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投稿者 : church 投稿日時: 2011-09-25 06:55:08 (1318 ヒット)

聖書 マルコによる福音書1章30〜32節


「シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。

夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。」


宣教題  『癒された者』   

主イエスと弟子達は、シモンとアンデレの家に行きました。シモンの家では、シモンのしゅうとめが、熱を出して寝ていました。


主イエスは、シモンのしゅうとめのそばに行き、苦しんで寝ている彼女の手を取って起こされました。その時、一瞬にして彼女の熱は去って行きました。


主イエスによって、熱を取り去っていただいたシモンのしゅうとめは、すぐに元気に立ち上がり、主イエスと弟子達一同をもてなしたのです。(「もてなす」と言う言葉は、「仕える。奉仕する」という言葉と同じ意味を持ちます。)


ここに癒された者の生き方があります。主イエスが手を取って起こしてくださったことを経験した人、すなわち癒され、赦され、救われた人々は、この経験に感謝して、神の国のもてなしをするのです。彼女は、病み上がりであるにも拘わらず、主イエスによって癒された喜びに動かされて奉仕する者になっていくのです。


熱を出して寝ていたしゅうとめの世話をする人は、この家にいたでしょう。しかし今まで寝ていた彼女自身が主イエス達をもてなすのです。人任せに出来ない自分がもてなしたいと思ったのです


神の愛によって、私たちは、生き方を変えられます。まさに悔い改めです。悔い改めとは、自らの過去の過ちを反省することだけではありません。主イエスに触れ今までの自分から、新しい自分へと生き方を変えて行くことなのです。


投稿者 : church 投稿日時: 2011-09-18 07:27:48 (1608 ヒット)

聖書 マルコによる福音書1章12〜15節


「それから、”霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」


宣教題 『神様の刻印バプテスマ』

    

主イエスが、ヨルダン川でバプテスマを受けられてから、すぐのことです。バプテスマの時に天から降った狎士″が、主イエスを荒れ野へと送り出したのです。そして、この荒れ野で40日間に渡って、サタンからの様々な誘惑を受けられました。


荒れ野で様々な誘惑を受けている間、主イエスは、野獣と一緒におられたと聖書は言われています。しかし、主イエスは、野獣から危害を加えられるということはなかった。天使たちが主イエスに仕えていたからです。神の守りが共にあったからなのです。


この主イエスのバプテスマと、その直後のサタンの誘惑によって分かることは、私たちのバプテスマとクリスチャン人生です。


たとえ、バプテスマを受けたからといって、サタン(世)の誘惑から完全に解放される、あるいは欲望が無くなったという訳ではないのです。この世を生きる限り様々な誘惑が、野獣が獲物を狙う様に、私たちを待ち伏せして絶えず狙っているのです。


しかし、そんな誘惑の人生の中であっても、神の守りが確実にあります。たとえ誘惑の先に、野獣が牙を向いて待っていたとしても、神が共にいてくださり、守ってくださるのです。ですから誘惑に会う時、神に祈ることです。神の守りが実感できます。


バプテスマされるとは、神の子としての刻印が打たれる事なのです。あなたが神様から迷子になっても、神はあなたを決して見失うことはありません。


投稿者 : church 投稿日時: 2011-09-11 06:45:28 (1459 ヒット)

聖書 マルコによる福音書1章9〜11節


そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて”霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。


宣教題  『神と人を結ぶ』   

「イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。」とあります。何故、神の子である主イエスが、ヨハネからバプテスマを受けたのでしょうか。ヨハネの行っていた洗礼は、罪の赦しを得させるための、悔い改めのバプテスマであったからです。


それでは主イエスは、神の子でありながら、罪を赦してもらう必要があったのでしょうか。マルコ福音書1:5に、「ユダヤの全地方から、人々が押し寄せて来て、ヨハネから洗礼を受けた」と記されています。主イエスは、この大勢の人々の中の一人にしか過ぎないかの様な印象を受けます。

確かにそうなのです、主イエスは、大勢の人々の中のお一人として洗礼を受けられたのです。


しかし、洗礼を受けられた主イエスが、水の中から上がると、主イエスの上に「天が裂けて、聖霊が鳩の様に降って来た」のです。


これは、今まで罪によって遮られていた天が開き地とつながったことを意味します。主イエスによって天と地がつながったのです。あなたの救いの為に主イエスのバプテスマがあるのです。


罪なき神の子イエスキリストが、罪人と同じくなる為に洗礼を受けられたのです。キリストが洗礼を受けられ、あなたと同じ所に来られ、あなたの十字架の身代わりになって救うためであったということ知って下さい。

 


投稿者 : church 投稿日時: 2011-09-04 07:14:32 (1633 ヒット)

聖書 ルカによる福音書17章20〜21節


ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」


宣教題 『神の国はあなたの中に』 



ファリサイ派の人々が、主イエスに対して「神の国はいつ来るのか」と尋ねました。主イエスは「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」と答えられました。


心の目を開いて、よく見るならば神の国は、もう既に、あなたのそばに来ているのだ、と言われている。主イエスの福音を聞いて、主イエスの奇跡の業を見る時に、神の国は、ここにあると確信できるのです。つまり、あなたの中に神の国を確信できるのです。


問われているのは、主イエスを通して現わされる神の国を、どのように、あなた自身が受け止め、感じ取るか、ということが大切なのです。主イエスの福音を二人の人が聞いても、一人は、「神の国が来ている」と受け止め、もう一人は「神の国など信じられない」と思うのです。



この世を生きる限り、誰にも艱難辛苦があります。この艱難が、苦しいだけで何の意味も無いとしたら、艱難に耐えることの意味とは何でしょうか。それよりずるがしこく生きる方が得に思えてしまう。熱く過酷な砂漠の先に水をたたえた泉湧くオアシスがあると確信するなら、歩くことにも意味があり耐えられるでしょう。


主イエスと共に歩むならば、今の苦しみも意味の無いものではありません。信じて歩むなら苦しみの先に神の国の喜びがあります。今のあなたの苦しみは、大きな喜びが待っている産みの苦しみなのです。艱難は苦しみではなく試練に変わるでしょう。

 


投稿者 : church 投稿日時: 2011-08-14 07:30:54 (1415 ヒット)

聖句 ルカによる福音書17章11〜14節

宣教題 「決心と癒し」    

主イエスと弟子達がエルサレムへ向かう途中の村でのことです。重い皮膚病を患っている十人の人たちが、遠くの方に立ち止まったまま、主イエス達を出迎えました。彼らは、重い皮膚病を患っていたので主イエスのそばに近付くことが出来なかったのです。

私たちはどうでしょうか。彼らと同じように、主イエスとの距離を感じることはないでしょうか。癒して欲しいと願いながらも、そこに行くには自分が相応しくない、こんな私が教会に行ってもいいのだろうか? クリスチャンでいいのだろうか。

こうしたことがあるならば、私たちもこの十人と同じ様に、主イエスとの間に大きな距離があると言うことです。

十人は、声を張り上げて、主イエスに憐れみを願いました。「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください。」すると、主イエスは「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言われました。彼らは主イエスの言う通りにしました。

彼らは、祭司の所へ行く途中、十人全員が癒されました。主イエスは「皮膚病が癒されよ」と言ったのではなくただ「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言われただけなのです。

彼らは、まだ癒されていない。でも主イエスのお言葉に従った。そのとき癒されるのです。まさに決心の時、癒しがあるのです。


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