「さあ、元気を出しなさい。 もし、主に信頼しているなら、 雄々しく立ち上がりなさい。」(詩篇 31:24 JCB)
〜こころをむける れんしゅう〜
ある日、きんたくんは、なんだか元気が出ませんでした。おともだちとうまくいかなかったり、がんばったのにうまくいかなかったりして、こころがしょんぼり、しずんでしまったのです。
「ぼくなんて、だめだなぁ…」きんたくんは、ひとりでベンチにすわって、うつむいていました。
そのときです。ふわりとやさしい風がふいて、どこからともなく「お助けマン」があらわれました。
「こんにちは、きんたくん。どうしたの?」お助けマンは、となりにすわって、そっとききました。
きんたくんは、ぽつりぽつりと話しはじめました。
「がんばったのに、うまくいかなかったんだ…」
「ともだちに、いやなこと言われたんだ…」
「もう、なにをしてもむだな気がして…」
お助けマンは、うなずきながら、さいごまできいてくれました。そして、やさしく言いました。「ダビデっていう人もね、すごくつらいときがあったんだよ。でもね、そんなとき、神さまに『たすけてください』って心をむけたんだ。」
「神さまに…?」
「うん。ダビデは、こわくて、さびしくて、どうしていいかわからないとき、神さまに『ぼくの心をあずけます』って言ったんだよ。」
お助けマンは、小さなカードをきんたくんにわたしました。そこには、こう書いてありました『主を待ち望むすべての者よ、強くあれ。心を雄々しくせよ。』ー 詩篇31:24
「きんたくん、いきなり元気になるのはむずかしいかもしれない。でもね、まずは“神さまに心をむけるれんしゅう”をしてみようか。」
その日から、きんたくんは、毎日すこしずつ、「神さま、いまのぼくの気持ちをきいてください」って、心のなかでつぶやくようになりました。
うまく言えない日もあったけど、お助けマンはいつもそばで、にっこりうなずいてくれました。
そしてある日、きんたくんは気づきました。「なんだか、心がちょっとだけ、あったかい…」それは、神さまがそっと心にふれてくれたしるしでした。
「さあ、元気を出しなさい。 もし、主に信頼しているなら、 雄々しく立ち上がりなさい。」(詩篇 31:24 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますよう。
よかったら、こちらをごらんくださいね。https://youtu.be/4EWhzESUnrw?si=Jf271B6XiqqDnLPD
「悪魔のどんな策略にも立ち向かえるように、神のすべての武具で身をかためなさい。」(エペソ人への手紙 6:11 JCB
『きんたくんとこころのよろい』
きんたくんは、元気いっぱいの男の子。でも、今日はなんだか、こころがモヤモヤしています。
「ちょっとだけなら、ズルしてもいいよ」友だちのことばが、きんたくんの胸にひっかかっていました。
夜になっても、モヤモヤは消えません。「ほんとうは、どうしたらいいんだろう…」
きんたくんは、ひとりで考えていました。
次の日の夕方。公園のベンチにすわっていると、ふわりと風が吹いて、お助けマンがあらわれました。
「きんたくん、どうしたの?」お助けマンは、やさしい目できんたくんを見つめます。
きんたくんは、ぽつりぽつりと話しはじめました。ズルしたくないけど、友だちに言いにくいんだよ。
お助けマンは、うなずきながら聴いてくれます。そして、そっと言いました。「神さまはね、きみのこころに“よろい”をくれるんだよ。」
「よろい?」きんたくんは、目をまるくします。
「それはね、ほんとうを大切にする“真理の帯”、よいことを選ぶ“正義のむねあて”、神さまを信じる“信仰のたて”、神さまのことばを知る“みたまのつるぎ”」と言う心のよろいなんだよ。
「それって…ぼくにも着られるの?」
「もちろん。神さまに心を向けたとき、自然に着られるんだよ。」
その夜、きんたくんはお祈りしました。「神さま、ぼくのこころに、ほんとうのよろいをください。」
次の日。友だちがまた言いました。「答え、見ちゃおうよ!」
きんたくんは、にっこり笑って言いました。
「ぼくは見ないよ。自分でがんばる。」
友だちはびっくりしたけど、きんたくんの目は、お友だちの気持ちによりそいながら、心が痛くなることを伝えたのです。そしたらお友だちも、よくないことだと気づいたのです。
帰り道、お助けマンがそっと言いました。
「きんたくん、きみはもう“神さまのよろい”を着ているよ。」
きんたくんは、うれしくなってうなずきました。「ぼく、これからも“こころのよろい”を着ていたいな。」
「悪魔のどんな策略にも立ち向かえるように、神のすべての武具で身をかためなさい。」(エペソ人への手紙 6:11 JCB
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
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「イエスはトマスに言われました。「いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。」
(ヨハネの福音書 14:6 JCB
『きんたくんと まよいのみち』
ある日、きんたくんは森の中で道に迷ってしまいました。「こっちかな?あっちかな?」と、ぐるぐる歩いても、どこにも出口が見つかりません。
そのとき、ふわりと光が差し込みました。「おや、きんたくん。どうしたのかな?」やさしい声とともに現れたのは、お助けマン。
「ぼく、道がわからなくなっちゃったの。どこへ行けばいいのか、もうわからないよ…」きんたくんは涙をこぼしました。
お助けマンはにっこり笑って言いました。「だいじょうぶ。わたしが“道”になるよ。きんたくんが安心して歩けるように、いっしょに行こう。」
お助けマンの足もとには、光の道がすーっと伸びていきました。その道はまっすぐで、あたたかくて、どこまでもやさしい光に包まれていました。
歩きながら、きんたくんは聞きました。「お助けマン、どうしてそんなに道を知ってるの?」
「それはね、わたしが“真理”を知っているから。ほんとうに大切なことは、心の中にあるんだよ。」
きんたくんはうなずきました。「神さまのところに行く道へと案内してくれるイエスさまを信じることなんだね。じゃあ、“命”ってなに?」
お助けマンは、きんたくんの胸に手をあてて言いました。「命もね、イエスさまと一緒にいることなんだ。だから愛されているって知ると、心がぽかぽかして、生きてるって感じるでしょ?」
やがて、森の出口が見えてきました。きんたくんはふり返って言いました。「ありがとう、お助けマン。きみがいてくれてよかった。」
お助けマンはやさしく手をふって、光の道とともに消えていきました。
きんたくんの胸には、あたたかい光がずっと残っていました。
「イエスはトマスに言われました。「いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。」
(ヨハネの福音書 14:6 JCB
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
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「イエスは弟子たちに言われました。『収穫はたくさんあるのに、働く人があまりにも少ないのです。ですから、収穫の主である神に祈りなさい。刈り入れの場にもっと多くの働き手を送ってくださるように願うのです。』」(マタイの福音書 9:37-38 JCB)
きんたくんと「働き人」の祈り・・・
ある日、きんたくんはイエスさまのお話を聞きました。『収穫は多いが、働き手が少ない」——その言葉が、きんたくんの胸にぽつんと残りました。
「収穫って、なんだろう?働き手って、だれのこと?」きんたくんは考えこみました。心の中に、もやもやした風が吹いていました。
そのとき、ふわりと風がやさしくなって、お助けマンが現れました。『どうしたの、きんたくん?」と、そっと隣に座ってくれました。
きんたくんは、心の中の疑問を話しました。お助けマンは、うなずきながら聴いてくれます。そしてこう言いました。
「人はだれでも、心の奥で愛を求めているんだよ。でも、愛ってね、自分だけが得ようとしても、手に入らないんだ。損か得かで測れるものじゃないからね。」
「じゃあ、どうしたら…?」と、きんたくん。
「まずはね、こんな自分でも神さまに愛されているって知ること。「十字架は、本物の愛のしるし。一人ぼっちにならないように、わたしはすべてを引き受けたよ。と言う恵みなんだ。だから、その愛に触れると、同じように誰かを愛したくなる。それが“働き人”になるってことなんだよ。」
きんたくんの目が、ぱっと明るくなりました。『ぼく、働き人になりたい!神さまの愛を知って、誰かに届けたい!」
お助けマンはにっこり笑って、きんたくんの手をそっと握りました。『その願いを、神さまに祈ってみようか。」
きんたくんは目を閉じて、心を静かに神さまに向けました。『神さま、ぼくも働き人になりたいです。あなたの愛を知って、誰かに届けられるように、ぼくの心を育ててください。」
「もちろん。わたしの愛は、あなたの弱さを抱きしめるためにある。あなたが誰かに寄り添うとき、わたしもそこにいるよ。」
祈りは、小さな光になって、きんたくんの胸の中でぽっと灯りました。それは、誰かのために歩き出す、最初の一歩でした。
イエスは弟子たちに言われました。『収穫はたくさんあるのに、働く人があまりにも少ないのです。ですから、収穫の主である神に祈りなさい。刈り入れの場にもっと多くの働き手を送ってくださるように願うのです。』」(マタイの福音書 9:37-38 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
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「主は心の砕かれた人のそばにおられ、 謙虚に罪を悔いる人を助け出されます。」(詩篇 34:18 JCB)
きんたくんと ひつじかいの ひみつ・・・
あるひ、きんたくんは もやもやしていました。
なぜならば、おともだちに いやなことを いわれたのです。「なんで ぼくばっかり…」「こんなとき、かみさまは どこにいるの?」
そのとき、ふわりと あらわれたのは――おたすけマン。「きんたくん、どうしたの?」
「ぼく、かなしくて、くやしくて…かみさまのこと、わすれちゃった」
「うん、わかるよ。ダビデさんも、そんなときがあったんだよ」おたすけマンは、ひとつの ものがたりを きかせてくれました。
むかしむかし、ダビデさんは にげていました。
おうさまに いのちを ねらわれていたからです。ひとりぼっちで、くらい どうくつに かくれていました。
「こわいよ…さびしいよ…」でも、ダビデさんは しっていました。ひつじかいが ひつじを まもるように、かみさまは いつも そばにいてくれるって。
だから、ダビデさんは うたいました。「こころが くだけても、かみさまは ちかくにいてくださる」それが、しへん34へんの ことばです。
きんたくんは、そっと つぶやきました。「ぼくも、そんなふうに なりたいな」「いやなことがあっても、かみさまに こころを むけたい」「そのままの ぼくで、かみさまに だきしめてもらいたい」
おたすけマンは にっこり わらいました。「それが、かみさまの めぐみなんだよ」「きんたくんの こころに、もう ひかりが さしてるよ」
そのひ、きんたくんは ちいさな うたを つくりました。「くだけたこころに ひかりがさす かみさまは いつも そばにいる ぼくは そのままで だいじょうぶ まっすぐに こころを むけていこう」
「主は心の砕かれた人のそばにおられ、 謙虚に罪を悔いる人を助け出されます。」(詩篇 34:18 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったら、こちらもごらんくださいね。https://youtu.be/zi3FJS94Lm4?si=-R1wSDdcLI1P9qwS
