2015.11.8きんたメール第477号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「ねたむ・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。紅葉がきれいに彩られる時期になってまいりました。いかがお過ごしでしょうか。寒さも深まりつつありますので、どうぞご自愛くださいますように。皆様の健康が護られますように。
さて、「ねたむ」ということですが、誰もがもつ自然な感情です。意味は、他人が自分よりすぐれている状態を「うらやましく」思って憎む。やきもちをやく。腹を立てる。恨み嘆く。マイナス的なイメージをもたれやすい意味の言葉になります。
ところがこのマイナス的な感情を効果的に活用しているところがあります。それが経済的な見地から見ると、不安や妬みを煽ることで景気に反映させるというものです。CMのほとんどがそのようにして購買意欲に訴えています。
しかし、一方で悲劇を生み出している多くの場合は、この「ねたむ」感情に「支配」されてしまって、「ねたむ」こと自体が「目的」になってしまっていることです。こうなると正しく判断できる状態ではなくなってしまいます。制御不能のため自分で自分がコントロールできません。
ねたむこと自体は悪いことではなく、ねたむ感情をもつことも悪いことではありません。大事なことはねたむことに惑わされないで、具体的にどうしたかったのか、ねたみの奥にある自分の気持ちにこそ目を向けていくことが必要なのだとわかります。不思議なのは、人のことはよく見えるのに、どうして自分のことは見えなくなるのでしょう。
だから、そういう時に相談できる人がいたらうれしいですよね。聖書ルカ10:38〜42に、何でも一生懸命な働き者のマルタさんは、妹のマリアさんが何もしないことに腹を立ててイエスさまに訴えるのですが、イエスさまはすべてを包み込むようにマルタの心が何に縛られているのかを気づくように促します。そのように相談できる主がいることは幸せなことです。マリアの心は主に向いたのです。イエス様はねたみを十字架によって愛に変えられました。主に心を向けることはとても大事なことです。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ、教会にお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年44回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に交わりの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。新保牧師、つのえ兄、わたなべ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。たなか兄の働きを祝してください。またふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
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