「私が神にお願いすることは、ただ一つです。 私の求めてやまないものとは、 主の宮で黙想にふけり、 いのちある限り主の前で暮らすこと、 比べようもない、主の麗しさと完全と栄光とを 喜ぶ特権です。 」(詩篇 27:4 JCB)
ダビデは子どもの時に羊飼いをしていました。羊飼いをすることで、羊を一匹一匹を大切にします。特に羊は目が悪いから、目の前のことしか見えないのか、違うことに気を使うとすぐにはぐれて迷子になってしまうのです。
しかし羊は羊飼いの声は聞き分けます。だから声がすると戻ることもできるのです。羊は羊飼いと一緒にいることが安心なのです。
また羊を狙ってくる野獣もいます。その時羊飼いは羊を守るために戦います。だから石投げ紐の扱いはスキルが高くなります。ゴリアテも倒すくらいです。
そんなダビデは、羊飼いを通して神さまを感じているのです。神さまは羊飼いのように、必ず守ってくれると知っているからです。
神さまが一緒にいることこそが安心なのです。特に困難な時こそ、神さまが必要です。だから、まずダビデのように神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。
「私が神にお願いすることは、ただ一つです。 私の求めてやまないものとは、 主の宮で黙想にふけり、 いのちある限り主の前で暮らすこと、 比べようもない、主の麗しさと完全と栄光とを 喜ぶ特権です。 」(詩篇 27:4 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
私たちは、 どんなものにもまさる神によってかくまわれ、 この全能のお方のふところに住んでいます。私は宣言します。 「神こそ私の避難所、また安全地帯です。 この神への信頼を失うことはありません。」 (詩篇 91:1-2 JCB)
わたしたちは、意識するしない、または気づく気づかないに関係なく、神さまに守られています。
今までの人生の中で、自分ではどうしようもない困難もあったでしょう。嘆きながら何とかしようと自分なりに頑張ってきたのでしょう。
しかし、わたしたちは自分の力だけでは限界がありますよね。しかも、自分に与えられています能力も神さまから与えられています賜物です。
だから神さまを忘れていることに気づく必要があります。特にわたしは忘れやすい。すぐに自分や人に頼ることに心が向いてしまいます。そんなわたしたちが安まるのは、イエスさまの十字架の愛です。神さまの愛にこそ、感謝して、信頼できる心を求めていきましょう。ご一緒にいかがでしょうか。
私たちは、 どんなものにもまさる神によってかくまわれ、この全能のお方のふところに住んでいます。私は宣言します。 「神こそ私の避難所、また安全地帯です。 この神への信頼を失うことはありません。」 (詩篇 91:1-2 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。主の御名を讃美いたします。
「私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、実行しなさい。そうすれば、平和の神が共にいてくださいます。 」(ピリピ人への手紙 4:9 JCB)
イエスさまから学んだことは何でしょうか。インマヌエルです。すべてをご存知の神さまが共におられることです。
不完全で不確かな社会の中で、不完全なわたしたちではありますが、完全な神さまの恵みの中にあります。
十字架の愛は、わたしたちの心を取り戻します。見えない恵みに気づかせてくださいます。自分中心のわたしは、自分中心から自由にされて、思いやりと誠実さを成長させてくださいます。
十字架の愛は救いです。赦しは渇いた心を潤おしてくださいます。氷を溶かす温もりで満たしてくださいます。まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。
「私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、実行しなさい。そうすれば、平和の神が共にいてくださいます。 」(ピリピ人への手紙 4:9 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「おお主よ。あなたは栄光と誉れととを受けるにふさわしい方です。すべてのものをお望みどおりに造り、存在させておられるのですから。」 (ヨハネの黙示録 4:11 JCB)
わたしたちの視点は、それぞれ見ているところになりますが、ほんの一部しか見れていません。
神さまのように、隅々まですべてを見ることはできません。しかし、わたしたちは、自分とは違う方々と触れ合うことで、見えないところに気付かされたり、考えさせられて世界観は広がっていくのです。
わたしたちは、どのような状況の中にあっても、まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。失敗しても、うまくいかなくても、まず神さまに心を向ける練習です。
「おお主よ。あなたは栄光と誉れととを受けるにふさわしい方です。すべてのものをお望みどおりに造り、存在させておられるのですから。」 (ヨハネの黙示録 4:11 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 (ヨハネの福音書 16:33 JCB)
毎日、食べることにもままならない状況の時は、きっと普通に食べることだけに心がとられてしまいます。
マザーテレサが、インドのカルカッタで出会った少年とその家族は、自分もお腹が空いているのに、パンを分けてもらうと、自分だけではなく、家族と分かち合い、さらに少年のお母さんは赤ちゃんがいるのに、隣の同じような家族にも分かち合うのです。
そのような状況の中にあったら、自分さえ良ければいいになりがちですが、それ以上に痛みを知る人の思いやりと言う温もりがあったのです。イエスさまの十字架の愛は、まさに温もりです。温もりのある愛は必ず勝利するのです。
あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 (ヨハネの福音書 16:33 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。