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投稿者 : church 投稿日時: 2017-11-19 06:27:45 (82 ヒット)

本日の聖書   マタイによる福音書7章21〜24節

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に家を建てた賢い人に似ている。」

宣教題「行う人になりなさい」  牧師 新保雅雄

  建設会社の現場事務所には、現場の長である監督がいる。その監督も頭があがらないのが現場を設計した設計士である。建て主の依頼によって設計士ができる限りの知恵を絞り建物の案を作り予算を算出して設計図面を作る。現場監督と言えども設計士の意見に従わなくてはならない。すべての工程は、この設計士の思い通りに進んでいく。

  しかし、それよりももっと気を使わなくてはいけないのが、現場で汗をかいて働く職人である。彼らは、体で現場を感じるのです。青写真から立体的に建物を思い浮かべていきます。図面をひと目見ただけで建物の良し悪しを判断するんです。よい建物か手抜きか見破るのです。彼らは頭で考えるのではなく、体で感じとって建主の要望を満たす建物を造るんです。

  信仰も同じです。頭の中でいくら知恵を持っていても、いくら聖書に精通していても、口では立派に語れたとしても、生活の中に神の御心が生きていなければ、何になるでしょうか。信仰的に立派で、尊敬される者が、父なる神の御心を行っているとは限らない。

  主は更に続けて、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に家を建てた賢い人に似ている」と言われました。

  ここでいう賢さは、頭の良し悪しではありません。平和な時には、賢い人も愚かな人も区別がつかない。逆境の時に、主の言葉を自分のものとしている人は強い。

  主の御言葉は、実行されて初めて力になるのです。言うだけ、聞くだけは、誰にもできることです。主の御言葉を行う人こそ、それを自分のものにしているということである。主を信じる者には、主がそれを行う力も備えて与えてくださるのです。


投稿者 : church 投稿日時: 2017-11-12 06:51:30 (119 ヒット)

本日の聖書   マタイによる福音書14章34〜36節

こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた。土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

宣教題「主の衣に触れる」  牧師 新保雅雄

弟子たちだけで舟に乗ってガリラヤ湖を渡ろうとしました。しかし途中で大きな嵐に合い、弟子達は不安になりました。その時、主イエスが湖の上を歩いて弟子たちの船に向かってこられたのです。そうすると嵐が静まり、舟は無事に向こう岸へと着いたのです。

着いたところは、「ゲネサレト」というところでした。すると土地の人々は、皆に主イエスが来たことを知らせました。知らせを聞いた人々は、病気の人を主イエスのところへ連れてきたのです。

彼らは、主イエスの「服のすそ」でもいいから触らせて欲しいと「願った」。これは必死に頼むということを意味します。そして「触れたものは皆いやされた」のです。

彼らは「皆いやされた」主イエスの衣に触れた人は、皆病気が治った。しかし、私の病気が治らないのは、どうしてなのだろうか? 私は主イエスを信じているのに治らない。これはどうしてなのか。

きょうの聖書箇所は、私たちがこの地上の歩みを終えて、天に召されたとき、肉体の束縛から解放され、主イエスによる新しい体を頂くという、天の御国でやがて起こる出来事をいわれています。

今は聖霊の時代です。聖霊の働きの目的は、人を神のもとへと導くことにあるのです。主イエスを人々が信じるように働かれているのです。つまり「衣に触れる」とは「主と共にある」ということです。

私達は、主イエスの衣に直接触れることの出来る、天の御国を目指して歩んでいます。その時にはすべてが明らかとなるでしょう。

 


投稿者 : church 投稿日時: 2017-11-05 07:14:04 (74 ヒット)

本日の聖書   マタイによる福音書6章19〜21節

「あなたがたは地上に富を積んではならない。 そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

宣教題「あなたの富はどこにある」  牧師 新保雅雄

もし皆さんが聖書を知らないで人生を送るとすれば、当たり前に地上に富を積んでいたでしょう。そして手に入れた富は、決して離さないように自分の金庫(心、倉)にしまいこんでいることでしょう。

地上に富を積むとは、自分の倉にしまいこんで自分の為にだけ使うことなんです。ですから富とは宝物なのです。宝物とは、しっかり鍵をかけてしまいこむもの、決して離したくないものなのです。

主イエスは、「地上に富を積んではならない。」と言われました。なぜなら、「そこでは、虫が食ったり、さびついたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。」からだと言われるのです。

富は自分のものとしてあるのであって、他人へ分け与える事ができないのです。そのことを虫が食ったりさびつくと言われています。 

またその富を狙って人は、騙し、恨み、奪いあい、末には殺人まで起こします。地上に富を積むことに心を向けすぎると、多くの罪を増やす原因になるのです。

主イエスは言われます、「自分を愛すように、あなたの隣人を愛しなさい。」そして「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」と言われました。あなたの富はどこにあるのですか?

天に富を積むとは、愛を宝物にするということなんです。こんな世にあっても、神の愛を心に持つとき、必ずあなたの心も愛という祝福で満たされるのです。

 


投稿者 : church 投稿日時: 2017-10-29 06:40:15 (86 ヒット)

本日の聖書   マタイによる福音書5章43,44節

「あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

宣教題「敵を愛し祈る」  牧師 新保雅雄

本日の聖句は、「隣人を愛し、敵を憎め」です。 律法に関する主イエスの教えも、最後の6番目になります。愛するということ、とても大切な聖句です、いつも心に持ちたいものです。

「敵を憎め」という言葉は、「隣人を愛せ」という教えの裏返しとして、人の心に潜む思いと言えるのでは、ないでしょうか。ともすると、私たちは、自分の中で、隣人と敵との線引きをしたがるものです。

そして、隣人と認めた相手に対しては、愛そうとするが、敵だと認識した相手のことは、何があっても相容れない思いが心の中にあります。

主イエスは言われます。天の父である神は、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。」   

神は、悪人も、善人も分け隔てされません。正しい者と、正しくない者も、同じように愛してくださるのです。

もし、神が、善人にだけ、太陽を昇らせるとしたならば、一体、世の中でどれ程の人が、太陽の光を浴びることが出来るのでしょうか。

また、神が、正しい者にだけ、雨を降らせるとしたならば、どれ程の人が、恵みの雨を浴びることが出来るのでしょうか。

神は、この世の全ての者を愛しておられます。だからこそ、神は、悪人にも善人にも、分け隔てなく太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らせてくださるのです。

「神は、人を分け隔てされない。だから、あなたがたも、分け隔てすることなく、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と言われる。神が愛されている者を、なぜあなたが分け隔てする事が出来るのでしょうか。全ての人は、神の大切な子なのです。


 


投稿者 : church 投稿日時: 2017-10-22 08:03:49 (78 ヒット)

祝バプテスマ!

野田升美姉、おめでとうございます。

ここに来るまで、いろいろありましたが、まずはひとまず安心しました。主にある兄弟姉妹とともに、心からお祝いいたします。

バプテスマは、ここで完成、終わりではありあせん。ここからが神の子としての新しい人生の出発点なのです。つまり卒業式ではなく、入学式です。ですから、これからいろいろな試練も喜びも、また葛藤することもあるでしょう。

バプテスマを受けたからと言って、まったく罪のない、誘惑に負けない自分になるのではありません。どんな試練の波が襲ってきたとしても、神があなたを守ってくださるのです。あなたは、もう一人ではなく、神があなたと共におられるのです。

今は、まだ実感が持てないでしょうが、ある時、確信が持てるようになります。自分自身も驚くような確信です。本日は、水によるバプテスマですが、いずれ聖霊によるバプテスマが、あなたに降ります。どうか信じて、クリスチャン人生を楽しんでください。主に離れず繋がっていれば、必ず祝福が訪れます。

本日の聖書   ルカによる福音書15章20節

宣教題「お帰りなさい」  牧師 新保雅雄

「彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」

放蕩の限りをし尽くし、全財産を使いはたした息子が、ぼろぼろになって、父親の元に帰ってきました。すると、まだ遠く離れているのに、父親は彼を見つけ憐れに思い、走り寄って迎え入れ、何も聞かず、只思いっきり抱き締めたのです。ここに、神の愛が示されています。天の父は、立ち帰る者に何も言わず、無条件で迎え入れてくださるのです。今日、1人の姉妹が、我が家に帰ってきました。  

お帰りなさい。   ああ感謝、感謝・・・


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