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板橋区仲町23−17
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(新保牧師携帯)
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投稿者 : church 投稿日時: 2019-10-27 15:33:18 (24 ヒット)

 


本日の聖書 ローマの信徒への手紙15:11

「すべての異邦人よ、主をたたえよ。

すべての民は主を賛美せよ」

宣教題「あなたのために」 牧師 新保雅雄

もうじきクリスマスです。私たちの救い主イエス・キリストの誕生を祝う時です。クリスマスは御子イエスが、私たちのために、お生まれくださったことを、改めて覚える時としたいものです。

せっかくの1年に1回のクリスマスですから、この日を、喜びと平安の中で、静かに迎えたいものです。しかしどうでしょうか。現実の私たちの生活は、救い主をお迎えする喜びと平安に満たされているでしょうか。年末の忙しさや世の煩いが多く、疲れていませんでしょうか。

世の何処に平安があるのでしょうか。国内に目を向けると、経済は、完全に不況を脱したとは、まだまだ言えない状況です。気候変動による異常気象、台風が大型化してあちこちに水害が発生して多数の死者を出す

また、弱い子どもが犠牲になる事件や、隣国との争い。お金をめぐる事件も後を絶ちません。本日のローマの信徒への手紙15章は、神こそ「忍耐と慰めの源」(5節)であり、「希望の源」(13節)であると語ります。

「かつて書かれた事柄」(4節)、すなわち旧約聖書には、イスラエルの人々に対して神がなさった救いの業が記されています。神は、今も生きて働いておられます。しかも、イスラエルの人々だけにでなく、「異邦人」の私たちにも、神は、救いの御手を伸ばしてくださっているのです。

「異邦人」に関する旧約聖書の箇所がいくつか引用されています。ダビデ、モーセ、そして詩編が、異邦人に対しても、「主を賛美し、共に喜べ」と招いています。主イエスは、イスラエル民族だけの救い主としてでなく、この世の全ての人の救い主として、お生まれくださいました。 あなたのために、クリスマスの恵みが、ここにあります。

 


投稿者 : church 投稿日時: 2019-10-20 07:37:47 (31 ヒット)

 本日の聖書 マルコによる福音書14章66〜68節

ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来てペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。

宣教題「主を否定する」 牧師 新保雅雄

主イエスが、ゲツセマネで逮捕され、大祭司の屋敷で死刑にするための裁判が、行なわれていました。そこでは、主イエスに不利な偽りの証言がされています。しかし、偽りの証言がされていたのは、大祭司の屋敷の中だけでは、ありません。屋敷の外の中庭でも、偽りの証言がされたのです。

主イエスが捕えられた時、弟子たちは皆、自分達も捕らえられることを恐れて主イエスを見捨てて逃げてしまった。しかし、ペトロだけは、主イエスを見捨てることが出来ず見に行ったのです。

するとそこに仕えの女性が来て「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と言ったのです。ペトロは「あなたが何のことを言っているのか、分からない」と主イエスとの関係を否定したのです

ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言い放っていたにも関わらず。しかし周りの目を気にして正しさを否定してしまう。

私たちも正しさを知りながら、それを行使することが出来ないことって無いでしょうか? 世の思いに負けてしまう、ペテロの姿がダブります。私たちも、不本意ながら、神に背き、自己保身にはしり、自己中心に物事を考える愚かな裏切り者なのです。

しかし、主イエスは、そんな私たちの罪のために十字架にかかり、復活され、私たちの罪が赦されたことを宣言され、恵みと愛を注いでくださる。もう一度、神に立ち帰るようにと招いて下さいます。この主イエスの招きに答えたいと思います。


投稿者 : church 投稿日時: 2019-10-13 07:39:40 (26 ヒット)

 本日の聖書 マルコによる福音書14章28節

「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」

宣教題「それぞれのガリラヤ」 牧師 新保雅雄

主イエスは、ユダヤ人指導者に捕らえられ十字架へと、今、引かれようとしています。その時、弟子たちは皆、主イエスに導かれて、ここまで来たにも拘らず、その主イエスを見捨てて逃げ出します。

主イエスは言われる「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」ガリラヤとは、弟子たちにとって、主イエスと初めて出会い、主イエスの導きによって、弟子となった場所です。主イエスと共に、宣教活動を始めた出発点です。そう、弟子たちにとってガリラヤとは、それぞれの信仰の原点なのです。

弟子たちは皆、主イエスを見捨て、信仰を捨て去って逃げていく、しかし主イエスは、復活した後、もう一度、弟子としての出発点ガリラヤで再会し、捨て去った信仰を取り戻そうとされるのです。

弟子たちは皆、「つまずき」を経験しました。皆、主イエスから離れてしまいます。しかし、弟子たちのこの「つまずき」は、主イエスとの関係の終わりではありません。主イエスとの深い関係が、ここから始まるのです。

弟子達は、いざとなると、自分の身を守ろうとして裏切る、情けない者であることを知らされたのです。「命をかけて着いて行く」と言いつつ裏切った弟子に主イエスは「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」 ガリラヤで待っているという約束をされます。裏切った弟子達を迎え入れようとされる。ここに神の愛があります。

ガリラヤは、私たちの信仰の原点、始まりなのです。「主イエスにつまずく」そのことによって、自分をもう一度考え直す時がある。自己保全の為なら、神をも簡単に裏切ってしまう。そんな私達でも神は赦し受け入れて下さる。人生に迷ったとき、あなたのガリラヤに戻ってみて下さい。主イエスがあなたを迎えて下さいます。


投稿者 : church 投稿日時: 2019-10-06 07:26:59 (29 ヒット)

 本日の聖書 マルコによる福音書1章12〜15節

「それから、”霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」

宣教題「神様の刻印」 牧師 新保雅雄

主イエスが、ヨルダン川でバプテスマを受けられてから、すぐのことです。バプテスマの時に天から降った狎士″が、主イエスを荒れ野へと送り出したのです。そして、この荒れ野で40日間に渡って、サタンからの様々な誘惑を受けられました。

荒れ野で様々な誘惑を受けている間、主イエスは、野獣と一緒におられたと聖書は言われています。しかし、主イエスは、野獣から危害を加えられるということはなかった。天使たちが主イエスに仕えていたからです。神の守りが共にあったからなのです。

この主イエスのバプテスマと、その直後のサタンの誘惑によって分かることは、私たちのバプテスマとクリスチャン人生です。

たとえ、バプテスマを受けたからといって、サタン(世)の誘惑から完全に解放される、あるいは欲望が無くなったという訳ではないのです。この世を生きる限り様々な誘惑が、野獣が獲物を狙う様に、私たちを待ち伏せして絶えず狙っているのです。

しかし、そんな誘惑の人生の中であっても、神の守りが確実にあります。たとえ誘惑の先に、野獣が牙を向いて待っていたとしても、神が共にいてくださり、守ってくださるのです。ですから誘惑に負けそうな時、神に祈ることです。神の守りが実感できます。

バプテスマされるとは、神の子としての刻印が打たれる事なのです。あなたが誘惑の中で迷子になっても、神はあなたを決して見失うことはありません。


投稿者 : church 投稿日時: 2019-09-29 07:35:58 (38 ヒット)

 本日の聖書 マルコによる福音書15章 43節

「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである」

宣教題「十字架の中にある愛と正義」 牧師 新保雅雄

ユダヤの議員ヨセフは、主イエスの遺体を渡してくれるように総督ピラトに願い出ました。主イエスが十字架に付けられたのは午前9時、息を引き取ったのは午後3時でした。この日は安息日の前日、金曜日なので、安息日が始まる日没までに墓に葬るためです。

ピラトは、ローマの百人隊長を呼び寄せ、主イエスが本当に死んだか聞きました。この百人隊長は、主イエスが息を引き取られたときにそばで目撃し「本当に、この人は神の子だった」と言った人です。

百人隊長は、主イエスが死んだことを報告しました。ピラトは願いどおり、議員ヨセフに、主イエスの遺体の引きとりを許可しました。百人隊長は、主イエスが息を引き取るまでの一部始終を目撃していました。誰が正義で誰が不正を働いたのか見抜いていたのです。

ヨセフは、主イエスを十字架から降ろし亜麻布で巻きました。それから墓の中に納め、墓の入り口には、石を転がしておきました。弟子達は、主イエスの十字架のときにも、そして遺体を引き取りにも誰も来なかったのです。わずか二人のマリアが見つめていたに過ぎません。死刑になった罪人の仲間と見られたくなかったからです。こうした中で議員ヨセフが、勇気を出して行動したのです。

最高法院(サンフェドリンユダヤ人議会)が、死刑と定めた罪人の遺体を引き取り葬るということは、そこに所属する議員であるヨセフにとって、将来的に不利益になるのです。しかし彼は、それを覚悟の上で決断したのです。主イエスの死にざまが、ヨセフを動かしたのです。 主イエスの十字架の死の中にある神の愛が、正義を求める議員ヨセフの心を動かし、正義を行う勇気を与えたのです。


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