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板橋区仲町23−17
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(新保牧師携帯)
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投稿者 : church 投稿日時: 2023-09-10 06:10:07 (326 ヒット)

 本日の聖書  マルコによる福音書440


イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」


宣教題 「主に命を委ねます」    牧師 新保雅雄


弟子たちは、舟でガリラヤ湖を対岸に漕ぎ出す。その途中で大きな嵐に遭遇する。たとえ、主イエスが共に乗っておられる舟であっても、激しい突風に吹き付けられ、高波が押し寄せてくることがある。


洗礼を受けたから嵐は来ないのでしょうか。残念ながら信仰人生でも順風満帆に過ぎて行くとは限りません。人生の航海において、その半ばまで晴れ渡って、風も無く穏やかに進んでいた。しかし突然、空が曇り嵐になる。自分では、どうにも出来ない力に翻弄され、何も整えることが出来ず、ただ漂っているしか無い状態に置かれることもある


そんな時「私はクリスチャンだ。洗礼も受けている。なぜこんなにも苦難が襲うのか、神よ」と叫びたくなる。確かに同じ舟に乗っていてくださるイエスが、何もしてくださらないことに苛立つことがある。


正に弟子達の様に、主イエスに向かって「わたしがどうなっても良いのですか」と問い詰めたくなることもあるのです


ガリラヤ湖では、確かに、弟子たちは、起き上がった主イエスの一言によって、風が止み、すっかり凪になりました。しかし、時に私たちは、切実なる祈りにも拘わらず、さらに嵐の中に迷い込む経験をする


その時、主イエスは、弟子たちに向かって「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と言われた。弟子たちは、主イエスに従っているように見えて、実際には、心から信頼しきっていなかったのです。


舟に乗り漕ぎ出すとは、自分の命を神という船頭に任せることです。信頼とは、自分の命を、自身の手から離し切ることです。主イエスを口先だけで語っても、御言葉をお札のように貼っていても、何の効果もありません。自分の命を主イエスに預けること、これが信仰です。


投稿者 : church 投稿日時: 2023-09-03 05:09:24 (319 ヒット)

 本日の聖書   マルコによる福音書42627


イエスは言われた「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」


宣教題 「御言葉の種を蒔き続ける」  牧師 新保雅雄


主イエスは、神の国について喩えで語られた。


最初の喩えは、人が畑に種を蒔いた時のことです。蒔いた人が、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する。どうして種が成長するのか、種を蒔いた人には分からない。ある時、種は成長し葉をつけ、そして実を結ぶようになる。まるで種が、ひとりでに実を結ばせたように思える。


この種をまくとは、御言葉の種を蒔くことを言われています。私たちが御言葉の種を蒔く、ある時まかれた人の中で、葉をつけ実をつける。なぜそうなるのか、私たちにはわからない。


御言葉の種が実を結んだ時に、共に喜びを収穫する。人が出来る事は、雑草を取り、水を灌ぐことぐらいだ。しかしまかれた種は、何倍何十倍にもなる。種に力があるからである。


しかし種を蒔かなければ、実は成らないのです。でも、成長させ実を結ばせてくださるのは、神です。人は、蒔くという手伝いをするだけです。育てることよりも、蒔くことが、私たちにとって大切な事なのです。


そのことをからし種のたとえで語られています。からし種は、直径が1ミリ程度、種の中では最も小さな種です。しかし成長すると2メートル以上にもなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほどに大きな枝を付けます。


私たちのまく御言葉の種も、最初は、小さな種として人の心の中に蒔かれます。たとえ最初は、気が付かないほどに小さな種であっても、いつしか成長して大きな枝をつけるように成長していくのです。


今日伝道の成果が与えられなくとも、コツコツと、御言葉の種を蒔いて行くことが大切です。後は神が大きな群れに成長させて下さる。


投稿者 : church 投稿日時: 2023-08-27 06:55:13 (251 ヒット)

 本日の聖書   コリントの信徒への手紙第二1129


「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」


宣教題 「子羊を守る」  牧師 新保雅雄


この手紙は、パウロが開拓伝道によって開設した、ギリシャのコリントにある教会宛てに出した手紙です。パウロが留守の間に、偽使徒が入り込み異なった教えを語りました。救われる為には、主イエスへの信仰だけでなく、律法厳守も必要だというのです。


十字架によって罪から解放され、自由にされた兄姉が、再び奴隷にされようとしているのです。そして彼らは、神に選ばれた我々ユダヤ人こそが最も偉い、という横柄な態度を取りました。


コリント教会の信徒たちは、パウロの言葉よりも偽使徒の教えを信じようとしていました。そして彼らは、パウロを愚か者としたのです。危機感を抱いたパウロは、この手紙に「今度そちらに行ったら、容赦しません」13:3と書きしるし、彼らに注意と警告を呼びかけています。その中で今日の御言葉が語られたのです。


パウロにとって、コリント教会の兄弟姉妹が弱っていることは、他人事として見過ごすことが出来ません。兄弟姉妹が弱っているなら、自分自身も同じように、弱らざるを得ない。パウロは、コリントの兄弟姉妹を自分自身と同じである。といわれています。


本来の福音から離れて、つまずいている人のことも、パウロにとっては自分自身の痛みであり、決して他人事ではないのです。気が気では無く、何とかしたいと立ち上がりました。


何故なら、過去パウロも同じように福音を迫害していたからです。しかし神の憐れみによって、救われた経験者だから放っておくことが出来ないのです。かつて自分が犯した過ちを、再び兄弟姉妹が繰り返すことの無いように、パウロは神の愛を語り続けます。コリントの兄弟の痛みは、パウロ自身の痛みなのです。


投稿者 : church 投稿日時: 2023-07-16 06:28:24 (311 ヒット)

 本日の聖書   使徒言行録615


「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」


宣教題 「弱者の目線に立つ教会」  牧師 新保雅雄


本日の聖書箇所では、エルサレムに誕生した初代教会が異邦人伝道へ向かう出来事が記されている。異邦人伝道を行うギリシャ語を話すユダヤ人から、12使徒を補佐する7人が選ばれた。


ギリシャ語を話すユダヤ人とは、外国で生まれ育った国際的な教育を受けたユダヤ人、ヘレニスト教会の中では少数派。対してユダヤ国内で生まれ育ったヘブライ語を話すユダヤ人、ヘブライスト役員や世話役の多くを占めていた。彼らは、言葉はもちろんのこと、文化風習や日常生活の習慣にも違いがあった。


特に律法に対する考えに大きな違いがあった。ヘレニストは、比較的ゆるく自由にとらえる。逆にヘブライストは、厳格に守ることが問われた。クリスチャンが増えていく中で、このような考えの違うグループによる対立が、次第に起こるようになる。


ヘレニストから食事の配分について不公平だとする苦情が起こる。問題解決に対して使徒たちは「祈りと御言葉の奉仕に専念する」ことができるように、ヘレニストの中から7人の奉仕者を選び「食事の世話」をさせたのです。


ここに教会のあり方を見ることができる。それは「強い者が弱い者を受け入れる」ということです。教会は、絶えず霊的な成長を求めること、そのために弱い少数の人の意見を大事に聞き、受け入れ、弱者の目線に立つ教会運営を行うことを学ぶことになる。


投稿者 : church 投稿日時: 2023-07-09 06:43:30 (307 ヒット)

 本日の聖書   使徒言行録82022


「神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。」


宣教題 「金で神の恵みを買う者たち」  牧師 新保雅雄


異邦人の町サマリアにおけるフィリポの伝道支援の為、エルサレム教会からペトロとヨハネの二人の使徒が派遣された。そのサマリアに、シモンという魔術師がいた。彼は、使徒達の行う不思議な業を見て、自分もその力を手に入れたいと思った。


魔術とは、超自然的に見える現象を作り出し、その驚きによって、人々を信じさせる技術である。魔術師は、この技術を使って、金儲けをしていたのである。シモンは使徒達が行う奇跡の力を、お金で手に入れたいとペテロに願った。


しかし、ペトロは魔術師シモンに「この金はお前と一緒に滅びてしまうがよい」と一喝する。「神の賜物」は「信仰によって与えられる」ものである。それをお金で買うことは出来ない。金儲けの道具ではない。神の恵みとして頂くものである。


使徒言行録には、魔術師との対決が、他に3ヶ所出てくる。13:4、キプロスの魔術師エリマ、16:16、フィリピの占いの霊に取りつかれた女、19:11、エフェソのユダヤ人祈祷師。今も昔も魔術の類は数多くあった。


最近のニュ―スにもあった。霊感商法、霊能者の占いなるものを連想させる。お金で願いが叶う、幸福が買える。この手の魔術や霊感占いは、現世利益中心の人の心、艱難辛苦に悩む人と結びつきやすい。彼らは、そこを狙って入り込む。


一時期、霊能者と言われる詐欺師が流行し多大な財産を残した。記憶に新しい。人の心は、現生利益に弱いものだ、その弱い心に付け込むことは、神が赦さない。


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