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新住所
板橋区仲町23−17
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090-8801-0111
(新保牧師携帯)
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投稿者 : church 投稿日時: 2022-01-15 22:55:53 (121 ヒット)

 本日の聖書  マタイによる福音書920


「イエスが二人の目に触り、あなたがたの信じているとおりになるようにと言われると、二人は目が見えるようになった。」


宣教題「あなたは何を見、何を信じるのか」  牧師 新保雅雄


本日の聖書は、主イエスに好意を持つ者もあれば、敵意を持つ者もいる。実に世には好意と敵意が渦巻いているのです。ある者は、主イエスに助けを求め、また、ある者は、悪口を浴びせかけます。


二人の盲人、彼らは、主イエスに助けを求め続けて家まで付いて行きました。そこで主イエスは、ようやく、彼らに向き合ってくれました。そして「わたしにできると信じるのか」と言われた。


彼らは「はい、主よ」と答えました。 すると主イエスは、彼らの目に触れ 「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われ、癒されたのです。信仰が問われているのです。誰のせいでもなく、自分がどう信じているかで、その結果が決まるのです。


しかし目の前に、主イエスを通して、神の奇跡、癒し救いが現れているのにも関わらず、ファリサイ派の人々は、それを認めることができませんでした。私たちも癒された先人の証しを幾度となく聞く、当時のファリサイ派と同じであってはならない。自身の知恵におぼれ頼るとき、その知恵によって滅びる、そこに奇跡、救い癒しはおきない。主はあなたがたの信じているとおりになると言われる


自らの欠けに気が付かない人、気が付いても認めない人、残念ながら、神の愛を受け取ることが出来ません。苦しみながら、「わたしを憐れんでください」と心から叫んだとき、憐れみを受けるのです。実に「愚かなものを通して知恵あるものをいましめる」1コリ1:19


二人の盲人は、目が不自由な中で、苦労も多かった。しかし主イエスに憐れみを請うことが出来た点、この病は、恵みだったのです。


一方、ファリサイ派の人々は、手を差し出せば、受け取ることの出来る神の恵みを、かたくなにこばんだのです。神への信仰よりも、自身の知恵が勝ったのです


投稿者 : church 投稿日時: 2022-01-08 22:08:40 (105 ヒット)

 本日の聖書  マタイによる福音書20711


彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。


宣教題「さあぶどう園に行きなさい」   牧師 新保雅雄


神の御国では、この世で不条理なことが、たびたび起きます。本日の聖句も、世では非難されても、御国では愛の真理なのです。このたとえ話、あなたは、この中の誰が、自分に該当すると思いますか?


朝一番に雇われた人、午前9時に雇われた人、朝一番から働いた者だ」と思うのなら、神様を不公平だと非難したくなるでしょう。あるいは9時や12時に雇われた者だとしても、夕方5時になって雇われて1時間しか働かなかった者が、自分と同じ賃金をもらったなら不満を持つでしょう。


もし自分が、だれも雇ってくれる人がおらず、夕方5時になってやっと主人に雇われて、1時間しか働かなかった者だとしたらどうでしょうか? もう日が暮れそうな、あきらめかけていた。


だれも雇ってくれる者がおらず、夕方まで広場に立ち続けた。こんな時間まで待っても無駄だと思いながらも、腹をすかした家族が待つ家へ、手ぶらで帰ることもできない。途方に暮れて立ち続けていた、この最後の者が、自分だとしたら。


私たちは、自分が、この夕方5時に雇われて1時間しか働かなかった者、これは私のことであると知った時、この「ぶどう園の労働者」のたとえ話が理解できるのです


投稿者 : church 投稿日時: 2021-12-25 21:50:47 (123 ヒット)

 祝 クリスマス Merry Christmas


本日の聖書 マタイによる福音書21節〜


宣教題「今日、天を見上げる」 牧師 新保雅雄


「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者達はその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。


東方の占星術の学者達が、遠くの国から星に導かれてエルサレムにやってきました。そしてベツレヘムの幼子を見つけ出しました。そこには、幼子が母マリアと共にいました。


羊飼いは、野宿をしながら、徹夜で、羊の群れの番をしていました。すると天使が現れ、光り輝く天使の姿によって、周りが照らし出されたので、思わず、空を見上げたのです。


クリスマスは、天を見上げる所から始まります。天を見上げるとは、地上の世のことから離れ、心を天の神様に向けるということです。


今年も後5日になりました。年末,何かと慌しい時です。気が付くといつの間にか、下ばかり向いた人生を送っていないでしょうか?


辛い病、経済的に、心が塞ぎ込んでいて、目の前にある現実が、あまりにも厳しいので、目を上げられない人もいるかも知れません。


どうか、せめて今日は、ご一緒に天を見上げようではありませんか。そこから、救い主イエス・キリストは、私たちのために、おいでくださったのです。天を見上げ、救い主を覚える時、私たちの人生に、必ず希望の光が見えてきます。爛瓮蝓璽リスマス


投稿者 : church 投稿日時: 2021-12-19 09:55:59 (126 ヒット)

 本日の聖書  ルカによる福音書267


「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み。布にくるんで飼い葉桶に寝かした。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」


宣教題「主をお迎えする準備は」   牧師 新保雅雄


クリスマスイヴおめでとうございます!


今から約2020年前、神の子イエス・キリストは、イスラエルのベツレヘムと言う町の家畜小屋、その中の飼い葉桶の中にお生まれになりました。


飼い葉桶とは、家畜のえさ箱のことです。くさく、寒く、不潔な場所です。決して、生まれたばかりの赤ん坊にとって、祝福を受ける場所ではありません。


神の子なら豪華な神殿で、やわらかい高級な布団に包まれて生まれる。しかし、御子イエス・キリストは、飼い葉桶の中に生まれた。なぜなら「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったから」です。


当時、ユダヤの人々は、住民登録をせよというローマ皇帝の命令によって、それぞれ自分の属する町へ帰って行きました。マリアも夫のヨセフと共に、ベツレヘムの町へ向かったのです。しかし、そこには沢山の帰省の人たちで泊まる宿屋もなく、民家の家畜小屋を借り、雨風をしのいだのでした。


今日、私たちは、御子イエスのお生まれになる場所を、用意しているでしょうか。私達は、あまりにも世のことに心とられ、自分のことだけで精いっぱいで、神の恵みさえも見えなくなっている。


2千年前のクリスマスも「マリアたちの泊まる場所がなかった」 どうか今宵、静かなイブの中で改めて自分自身を省みてください。


投稿者 : church 投稿日時: 2021-12-12 06:08:34 (112 ヒット)

 本日の聖書  マタイによる福音書920


「十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである」


宣教題「御手の中にある命」   牧師 新保雅雄


指導者が、主イエスにの前にひれ伏し、「私の娘がたった今死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば生き返るでしょう。」と願い出ました。主イエスは、この父親の思いに動かされ、父親に付いて行きました。


そこへ行く途中、12年間、出血が続いている女性が近寄って来ました。当時、出血が続くことは、宗教的に汚れたことと見なされていました。そのため、この女性は、病気自体の苦しみに加え、宗教的、社会的に疎外される二重の苦しみを受けていたのです。


そのため、この女性は、正面から主イエスに願い出ることを避け、後ろからそっと、主イエスの服の房に触れました。「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからです。


その事を知った主イエスは、この女性に言われました。


「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」


この女性の切実な思いを、主イエスは、これこそ信仰だ、この信仰によって、あなたは救われたと言われたのです。


この瞬間、この女性を長年苦しめた病が癒されました。そして、再び社会に、戻ることが出来たのです。


その後、主イエスは、指導者の家に着かれました。そして「少女は死んだのではない。眠っているのだ。」と言われました。すると少女は、まるで眠りから覚めたように、起き上がったのです。こうして、主イエスの御手を通して、少女に再び命が与えられました。


人目を避け主イエスに触れて癒された女性、公言して主イエスに触れられ生き返る少女、あなたの命は主の御手の中にある。


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