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住所変更のお知らせ
新住所
板橋区仲町23−17
東武東上線 
中板橋駅徒歩12分
連絡先
03-6555-5440
(主宰 赤谷拓治)
アクセスカウンタ
今日 : 406406406
昨日 : 717717717
総計 : 1307391130739113073911307391130739113073911307391
投稿者 : church 投稿日時: 2022-04-03 06:06:16 (444 ヒット)

 本日の聖書  サムエル記下1章125


すると、ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。


ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。(ダビデは断食し悔い改めるが子は死ぬ)


ダビデは妻バテ・シェバを慰め、彼女のところにはいり、彼女と寝た。彼女が男の子を産んだとき、彼はその名をソロモンと名づけた。主はその子を愛されたので、預言者ナタンを遣わして、主のために、その名をエディデヤと名づけさせた。


宣教題「罪と赦し、ソロモン王の誕生」 牧師 新保雅雄


イスラエルの王ダビデは、部下ウリヤの妻バテ・シェバに心とられ、彼を戦争の最前線に送り出し殺した。そして彼の妻バテシエバを自分のものとした。神は王であっても罪を赦さない。神は預言者ナタンをダビデの下に遣わし、金持ちの男の罪深い狡猾な行為を語る。


ダビデ王は怒り語る「そんなことをした男は死罪だ」。ナタンはいう「その男はあなただ」。ダビデは言う「私は主に罪を犯した」。ナタンはダビデに言った「生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」王は断食し悔い改めるが、バテシェバとの間に生まれた子は死んでいく


その後ダビデの長子アムノンは次男に殺され、次男アブサロムは反乱を企て戦死。ダビデ家には、争いが絶えず。子は憎しみ合い死んでいく。その時に詠んだ詩が本日交読した(詩編51編)です。


しかし神はこのままにされない。バテシェバとの間に子をもうけさせた。その子がダビデ王の後を継ぐ、あの二代目の王ソロモンになっていく。神はその子を愛され「エディドヤ」と名づけさせた。


「エディドヤ」とは、「主に愛された者」。と言う意味である。


皆さんは、ダビデ王の罪、ソロモン王の誕生、どう感じたでしょうか? 罪と悔い改め赦し、死と復活。次週から受難週・復活祭です。


投稿者 : church 投稿日時: 2022-03-27 06:57:59 (472 ヒット)

本日の聖書  コヘレトの言葉1章17節、12章14節みな空しく、風を追うようなことであった。


宣教題「何を希望に生きるのか」  牧師 新保雅雄


あのダビデ王の息子、二代目ソロモン王、絶大な栄華を極めたソロモン王は言う「何をしても空だ。人生は空しい。」


いずれ人は死を迎える。人を愛すれば愛するほど、いずれ来る死を思うと苦しくなる。真面目に生きれば生きるほど、死で終わることを思うと、馬鹿らしくなる。今夢中でやっていることは、何なんだろうか? 死で全ては終わるとしたら、何をしても空しくなる。投げ出してしまいたい。人は裸で生まれ、また裸で帰っていく。


人を愛したくない、夢中で生きることもしたくない。大切な人を夢中で愛するとき、その先に大きな悲しみがいつか来ることを知る、あまりにも空しい。愛するとは何なんだろうか。


「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に」(12章)


主イエスは言われる、「私を信じて着いて来なさい。死に打ち勝った。恐れることはない、死は通過点だ。」死で全てが終わるわけではない。そのことを、希望を教えに来られたのが、主イエスキリストである。そして私たちは永遠の世界、永遠の命、神を知る。


信仰とは生きる希望を確信することである。ああ感謝・・


投稿者 : church 投稿日時: 2022-03-06 05:59:54 (438 ヒット)

 主命讚美


本日、東京都よりまん延防止条令が3月21日まで延長されました。それに伴い、板橋教会も礼拝の自粛を致します。ご理解下さい。引き続き感染に注意されますように、みなさまのご健康をお祈り致しております。

板橋教会  新保


投稿者 : church 投稿日時: 2022-02-13 07:37:54 (493 ヒット)

 主命讚美


報道でご存じの事と思いますが、東京都よりまん延防止条令が3月6日まで延長されました。残念ですが、板橋教会も礼拝の自粛を致します。ご理解下さい。引き続き感染に注意されますように、ご健康をお祈り致しております。


板橋教会  新保


投稿者 : church 投稿日時: 2022-01-15 22:55:53 (509 ヒット)

 本日の聖書  マタイによる福音書920


「イエスが二人の目に触り、あなたがたの信じているとおりになるようにと言われると、二人は目が見えるようになった。」


宣教題「あなたは何を見、何を信じるのか」  牧師 新保雅雄


本日の聖書は、主イエスに好意を持つ者もあれば、敵意を持つ者もいる。実に世には好意と敵意が渦巻いているのです。ある者は、主イエスに助けを求め、また、ある者は、悪口を浴びせかけます。


二人の盲人、彼らは、主イエスに助けを求め続けて家まで付いて行きました。そこで主イエスは、ようやく、彼らに向き合ってくれました。そして「わたしにできると信じるのか」と言われた。


彼らは「はい、主よ」と答えました。 すると主イエスは、彼らの目に触れ 「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われ、癒されたのです。信仰が問われているのです。誰のせいでもなく、自分がどう信じているかで、その結果が決まるのです。


しかし目の前に、主イエスを通して、神の奇跡、癒し救いが現れているのにも関わらず、ファリサイ派の人々は、それを認めることができませんでした。私たちも癒された先人の証しを幾度となく聞く、当時のファリサイ派と同じであってはならない。自身の知恵におぼれ頼るとき、その知恵によって滅びる、そこに奇跡、救い癒しはおきない。主はあなたがたの信じているとおりになると言われる


自らの欠けに気が付かない人、気が付いても認めない人、残念ながら、神の愛を受け取ることが出来ません。苦しみながら、「わたしを憐れんでください」と心から叫んだとき、憐れみを受けるのです。実に「愚かなものを通して知恵あるものをいましめる」1コリ1:19


二人の盲人は、目が不自由な中で、苦労も多かった。しかし主イエスに憐れみを請うことが出来た点、この病は、恵みだったのです。


一方、ファリサイ派の人々は、手を差し出せば、受け取ることの出来る神の恵みを、かたくなにこばんだのです。神への信仰よりも、自身の知恵が勝ったのです


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