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投稿者 : church 投稿日時: 2016-06-05 09:08:45 (874 ヒット)

本日の聖書 マタイによる福音書9章17節

「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」

宣教題「日々新しく」  牧師 新保雅雄

主イエスは、福音を、どう受け止めるべきか、二つの例を語られました。いずれも新しいものと、古いものとの関係が示されています。

一つは、古い服のどこかが破れてしまったために、継ぎを当てる時のことです。この場合に、わざわざ、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てますと、新しい布切れがちじみ、服を引き裂き、破れがいっそうひどくなると主イエスは言われます。

一度、洗濯して、服が濡れ、乾き始める時には、織りたての布切れは収縮の度合いが激しいために、せっかく継ぎを当てても、回りの古い生地が引っ張られ、破れてしまうのです。

二つ目として、新しいぶどう酒を革袋に入れる時のことを語られました。この場合にも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れますと、革袋が破れ、せっかく中に入れたぶどう酒も、流れ出てしまうのです。 

結果として革袋もぶどう酒も、両方とも失われてしまうのです。新しいぶどう酒は、発酵力が強く膨張するからです。

神の愛を信じる者は、古い生き方から解き放たれ、新しい歩みへと招かれているのです。主イエスという新しいぶどう酒を受け入れることで、私たち自身が、新しい革袋に作り変えられるのです。

しかし、気が付かない内に、古い革袋は、弾力を失い、新しいぶどう酒を中に納められなくなるのです。無理に入れようとすると、袋が破けてしまうのです。ですから、主イエスの恵みと神の愛を、日々新たな思いで受け止めるためには、私たち自身も、日々新しく作り変えられることが必要なのです。

古い自身のままで主イエスの新しい教えを入れても、葛藤や迷いで自分自身が破けてしまうのです。


投稿者 : church 投稿日時: 2016-05-29 08:02:43 (934 ヒット)

本日の聖書 マタイによる福音書9章12節

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」

宣教題「あなたも招かれている」  牧師 新保雅雄

主イエスが、収税所の前を通り掛った時、マタイという人が収税所に座っていました。当時、徴税人は、人々から嫌われた存在でした。 

徴税人が徴税する金額は、徴税人に任せられていました。徴税人が、自分の考えで、多く集めることも、少なく集めることも出来たのです。そのため税金を水増しして徴収し、私腹を肥やしていました。徴税人は、人の弱みにつけ込んで儲けている様に思われました。

また、徴税人が嫌われる第二の理由としては、集めた税金はローマ帝国へ納められました。従って、ローマ帝国の手先であると見なされました。これらの点から、徴税人は、ユダヤ社会において、忌み嫌われ、神の救いに最も遠い存在と見なされていました。

そんな徴税人であるマタイに、主イエスは声を掛けてくださいました。そして「わたしに従いなさい」と言われたのです。

徴税人自身も、忌み嫌われ、救いに最も遠い存在であることを自覚していたことでしょう。金儲けはできるが、そのかわり神からさらに遠ざかっていくように思えた。同朋の友もいなかった。

「どうせ俺なんか神に愛されていない、」という思いを抱いていたマタイに、「わたしに従いなさい」と主イエスが声を掛けてくださった。するとマタイは、立ち上がり主イエスに従ったのです

「こんな自分でも受け入れられている」という思いをうけたのです。人は、自分を受け止め、受け入れ、話かけてくれる、また、話を聞いてくれる相手を必要としているのです。

マタイは、主イエスこそ、そういう方であると信じて、従ったのです。罪人や徴税人こそ、神の助けを必要としているではないかと、主イエスは言われているのです。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」


投稿者 : church 投稿日時: 2016-05-22 06:40:15 (814 ヒット)

本日の聖書 マタイによる福音書9章2節

「人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れてきた。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。」

宣教題「子よ、元気を出しなさい」  牧師 新保雅雄

がリラヤ湖の対岸で悪霊につかれた人を癒し、主イエスは、カファルナウムへと帰って来られました。こちら岸では、主イエスの帰りを待ち受けていたように、人々がやって来ました。彼らは、中風の人を床に寝かせたまま、主イエスのところへ連れて来たのです。

そこで、主イエスは、この人々の信仰を見て取り、こう言われました。「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される。」

 主イエスは、中風の人本人の信仰を、ご覧になったのでは、ありません。中風の人を連れて来た人々の信仰を、ご覧になったのです。 

本人でなく、周りの人々の思いによって、主イエスは、中風の人に対し、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われたのです。

当時のユダヤでは、病気の原因は罪だと考えられていました。本人が何らかの罪を犯したことが原因で、病気になったと理解されることが多かったのです。そのため、病気になった人は、病気の苦しみと、罪人とされる苦しみの二重の苦しみをうけてきたのです。

そのため、病気が癒されるためには、まず、本人の罪が赦されることが必要とされました。その罪の赦しは、代価、代償を払って得るべきものだと考えられていました。ハトや羊といった償いの犠牲を献げたり、奉仕の約束をすることなどがが求められるのです

ところが、主イエスは、いきなり中風の人に向かって罪の赦しを宣言されました。本人が、一切、罪の代価、代償を払うこともない内に、「あなたの罪は赦される」と主イエスは言われたのです。

なぜなら主イエス御自身が罪の代価として支払うべき犠牲の身代わりとなってくださったからです。ここに神の愛があります。


投稿者 : church 投稿日時: 2016-05-15 07:44:10 (884 ヒット)

本日の聖書 マタイによる福音書8章34節

「イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った」

宣教題「救いと犠牲」  牧師 新保雅雄

主イエスたち一行が、ガリラヤ湖の向こう岸、ガダラ人の地方に着いた時のことです。主イエスを迎えたのは、悪霊に取りつかれた二人だけでした。舟で渡る前は、主イエスたちは、大勢の群衆に取り囲まれていました。ところが渡った岸では、歓迎されませんでした。

主イエスを出迎えたのは、墓場から出て来た、悪霊に取りつかれた二人でした。彼らは、非常に凶暴なので、墓場に隔離された状態になっていたのです。

悪霊たちは、餌をあさっていた豚の群れを指して、主イエスに、こう願い出ました。「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ。」

主イエスは、この悪霊の願いを聞き入れられました。そして、悪霊に向かって、主イエスは、「行け」と言われたので、悪霊たちは、抵抗することもなく、二人から出て、豚の中に入り、豚はみな、崖を下って湖になだれ込み、死んでしまったのです。

これを見ていた豚飼いたちは、町に行って、このことを知らせました。町に人は、主イエスに、その地方から出て行ってもらいたいと言ったのです。せっかく、主イエスは、悪霊を追い出し、町に平和をもたらしたなのに、町の人たちは、主イエスを追い出そうとしているのです。

この町の人々は、悪霊に取りつかれ、苦しんでいる人がいても、犠牲を払ってでも、何とか悪霊を追い出し、その人を救おうという心を持っていません。自分たちの利益が優先するものでした。

一方、主イエスだけは、苦しむ人を、ほうっておくことは、ありませんでした。自己を犠牲にしてまでも私たちを救われる。ここに神の愛があります。


投稿者 : church 投稿日時: 2016-05-08 07:13:38 (1065 ヒット)

本日の聖書 マタイによる福音書8章26節

「イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」

宣教題「人生の船出」  牧師 新保雅雄

主イエスは、弟子たちに向かって、ガリラヤ湖の向こう岸に行くように、お命じになられました。ここには、主イエスによって病気を癒していただいた人々で溢れています。弟子たちにとってみれば、ここは居心地の良い場所です。ちょうど教会のような所です。

ところが、主イエスは、こうした居心地の良い場所に、弟子たちが留まることを、お許しになられませんでした。そして、弟子たちを追い立てるように、向こう岸へ行くようにと言われたのです。

その時、律法学者が、主イエスに近付き言いました。「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」

対して、主イエスは、答えました。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」

主イエスに従うことが、決して生易しいことでなく、寝る場所さえ無いほどの厳しさを覚悟しなければならないのだと、言われたのです。確かに、自分の思いを、神に明け渡し、主イエスの導きに素直に従うことは、口で言うほどには、簡単なことではありません。

それでも、主イエスは、「わたしに従いなさい」、「向こう岸へ行きなさい」と、弟子たちに言われました。そして主イエスが舟に乗り込まれ弟子たちも従いました。その時、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうです。弟子たちは、眠っている主イエスを起こすと訴えました。「主よ、助けてください。おぼれそうです。」

主イエスは、起き上がって、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」そう言われ風と湖をお叱りになると、嵐は止み、すっかり凪になったのです。主イエスの一声で風が止み、穏やかさが戻って来たのです。あなたの人生の船には、主イエスが共におられるのです。


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