2021.5.30きんたメール第764号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『比較するなら』〜いつでも十字架と〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。5月最後の日曜日です。5月の月日も守られましたことに心より感謝します。これからはじまる6月の時、そして梅雨の時も皆さまの健康が守られますように。1人ひとりの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、わたしたちはさまざまな比較をしながら生きているのではないでしょうか。自分の都合によいかわるいか、あるかないか、できるかできないか、早いか遅いか、強いか弱いか、上か下かなどなど他の人と比べて自分はどうなのか、そんな基準に縛られてしまうことがありますよね。
本当の価値は、比較の問題ではないのですが、判断する基準の一つではあるため個人差はあれ、わたしたちは比較することに慣らされているのです。
だから、比較は競争原理をかき立てて成長を促す作用もありますが、優劣感を促す作用にもなります。そういう比較社会の中で、それぞれの受け止め方によっては自分の存在意義や価値に影響を及ぼすこともあるのです。
基準に左右される安心。いつも変動する安心は本当の安心ではないのですが、でも、この安心を求めてしまうのが現実です。みなさんはいかがでしょうか?
そこで、比較を嫌がっても仕方ないので、好きなだけ比較してください。究極の比較基準をご提案させていただきます。比較すればするほど癒されます。そんな基準があるのか? はい、あるのです。それが見る影もないほど「みじめ」な姿になってくださいました御方です。十字架にかかられたイエスさまです。なんで十字架にかかられたのか? それがわかると癒されるのです。
だから比較するなら、常に「イエスさまが十字架かかられた姿」と比較することをおすすめします。ここから得る「いやし」は本物です。まったく左右されません。わたしたちの心に新たな自由の基準を与えてくださいます。
「彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」イザヤ書53:5
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」ヨハネ14:27a
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
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