2021.3.28きんたメール第755号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『 十字架に向かって』〜目をあげよう〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。3月最後の日曜日です。4月になると新しい期のはじまりです。環境が変化する方も、またいろいろあって今の状況を変化させたい人も、置かれた場でのさまざまな思いをお持ちなのではないでしょうか。それぞれの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、「十字架」とはなんでしょうか。十字架刑はローマ時代に行われていた苦しみとみじめにさらしながらゆっくり殺す刑です。
だから、そんな目に遭わされた救い主なんて弱いし、まして自分とは関係ないから信じられないなど、十字架のイメージは無関心と暗闇のシンボルと言えます。
なのに、そんな「暗闇のシンボル」が一変して「救いのシンボル」になっている人もいるのです。なぜでしょうか。
同じ十字架を見上げても、見るところが違うと受け止め方も違うからです。
一方はみじめに殺された「無力な姿」を見ており、もう一方は罪のない御方が罪深い自分の身代わりとなってくださっている「愛の姿」を見ています。
目を背けたくなるものに、目を向けると本質が見えてきますが、目を背けて表面だけに惑わされてしまうと、的外れの正当化をしたり、恐いし意味もわからないので、ますます向き合うことができません。
つまり、十字架によってイエスさまに起こった出来事が、なぜ救いになるのかがわからないのです。そのように、わたしたちはどちらの視点にもなる今の世の中で生きています。
だから、本質を見る目を求め続けていくことが必要です。本質は向き合うことで見えるから、目を背けたくなることにこそ、向き合う力が必要になります。ゆえにその土台になるのが十字架です。
ここで言う十字架は、弱くてみじめな自分に向き合うことです。自分が赦された経験を忘れないことです。赦された時にどんな気持ちになったのかを忘れないことです。次週はイースターですね。それまでの時間は十字架にかかられたイエスさまの気持ちを想像してみましょう。
「それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 」マタイ16:24
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福と勇気が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
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