらいよく覚えています。だから心に刻まれた記憶は忘れにくいようになっていること、そして、忘れてしまう状態のときにバカにされたり、責められたりすれば心は傷つきますし、不安になっている気持ちに寄り添ってもらえると安心するのです。
これが人間なんだなーと思います。だから、本人がバランスを崩してしまったような状態であっても「自分が大事にされているかどうか」は、はっきりわかるのです。
つまり心(気持ち)に影響する「愛を感じるセンサー」は衰えることがないということですね。だから「思いやりの心」が世界を救うのです。「神さまの愛」こそが、どの人にも必要なのです。
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」コリント一13:13
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.2.14きんたメール第749号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 探しなさい』〜そうすれば見つかる〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。桜のつぼみも膨らんで開花を今か今かと待ち構える状態になっています。春がそこまで来ているのがわかりますね。ただ寒波もまだがんばってますので寒暖差にご自愛くださいますように。
また13日の23時すぎに福島・宮城を中心に広範囲に地震がありました。津波がなくて安心しましたが、被害のあった方々、不安になられた方々の上に主の癒しと平安で満たされますように。皆さまの健康が守られますように。それぞれの必要を満たしてくださいますように。
さて、副作用の心配はあるもののワクチンが身近になってきました。コロナ禍終息を目指しながらもなお不透明ではありますが、今年の夏にはオリバラも控えています。個人的には開催してほしいですね。なぜならば今後の新たなイベントのあり方のベースになるでしょうし、どのような状況の中にあっても世界が一つとなれることや、スポーツを通して世界平和を共有する会として創造されることを期待しているからです。特に2021年は各国で、そしてわたしたち地球人1人ひとりの中ででさまざまな課題も山積みです。
今まで慣れ親しんだやり方が行き詰まった時は、希望よりも諦めや絶望感に支配されがちになりますが、そこから視野が広げられますように、そして新たな目線が開かれて希望の光が差し込むように、いつでも、どこからでも「主に心を向ける」ことを覚えさせてください。
変化の時は、新たな知恵が必要ですから、求めていくことで必ず与えられると信じています。変化は不安でもありますが、それ以上にそれぞれの置かれました場所で、「あるべき姿」を目指して意識も行動も新たな芽となって成長していきますように助けてください。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 」マタイ7:7-8
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へ連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主