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板橋区仲町23−17
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投稿者 : church 投稿日時: 2018-03-04 06:45:39 (72 ヒット)

本日の聖書  コリントの信徒への手紙1:22〜24

「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。

すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」

教題「十字架を宣べるとき」 牧師 新保雅雄

パウロは、アジアからヨーロッパへかけて伝道の旅に出て行きます。その行き着いた先々でキリストの十字架を宣教してきました。

しかし、多くの人々はパウロの宣教を聞いて「頭のおかしなおじさん」としか見られませんでした。当然世の知恵で見る限り十字架とは死、すなわち命の終わりを意味するわけですから、その先にある復活の命は、到底理解ができなく、福音とは受け入れられません。

そこでパウロは、キリストの十字架を愚かとしか見ない人々に「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものである」と言いました。

では十字架の言葉とはなんでしょうか? 「わたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日目に復活したこと、」(15:3、4)  

つまり自分自身の中にある罪の大きさを認めること、弱さを知ることである。そのときあのイエス・キリストの鞭打たれた一本々の傷の痛み、十字架に無残に釘で打ちつけられた醜さと苦しみが、わたしたちの「罪と弱さの姿」であることに気付かされるのです。十字架とは自分自身を飾らず、ありのままに自身の罪を認めることである。そのとき神の赦し、神の愛が見えてくるのです。

福音の宣教、キリストによる救いの証しは、不思議なしるしを見せびらかすことではなく、知恵をひけらかすわけでもなく、十字架の出来事を、伝道者がそのまま現すという方法で行われてきました。

それは、一見愚かなこと、つまらないことのように思えますが、本当は、イエスキリストの十字架の出来事の中にこそ、神の力、神の知恵、さらには神の愛が現されています。


投稿者 : church 投稿日時: 2018-02-25 07:22:44 (73 ヒット)

本日の聖書  テトスへの手紙2:11〜14

実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのためにご自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民をご自分のものとして清めるためだったのです。」

宣教題「人世の価値」 牧師 新保雅雄

  人生の意味とは何でしょうか? 人生において何を望んでいるのでしょうか? あなたにとっての人生とは何でしょうか?

  もしも人生が利益だけの追求であれば、なりふり構わず貪欲に人を蹴落としてでも金儲けに励む人が、最も賞賛されるでしょう。

  あるいは人生が、肉の快楽を追求する為であるなら、麻薬や賭け事、酒に身を任せてしまえば満たされるでしょう。

  しかし私達は決してそうはしないんです。なぜなら人生とは、もっと他の価値あるものがあるということを知っているからなんです。

  知ってはいるが、欲望という肉の誘惑は、神と反対側に連れ戻そうと戦いを挑んできます。

  私の友人に麻薬やギャンブル、酒の中毒患者がいます。彼らは、こんなことで人生を終わらせたくないと心では思っています。でも肉体が求めてしまう。パウロが言うまさしく「世の奴隷」の姿です。

  自分の力ではどうしょうも出来ない。神はそのためにイエスキリストの命をわたし達に下さいました。なぜなら神の目に人は、命がけで救う価値ある者なのです。「わたしの目にあなたは価高く、尊く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与える。」イザヤ43:4 ですから私達も人生の重さを知らなければならない。

  あなたの救出の為に主イエスの十字架があることを知るなら、その恵みに感謝して人生を送りたい。


投稿者 : church 投稿日時: 2018-02-18 07:07:14 (67 ヒット)

本日の聖書  ローマの信徒への手紙5:8,10

「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今

は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」

宣教題「今救いの中に」 牧師 新保雅雄

パウロは、この短い章の中に繰り返し何度も「キリストが私たちのために死んでくださった」と言われています。

それでは主イエスは、何のために死なれたのでしょうか? 

それは神様の愛をこの地上に現すためだったのです。神様に愛されていることを私たちが深く悟るためなのです。

なぜ愛をこの地上に示さなければならなかったのか?

それはこの世に愛がないからなのです。「あなたに愛はありますか?」と聞かれて、胸を張って「愛する妻や子供の為なら、私は命を捨ててもいい。」と答える方は、沢山いるでしょう。

そんなあなたに主イエスは言われます「愛してくれる人を愛したからとて、何が誇れるでしょうか。罪人でさえ自分の子供の為に命は惜しまない。そんなものは、当たり前の事だ。」

それでは主イエスは、どういう人たちの為に死なれたのでしょうか?

「不信心な者のために」 神さまなんか信じない。宗教は嫌いだ。神頼みはしない。自分自身しか信じない。

「罪人であった人の為に」 神さまから遠く離れている人。すなわち肉体の欲望のままに生きている人。

「敵であった人の為に」 神から離れるどころか、神に対して敵意を持っている人。キリストに攻撃を仕掛ける人。

これはわたし達の以前の姿ではないでしょうか。そんなときでさえ主イエスは、あなたの為に命をかけて愛されました。であるならイエスをわが主と仰ぐ今は、確実に救いの中にいることになるのではないか。栄光在主感謝。

 


投稿者 : church 投稿日時: 2018-02-11 06:55:39 (72 ヒット)

本日の聖書  コリントの信徒への手紙第一15章49節

「わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、

天に属するその人の似姿ににもなるのです。」

宣教題「生かす霊」 牧師 新保雅雄

  私が以前住んでいた川口市は、鋳物の町です。町のあちこちに鋳物で作ったものがあります。どれもすばらしく、大変に美しいものが沢山あります。しかし、それに命はありません。やはり鉄は鉄です。

  私達人間も命がなければ、土くれから作られたものでしかなく、どんなに形よく作られていても、命がなければいつかは朽ちて、もとの土くれに帰るのです。

  この章では、最初の人アダムと最後の人アダム(イエスキリスト)を引き合いにして「生きる」とは何か? を示されています。

「最初の人は土ででき、地に属するもの者である。」最初の人アダム、その末裔であるわたし達は、いつかは死を迎え土に帰ります。

「第二の人は天に属する者です。命を与えるものである。」第二の人イエス・キリストは、復活によって示されたように、永遠の命をお持ちになりました。いつかは天に帰り生きるのです。

  この朽ちない方、イエス・キリストに属するのであれば、同じ命に生きる者になれるのです。

「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなた方の内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」(ローマ8:11)

  肉の体は、神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できないのです。わたし達は、朽ちるものとしてこの世に居ますが、キリストを信じて生きるとき朽ちないものとされます。死は、古い肉の着物を脱ぐときである。生きるとは、キリストの霊の着物を着るときである。 「死ぬべきものが死なないものを着るとき、死は勝利にのみ込まれた。」


投稿者 : church 投稿日時: 2018-01-28 07:34:25 (61 ヒット)

本日の聖書  コヘレトの言葉12章1、7、8節

「青春の日々にこそ、おまえの創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。

塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。なんと空しいことか、とコヘレトは言う。すべては空しいと、と。」

宣教題「過ぎ行く時」 牧師 新保雅雄

  イスラエルを統一したダビデ王の子供であるソロモン王は、イスラエルの絶頂期の王です。「栄華を極めた」と言われた人です。

  わたし達も、ソロモン王とまではいかないまでも、世の中のある程度のものを手に収めたい。これが人生の幸福への目標になっているのではないでしょうか。そう思い歳を重ねていきます。

  もし多くの富、金、権力を手に入れることで幸せになれるのであれば、世界の先進国の人々は、皆幸せで平和に暮らしているでしょう。しかし世界を見てみますと、そうではないことが分かります。

  先進国と言われる国ほど、多くの腐敗や悩みを抱えています。日本も世界の先進国の一員ですが、平和だといえるでしょうか。毎日どこかで殺人事件や自殺が起きています。富や権力では、人の心は満たされないどころか、かえって空しさが大きくなるのです。

  ソロモン王は言います「すべては空しい。人は労苦するが、すべての労苦も何になろう。」(1:2,3)さらに、「たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、何になろう。すべてのものは同じひとつの所に行くのだから」(6:6)ソロモン王は、世のあらゆる物を手に入れたにもかかわらず、心の空しさは埋められなかったと、晩年になって回想しています。

  それに気付いた彼は、こう警笛を鳴らします「青春の日々にこそ、おまえの創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。」(12:1)。幸福への道は、神に立ち帰ることであると言う。「あの栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほども着飾っていない」  被造物に心留めるのではなく、創造主に心を留めたい。

 


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