2017.7.9きんたメール第564号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「『じ』の〃が取られて『感謝』に変わる・・・」
  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。九州の大雨によって大きな影響や被災がありました。少しでも早い復旧と、その場におられますお一人ひとり避難生活の中で不安になられています。どうぞ、主の癒しと平安が豊かに注がれますように覚えてお祈りください。また熱中症対策も必要です。それぞれ与えられています場所にて主が共にいてくださいますように。必要を与えてください。今週もあなたの上に「主の平安」が豊かにありますように。
  さて、私たちは自分の「求めるもの」と「必要」が必ずしも一致するとは限りません。むしろ「本当の必要」よりも「都合よいもの」の方に心が向いてしまうことが「当たり前」になっているのではないでしょうか。
  そんなところにスポットを当てた人がいます。作者は不明ですが、ニューヨーク大学リハビリテーション病院の壁に書かれています大変有名な詩です。私はこの詩に出会って20年くらい。この詩に救われた一人です。まだ知らない人のために以下紹介します。
  「大きなこと」を成し遂げるために「力」を与えてほしいと神様に求めたのに、慎み深く「従順」であるようにと「弱さ」を授かった。(I asked God for strength, that I might achieve I was made weak, that I might learn humbly to obey)
  より「偉大なこと」ができるようにと「健康」を求めたのに、「人生」を間違わないようにと「病弱」を与えられた。(I asked for health, that I might do greater things I was given infirmity, that I might do better things)
  「幸せ」になろうとして「富」を求めたのに、「賢明」であるようにと「貧困」を授かった。(I asked for riches, that I might be happy I was given poverty, that I might be wise)
  世の人々の「称賛」を得ようとして「成功」を求めたのに、「神様」の存在に自分が気付けるようにと「弱さ」を授かった。(I asked for power, that I might have the praise of men I was given weakness, that I might feel the need of God)
  人生を「楽しもう」とたくさんのものを求めたのに、あらゆることを楽しめる「命」を、自分はすでに「授かっていた」ことに気付いた。(I asked for all things, that I might enjoy life I was given life, that I might enjoy all things)
  求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。自分は神様の「意にそわない者」であるにもかかわらず、心の中を言い表せない祈りは全て叶えられた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに「祝福」されていたのだ。(I got nothing that I asked for  but everything I had hoped for Almost despite myself, my unspoken prayers were answered. I am among all men, most richly blessed!)
  本当に祝福された人の詩です。そこに至るまでの葛藤は想像を超えるものがあったと思います。作者は「患者」さんと思われますが、「患い」を与えられたことでかえって神さまの恵みに目が開かれて、必要は与えられ「なかった」のではなく、実は与えられて「いる」ことに気付いたのです。
  比較することや、自分の都合に縛られて、余計なことに心疲れてしまうことがありますが、「神さまの恵み」に目を向ける時、患者(かんじゃ)の「じ」の〃が取られて感謝(かんしゃ)に変わるようです。神さまの恵みに感謝して主と共にある自由に与って、前進していけますように共に祈っていきましょう。
  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、午後は交わりの時があります。のだ姉の上に平安が共にありますように。わたなべ兄のご家族の上に主の平安が共にありますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
  6月28日(水)早朝あらた兄(藤村姉の義弟)が召されました。人生の終盤、難病と向き合いながらご家族と共に歩まれました。生活リズムが変えられて、家族との必要な時間を与えられました。主の御手の内にありますように。残されましたご遺族の上に主の慰めと平安が豊かに豊かに豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
  それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。   
  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
 
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