『あなたがたが、これらの困っている一番小さい人たちに親切にしたのは、わたしにしたのと同じなのです。』 (マタイの福音書 25:40 JCB)
困っている一番小さい人とは、どんな状態でしょうか。今まで、あなたにもどうにもならないくらいに困ったことがあったのではないでしょうか。
そのような時、無視されたり、さらに追い打ちされたら、どんな気持ちになるでしょうか。救いのない絶望感でいっぱいになるでしょう。
十字架にかけられたイエスさまの気持ちが少しわかるのではないでしょうか。すべてをわかってくださいます神さまが、十字架にかかってでも寄り添って一緒にいてくださいますことは救いなのです。
まして、イエスさまを十字架にかける側にいたわたしたちのためにも、イエスさまは見捨てないで、愛と恵みを注ぎ続けてくださいます。わたしたちが本物の愛と救いに気づいて同じように温もりを持ち運ぶようになるためですね。
『あなたがたが、これらの困っている一番小さい人たちに親切にしたのは、わたしにしたのと同じなのです。』 (マタイの福音書 25:40 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「悪意のこもったことばを口にしてはいけません。相手の益となり、助けとなること、また祝福を与えることだけを話しなさい。 」(エペソ人への手紙 4:29 JCB)
「売り言葉に買い言葉」とは、相手の攻撃的な言葉や挑発的な発言に対して、感情的に反応し、同じように攻撃的になってさらに強い言葉で返してしまうような態度ですよね。
しかし、そのような時こそ、「受理言葉に愛言葉」で冷静に対応することで不要で不毛な対立を避けることができます。
そのためには、まず神さまに心を向けることが必要です。イエスさまの十字架の愛に心を向けることが大事なのです。自分が赦していただいたように赦すことができるように祈りましょう。
神さまはお助けマンである聖霊さまによって、わたしたちに聴く耳を与えてくださいます。
相手の見た目の言動に惑わされないように、何がそうさせてしまうのか、心の声に聴くことができるのです。温もりの視点を広げていただきましょう。
「悪意のこもったことばを口にしてはいけません。相手の益となり、助けとなること、また祝福を与えることだけを話しなさい。 」(エペソ人への手紙 4:29 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「その、主でも先生でもあるわたしが足を洗ってあげたのですから、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい。 』(ヨハネの福音書 13:14 JCB)
互いに足を洗い合うって、すごいことですよね。人生のミッションです。相手を尊重して深く理解し合う生き方。つまり十字架の愛を目指す生き方だからです。
イエスさまが弟子たちの足を洗われたように、謙遜は「自分を低くすること」以上に、「相手を大切にすること」なのかもしれませんね。
それぞれのさまざまな関係において、自分が何かを「してもらう」側ではなく、「与える」側になる姿勢を持つことも大切です。
また批判されたり、思うようにいかない時も含めて、わたしたちはさまざまことを通して謙遜な心を選ぶ、学ぶチャンスがあるのです。
「その、主でも先生でもあるわたしが足を洗ってあげたのですから、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい。 』(ヨハネの福音書 13:14 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「しかし、イスラエルよ。あなたを造った主は、 今こう言って慰めてくれます。 「恐れるな。わたしはあなたを買い戻したのだ。 わたしはあなたの名を呼んだ。 あなたはわたしのものだ。 」(イザヤ書 43:1 JCB)
神さまがわたしたちを創造し、贖い、名前を呼んで「あなたは私のものだ」と宣言しています。
これは、神さまの愛と守りの約束を示し、不安や困難の中でも信頼するように促しています。
まさに「神が私たちを見捨てることなく、いつも共にいてくださる」という希望の約束ですね。
どんな困難の中でも、「恐れるな」と語りかけてくださる神さまの愛を感じます。
「しかし、イスラエルよ。あなたを造った主は、 今こう言って慰めてくれます。 「恐れるな。わたしはあなたを買い戻したのだ。 わたしはあなたの名を呼んだ。 あなたはわたしのものだ。 」(イザヤ書 43:1 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「神がお立てくださったわれらの王に 祝福があるように。 天よ、喜べ。 いと高き天で、神に栄光があるように。」 (ルカの福音書 19:38 JCB)
イエスさまがエルサレムに入城する際に弟子たちが叫んだ賛美の言葉です。「主の名によって来られる王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」これは、イエスさまがメシア(油注がれた救い主)として迎えられたことを示しています。
イエスさまの入城は、ゼカリヤ書9章9節の預言の成就とされ、子ロバに乗って平和の王として迎えられました。
力強く勇ましい馬に乗って来たのではなく、無力そうに見えるロバの子に乗って来たのです。つまり、救い主の姿は、わたしたちがイメージする圧倒的な力ある王ではなく、わたしたちのために十字架にかかってくださいます愛と平和に満ちた王なのです。
「神がお立てくださったわれらの王に 祝福があるように。 天よ、喜べ。 いと高き天で、神に栄光があるように。」 (ルカの福音書 19:38 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。