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住所変更のお知らせ
新住所
板橋区仲町23−17
東武東上線 
中板橋駅徒歩12分
連絡先
090-8801-0111
(新保牧師携帯)
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投稿者 : church 投稿日時: 2023-03-09 16:33:10 (130 ヒット)

 本日の聖書  ヨハネによる福音書155


「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。


人がわたしにつながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。


 わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」


宣教題  「神の木につながる」   牧師 新保雅雄


枝が木につながっているから、その枝は葉を茂らせ芽を出し、生きている証しとしての実をつける。さらにその実は、さらなる命を宿して、次の命につなげていく。枝には大きな力と使命がある


しかし枝が木から離れてしまい。木につながっていない枝になってしまうと、芽を出し葉をつけるという、大きな力や使命は、何もできず枯れてしまい、朽ちていずれ土に帰ってしまう。


芽を出す事も、花や実りを付けることも出来ない。その枝は結局、それ自身だけでは生きていけない。木には命への力がある。


枝と同様に、本来私たちも神につながっていて、大きな能力と使命が与えられている。それを発揮できるのは、命の源である神と信仰で結ばれることで、初めて可能になる。


木につながっていない、自分の力だけに頼るとき、必ず死という最後を迎え終わっていく。神につながっていない人間も、結局肉の思いによって堕落し滅びに向かう、枯れた枝になる。「宗教や神に頼るのは弱い者のすること」よく聞く言葉です。確かにそのとおりだと思う。神を信じる(つながる)ことは、枝としての自らの弱さと限界を、勇気をもって謙虚に認めることです。


強がりを言って弱さを隠すことは、決して強さではない。その弱さを正直に認めることが、本当の強さなのです。


人は自分だけで生きているのではない。沢山の人々に支えられて生きている。神につながることで、あなたは決して一人ではない、そのことを知ることができる。青々と茂った豊かな人生になる。


投稿者 : church 投稿日時: 2023-02-26 06:49:32 (123 ヒット)

 本日の聖書    ヨハネによる福音書1236


マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。


弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」


彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。


宣教題  「ユダの能力を狙う悪魔」   牧師 新保雅雄


今朝は「ユダの裏切り」から学びます。主イエスは、十二使徒の一人としてユダを選んだ。彼を愛していたからです。そして大きな信頼も寄せていた。それゆえ群れのお金をすべて預けて任せていた。しかし、彼は、群れと主イエスを裏切ることになる。


彼は、その信頼を悪魔に狙われた。悪魔の誘惑は、わたし達の弱いところを狙ってくるように思う。しかし、必ずしもそうではないことが分かる。このユダのように、金庫をまかされるほどの信頼という能力を狙われたのです。


会社を経営することにたけている人を悪魔は狙います。立ち上げたときは社員のため、社会のため、そう思い社員に感謝して仕事をする。しかし経営がうまくいき、さすがといわれていくうちに、「会社は自分のもの、私が大きくした、自分の私の俺の・・」に変わっていく。群れのものが自分のものへ、ユダと同じ「盗人」の罪を犯していく。悪魔が彼の能力を狙い誘惑していく。


わたし達の能力(賜物)成功は、決して自分のものではなく、神からいただいた賜物だとするなら、自分自身を自慢する、うぬぼれる、そして自分を誇ることは、なくなるのではないだろうか。成功すればするほど、主に感謝する謙虚な心が求められている。


「信仰は感謝で始まり感謝で終わる」世の全ての物(恵み)は、神の創造物であり、私達人間は、その恵みの管理者なのだ。そして私たち自身も神の創造物にすぎない。決して創造者ではない。


投稿者 : church 投稿日時: 2023-02-19 06:21:20 (127 ヒット)

本日の聖書 ヨハネによる福音書113-4



姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」


宣教題  「死は通過点になる」    牧師 新保雅雄


「わたしには、まくらするところもない。」と言われた主イエスにとって、このベタニアの家族は、心から休まる家だった。この安らぎの親友ラザロが病気で死に直面している。


弟ラザロの病は、次第に悪化していき、ついに死に直面する。しかしマルタとマリア姉妹は、あきらめるのではなく、主イエスの所に人を遣いに出し「主よ、あなたの愛していられる者が病気なのです」と、慌てる様子はなく冷静に、まるでゆだねるようだ。


しかし親友ラザロは、死んでしまった。連絡を受けた主イエスがそこへ着いたのは、死後四日たってた。


このラザロの死に対して、主イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」 


「この病気は死で終わるものではない。」とはどういう意味でしょうか?‥‥「死ぬほどの病気ではない。大丈夫」という意味でしょうか? しかしラザロは死んでしまうのです。


私たちは、人間死んでしまえば、すべてが終わりであるかのように思う。しかし主イエスによって変わるのです。 主イエスは「この病気は死で終わるものではない」と死に対して言われる。主イエス・キリストによって、そのように変えられていくのです。


必ず人は死を迎える。しかし死は人間の人生の最終目的地ではなく。今日の主イエスの言葉によれば、私たちが主イエスに、自身の命をゆだねた時、それは「死で終わるものではなくなる」。その先にある神の国へとつながっていく。死は通過点になる。ハレルヤ



投稿者 : church 投稿日時: 2022-12-24 20:23:46 (158 ヒット)

祝 クリスマス 


Merry Christmas


本日の聖書  ルカによる福音書211


宣教題「あなたのためにメリークリスマス」 牧師 新保雅雄


主の御使いは、長々と退屈な説教を必要としない。この短い一言の言葉で、救いの全てを語られている。(ルカ211


「今日あなたがたのために 救い主がお生まれになった。」


あなた方とは誰か?


「孤独の中に眠れない夜を過ごすあなた。


善を行おうと願いながら悪を行ってしまうあなた。


数々の罪の中にあるあなた。死に定められているあなた。


欲望の奴隷になっているあなた。」


何の為に?


「あなたを決してみなしごにはしない。古い自分を脱ぎ去るために。数々の罪の身代わりになり、あなたを赦すために。死ぬべきあなたを永遠の命へ導くために。あなたを解放し自由にするために。」


主は、貧しさの中にひっそりとお生まれになられた。祝いに駆けつけたのは、数人の羊飼い達であった。


この社会から遠くにいる、休む場所は暗い孤独の中、この羊飼いの姿は、まさに社会の喧騒の中で心ふるわす。私たちの姿なのです。


「大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。


ダビデの子にホサナ。主によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(マタイ21:8,9)


あなたが主イエス・キリストを心からお迎えするいなら、主はあなたの救い主になられます。我らの主。ハレルヤ!


投稿者 : church 投稿日時: 2022-08-14 06:35:12 (234 ヒット)

 コロナ感染状況が落ち着くまで板橋での対面礼拝は自粛致します。


しかし今週は東京西教会(母教会)はスペースのある貸し会議室での対面礼拝なので、密になりにくい上、感染対策しながらの礼拝が可能なため、母教会で合同礼拝となります。よろしくお願い致します。皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように。


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