2012.7.22 きんたメール第309号です。 ※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「・・・だから、学びたい」
敬愛する皆さま
福岡からお届けします。天候も変化しやすいけど、暑い日が続きますので、水分補給、塩分補給など心掛けてくださいますように。どうぞ、ご自愛くださいますように。
さて、聖書には「善いサマリア人」のお話がルカによる福音書10章25〜37節に書かれています。イエス様は「隣人を自分のように愛しなさい」と言われ、「隣人」について説明しています。強盗に襲われて、心も身体も傷ついた人が倒れていました。皆さんなら、どうするでしょうか。きっと、救急車を呼ぶことでしょう。では、聖書の内容に戻ります。
そこにたまたま祭司が通りかかったのですが、なんと気づかないふりをして行ってしまいました。祭司は神さまの言葉を伝えるのが役割の人です。続いて、同じようにレビ人が通りましたが、レビ人も気づかないふりをして行ってしまいました。レビ人も神殿に仕えるのが役割の人ですから、いつも神さまに祈っている人です。なのに祭司もレビ人も倒れている人を見捨てて行ってしまいました。ところが、そこにサマリア人が通りかかりました。倒れた人のそばに来ると、憐れに思い、手当をして宿屋まで運び、見ず知らずの人の治療費まで払って、周りにも助けを求めて、その人を介抱されました。サマリア人は、当時混血として差別され、いじめられていた人達です。つまり痛みを知っていた人です。 そしてイエス様は聞かれました。「この倒れた人の『隣人』になったのは誰か。」
板橋教会は、そのように傷ついた人が休み、介抱されるところであってほしいと、ホームページに告白しています。何もしないで「休みなさい」と言うだけなら、このお話にでてくる祭司・レビ人と同じになります。しかし、傷ついた人の心の奥の声に耳を傾けるなら、善きサマリア人を目指すことになります。ここから学ぶことは、ここに登場した善きサマリア人は、手当の仕方を知っていた、つまり医学を学んだ人なのか、応急処置の仕方を知っていたことがわかります。それで、教会が目指すべきなのは、見た目の正しさ(祭司やレビ人)ではなく、人として当たり前のように、倒れている人を助けようとする善きサマリア人ではないでしょうか。
痛みを知っているからこそ、痛みに耳を傾けることができるはずです。だから、「聴く」ことを通して、教会に来た人がひと時でも休めるように、善きサマリア人を目指すための学びが必要です。そして、教会に導かれた人が、本当の主に出会えれば、その人の人生に本当の救いが訪れるはずです。自分自身に言い聞かせるためにも、これからも言い続けていきます。すいません。いつも。だから、「聴く」ことについて「恵み会」で学び合いたいのです。よろしくお願いします。
皆様の上に主の祝福が豊かにありますように。
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