「また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは、『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエスのことばが、いつも頭にあったからです。」 (使徒の働き 20:35 JCB)
「チョコっとこころのおくりもの」
きんたくんは、チョコがだいすき。
おかしの時間になると、ポケットからそっとチョコを取り出して、にんまり。「これ、ぼくの。だれにもあげないよ」そう言って、ひとりでこっそり食べるのが、きんたくんの小さな楽しみでした。
でも、ある日。チョコを食べ終わったあと、なんだか心がぽっかりしていました。「なんでだろう? チョコはおいしかったのに……」きんたくんは、もやもやした気持ちをかかえたまま、ベンチにすわりました。
そこへ、ふわっとあたたかい風といっしょに、お助けマンがあらわれました。「こんにちは、きんたくん。どうしたの?」お助けマンは、きんたくんのとなりにすわって、ただ静かに耳をかたむけてくれました。
きんたくんは、ぽつりぽつりと話しはじめました。「ぼく、チョコをひとりじめしたんだ。でも、なんだかさみしいんだ」
お助けマンは、にっこりして言いました。「それはね、きんたくんの心が“与えるよろこび”をさがしているからかもしれないよ」
そして、お助けマンはイエスさまのお話をしてくれました。「イエスさまは、じぶんのすべてを人のためにささげたんだよ。その愛は、もらうだけじゃなく、だれかにわたすことで、もっと大きくなるんだ」
きんたくんは、はっとしました。「じゃあ、ぼくのチョコも、だれかと分けたら……もっとおいしくなるのかな?」
お助けマンはうなずきました。「そうだね。チョコだけじゃなく、時間も、やさしさも、心も。分けることで、心がぽかぽかになるんだよ」
その日から、きんたくんはちいさな練習をはじめました。お祈りの時間に、「神さま、今日も心をあなたに向けられますように」とつぶやきます。
そして、困っているお友だちがいたら、チョコを半分こしたり、いっしょに遊んだり。「与えるって、うれしいんだな」きんたくんの心は、少しずつ、光で満たされていきました。
「また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは、『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエスのことばが、いつも頭にあったからです。」 (使徒の働き 20:35 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「主はいつくしみ深い方、 苦難に会うとき、身を寄せるべき場所だ。 主は、ご自分に信頼する者をすべて知っている。」(ナホム書 1:7 JCB)
「あんしんの ひみつの ばしょ」
きんたくんのこころは、あるひ もやもやのくもで いっぱいになりました。「どうしよう…」とおもうたびに、こころのなかに ふあんのかぜが びゅうびゅうふいて、「こわいよ…」とつぶやくたびに、よるのように まっくらになってしまいます。
どこにも あんしんできるばしょが ないようなきがして、きんたくんは ひとりで ちいさく まるくなっていました。
そのとき——ぽかぽかのひかりを まとった お助けマンが そっとあらわれました。
「きんたくん、だいじょうぶ。ぼくは ここにいるよ。」やさしいこえが、きんたくんのこころに ふわりと とどきました。
お助けマンは、きんたくんのとなりに すわって、いっしょに しずかに てをあわせました。
「まずは、神さまに こころをむけてみよう。こわいときも、わからないときも、神さまは きんたくんのことを ちゃんと しっていてくださるんだよ。」
きんたくんは、すこしずつ 祈ることを おぼえていきました。「神さま、いま ぼくは こわいです。どうしたらいいか わかりません。」そうつぶやくと、こころのなかに ちいさな ひかりが ともりました。
そのひかりは、だんだん あたたかくなって、ふあんやおそれよりも、ぽかぽかのぬくもりで こころを いっぱいにしてくれました。
そしてあるひ、きんたくんは ふあんで ないている おともだちに であいました。きんたくんは、そっととなりにすわって、「ぼくもね、こわかったんだよ。でもね、神さまは いつも いっしょにいてくれるんだって、しったんだ。」と、やさしく はなしました。
ふたりは いっしょに しずかに てをあわせて、ぽかぽかのひかりを こころに ともしました。
それは、あんしんの ひみつの ばしょ。どんなときも、神さまが そばにいてくださるばしょ。
きんたくんは、もう ひとりじゃないって わかりました。そして、だれかの そばに そっといることが、いちばんの おたすけになるんだって、しったのです。
「主はいつくしみ深い方、 苦難に会うとき、身を寄せるべき場所だ。 主は、ご自分に信頼する者をすべて知っている。」(ナホム書 1:7 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。」(マタイの福音書 5:16 JCB)
「光の練習」
ある日、きんたくんは学校の帰り道、心がずーんと重くなっていました。「ねえ、神さまのこと話したら、また笑われちゃった…」お友だちにイエスさまの愛を話したら、「そんなの信じてるの?」とバカにされてしまったのです。
家に帰っても、心は晴れません。「どうしてこんなに素晴らしい神さまの愛に、気づかないんだろう…」きんたくんは、ぽつりとつぶやきました。
そのとき、ふわりと窓から風が吹いて、カーテンが揺れました。すると、どこからともなく――
「きんたくん、元気ないね」お助けマンが現れました。やさしい目で、きんたくんの隣に座ります。
「うん…神さまのこと話したら、笑われちゃった」きんたくんは、涙をこらえながら話します。
お助けマンは、静かにうなずきました。「それはつらかったね。でもね、ぼくも昔は、神さまのこと、よくわからなかったんだ」「えっ?お助けマンも?」
「うん。誰かが話してくれても、心に届かなかった。だけど、ある日、ぼくの心が暗くて冷たくなっていたとき、イエスさまの十字架の愛が、ぼくの中に光を灯してくれたんだよ」
きんたくんは、目をまんまるくして聞いていました。
「だからね、きんたくん。今はわからない人も、いつかその光に気づくかもしれない。イエスさまは、そんなぼくたちを、ずっと忍耐強く待っていてくれたんだよ」
きんたくんは、ハッとしました。「ぼくも、イエスさまみたいに、待てるようになりたい…!」
お助けマンはにっこり笑いました。「それが、光を輝かせるってことなんだよ。マタイ5:16に書いてあるようにね」
その夜、きんたくんはお祈りしました。「神さま、ぼくが落ち込むときも、笑われるときも、あなたに心を向ける練習を続けられますように。ぼくの光が、あなたの愛を映すものになりますように」
そして次の日――きんたくんは、またお友だちにやさしく話しかけました。笑われても、無視されても、心の中には、イエスさまの光がちゃんと灯っていました。
「あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。」(マタイの福音書 5:16 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「だから、いつでも用意していなさい。メシヤのわたしは、思いがけない時に来るのです。」 (ルカの福音書 12:40 JCB)
「ほんとうのあんしん」
ある日、きんたくんは空を見上げて、ふと考えました。「ぼくの人生って、なんのためにあるんだろう? ぼくは、安心したいから、いろんなことをがんばってるけど…それって、ほんとうに大事なことなのかな?」
その日の夜、きんたくんは聖書を読んでいて、こんな言葉に出会いました。「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。」(ルカ12:40)
「えっ…?“人の子”って、イエスさまのこと?“思いがけない時”って、“いつ?用意する”って、なにを?」
きんたくんの頭の中は、ぐるぐるぐるぐる。安心したいはずなのに、なんだか不安になってしまいました。
そのとき、ふわりと風が吹いて、やさしい声が聞こえました。「きんたくん、そんなに心配しなくていいよ。ぼくは“お助けマン”。一緒に考えよう。」
お助けマンは、きんたくんの隣に座って、こう言いました。「イエスさまは、私たちを愛して、十字架にかかってくださったんだよ。その愛は、どんな不安も包み込むほど大きいんだ。“用意する”っていうのはね、いつでもその愛に感謝して、誠実に生きることなんだよ。」
きんたくんは、十字架の愛を思い出しました。
自分のために命をかけてくれたイエスさまのことを考えると、胸の奥がぽかぽかしてきました。
「そうか…ぼくが安心ばかり求めていたのは、ほんとうは不安だったからなんだ。でも、イエスさまの愛を思い出すと、その不安が少しずつ消えていく気がする。」
それからのきんたくんは、毎日少しずつ、神さまに心を向ける練習をしました。
そして、同じように不安でいっぱいのお友だちがいたら、そっと隣に座って、こう言いました。
「だいじょうぶ。ぼくも不安だったよ。でもね、イエスさまの愛を知ってから、ほんとうの安心を見つけたんだ。一緒に、心を向けてみよう。」
きんたくんは、安心を求めるだけの毎日から、愛を分かち合う毎日へと求めていきました。
そして、いつかイエスさまが来られるその日を、ぽかぽかの心で待ちたいと思うようになったのです。
「だから、いつでも用意していなさい。メシヤのわたしは、思いがけない時に来るのです。」 (ルカの福音書 12:40 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「地上のことをあれこれ気に病まず、天上のことで心を満たされていなさい。 」(コロサイ人への手紙 3:2 JCB)
「こころのたね・・・」
きんたくんは毎日元気いっぱい。でも心の奥では、「神さまのことを思いたい」と願っているのに、ゲームやおやつ、友だちとの遊びに夢中になってしまう。何度も「今度こそは」と思うのに、気づけばまた自分の“いつものパターン”に戻ってしまう。
「ぼくって、ダメなのかな…」
きんたくんは、小さな声でつぶやく。
そんなある夕方、きんたくんが公園でしょんぼり座っていると、お助けマンがふわっと現れた。優しい顔で、ただ静かに隣に座り、「どうしたの?」と聴いてくれる。
きんたくんは、心の中にあるモヤモヤやぐるぐるした気持ちを少しずつ話すように。お助けマンは、うなずきながら、時には「それはつらかったね」と言ってくれる。
話すうちに、きんたくんの胸の中にぽかぽかとしたものが広がっていく。
「聴いてもらえるだけで、こんなに楽になるんだ…」
そして、お助けマンが小さな種をひとつ渡してくれる。
「これは“こころのたね”。神さまの愛が込められているよ。毎日、ほんのすこしだけでも、上を向いて“神さま、おはよう”って言うだけでいい。そうやって、このたねは育っていくんだよ」
それからのきんたくんは、朝起きたらそっと手を合わせて「神さま、おはよう」とつぶやいてみる。ふと何かに迷った時、「神さまはどう思うかな?」と考えてみる。完璧じゃなくてもいい。うまくできない日もある。でも、お助けマンに話して、たねに水をあげるみたいに、まず神さまに心を向けることを続けていく。
きんたくんは、自分の中に「神さまはぼくを見捨てない。どんな時でも、やさしく見ていてくれる」と感じるようになった。
「ぼくのこころのたね、ちょっとずつ育ってる気がする」
きんたくんは嬉しそうに笑った。
「地上のことをあれこれ気に病まず、天上のことで心を満たされていなさい。 」(コロサイ人への手紙 3:2 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。