「いらだってはいけません。主を待ち望みなさい。 主は必ず来てくださり、あなたを救ってくださいます。 勇気を出しなさい。主を待ち望みなさい。 主はきっとあなたを救ってくださいます。」(詩篇 27:14 JCB)
「まつこと」の練習・・・
きんたくんは、ちいさな町のちいさな家にすんでいます。やさしい目をした子で、だれかが泣いていると、そっと近くに座って耳をかたむけます。でも、じぶんの心がざわざわするときは、ちょっとちがいます。
ある日、きんたくんは、胸の中がもやもやでいっぱいになりました。学校でいやなことがあって、おうちでもうまくいかなくて、「どうしてこんなにうまくいかないんだろう!」と、心の中で叫びました。
「はやく答えがほしい。はやく安心したい。はやく、はやく…」
そのときでした。窓の外から、ふわりと風が入ってきて、カーテンがやさしく揺れました。そして、どこからともなく、お助けマンが現れました。
やわらかい毛布をかかえて、にこっと笑うお助けマンは、きんたくんのそばにすわりました。
「きんたくん、いまは、まつときかもしれないね」と、お助けマンは言いました。
「まつって、なにを? 答え? 安心? それとも神さま?」
お助けマンは、きんたくんの手をそっとにぎって言いました。
「神さまは、きんたくんが安心するために、すぐに答えをくれることもある。でもね、ダビデみたいに、命をねらわれていても、まず神さまに心を向けるっていうのは…“まつ”っていうことなんだと思うよ。」
きんたくんは、しばらく黙っていました。心の中で、ぐるぐるしていた不安が、すこしずつ静かになっていくのを感じました。
「ぼく、まつ練習をしてみたい。すぐに安心を求めるんじゃなくて、まず神さまに心を向ける練習。」
お助けマンは、にっこり笑って、毛布をきんたくんの肩にかけました。
「それは、すごくすてきな練習だね。神さまは、きんたくんの心が向いていること、ちゃんと見てるよ。」
その夜、きんたくんは、毛布にくるまって、そっと祈りました。
「神さま、ぼくはすぐに安心したくなっちゃうけど、まずあなたに心を向けることを、忘れないようにしたいです。まつこと、練習します。」
そして、窓の外には、やさしい光がさしていました。
「いらだってはいけません。主を待ち望みなさい。 主は必ず来てくださり、あなたを救ってくださいます。 勇気を出しなさい。主を待ち望みなさい。 主はきっとあなたを救ってくださいます。」(詩篇 27:14 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。ああなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「キリストが死からよみがえられた時、あなたがたも共によみがえったのですから、天にある無尽蔵の富と喜びに目を向けなさい。そこでは、キリストが栄誉と力とを帯びて、神の右の座についておられます。」(コロサイ人への手紙 3:1 JCB)
「こころのひかり」
きんたくんは、いつも心がぽっかりしていました。おもちゃをもらっても、ゲームに勝っても、なんだか満たされない。「ぼくって、なんのために生きてるんだろう…」
そんなある日、「お助けマン」に出会いました。お助けマンは、きんたくんを教会に連れていってくれました。そこでは、イエスさまの十字架の愛が語られていました。「あなたは、愛されているよ。命をかけて、あなたを救った方がいるんだよ」その言葉に、きんたくんの心はじんわりと温かくなりました。
それから、きんたくんは少しずつ変わっていきました。「自分の思いどおりになるかどうか」よりも、「神さまの御心ってなんだろう?」と考えるようになったのです。
でも、まわりのお友だちは、そんなきんたくんの変化に戸惑いました。「なんでそんなに我慢するの?」「もっと自分の気持ちを大事にしなよ」
きんたくんは、心の中で葛藤しました。「ぼくの気持ちも大事。でも、神さまの愛を知ったから…」
そのとき、きんたくんはふと祈りました。「神さま、ぼくの心をあなたに向けさせてください」
すると、不思議なことに、
お友だちの言葉にすぐ反応するのではなく、「この子は、どんな気持ちだったんだろう?」と考える余裕が生まれました。
それは、神さまがきんたくんにくださった「こころの使い方の恵み」でした。感情に流されるのではなく、愛をもって、理解しようとする心。それは、イエスさまが十字架で見せてくださった心そのものでした。
きんたくんは、今も葛藤することがあります。でも、いつも「まず神さまに心を向ける」ことを忘れません。そして、空しさでいっぱいだった心は、今では「ひかり」で満たされています。
「キリストが死からよみがえられた時、あなたがたも共によみがえったのですから、天にある無尽蔵の富と喜びに目を向けなさい。そこでは、キリストが栄誉と力とを帯びて、神の右の座についておられます。」(コロサイ人への手紙 3:1 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「あなたがたは、どんなことがあっても、心配したりあわてたりしてはいけません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネの福音書 14:1 JCB)
〜こころがさわぐとき〜
きんたくんは、ちょっとしたことで心がざわざわしてしまう男の子。
お友だちの顔がちょっとこわばっているだけで、「ぼく、何か悪いことしたかな…」と心配になり、お母さんが忙しそうにしていると、「どうしよう、ぼくのせいかも…」と焦ってしまいます。
そんなある日、学校で発表の順番が回ってきました。きんたくんの心はドキドキ、手は汗でびっしょり。「うまく言えなかったらどうしよう…みんなに笑われたら…」
そのとき、ふわっと風のように現れたのは、お助けマン。「きんたくん、心がさわいでるね。でもね、イエスさまはこう言ってるよ。『心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』」
お助けマンは、きんたくんの隣に静かに座って、ただ聴いてくれました。「心配してもいいよ。焦ってもいい。そのままで、まず神さまに心を向けてみよう。」
きんたくんは、目を閉じて、小さく祈りました。「イエスさま、ぼく、こわいです。でも、あなたが一緒にいてくれるなら…」すると、胸の奥にぽっと灯るような温かさが広がっていきました。
発表は、完璧じゃなかったけれど、きんたくんは笑顔で終えることができました。その日から、きんたくんは、心がざわつくたびに神さまに目を向ける練習を始めました。
そしてある日、泣いているお友だちに出会ったとき、きんたくんはそっと隣に座って言いました。「心配してもいいよ。でもね、イエスさまが一緒にいてくれるよ。」
その言葉は、お友だちの心にもぽっと灯りをともしました。きんたくんは思いました。「イエスさまがぼくにくださった平安と温もりを、こうして分かち合えるなんて…なんてすごい恵みなんだろう。」
「あなたがたは、どんなことがあっても、心配したりあわてたりしてはいけません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネの福音書 14:1 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「たとえ、死の暗い谷間を通ることがあっても、 恐れません。 主がすぐそばにいて、 私の行く道をいつもお守りくださるからです。」(詩篇 23:4 JCB)
「死の陰の谷を歩むときも」
ある日、きんたくんは心の中に黒い霧が立ちこめるのを感じました。それは「安心できないこと」「受け止めたくないこと」が重なって、まるで谷底に落ちていくような気持ちでした。
「ぼくは、ダビデみたいに強く信じたい。『あなたが共におられるから、わたしは災いを恐れません』って言いたい。でも……ほんとは、こわい。自分を守ることで頭がいっぱいになっちゃう。」
そんな時、ふわりと風が吹いて、どこからともなく「お助けマン」が現れました。お助けマンは何も言わず、ただきんたくんの隣に座って、静かに耳を傾けました。
「ぼく、ほんとは信じたい。でも、安心したいって気持ちが先に来ちゃう。そんな自分、いやだな……」
お助けマンは、にっこりと微笑みました。
「それは、自然なことだよ。安心したいって思うのは、弱さじゃなくて、人としての大切な感覚。それを知っているからこそ、誰かの不安にも寄り添えるようになるんだよ。」
きんたくんは、はっとしました。
「……ぼくが、自分の気持ちをちゃんと見つめられたら、誰かの気持ちにも耳を傾けられるようになるのかな?」
お助けマンは、そっときんたくんの肩に手を置きました。
「そうだよ。『死の陰の谷』を歩くとき、神さまは杖と知恵で守ってくださる。でもその守りは、時に“誰かがそばにいてくれること”でもあるんだ。きんたくんが誰かの“そばにいる人”になる日も、きっと来るよ。」
その夜、きんたくんは小さな祈りをささやきました。
「神さま、ぼくはまだ弱いです。でも、温もりと誠実さを忘れたくないです。ぼくの心に、あなたの光を灯してください。」
そして、きんたくんは十字架の愛を感じて、自分を許すことができました。自己保身の気持ちも、そのまま神さまに差し出してみようと思えたのです。
「たとえ、死の暗い谷間を通ることがあっても、 恐れません。 主がすぐそばにいて、 私の行く道をいつもお守りくださるからです。」(詩篇 23:4 JCB)
「しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」 (使徒の働き 1:8 JCB)
「こころの ひかり」
きんたくんは教会で「イエスさまはあなたのために命をささげたんだよ」と聞き、胸がじんわりと熱くなる。「こんなぼくでも、神さまのことを伝えたい」と思うようになる。
でも、まだ友だちと遊びたい、ゲームもしたい、思い通りにいかないと怒りたくなる時もある。不安になって神さまを忘れてしまう。そんな自分に「神さまのことを伝えるなんて無理かも」と落ち込むきんたくん。
葛藤していると、ふわっと風が吹いて、お助けマンが現れる。「きんたくん、聖霊さまはいつもそばにいるよ。まずは神さまに心を向ける練習から始めよう」
きんたくんは毎朝「おはよう、神さま」と言うことから始める。また怒りそうな時は「聖霊さま、助けて」と心の中でつぶやく。少しずつ、心が静かになっていく。
ある日、友だちが悲しそうにしているのを見て、きんたくんは勇気を出して「神さまは、きみのことも大好きだよ」と伝える。友だちの顔がふわっと明るくなる。
もちろん聞いてくれなかったり、否定されることもあるので、きんたくんはまだ葛藤する。でも、お助けマンはいつもそばにいてくれる。きんたくんは「ぼくは、神さまに心を向けるれんしゅう中なんだ」と笑う。十字架の愛は変わらない。
「しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」 (使徒の働き 1:8 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。






