「賢い神の民は、太陽のように明るく輝く。多くの人を正しい道に導く者は、いつまでも星のようにきらめく。」( JCB)
きんたくんと光の耳・・・
きんたくんは、静かな夜に星を見上げながら、マザー・テレサのお話を聴くのが大好きでした。マザーが語るイエスさまの愛は、きんたくんの心にぽっと灯りをともします。
「マザーは、どうしてあんなに優しくできるのかな…」と、きんたくんがつぶやくと、ふわりと光の粒が集まって、お助けマンが現れました。「きんたくん、マザーがしていたことはね、イエスさまがしてくれたことを、誰かにそっと渡すことなんだよ。」
「でも、ぼくにはそんなすごいことできないよ…」
お助けマンはにっこり笑って、きんたくんの耳にそっと手を当てました。「きんたくんの“光の耳”は、誰かの心の声を聴くためにあるんだよ。わかってほしいって願ってる人の声を、ちゃんと聴ける。それって、すごく大切なことなんだ。」
その日から、きんたくんは“聴く”ことを大切にするようになりました。
泣いている子がいたら、そばに座って、何も言わずに耳を傾けました。怒っている子がいたら、「どうしたの?」と優しく尋ねました。そして、誰かが「ありがとう」と言ってくれるたびに、きんたくんの耳は、星のようにきらりと光りました。
ある日、きんたくんは空を見上げて言いました。「ぼくも、マザーみたいに、イエスさまの愛を伝えられるかな。」
お助けマンは、きんたくんの肩に手を置いて言いました。「もう、伝えてるよ。きんたくんの耳が光るたび、神さまはきっと喜んでる。」
そして夜空には、きんたくんの耳と同じ光が、星となって輝いていました。
「賢い神の民は、太陽のように明るく輝く。多くの人を正しい道に導く者は、いつまでも星のようにきらめく。」( JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったら、こちらもご覧くださいね。
イエスはトマスに言われました。「いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。 (ヨハネの福音書 14:6 JCB)
きんたくんと ひかりのみち・・・
あるところに、きんたくんという男の子がいました。きんたくんは、がんばりやさん。でも、がんばりすぎてしまうこともありました。
「ぼくがちゃんとしなきゃ」「すぐにうまくいかないと、イライラしちゃう…」「どうして、思い通りにならないんだろう…」そんな日々、きんたくんの心は、もやもやと曇っていました。
ある夜、きんたくんはひとりで泣いていました。すると、ふわっとあたたかい光がさして、「お助けマン」が現れました。
「きんたくん、どうしたの?」「うまくいかないんだ。ぼくの力じゃ、だめなんだ…」お助けマンは、そっときんたくんの隣に座って、静かに耳を傾けました。そして、やさしく言いました。
「きんたくん、イエスさまはこう言っているよ。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』(ヨハネの福音書 14:6)」
「道…?でも、道っていっぱいあるよ。どれがほんとうの道なの?」
「そうだね。でも、イエスさまは、神さまのところへ行くただひとつの道なんだよ。きんたくんが、自分の力でがんばっても、迷ってしまうことがある。
でも、イエスさまは、きんたくんの弱さも、涙も、全部知っていて、そのままのきんたくんを愛してくださっているんだ。」
「ほんとうに…?」
「うん。だから、イエスさまは十字架にかかってくださったんだよ。きんたくんが、神さまの愛を知って、たち帰ることができるように。」
きんたくんは、ぽろぽろ涙を流しました。でも、その涙は、悲しみの涙ではありませんでした。それは、心があたたかくなる、希望の涙でした。
「ぼく、イエスさまの道を歩いてみたい。すぐにうまくいかなくても、イエスさまが一緒なら、きっと大丈夫。」
お助けマンはにっこり笑って、きんたくんの手をとりました。そして、ふたりは光の道を、ゆっくりと歩き始めました。
イエスはトマスに言われました。「いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。 (ヨハネの福音書 14:6 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福の中にありますように。
よかったら、こちらもご覧くださいね。
「良い生き方をする人は、柔和な行いを身につけた、知恵のある賢い人です。」(ヤコブの手紙 3:13 JCB)
「やわらかいこころ」のひみつ・・・
ある日、きんたくんは教会で「ヤコブの手紙 3:13」の御言葉を聴きました。「あなたがたのうちで知恵があり、理解のある人はだれですか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いによって、自分の生き方を示しなさい。」
「良い生き方って、どんな生き方なんだろう?」「柔和な姿勢って、どういうこと?」きんたくんは、帰り道でずっと考えていました。
そのとき、ふわっと風が吹いて、どこからともなく「お助けマン」が現れました。にこにこしながら、きんたくんの隣に座ります。
「どうしたの? 心がもやもやしてるね。」「うん……ぼく、すぐ自分のことでいっぱいいっぱいになっちゃう。神さまのこと、忘れちゃうこともあるんだ。」
お助けマンは、きんたくんの言葉をじっと聴いて、やさしくうなずきました。「それに気づいたことが、もう知恵のはじまりだよ。知恵ってね、たくさんのことを知ってることじゃなくて、まず神さまに心を向けることなんだ。」
「えっ、そうなの?」
「うん。神さまに『今のぼくを見てください』って心を開くこと。それが、ほんとうの知恵の第一歩。そして、柔和な姿勢っていうのはね……」
お助けマンは、そっと手を広げました。「どんな人にも、どんな自分にも、イエスさまみたいに寄り添って聴いてあげること。『どうしたの?』『それは大変だったね。つらかったね。よかったら一緒に考えよう』って言える心のかたちなんだよ。」
きんたくんは、ぽかんとしながらも、胸の奥があたたかくなるのを感じました。「そっか……ぼくも、そんなふうに生きてみたいな。」
その日から、きんたくんは毎朝、神さまに「おはよう」と心で話しかけるようになりました。
困ったときは、「イエスさまならどうするかな?」と考えてみるようになりました。
そして、友だちが泣いているとき、きんたくんはそっと隣に座って言いました。「どうしたの? それは大変だったね。つらかったね。」と気持ちに寄り添いながら「よかったら一緒に考えよう」お助けマンも一緒にいてくれます。
その姿は、まるで柔和な知恵を身につけた小さな光のようでした。
「良い生き方をする人は、柔和な行いを身につけた、知恵のある賢い人です。」(ヤコブの手紙 3:13 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったら、こちらもご覧くださいね。https://youtu.be/at0W34ubz8g?feature=shared
「このキリストによって、ユダヤ人も外国人も、一つの御霊に助けられつつ父である神のもとに行くことができるのです。」(エペソ人への手紙 2:18 JCB)
こころの ひかり・・・
ある日、きんたくんは ぽつんと ひとりで かんがえていました。「どうして ぼくは すぐに じぶんのことばかり かんがえてしまうんだろう。
ちょっとしたことで いらいらしたり、『ぼくが ただしい!』って おもってしまったり…」
そんなとき、こころのなかに ちいさな もやもやが うまれて、ともだちのことばも、やさしいひとことも、とげとげしく きこえてしまいます。
「こんなぼくに、なにが できるんだろう…」きんたくんは しょんぼりしてしまいました。
すると、そこに――✨お助けマン✨が ふわりと あらわれました。「きんたくん、だいじょうぶ。ぼくは きいてるよ。きんたくんの こころの こえを、ちゃんと。」
お助けマンは、きんたくんの そばに すわって、なにも せめずに、ただ うなずいて きいてくれました。
「イエスさまはね、そんな きんたくんのために、じゅうじかの あいを ささげてくれたんだよ。どんな きんたくんでも、かみさまの かぞくとして うけいれてくれるんだ。」
きんたくんの こころに、ぽっと あかりが ともりました。「そうか…ぼくは ひとりじゃない。かみさまの かぞくとして、みんなと わかりあえるように なりたい。」
国がちがっても、せいべつがちがっても、かんがえかたや みかたが ちがっても――かみさまの ひかりのなかでは、みんなが たいせつな ひと。
きんたくんは、まいにち すこしずつ、かみさまに こころを むける れんしゅうを はじめました。おこったときも、かなしいときも、「いま、かみさまは なんて いってくれるかな?」と たずねてみます。
そして、すこしずつ――きんたくんの こころには、やさしい ひかりが ふえていきました。
「このキリストによって、ユダヤ人も外国人も、一つの御霊に助けられつつ父である神のもとに行くことができるのです。」(エペソ人への手紙 2:18 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったら、こちらもご覧くださいね。
「もしできるなら、と言うのですか。あなたが信じるなら、どんなことでもできるのです。」 (マルコの福音書 9:23 JCB)
「ほんとうの願い」
きんたくんは、神さまのことがだいすき。お祈りもするし、聖書も読むし、心の中ではいつも「神さま、ありがとう」と言っている。
でもある日、きんたくんはふと立ち止まってしまいました。「ぼくの願いって、神さまの御心と同じなのかな…?」「もし違っていたら、かなえてもらえないかもしれない…」「それなら、最初から『どうせ無理』って思っていたほうが、傷つかないかも…」
そんなふうに思ってしまったきんたくんの心は、ちょっぴり曇ってしまいました。
そこに、ふわっと現れたのが――お助けマン。「きんたくん、こんにちは。心がもやもやしてるね。話してくれてありがとう。」お助けマンは、きんたくんの隣にすわって、静かに耳を傾けました。
きんたくんは、胸の中の不安や疑問をぽつりぽつりと話しました。お助けマンは、うなずきながらこう言いました。「それはね、とっても大事な問いだよ。でも、きんたくん。これまでのことを少し振り返ってみよう。必要なものは、ちゃんと与えられてきたよね。悲しいときも、こわいときも、神さまはそばにいてくれた。」
きんたくんは、思い出しました。お友だちとの仲直りができた日。お母さんが泣いていた夜に、そっと寄り添えたこと。心がぽかぽかしたお祈りの時間。「ほんとうだ…神さまは、いつも必要なものをくださってた…」
そのとき、きんたくんの心に、ぽっと光がともりました。「ぼくの願いが、神さまの御心と同じかどうか、わからなくても――神さまがのぞまれることが、なりますようにって願えばいいんだ。」
お助けマンは、にっこり笑って言いました。「それが、信じるってことなんだよ。マルコ9:23に書いてあるように――『信じる者には、どんなことでもできる』ってね。」
きんたくんは、そっと手を合わせて祈りました。「神さま、ぼくの願いがあなたの御心とひとつになりますように。あなたがのぞまれることが、なりますように。」
その夜、きんたくんの夢には、やさしい光があふれていました。それは、神さまのまなざしのように、あたたかくて、やすらぎに満ちていたのです。
「もしできるなら、と言うのですか。あなたが信じるなら、どんなことでもできるのです。」 (マルコの福音書 9:23 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。
よかったら、こちらもご覧くださいね。https://youtu.be/UxdLoageEG8?feature=shared







