2021.6.20きんたメール第767号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『さまざまな人生の壁・・・』〜成長するために必要〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。梅雨らしい時期になってきました。夏を迎えるために湿気も多く蒸し暑くなります。こまめな水分補給も意識していきましょう。皆さまの健康が守られますように。1人ひとりの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、今週はオンラインでの子どもメッセージをさせていただきますので、その内容を子どもメッセージではなく、きんた流の表現で共有させていただきます。
聖書はヨシュア記6:1〜21からです。エリコの強靭な城壁が崩れるところですが、頑なな心の壁が砕かれるような感じも受けます。
エジプトの支配から解放されて、約束の地であるカナンを前に、大きくて強そうな人がたくさんいると見た目に惑わされて、怖気づいたのです。怖気づくのはいいのですが、神さまが約束してくださいましたのに、神さまにまったく心を向けないと言うか、神さまを見えないように怖気の壁を心に建設してしまうことに問題がありました。
エジプトからも守られ、食べ物も必要が満たされ、いつも支えられてきました。なのに、すぐ目の前のことに惑わされてしまうのです。自分とまったく同じなので笑ってしまいます。だから当時わたしもその時代にいたら同じことをしたでしょう。そう考えると笑えないですよね。
人間の本質は時代を超えても変わらないですね。そのため、カナンに入るのに40年かかりました。
そんなイスラエルの民ですが、その中で信仰がぶれないヨシュアさんにはしびれてしまいます。信仰の父アブラハムから引き継がれてきた信仰の姿こそ、求め続けていきたいものです。学ぶことができるのは幸せです。
ではこの箇所から何を学びましょう。たくさんあると思いますが、1つ選択しますと、『目の前に乗り越えられそうもない高い壁があった時どうしますか。』と言う問いです。あきらめるために言い訳をするのか。それとも向き合っていくのか。
人生はたくさんの壁にぶち当たります。しかし、壁があるから今までの価値観とは違う価値観に気づき、自分を振り返り、自分の生き方、主義主張を見直す良い機会ともなると、渡辺和子さんも仰っていました。
その通りだと思います。学ぶ姿勢で「神さまに信頼して聴こうとするヨシュアさんの姿勢」に学んでいきたいですね。壁は成長のために必要でありますが、1人で抱えないことも必要です。一緒に聖書から学んでいきましょう。
「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 」ヘブライ人への手紙12:11
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.6.13きんたメール第766号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『息を整える・・・』〜ために息を吐く〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。深呼吸は大事ですね。たまには深呼吸しましょう。夏を迎えるために湿気も多く蒸し暑くなります。こまめな水分補給も意識していきましょう。皆さまの健康が守られますように。1人ひとりの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、階段を上がったり、坂道を歩くと「息が乱れる」ことを実感しますが、リズムや環境の変化や精神的な負荷がかかると息が乱れやすくなりますよね。
何で息が乱れるのでしょうか。
それぞれの心肺機能や心の状態もありますが、そもそも呼吸とは、呼吸筋と呼ばれる横隔膜や肋骨の筋肉の働きです。これらの筋肉を動かしているのは、“呼吸中枢”という脳の一部で呼吸の回数や深さを調節して、息を整えるために指令しているそうです。息が乱れた時は不快に感じますが、実に「息を整えるための働き」がなされているのです。
人生には、予期せぬことも、リズムが乱れるようなこともあります。息が乱れることは避けられないので、息が乱れた時の対処方法がわかればいいのではないでしょうか。
息の乱れを早く整えたいという時は、「息を吐く」ことに意識をおくといいのですが、なかなかそうはいかないのです。なぜならば苦しいと「息を吸い込む」ことばかりになりがちだからです。そうなのであえて息を吐くことを「意識する」と、呼吸が効率よく行われて有効です。
不思議なことに緊張すると呼吸は浅く早くなり、無意識に息を吸おうと力が入りますよね。余裕がない時に息を吐くのも、吐くことを意識するのも大変ですが、意識することはできます。チャレンジもできます。
コツは口笛を吹くようにフーッと声を出しながら、長い時間をかけて息を吐くことです。人間の体は、吐き終わると自然に息を吸いこむようになっています。息を吸い込むのは自力でがんばらないで自然に任せましょう。
これだけでも次第に心身がリラックス状態になります。お試しください。
ちなみに「息がある」ことは、生きていると言うことですよね。息を引き取る、息が絶える、息を吹き返すなどなど、息があることは、すごいことなんだと改めて感じます。
神さまが、わたしたち1人ひとりに息を吹き込んでくださいました。そのことも息が乱れる時に思い起こせたらいいですね。そして「神さま〜」と祈りながら息を吐く。おすすめします。
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 」創世記2:7
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.6.6きんたメール第765号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『前を見よう・・・」〜それが大事〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。6月の月日も主が共にいてくださいますように。夏を向かえるために湿気も多く蒸し暑くなります。こまめな水分補給も意識していきましょう。皆さまの健康が守られますように。1人ひとりの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、「うさぎとかめ」のお話しは多くの人が知っていますが、子どもにとっても心に残る物語です。しかし大人にとっても示唆がたくさんあり面白いですよね。「どこを見てるのか」目指すべきところを見る(前を見る〕ことの大切さを学べるのです。そんなわけで月1の子どもメッセージも「前を見る」ことをテーマに以下共有させていただきます。
神さまに心を向けよう 民数記13:1〜14:38
みんなは平均台の上を歩けますか?はじめてチャレンジしてみた時は不安になったのではないでしょうか。下を見てしまうとこわくなりますが、前を見た方がバランスよく前に進むことができますよね。神さまに心を向けるか向けないかも同じことが言えます。
エジプトから脱出したイスラエルの人たちは神さまに守られた経験をしました。その後約束の場所であるカナンの地に入る準備をはじめました。それでカナンがどんなところなのか確認するために12のグループから1名ずつ選ばれました。
12人がカナンを見に行くと、カナンには大きくて強そうな人がたくさんいました。見た目だけでこわくなった10人は、カナンに入るのは無理です。と言いました。でもカレブさんとヨシュアさんの2人は見た目ではなく、神さまが言われた通りになると信じていたので、すぐにいきましょう。とモーセさんに報告しました。
さっきの平均台のおはなしだと、この10人はどこを見てしまったのでしょうか?また、カレブさんとヨシュアさんはどこを見ていたのでしょうか。
いつも下ばかり見ていたイスラエルの人でしたが、神さまは強いエジプトからも守ってくださいましたね。また必要をいつも用意してくださいました。
では問題です。そのことを忘れなかったのは誰でしょうか?
みんなも、いつも神さまが一緒にいてくださいますことを忘れないように、いつも神さまに祈っていきましょう。
「心よ、主はお前に言われる/「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。」詩編27:8
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.5.30きんたメール第764号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『比較するなら』〜いつでも十字架と〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。5月最後の日曜日です。5月の月日も守られましたことに心より感謝します。これからはじまる6月の時、そして梅雨の時も皆さまの健康が守られますように。1人ひとりの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、わたしたちはさまざまな比較をしながら生きているのではないでしょうか。自分の都合によいかわるいか、あるかないか、できるかできないか、早いか遅いか、強いか弱いか、上か下かなどなど他の人と比べて自分はどうなのか、そんな基準に縛られてしまうことがありますよね。
本当の価値は、比較の問題ではないのですが、判断する基準の一つではあるため個人差はあれ、わたしたちは比較することに慣らされているのです。
だから、比較は競争原理をかき立てて成長を促す作用もありますが、優劣感を促す作用にもなります。そういう比較社会の中で、それぞれの受け止め方によっては自分の存在意義や価値に影響を及ぼすこともあるのです。
基準に左右される安心。いつも変動する安心は本当の安心ではないのですが、でも、この安心を求めてしまうのが現実です。みなさんはいかがでしょうか?
そこで、比較を嫌がっても仕方ないので、好きなだけ比較してください。究極の比較基準をご提案させていただきます。比較すればするほど癒されます。そんな基準があるのか? はい、あるのです。それが見る影もないほど「みじめ」な姿になってくださいました御方です。十字架にかかられたイエスさまです。なんで十字架にかかられたのか? それがわかると癒されるのです。
だから比較するなら、常に「イエスさまが十字架かかられた姿」と比較することをおすすめします。ここから得る「いやし」は本物です。まったく左右されません。わたしたちの心に新たな自由の基準を与えてくださいます。
「彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」イザヤ書53:5
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」ヨハネ14:27a
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2021.5.23きんたメール第763号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『安心できる居場所』〜に行こう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。ペンテコステおめでとうございます。新しく力を受けた弟子たちの「それまで」と「そのあと」before・afterは、大きく変わっていますように、どんな時も主が共にある生き方は「弱いのに強い」という神さまの恵みで溢れています。皆さまの健康が守られますように。1人ひとりの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、わたしたちは基本どの人も「安心できる居場所」を求めているのではないでしょうか。だから、そのためにそれぞれ一生懸命頑張っています。頑張り屋さんです。ただ頑張り方もバランスを崩してしまうとさまざまな影響を受けてしまいますよね。
目指すべきゴールがあれば、目的はそこに向かうだけですから、そこに目を向けることができます。たとえば山登りで頂上を目指すなら、そこまでの準備や計画をします。だけどゴールがわからないと、道に迷いやすいし、どこに向かえばいいのか、何のためか意味もわからないという状態になってしまいますよね。
わたしたちの人生の中でも同じことが言えるのではないでしょうか。
また、水の中で自力で浮こうとすれば疲れてしまいますが、水に身体を任せたら楽に浮くのです。肺が浮輪の役割になってくれるからです。
ところが、いっぱい傷ついてきた人は、安心して任すことができないのです。本当はそうしたいのに、また傷つくのではないかと思うからです。だから自力で頑張ろうとします。でも無理している状態だから疲れますし、無理した状態を維持することが目的になると、生きる価値や自信を失い、自分を責めて、不平不満に支配された状態になってしまいます。
そんな牢獄から自由になれたら嬉しいですよね。当時の弟子たちも、またわたしたちも迷い出た1匹の羊のような状態ですが、探してくださり連れ戻された羊のように「安心の居場所」に帰れたのです。
あなたのすべてをご存知の安心して信頼できる方は、あなたがいつも目指すゴールとなってくださいます。
あなたの本来のあるべき姿を取り戻し、比較するクセがあってもそのままでいい。それ以上に安心できる居場所が与えられ(弱くてみじめな自分をも受け止められるようになって〕、たとえ思い通りにならなくても、どっちに転んでも、主が共にあることが天国だと確信できるようになるのです。あなたの良き理解者が一緒だからです。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 」マタイ11:28
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主