「むしろ、互いに親切にし、心のやさしい人になりなさい。そして、神がキリストにあってあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙 4:32 JCB)
「ゆるしの ひかり」
ある日、きんたくんは とても かなしい気もちになっていました。たいせつにしていた おもちゃが こわされてしまったのです。
「どうして…?なんで そんなこと するの?」きんたくんの むねのなかは、もやもやと くもが かかったようでした。
そのとき、そっと お助けマンが あらわれました。「きんたくん、いまの気もち、ちゃんと聴いてるよ。くやしいね。かなしいね。」
きんたくんは、ぽつりぽつりと 気もちを はなしました。すると、ふと 思い出したのです。むかし、自分が まちがえてしまったとき、ゆるしてもらったこと。そのときの あたたかさ。そのときの うれしさ。そのときの「ごめんなさい」と 心から 思えたこと。
「ぼくも、ゆるしてもらったことが あったんだ…」きんたくんの むねのなかに、ちいさな ひかりが ともりました。
お助けマンは にっこり ほほえんで いいました。「イエスさまの十字架の愛は、ゆるすことの ちからを 教えてくれるよ。それは、すぐにできることじゃないけど、神さまに 心をむけることから はじまるんだ。」
その日から、きんたくんは まいにち 少しずつ、神さまに「こんにちは」と 心のなかで はなしかけるようになりました。もやもやした気もちも、すこしずつ ひかりに かわっていきました。
そして ある日、きんたくんは こわしてしまった子に そっと いいました。「ぼく、まだ かなしいけど…でも、ゆるすってこと、すこしずつ やってみたいんだ。」
その子は、びっくりして そして 「ごめんね。ありがとう」と、にっこり ほほえみました。ふたりのあいだに、やさしい風が ふきぬけていきました。
「むしろ、互いに親切にし、心のやさしい人になりなさい。そして、神がキリストにあってあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙 4:32 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「主が味方だから、恐れてはならない。主はいつも先頭に立ち、途中で見放すことも見捨てることもなさらないのだ。」 (申命記 31:8 JCB)
「確かなの約束」
きんたくんは、心の奥に小さな不安の種を抱えていました。みんなの前では元気そうにしていても、夜になると「ぼくって、だめなのかな…」とつぶやいてしまうこともありました。痛みを感じるのが怖くて、涙をこらえる日もありました。
そんなある日、「お助けマン」がそっと現れました。きんたくんの話を、急がず、さえぎらず、ただ静かに聴いてくれるのでした。きんたくんが「こわい」と言っても、「それでいいんだよ」と言ってくれる。泣いても怒っても、変わらずそばにいてくれる。
少しずつ、きんたくんは気づきます。「ぼくの弱さも、神さまは知っていて、見捨てないんだ…」と。お助けマンの優しさの奥に、神さまのまなざしを感じるようになりました。
ある夜、きんたくんは星空を見上げながら、そっと祈りました。
「神さま、ぼくはまだこわい。でも、あなたが一緒にいてくれるなら、ぼくは歩いてみたいです。」
その瞬間、きんたくんの心に、小さな光がともりました。それは「信頼」という名の光。完璧じゃなくても、強くなくても、神さまの愛に包まれているという確かな約束。
「主が味方だから、恐れてはならない。主はいつも先頭に立ち、途中で見放すことも見捨てることもなさらないのだ。」 (申命記 31:8 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
「どんなときでも、神である主に信頼しなさい。 あなたの永遠の力は主のうちにあるからです。」(イザヤ書 26:4 JCB)
「とこしえのいわ」
ある日、きんたくんの心は、もやもやとした雲でいっぱいでした。学校でのこと、友だちとのこと、家のこと…どうしたらいいのかわからなくて、胸がぎゅっと苦しくなっていました。
「神さまに信頼したいのに、できないよ…」きんたくんは、そっとつぶやきました。
そのとき、ふわりと風が吹いて、やさしい声が聞こえました。「きんたくん、だいじょうぶ。ぼくはここにいるよ。」
それは、お助けマンでした。きんたくんのそばにすわって、何も言わずに、ただ聴いてくれました。きんたくんの心の中の不安や涙を、ひとつひとつ、やさしく受け止めてくれました。
「神さまはね、きんたくんがどんな気持ちでも、そばにいてくださるんだよ。きんたくんが『信じたい』って思うその気持ちも、神さまは大切にしてくださるの。」
お助けマンは、小さな石を手に取りました。「これは『とこしえの岩』。イザヤさんが言ったんだよ。神さまは、ずっと変わらない、しっかりした岩なんだって。」
きんたくんは、その石を手に持ってみました。冷たくて、でもしっかりしていて、なんだか安心するような気がしました。
その日から、きんたくんは「心を神さまに向ける練習」をはじめました。朝、目がさめたら「おはよう、神さま」と言ってみる。心がざわざわしたら「神さま、いまここにいてください」とつぶやいてみる。夜、眠る前に「今日もありがとう」と祈ってみる。
うまくできない日もありました。心配でいっぱいになって、神さまのことを忘れてしまう日も。でも、お助けマンはいつもそばにいて、「それでも、神さまはきんたくんと一緒だよ」と言ってくれました。
そしてある日、きんたくんはふと気づきました。「ぼく、前よりも『神さまに心を向ける』ことができてるかも。」
それは、きんたくんが「信頼できたから」ではなく、「信頼したい」と願い続けたからでした。神さまは、その願いを受け止めて、きんたくんの心に少しずつ光を灯してくださったのです。
「どんなときでも、神である主に信頼しなさい。 あなたの永遠の力は主のうちにあるからです。」(イザヤ書 26:4 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「彼の宣教によって、再び父と子が結び合わされ、 一つ心、一つ思いとされる。 彼らは、もし悔い改めないならわたしが来て、 この地を完全に打ち滅ぼすことを知るからだ。」 (マラキ書 4:6 JCB)
「神さまにこころを向ける旅」
ある日、きんたくんはぽつんと座って、空を見上げていました。「悔い改めって、どういうことなんだろう…?」心の中には、わからない気持ちがふわふわしていました。
そんな時、ふわりと風が吹いて、やさしい声が聞こえました。「こんにちは、きんたくん。ぼくはお助けマン。君の“わからない”をいっしょに聴きにきたよ。」
きんたくんはびっくりしました。でも、お助けマンの目はとてもやさしくて、まるで心の奥まで見てくれているようでした。
「ぼくね、自分の好きなことばっかり考えてた。おもちゃ、ゲーム、おやつ…それが悪いってわけじゃないけど、思い通りにいかないとなんだか心がつかれてきちゃって…」きんたくんはぽつりぽつりと話し始めました。
お助けマンはうなずきながら言いました。「それは大切な気づきだね。悔い改めって、“悪いことをやめる”ってだけじゃなくて、“神さまに心を向ける”ってことなんだよ。」
「神さまに…心を向ける?」きんたくんは首をかしげました。
「うん。たとえばね、パパやママが悲しそうな顔をしていたら、君はどうする?」
「…そばに行って、ぎゅってする。」
「それと同じ。神さまも、君が心を向けてくれるのを待ってる。『ごめんなさい』って言うことも、『助けてください』って祈ることも、ぜんぶ神さまへの“こころの向き”なんだ。」
きんたくんの目に、ぽろりと涙が浮かびました。「ぼく…神さまに心を向けたい。どうか、助けてください。」
その瞬間、空からやさしい光が差し込みました。お助けマンはにっこり笑って言いました。「その祈りこそが、悔い改めのはじまりだよ。さあ、いっしょに歩いていこう。神さまの光のほうへ。」
「彼の宣教によって、再び父と子が結び合わされ、 一つ心、一つ思いとされる。 彼らは、もし悔い改めないならわたしが来て、 この地を完全に打ち滅ぼすことを知るからだ。」 (マラキ書 4:6 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「しかし、主を待ち望む者は新しい力がみなぎり、 わしのように翼を張って 舞い上がることができます。 どれだけ走っても疲れず、 どんなに歩いても息切れしません。」(イザヤ書 40:31 JCB)
〜わかる心の力〜
きんたくんは、走るのが好きでした。でもある日、心が重くて、走れなくなってしまいました。
「なんでだろう…? ぼく、疲れちゃったのかな…」
そんなとき、お助けマンがそっと現れて、きんたくんの話を聴いてくれました。「わかってほしいときに、わかってもらえないと、もっと疲れちゃうんだ…」
お助けマンは、やさしくうなずきました。「それはね、きんたくんの心が、誰かに寄り添ってほしいって言ってるんだよ。でもね、神さまは、いつもきんたくんのそばにいるよ。
きんたくんが疲れても、泣いても、神さまはちゃんと見てくれてる」
その言葉に、きんたくんの心にぽっと光がともりました。「神さま、ぼく、あなたに心を向けたいです。
ぼくのこと、わかってくれてありがとう」
そのとき、きんたくんは、ふと思い出しました。昨日、友だちのしずかちゃんが泣いていたこと。「どうしたの?」と聞いたけれど、うまく言葉にできなかったみたい。
「もしかして…しずかちゃんも、わかってほしかったのかな」
きんたくんは、そっとしずかちゃんのそばに行って、「ぼくもね、わかってもらえないと、つらくなることあるよ」と話しました。
しずかちゃんは、目をまるくして、そして少し笑いました。「ありがとう。なんだか、ちょっと元気になった」
その瞬間、きんたくんの胸の奥に、もうひとつの力が湧いてきました。それは、わかってもらえたときの力と、誰かをわかってあげられたときの力。お助けマンは、にっこり笑いました。「それが、神さまの力だよ。神さまは、きんたくんの心に力をくれるだけじゃなくて、その力を、誰かに届けることもできるようにしてくれるんだ」
そしてきんたくんは、また走り出しました。今度は、しずかちゃんと一緒に。風のようにではなく、光のように。神さまに心を向けながら、一歩ずつ、力強く。
「しかし、主を待ち望む者は新しい力がみなぎり、 わしのように翼を張って 舞い上がることができます。 どれだけ走っても疲れず、 どんなに歩いても息切れしません。」(イザヤ書 40:31 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
