「神は望んでいることをあなたに告げられました。 すなわち、えこひいきせず、公平で、 あわれみ深くあること、 また、謙遜にあなたの神と共に歩むことです。」(ミカ書 6:8 JCB)
「ひみつのレッスン」
きんたくんは、ある日、聖書のことばを読んでびっくりしました。「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか。主があなたに求めておられるのは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ書 6:8)
「えこひいきしないで、みんなにやさしくするって…そんなの、むずかしいよ。ぼくにいじわるするあの子にも…?」
きんたくんは、心がもやもやしてしまいました。やさしくしたいけど、できない。神さまのことも、すぐに忘れてしまう。そんな自分がいやになって、ひとりで泣いてしまいました。
すると、ふわりと風が吹いて、どこからか「お助けマン」が現れました。「きんたくん、どうしたの?」
きんたくんは、ぽつりぽつりと話しはじめました。えこひいきしてしまうこと、いやな気持ちになること、神さまのことを忘れてしまうこと…。
お助けマンは、うんうんと静かに聴いてくれました。何も責めずに、ただ、きんたくんの気持ちに寄り添って。
「聴いてもらえるって…うれしいんだね」と、きんたくんは気づきました。
「そうだよ。神さまも、きんたくんの心の声をいつも聴いてるよ。イエスさまは、きんたくんのために十字架にかかってくれたんだ。だから、きんたくんが誰かにやさしくできない日も、忘れてしまう日も、神さまはきんたくんを見捨てないよ。」
きんたくんは、胸がぽかぽかしてきました。「ぼくも、チャレンジしてみる。まず、神さまに心を向ける練習から。イエスさまの愛を忘れないように…」
それからきんたくんは、毎日すこしずつ、神さまに「こんにちは」と心で話しかけるようになりました。えこひいきしそうになったら、「イエスさま、助けて」とつぶやいてみる。いじわるされたら、まず深呼吸して、神さまに気持ちを打ち明ける。
そして、誰かが悲しそうな顔をしていたら、きんたくんはそっと近づいて、「どうしたの?」と聴いてみるようになりました。それは、きんたくんにとっての「お助けマン」になる第一歩でした。
「神は望んでいることをあなたに告げられました。 すなわち、えこひいきせず、公平で、 あわれみ深くあること、 また、謙遜にあなたの神と共に歩むことです。」(ミカ書 6:8 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
モーセは言いました。「あなたがごいっしょでなければ、この場所から一歩でも動くのを許さないでください。 (出エジプト記 33:15 JCB)
「ともにいてください」
きんたくんは、朝から何をやってもうまくいきません。靴下は片方見つからないし、描いた絵はぐちゃぐちゃになってしまうし、友だちにもちょっと冷たくされてしまいました。
「なんでこんなにダメなんだろう…」きんたくんは、心の中でぽつりとつぶやきます。先が見えないような気持ちに、胸がぎゅっとなりました。
そのとき、ふわりと光が差し込んで、お助けマンが現れました。「きんたくん、今日は心が曇っているね。何があったのか、話してくれる?」
きんたくんは、涙をこらえながら話します。うまくいかないこと、不安な気持ち、神さまのことを忘れてしまったこと…。
お助けマンは、きんたくんのそばに座って、静かに聴いてくれました。何も言わず、ただ、そばにいてくれました。
お助けマンは、そっと聖書を開きました。そこには、モーセの言葉がありました。「あなたご自身がともに行ってくださらないのなら、私たちをここから上らせないでください。」
「モーセも、先が見えないとき、神さまに『ともにいてください』って願ったんだよ。きんたくんも、そう願っていいんだよ。」
きんたくんは、はっとしました。神さまは、忘れられたわけじゃない。いつも、そばにいてくださることを思い出しました。
その夜、きんたくんは十字架の絵を描きました。暗い色の中に、ひとすじの光が差し込んでいます。「この光が、ぼくのマイナスをプラスに変えてくれるんだ。」
お助けマンは微笑みました。「そうだね。十字架の愛は、どんな不安も、悲しみも、希望に変えてくれる。」
きんたくんは、そっと祈りました。
「神さま、ぼくの心に来てください。先が見えなくても、あなたと一緒なら歩いていけます。」
モーセは言いました。「あなたがごいっしょでなければ、この場所から一歩でも動くのを許さないでください。 (出エジプト記 33:15 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「神である主がこう語るからだ。見よ。わたしはおまえたちを生かし、息を吹き返させる。」(エゼキエル書 37:5 JCB)
「いのちのこえ」
きんたくんは、心が重くて動けなくなってしまった。何をしてもうまくいかず、自分を責めてばかり。まるで、砂漠に埋もれた乾いた骨のように、笑顔も希望も失っていた。
そんなある日、静かに現れたお助けマン。きんたくんの話を、否定せずに、ただ「うん、そうだったんだね」と聴いてくれる。きんたくんの涙も、怒りも、沈黙も、全部そのまま受け止めてくれる。
お助けマンは、きんたくんにそっと聖書の言葉を手渡す。「主なる神はこう言われる。わたしはあなたたちに息を吹き込む。あなたたちは生き返る」(エゼキエル37:5)
その言葉が、きんたくんの心にしみわたり、乾いた骨に水が染み込むように、少しずつ潤いが戻ってくる。
ある朝、きんたくんは小さな笑顔を取り戻す。それは完璧じゃないけど、確かに「生きている」って感じられる笑顔。「ぼくも、誰かの話を聴ける人になりたい」と思うようになる。
きんたくんは、泣いている子にそっと寄り添う。「うん、わかるよ。ぼくもそうだった」と言えるようになった。乾いた骨が立ち上がり、命の軍勢となったように、きんたくんの優しさが広がっていく。
「神である主がこう語るからだ。見よ。わたしはおまえたちを生かし、息を吹き返させる。」(エゼキエル書 37:5 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「ですから、互いに罪を告白し、祈り合いなさい。正しい人の祈りは大きな力があり、驚くほどの効果があります。」(ヤコブの手紙 5:16 JCB)
「こころのドキドキ」
ある日の夕方、きんたくんは胸がドキドキしていました。学校でのこと、友だちとのすれちがい、うまく言えなかった気持ち…。「どうしよう…」と心がざわざわして、涙がこぼれそうになります。
そのとき、ふわりと風が吹いて、お助けマンがそっと現れました。「きんたくん、どうしたの?」と、やさしく問いかけます。
きんたくんは、言葉にならない気持ちをぽつぽつと話し始めました。「安心したいのに、どうしても焦っちゃうんだ。祈ろうと思っても、忘れちゃう…」
お助けマンは、うんうんと静かにうなずきながら、きんたくんの手をそっと握ります。「それでもね、神さまはずっときんたくんを見ていて、変わらずに愛してくれているよ。祈りを忘れてしまう時も、疲れてしまう時も、そのままのきんたくんを、神さまは知っていてくださる。」
きんたくんの目に、ぽろりと涙が浮かびました。「そんなぼくでも、いいの…?」
「もちろん。その気持ちを知ることは、同じように不安な人の気持ちをわかる力にもなるんだよ。」
お助けマンは、小さなノートを取り出しました。そこには「まず神さまに心を向ける練習」と書かれていました。「安心できない時こそ、心の中で『神さま、今ここにいてください』って言ってみよう。それが小さな祈りのはじまりになるよ。」
その夜、きんたくんはお布団の中で、そっと目を閉じてつぶやきました。「神さま、ぼくの心に来てください。」すると、胸のドキドキが少しずつ静かになって、やさしい光が心に灯ったような気がしました。
そしてきんたくんは思いました。「ぼくは、祈ることを忘れてしまうこともあるけど、それでも神さまは、ぼくを忘れないんだ。」
「ですから、互いに罪を告白し、祈り合いなさい。正しい人の祈りは大きな力があり、驚くほどの効果があります。」(ヤコブの手紙 5:16 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。」(マタイの福音書 7:7 JCB)
「知恵のたね」
ある日、きんたくんは大好きな友だちと遊んでいるときに、意見が合わなくてケンカになってしまいました。「ぼくのほうが正しい!」と、きんたくんは強く言い張り、友だちの話を聞こうとしませんでした。でも、帰り道、きんたくんの心はぽっかりと空っぽになっていました。
「なんでこんなに悲しいんだろう…?」
その夜、きんたくんがひとりで涙をこぼしていると、ふわりと光がさして、お助けマンが現れました。「きんたくん、心が痛いね。話してもいいよ。」お助けマンは、きんたくんの気持ちを静かに聴いてくれました。
「ぼく、友だちに勝ちたかった。自分の思うようにしたかった。でも…それで心が苦しくなった。」きんたくんはぽつりぽつりと話しました。
お助けマンはにっこりして言いました。「きんたくん、神さまはこう言っているよ。『求めなさい。そうすれば与えられます。』」「ソロモン王は、まず神さまに心を向けて、知恵を求めたんだよ。きんたくんも、正しく判断する知恵を神さまにお願いしてみよう。」
その夜、きんたくんは手を合わせて祈りました。「神さま、ぼくに知恵をください。友だちの気持ちをわかる心をください。」
次の日、きんたくんは勇気を出して友だちに言いました。「ごめんね。ぼく、自分のことばかり考えてた。君の話もちゃんと聞きたい。」
友だちはびっくりして、でもうれしそうに笑いました。「ありがとう、きんたくん。ぼくも言いすぎちゃった。話そう、いっしょに。」
ふたりはまた仲よしに戻りました。きんたくんの心には、神さまからもらった「知恵のたね」が芽を出していました。それは、相手の気持ちを聴くこと、ゆるすこと、そして神さまに心を向けること。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。」(マタイの福音書 7:7 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。







