「私たちに対するキリスト・イエスの態度を見ならいなさい。」(ピリピ人への手紙 2:5 JCB)
「したにたつ」こころ・・・
ある日、きんたくんは聖書を読んでいました。ピリピ人への手紙2章5節。「イエスさまの思いを、わたしたちも持ちなさい」って書いてある。「イエスさまの思いって、どんな思いなんだろう…」
きんたくんは考えました。イエスさまは神さまなのに、わたしたちのところに来て、わたしたちのことを“わかって”くれた。「わかるって、英語でunderstandっていうよね。underって“下”って意味だよね。standは“立つ”。つまり、understandって“下に立つ”ってことなんだ…!」
そのとき、ふわりと風が吹いて、お助けマンが現れました。「きんたくん、どうしたの?」「イエスさまみたいに、人のことを“わかって”あげたい。でも、ぼく、つい“上から目線”になっちゃうんだ…」
お助けマンはにっこり笑って、きんたくんの隣にちょこんと座りました。「きんたくん、イエスさまは、わたしたちを理解するために、神さまの身分を捨てて、いちばん低いところに来てくださったんだよ。それは、ただ“知る”んじゃなくて、“感じる”ため。“寄り添う”ため。“共にいる”ため。」
きんたくんは目を丸くしました。「じゃあ、“わかる”って、“したにたつ”ことなんだね。相手の目線よりも下に立って、見上げるように尊重して聴くこと…」
お助けマンは、そっときんたくんの肩に手を置きました。「そう。それは勇気がいること。でも、イエスさまはそれを選ばれた。だから、きんたくんがその姿勢を持とうとするだけで、もうイエスさまに倣っているんだよ。」
きんたくんはうなずきました。「ぼく、これから“したにたつ”ことを大切にする。わからないことがあっても、すぐに決めつけないで、聴いてみる。寄り添ってみる。」
その日から、きんたくんは「understand」の意味を胸に、友だちの話をよく聴くようになりました。泣いている子には、そっと隣に座って、何も言わずに一緒にいることを選びました。
そして、心の中でこう祈りました。「イエスさま、ぼくもあなたのように、へりくだって、わかろうとする者になれますように。」
「私たちに対するキリスト・イエスの態度を見ならいなさい。」(ピリピ人への手紙 2:5 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったらこちらもご覧くださいね。
「だから、出て行って、すべての人々をわたしの弟子とし、彼らに、父と子と聖霊との名によってバプテスマ(洗礼)を授けなさい。」(マタイの福音書 28:19 JCB)
―「どうして気づかないの?」から「わかろうとする心」へ―
ある日、きんたくんは公園のベンチに座って、空を見上げながら考えていました。「マタイの福音書28章19節にあるように、すべての人にイエスさまの愛を伝えたい。
でも…どうして、こんなにすばらしい愛に気づかない人がいるんだろう?」きんたくんの胸は、もやもやとした思いでいっぱいでした。「神さまの恵みは、こんなに溢れているのに…」
涙がぽろりとこぼれそうになったそのとき、ふわりと風が吹いて、やさしい声が聞こえてきました。「こんにちは、きんたくん。ぼくはお助けマン。その悩み、いっしょに聴かせてくれる?」
きんたくんはびっくりしましたが、心がふっと軽くなって、今まで誰にも言えなかった気持ちを話し始めました。「ぼくは、神さまの愛に気づいてほしくて、がんばって伝えてるんだ。でも、わかってもらえないと、つい責めたくなったり、『どうせ言ってもムダだ』ってあきらめたくなっちゃう…」
お助けマンは、うんうんとやさしくうなずきながら言いました。「きんたくん、それはとっても大切な気持ちだね。でもね、神さまは、愛に気づいた人を通して、まだ気づいていない人にも働きかけてくださるんだよ。
だから、まずはその人の気持ちを聴いてみよう。「わからない』には、理由があるかもしれないから。」
きんたくんは、はっとしました。「そっか…ぼくがまず、神さまに心を向けて、相手を尊重して、理解しようとすることが大事なんだね。」
その日から、きんたくんは「聴くこと」の練習を始めました。お祈りの時間には、神さまに「どうかぼくの心をやわらかくしてください」と願い、出会う人には「あなたの気持ち、教えてくれる?」と声をかけるようになりました。
そして、少しずつ、きんたくんのまわりに、「なんだか、きんたくんと話すと心があったかくなるね」と言ってくれる人が増えていきました。
きんたくんは思いました。「神さまの愛って、伝えるだけじゃなくて、聴くことの中にも、ちゃんとあるんだ。」
「だから、出て行って、すべての人々をわたしの弟子とし、彼らに、父と子と聖霊との名によってバプテスマ(洗礼)を授けなさい。」(マタイの福音書 28:19 JCB)
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「もはや、ユダヤ人とギリシヤ人、奴隷と自由人、男と女という区別はありません。みな、キリスト・イエスにあって一つなのです。 」(ガラテヤ人への手紙 3:28 JCB)
びっくりするほどの愛・・・
きんたくんは、ある日、心がモヤモヤしていました。「なんであの子は、あんなふうに話すんだろう」「どうして、ぼくとちがう考えをするんだろう」「なんで、あの子ばっかり目立つの?」
肌の色、性別、考え方、話し方… ちがいが気になって、きんたくんの心は、ちくちくしていました。
そんなとき、ふわっと風が吹いて、お助けマンが現れました。「きんたくん、どうしたの?」お助けマンは、きんたくんの隣にすわって、ただ静かに聴いてくれました。
きんたくんは、ぽつりぽつりと話しはじめました。「ぼく、わからないんだ。なんでみんなちがうの?なんで、ぼくはこんな気持ちになるの?」
お助けマンは、そっと聖書の言葉を教えてくれました。「ガラテヤ人への手紙3章28節には、こう書いてあるよ。「あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです』」
「一つ…?」きんたくんは首をかしげました。「そう。神さまから見たら、どの人も大切な存在。
きんたくんが『ちょっと苦手だな』と思うあの子も、神さまは『大好きだよ』って言ってるんだよ。」
「でも…ぼく、あの子のこと、好きになれないかも…」きんたくんは、しょんぼりしました。
お助けマンは、にっこりして言いました。「それでもいいよ。まずは、神さまの目で見てみよう。神さまの愛は、びっくりするほどの愛だから。」
その夜、きんたくんはお祈りしました。「神さま、ぼくの心を見てください。あなたの目で、ぼくのお友だちを見られるように、助けてください。」
次の日、きんたくんは、少しだけやさしい目で、あの子を見ました。すると、あの子の笑顔が、ちょっとだけ光って見えました。
きんたくんの心に、小さな芽が出ました。それは、神さまの愛の芽。これから、毎日少しずつ育てていくのです。
「もはや、ユダヤ人とギリシヤ人、奴隷と自由人、男と女という区別はありません。みな、キリスト・イエスにあって一つなのです。 」(ガラテヤ人への手紙 3:28 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったら、こちらもご覧くださいね。https://youtu.be/ASWIERvCmsY?feature=shared
「この世の人々の生活や考え方をまねてはいけません。むしろ、神に喜ばれることは何かを思いながら、なすこと考えることすべての面で生き生きとした、全く新しい人となりなさい。」(ローマ人への手紙 12:2 JCB)
きんたくんと空しさのループ・・・
きんたくんは、ある日ふと気づきました。まわりの人たちは、みんな「じぶんのためになること」を一番にしているみたい。すごく楽しそうで、うらやましくも見えます。
だけど…なんだか、ちょっと違う気がする。「ぼくも、じぶんのためにって思うときがある。でも、なんでだろう。うれしいはずなのに、こころがぽっかりしてる…」
そんなとき、ふわっと光るように、お助けマンが現れました。「きんたくん、どうしたの?」 「うーん…じぶんのためにって思っても、なんだか空しいんだ。何回も同じことしても、やっぱり空しい…」
お助けマンは、きんたくんの話をじっと聴いて、うなずきながら言いました。「それはね、きんたくんの心がほんとうのよろこびを探してるからだよ。」
お助けマンは、やさしく語りかけます。「神さまから離れてしまうと、心の目がちいさくなって、大事なことが見えなくなっちゃうんだ。まるで、トンネルの中にいるみたいにね。」
きんたくんは、はっとしました。「ぼく、ずっとトンネルの中にいたのかも…」「でもね、神さまに心を向けると、トンネルの先に光が見えるんだよ。きんたくんの心が、ほんとうにうれしくなる道がそこにある。」
きんたくんは、胸の奥がぽっとあたたかくなるのを感じました。「そっか…まず神さまに心を向けることが、いちばんうれしいことなんだ。」
その日から、きんたくんは変わりました。空しさを感じているお友だちがいたら、きんたくんはそっと寄り添って、聴いてあげます。「ぼくもね、同じ気持ちだったよ。でも、神さまの愛を知ってから、心がふわっと軽くなったんだ。」
きんたくんは、お助けマンみたいに、さりげなく神さまの愛を伝える人になりたいと願うようになりました。
「この世の人々の生活や考え方をまねてはいけません。むしろ、神に喜ばれることは何かを思いながら、なすこと考えることすべての面で生き生きとした、全く新しい人となりなさい。」(ローマ人への手紙 12:2 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったら、こちらもご覧くださいね。https://youtu.be/tFjUA-iSAX8
「そうなりたくなかったら、主のことばと戒めをしっかり心に刻みつけなさい。それをしるしとして手に結び、額に張りつけて絶えず覚えなさい。」(申命記 11:18 JCB)
きんたくんと しがみつきの いしころ・・・
きんたくんは、神さまのことがだいすき。「神さまをいちばんにしたい!」と、心にぎゅっと思っていました。
でもある日、おもちゃが思いどおりに動かなくて、イライラ。おともだちが自分の話ばかりして、モヤモヤ。「なんでうまくいかないの!」と、心がカチカチになってしまいました。
その夜、きんたくんはおふとんの中でしくしく泣きました。「ぼく、また自分がいちばんになっちゃった…」心はまるで、冷たい石ころみたい。
そこに、ぽかぽかとあたたかい光がさしてきました。「きんたくん、どうしたの?」お助けマンが、そっととなりにすわってくれました。
きんたくんは、心の中の石ころを見せました。
「これ、自分の都合のいいことにしがみつきたくなる石…」お助けマンは、うなずきながら聴いてくれました。「うんうん、それは重たいね。でも、神さまはその石ころも知ってるよ」
きんたくんは、神さまにお祈りしました。「神さま、ぼく、この石ころをにぎってばかりだった。でも、もうしがみつかなくてもいいって、少し思えてきたよ」
すると、石ころはすこしずつ、すこしずつ、光にとけていきました。心がふわっと軽くなって、風が通るようになりました。
「ぼくの思いも大事だけど、神さまの思いのほうが、もっとすてきかも」きんたくんは、そう願うようになりました。
そして、申命記11:18のことばを、心にそっと書きとめました。「神さまのことばを、心とたましいに刻もう」
きんたくんの心は、もう石ころじゃない。やわらかくて、あたたかくて、神さまの光がすみずみまで届いていました。
「そうなりたくなかったら、主のことばと戒めをしっかり心に刻みつけなさい。それをしるしとして手に結び、額に張りつけて絶えず覚えなさい。」(申命記 11:18 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったらこちらからご覧ください。https://youtu.be/yAtosdwOnd0
