「神に選ばれて愛され、聖なる新しいいのちを与えられたあなたがたは、他の人々に対して情け深く、やさしく親切でなければなりません。謙遜で、どんな時にも、おだやかに忍耐強く行動してほしいものです。 」(コロサイ人への手紙 3:12 JCB)
あなたは神さまに選ばれています。あなたしかできないことがあるからです。だから、救い主イエスさまを知る人になったのです。
あなたにとっての救いは、十字架の愛ですよね。十字架の愛によって、あなたの罪は帳消しにされて(赦されて)、主がいつも共にある新しく生きる者とされたのです。
ゆえに、あわただしい中で、まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。そして十字架の愛を見上げ続けていきましょう。
「神に選ばれて愛され、聖なる新しいいのちを与えられたあなたがたは、他の人々に対して情け深く、やさしく親切でなければなりません。謙遜で、どんな時にも、おだやかに忍耐強く行動してほしいものです。 」(コロサイ人への手紙 3:12 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「見なさい。わたしは戸の外でたたいています。その呼びかけにこたえて戸を開ける人なら、わたしは中に入って、だれとでも親しく語り合います。そして、互いに楽しい時を過ごすのです。 」(ヨハネの黙示録 3:20 JCB)
神さまは遠い存在に思いますか。実に、いつも共にいてくださいます。
仲が良い友だちだと話しやすいですよね。神さまは、わたしたちが話しやすいように誠の友となってくださいます。
友だちも、はじめから関係が深まるのではなく、関わり続けるから、話しやすい関係になっていくように、神さまにも、いつでも、話しかけてよいのです。言葉にならない呻きや嘆きも聴いてくださいます。
神さまは、あなたの心の戸を無理矢理開けさせようとはしません。心のドアノブは内側にしかないからです。
神さまはあなたと話したいのです。いつでも、あなたから話してくれるのを待っているのです。あなたとの交わりを通して、本物のつながりを深めたいのです。神さまを心に迎えましょう。
「見なさい。わたしは戸の外でたたいています。その呼びかけにこたえて戸を開ける人なら、わたしは中に入って、だれとでも親しく語り合います。そして、互いに楽しい時を過ごすのです。 」(ヨハネの黙示録 3:20 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「私が神にお願いすることは、ただ一つです。 私の求めてやまないものとは、 主の宮で黙想にふけり、 いのちある限り主の前で暮らすこと、 比べようもない、主の麗しさと完全と栄光とを 喜ぶ特権です。 」(詩篇 27:4 JCB)
ダビデは子どもの時に羊飼いをしていました。羊飼いをすることで、羊を一匹一匹を大切にします。特に羊は目が悪いから、目の前のことしか見えないのか、違うことに気を使うとすぐにはぐれて迷子になってしまうのです。
しかし羊は羊飼いの声は聞き分けます。だから声がすると戻ることもできるのです。羊は羊飼いと一緒にいることが安心なのです。
また羊を狙ってくる野獣もいます。その時羊飼いは羊を守るために戦います。だから石投げ紐の扱いはスキルが高くなります。ゴリアテも倒すくらいです。
そんなダビデは、羊飼いを通して神さまを感じているのです。神さまは羊飼いのように、必ず守ってくれると知っているからです。
神さまが一緒にいることこそが安心なのです。特に困難な時こそ、神さまが必要です。だから、まずダビデのように神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。
「私が神にお願いすることは、ただ一つです。 私の求めてやまないものとは、 主の宮で黙想にふけり、 いのちある限り主の前で暮らすこと、 比べようもない、主の麗しさと完全と栄光とを 喜ぶ特権です。 」(詩篇 27:4 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
私たちは、 どんなものにもまさる神によってかくまわれ、 この全能のお方のふところに住んでいます。私は宣言します。 「神こそ私の避難所、また安全地帯です。 この神への信頼を失うことはありません。」 (詩篇 91:1-2 JCB)
わたしたちは、意識するしない、または気づく気づかないに関係なく、神さまに守られています。
今までの人生の中で、自分ではどうしようもない困難もあったでしょう。嘆きながら何とかしようと自分なりに頑張ってきたのでしょう。
しかし、わたしたちは自分の力だけでは限界がありますよね。しかも、自分に与えられています能力も神さまから与えられています賜物です。
だから神さまを忘れていることに気づく必要があります。特にわたしは忘れやすい。すぐに自分や人に頼ることに心が向いてしまいます。そんなわたしたちが安まるのは、イエスさまの十字架の愛です。神さまの愛にこそ、感謝して、信頼できる心を求めていきましょう。ご一緒にいかがでしょうか。
私たちは、 どんなものにもまさる神によってかくまわれ、この全能のお方のふところに住んでいます。私は宣言します。 「神こそ私の避難所、また安全地帯です。 この神への信頼を失うことはありません。」 (詩篇 91:1-2 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。主の御名を讃美いたします。
「私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、実行しなさい。そうすれば、平和の神が共にいてくださいます。 」(ピリピ人への手紙 4:9 JCB)
イエスさまから学んだことは何でしょうか。インマヌエルです。すべてをご存知の神さまが共におられることです。
不完全で不確かな社会の中で、不完全なわたしたちではありますが、完全な神さまの恵みの中にあります。
十字架の愛は、わたしたちの心を取り戻します。見えない恵みに気づかせてくださいます。自分中心のわたしは、自分中心から自由にされて、思いやりと誠実さを成長させてくださいます。
十字架の愛は救いです。赦しは渇いた心を潤おしてくださいます。氷を溶かす温もりで満たしてくださいます。まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。
「私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、実行しなさい。そうすれば、平和の神が共にいてくださいます。 」(ピリピ人への手紙 4:9 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。