2023.5.14.きんたメール第866号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『ごめんなさい・・・」〜が言えないのはなぜ?〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。5月6日(土)板橋教会のT兄がこの世での役割を終えて主のもとに帰りました。享年57歳。毎週、礼拝では司会をしていました。温厚でいてまわりを楽しませる人です。ラーメンが大好きで、本が出せるくらいのラーメン紀行記は、読むとラーメンが食べたくなるくらいわかりやすかったです。個人的にも大変お世話になりました。残されましたご家族の上に、教会関係者お一人ひとりの上に主の癒しが共にありますように。あなたは大切な存在です。それぞれお一人ひとりの上に人生を豊かにする知恵で満たしてくださいますように。主が共にいてくださいますように。
さて、来週はCS(教会学校)でのメッセージ当番ですが、今週、事前に子どもたちにショートメッセージを送ります。以下その内容を共有させていただきます。
「ごめんなさい」創世 3 章
みんなは「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えますよね。今日はアダムとエバさんのおはなしです。
神さまはアダムとエバにある約束をしました。「どの木の実も食べていいよ。だけど真ん中にある木の実だけは食べたらダメだよ」
アダムとエバは、神さまがつくったくだものをおいしくいただいていました。何より「神さまといっしょ」で幸せでした。
ところが、ある日、ヘビがエバに「真ん中の木の実はおいしいよ。食べたら神さまみたいになれるんだよ。そうしたら神さまの言うことなんか聞かなくていいんだよ。」と、ウソつきました。
すっかりだまされたエバは、おいしそうなその実を食べてしまいました。そしてアダムにもすすめたので、アダムも食べてしまいました。
約束を守れなかった2人は、このあと、どうしたでしょうか。
神さまがアダムとエバに「何でかくれているのですか」と聞くと、アダムは「ごめんなさい」とは言わずに、「エバが食べろと言うので食べました」とエバのせいにしました。
エバは「ヘビが食べてもいいと言ったので食べました」と、ヘビのせいにしました。
みんなは、悪いことだと気づいたり、まちがっていたことに気づいたら、どうしますか? ほかの人のせいにしますか。それとも、まず「ごめんなさい」とあやまりますか。(ショートメッセージはここまで)
耳の痛いお話しですね。なぜ、あやまることができないのでしょうか。何があやまれなくしているのでしょうか。
神さまと一緒の時は、何があっても平安が共にあります。一緒にいることはすごい恵みだからです。でも、神さまから離れてしまうと、神さまから隠れようとしたり、ウソついたり、ビクビクして、本当の平安はないですよね。
ヘビは、神さまから離れさせようとする働きのたとえです。神さまなんかいないと思いこませるように惑わすのです。
だから、惑わされないように十字架の愛に心を向けるのです。簡単に惑わされやすいわたしの「弱さ」を受け止められるように、イエスさまは、こんなわたしのために十字架にかかってくださったからです。
「すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じるなら、このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるのです。」ローマ人への手紙 3:23-24 JCB https://bible.com/bible/83/rom.3.23-24.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2023.5.7.きんたメール第865号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『十字架の愛』〜自分を取り戻すチカラ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。観光で賑わう能登半島で大きな地震がありました。被災されましたお一人ひとりの上に癒しと復興が成されますように。あなたは大切な存在です。それぞれお一人ひとりの上に人生を豊かにする知恵で満たしてくださいますように。主の祝福が豊かにありますように。
さて、わたしの母は初期の認知症と判断されて1年くらいになりますが、「物忘れ」だけではなく、「理解力」にも影響が出てきたり、「現実」と「テレビの内容」や「昔の記憶」や「思い込み」が混同するような時もあります。個人差があるものの、症状の一つひとつなのでしょう。
一見、対話ができているように思いますが、今、話していた内容の理解ができなくなってきたために、何度も確認しようとすることが増えてきました。
はじめは冗談なのかと思っていたのですが、本人は理解しようと何度も何度も繰り返し確認してきます。本人なりに理解しようと頑張っているのです。しかし同じ説明をしているにもかかわらず、しばらくするとなかったように忘れてしまうので「えっ何で」とショックとわたし自身が不安になってしまうストレスでイライラしてしまうのです。
母の立場になって寄り添えればいいのですが、自分の感情が1番になるとストレスになるため、ストレス発散の含んだ言葉が出てしまいます。そして、あとになって胸が痛みます。頭でわかっていても、どこかでわたし自身が受け止められなくて、ストレスが態度と言動を支配して繰り返してしまうのです。
ほとほと自分の弱さが身に沁みます。十字架の愛を忘れてしまうと、自分の感情が1番になることがわかりますし、頭でわかっていても、受け止めたくない思いが溢れてしまうのです。処理しきれないので、周りに相談しながら学んでいる過程です。
このように感情があるのが普通なので、それ自体は問題ないのですが、大事なのは感情を理解してくださいます神さまに心を向けられるように求めることと、十字架の愛を思い起こさせてもらえるように求めることですよね。そして母を理解できるように、そのまんまを受け止められるように求めていきたいと願います。
だから「十字架の愛」が心にあることは恵みであり宝なのです。わたしの視点や受け止め方や世界観が大きく変えられるからです。十字架の愛は、自分を取り戻すことができます。なぜならば、こんな自分のために十字架にかかってくださった主の愛に包まれるからです。
イエスさまが十字架にかかられた時に味わった恐怖、苦痛、みじめさ、孤独などを凌駕する愛は、自分にとって受け止めきれない思いに向き合う(十字架)になり、ほんの少しですが、イエスさまの思いに触れられるからです。
「十字架の愛」を忘れさせてしまう「自分の感情1番」によって、縛られてしまう状態から自由にしてくださいます主に心を向けさせてください。
「それから、弟子たちに言われました。「だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。」マタイの福音書 16:24 JCB https://bible.com/bible/83/mat.16.24.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2023.4.30きんたメール第864号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『信じるチカラ・・・』〜与えてください〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。ゴールデンウィークになりました。後半は雨模様みたいですが、新緑の時期でもありますね。おでかけしましょう。たくさん緑を見ましょう。緑色は目に優しいと言われています。目と心の保養になりますように。あなたは大切な存在です。それぞれお一人ひとりの上に人生を豊かにする知恵で満たしてくださいますように。主の祝福が豊かにありますように。
さて、みなさんは「信じる」ことが「チカラ」になることは知っておられるのではないでしょうか。と、言うことは、「信じられない」そのような時は、どんな気持ちになるのか、それぞれ経験していることと思います。
わたしは、うつがひどい時、夜は眠れず、誰とも関われず、自分に自信がまったくもてず、生きていることが辛く、自分の存在自体をも呪うくらい死にたいと塞ぎこんでいた日々がありました。
絶望は、自暴自棄にさせたり、無気力にさせたりします。極端に視野が狭くなり、神さまなんかいないと思わせる力で惑わします。
でも、それは惑わしであり、ウソなのです。神さまから離れさせようとする働きは、良い時は「傲慢」の罠をしかけ、弱っている時は、「自分はダメだと思わせる自己卑下」の罠をしかけるのです。
「条件」や「評価」の中で生きていると、「無条件の愛」を信じられないと思い込んでしまうからです。
十字架の愛は、無条件の愛です。どんなことがあっても、決して見捨てないからです。
だから、この本物の愛は神さまから来ることを知った人は、信じるチカラに支えられていることを、ざまざまなことを通して感じることができるのです。
あなたは、誰が何と言おうと、大切な存在です。だから、惑わそうとするあらゆる罠から自由にしてくださいます神さまにこそ、心を向けられますように、それぞれの状態から主が助けて導いてください。
振り返ると、なんだかんだと支えられて、今があります。またすべてがわたしたちが成長するため、忍耐を養うための糧になっていることも不思議です。ゆえに「信じるチカラ」を与えてください。
「信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。また、何が起こるかわからない先にも、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことです。」へブル人への手紙 11:1 JCB https://bible.com/bible/83/heb.11.1.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2023.4.23きんたメール第863号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『アンコンシャスバイアス・・・』〜聴く耳を忘れない〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。それぞれにいろいろありました一週間でしたが、守られましたことに感謝します。あなたは大切な存在です。それぞれお一人ひとりの上に人生を豊かにする知恵で満たしてくださいますように。主の祝福が豊かにありますように。
さて、アンコンシャスバイアスをご存知でしょうか。アンコンシャス(無意識)、バイアス(思い込み・偏見)、「無意識な判断基準」を意味します。
ハラスメント問題がクローズアップされるようになり、その要因として、一律ではなくそれぞれのアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)にスポットが当たるような流れになってきたのです。
わたしたちは、それぞれ「常識」「当たり前」だと思い込み(無意識な偏見)を持ち合わせています。
例えば、「看護師さんと言うと女性だと思う」「消防士さんと言うと体育会系の男性だと思う」などがありますが、それ以外にも自分にとっての当たり前はたくさんあります。
しかし、自分にとって当たり前だと思うことが、他の人もそう思うものだと決めつけると、そうでないと思う相手との「受け止め方」は、かなり「開き」が出てしまいますよね。
ここの問題にスポットを当てているのがアンコンシャスバイアスです。それぞれの視点を理解することで、受け止め方の幅が広がるからです。
このアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)は、どの人の中にもあるものなんだと言うこと。だだ、それぞれの中にある「無意識な先入観や、思い込み」は同じではないと言うことこそ、当たり前であり、常識だと共有できたらいいなぁと言うことです。
聖書を読むと、イエスさまが1人ひとりと関わる時、相手のアンコンシャスバイアスを理解されていることがわかります。
夜通し漁をしたけど、まったく収穫がなかったシモン(ペテロ)に、もう一度漁をするように促すと、獲れないと思い込んでいただけではなく、漁の素人が何言ってるんだと思い込んでいたペテロの姿がわかります。でも仕方なく漁に出ると、思い込みとは逆に大漁になったのです。
思い込みは「聴く耳」を塞いでしまいがちですが、ペテロのようにまずはやってみることが大事なことであり、偏見から自由にされる主にこそ心を向けていきたいと願います。
「ある日、イエスがゲネサレ湖(ガリラヤ湖)のほとりで教えておられると、群衆が神のことばを聞こうと押し寄せました。 見ると、水ぎわの二そうの小舟のそばで、漁師たちが網を洗っています。イエスはそのうちの一そうに乗り込んで、持ち主のシモンに少しこぎ出してもらい、舟の中に座ったまま群衆に教えられました。 話が終わると、イエスはシモンに言われました。「さあ、もっと沖へこぎ出して、網をおろしてごらんなさい。」 「でも先生。私たちは夜通し一生懸命働きましたが、雑魚一匹とれなかったのです。でも、せっかくのおことばですから、もう一度やってみましょう。」 するとどうでしょう。今度は網が破れるほどたくさんの魚がとれたのです。 あまりに多くて、手がつけられません。大声で助けを求めました。仲間の舟が来ましたが、二そうとも魚でいっぱいになり、今にも沈みそうになりました。 シモン・ペテロは、あわててイエスの前にひれ伏し、「先生。どうぞ私みたいな者から離れてください。私は罪深い人間で、とてもおそばには寄れません」と叫びました。 あまりの大漁に、ペテロも仲間たちも恐ろしくなったからです。 仲間には、ゼベダイの息子のヤコブとヨハネもいました。イエスはシモンに、「こわがることはありません。あなたは今からは人間をとる漁師になるのです」と言われました。 岸へ上がると、彼らはすべてを捨てて、イエスに従いました。」ルカの福音書 5:1-11 JCB https://bible.com/bible/83/luk.5.1-11.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
2023.4.16きんたメール第862号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『まことの勝利者』〜1匹の羊から学ぶ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。それぞれにいろいろありました一週間でしたが、守られましたことに感謝します。あなたは大切な存在です。アンディ美湖さんの温もりフレーズ「あなたの存在を感謝します」に、いつも癒されています。いろいろなことがあるお一人ひとりの上に人生を豊かにする知恵で満たしてくださいますように。主の祝福が豊かにありますように。
さて、聖書には100匹の羊がいて、1匹が迷子になった場合、99匹の羊を置いて、1匹の羊を命がけで探しに行く羊飼いのお話しがあります。このお話しは、「決してあなたを見捨てない」と言うメッセージが込められています。
身近なたとえにすると、あなたには3人の大事な子どもがいます。1番下の子が迷子になりました。あなたはどうしますか?
1番下の子が見つかるまで探しに行くのではないでしょうか。不完全なわたしたちが、そう思うのであれば、わたしたちを造られた神さまが思わないわけがないのです。
そして私たちは、神さまとの関係において自分こそ1匹の羊であることに気づくと、より意味がわかると思いますし、気づいた人は自分が1匹の羊であることを忘れてはならないことも覚えたいことなのです。
わたしたちは、この世に生まれてきたら、必ず死を迎えます。だから自分の人生を振り返って「ありがとう」と言いたいですよね。
それでね。心に残るこの1匹の羊のお話しなのですが、自分が1匹の羊であることを忘れなければ、もしくは忘れても思い出せていただいたなら、きっと、その人はまことの「人生の勝利者」になること間違いないと確信しています。
勝利者と言えば、先週のイースター礼拝で紹介していただいた小坂忠さんの「勝利者」に感動しましたので、共有させていただきます。
迷子になった1匹の羊は、一見敗北者のように見えるかもしれません。傷つき苦しみ悩みながらさまよっているように見えるかもしれません。でも、そこから、それでも前に向かうことがすごいことなのです。前に向かうための「支え」があることに気づいてほしいのです。
「勝利者は苦しみ悩みながら、それでも前に向かう」と言うフレーズで有名な小坂 忠さんの「勝利者」です。よかったら聴いてみてくださいね。わたしは感動しました。
https://m.youtube.com/watch?v=ADtsvfuFlSA
あなたの存在を感謝します。(アンディ美湖さんのミラクルエブリデイ 毎日配信されるメールおすすめです)https://us19.forward-to-friend.com/forward?u=92a71f952e07a14de10c621f6&id=cd4e29d92d&e=c8bc486ca7
「そこでイエスは、次のようなたとえ話をなさいました。 「羊を百匹持っているとします。そのうちの一匹が迷い出て、荒野で行方がわからなくなったらどうしますか。ほかの九十九匹は放っておいて、いなくなった一匹が見つかるまで捜し歩くでしょう。 そして、見つかったら、大喜びで羊を肩にかつぎ上げ、 家に帰ると、さっそく友達や近所の人たちを呼び集めて、いっしょに喜んでもらうでしょう。それと同じことです。迷い出た一人の罪人が神のもとに帰った時は、迷ったことのない九十九人を合わせたよりも大きな喜びが、天にあふれるのです。」ルカの福音書 15:3-7 JCB https://bible.com/bible/83/luk.15.3-7.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主