「あなたがたを思う私の祈りは、いつも神への賛美にあふれています。」(ピリピ人への手紙 1:3 JCB)
きんたくんと牢獄の中の感謝・・・
ある日、きんたくんは聖書を読んでいました。ふと目に留まった言葉に心が止まりました。「わたしは、あなたがたのことを思うたびに、わたしの神に感謝しています。」(ピリピ1:3)
「牢屋にいるのに、感謝してるの…?」その姿に、きんたくんは胸が熱くなりました。自由な時も、苦しい時も、パウロさんは変わらずに、イエスさまの愛と救いを伝え続けていたのです。
その夜、きんたくんは夢を見ました。夢の中で、パウロさんが暗い牢獄の中で、手紙を書いています。その顔は、悲しみではなく、喜びに満ちていました。「神さまは、ここにもおられる。だから、感謝できるんだよ。」
きんたくんは目を覚まし、胸がいっぱいになりました。でも、ふと自分のことを思い出します。「ぼくは、大変なことがあると、すぐに余裕がなくなっちゃう…。」
その時、窓の外からふわりと風が吹いて、お助けマンが現れました。「きんたくん、どうしたの?」
きんたくんは、「パウロさんみたいに、どんな時でも感謝できる人になりたいけど…ぼくには無理かも。」
お助けマンは、そっと隣に座って言いました。「きんたくんの気持ちも、大事だよ。でもね、パウロさんは、苦しみの中でも、相手のことを思って祈っていたんだね。それは、イエスさまの十字架の愛を受け取っていたからこそ、できたことなんだよ。」
きんたくんは、静かにうなずきました。「ぼくは自分のことばかり考えてたけど…イエスさまは、ぼくのために命をかけてくださった。その愛があるなら、ぼくも誰かのために祈れるかもしれない。」
その日から、きんたくんは、困っている友だちのことを思い出しては、「神さま、○○ちゃんが元気になりますように」と、小さな祈りをささげるようになりました。
そして、心の中に、誰にも奪えない平安が、少しずつ育っていったのです。
「あなたがたを思う私の祈りは、いつも神への賛美にあふれています。」(ピリピ人への手紙 1:3 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
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「主は絶対安全なとりで、 正しい人はその中に逃げ込みます。」(箴言 知恵の泉 18:10 JCB)
きんたくんと名前のひみつ・・・
ある日、きんたくんはふと考えました。「ぼくの名前って、どうして“きんた”なんだろう?」
お母さんに聞いてみると、にっこり笑ってこう言いました。「あなたが生まれたとき、光のようにあたたかくて、まるで金色の希望がやってきたみたいだったの。だから“きんた”って名づけたのよ。」
その言葉を聞いて、きんたくんの胸がぽっとあたたかくなりました。
でも、次の日。友だちに名前をからかわれて、きんたくんはしょんぼり。名前なんて、どうでもいいや…と思ってしまいました。
その夜、きんたくんは小さな声でつぶやきました。「神さま…ぼくの名前、ほんとうに大事なの?」
すると、ふわりと風が吹いて、やさしい声が聞こえました。「きんたくん。」 そこには、お助けマンが立っていました。
「きんたくんの名前には、たくさんの思いがこもっているよ。神さまは、きんたくんの名前を呼んで、いつもそばにいてくださるんだ。」
「でも…ぼく、自分のこと大事にできなかった。名前も忘れたくなった。」
お助けマンは、そっときんたくんの隣に座って言いました。「それでも、神さまはきんたくんを忘れないよ。神さまの名は、強い塔。そこに逃げ込む人は守られるって、箴言に書いてあるんだよ(箴言18:10)。名前を呼ばれるって、守られてるってことなんだ。」
きんたくんは、ぽろりと涙をこぼしました。「ぼく、神さまのところに帰りたい。」
お助けマンは、そっと手を差し伸べました。「じゃあ、一緒に行こう。神さまは、きんたくんの名前を呼んで、待ってるよ。」
その夜、きんたくんはお祈りしました。「神さま、ぼくの名前をありがとう。ぼくは、あなたのところにいると安心します。あなたが一緒にいてくれることが、いちばんの幸せです。」そして、きんたくんは眠りにつきました。
名前を呼ばれるたびに、神さまの愛を思い出すようになったきんたくん。温かい光のように、心を照らし続けました。
「主は絶対安全なとりで、 正しい人はその中に逃げ込みます。」(箴言 知恵の泉 18:10 JCB)
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「わたしが、そのいのちのパンなのです。わたしのところに来る人は、二度と飢えることがありません。わたしを信じる人は、決して渇くことがありません。」(ヨハネの福音書 6:35 JCB)
きんたくんと いのちのパンのおはなし・・・
きんたくんは、元気いっぱいの男の子。朝になるとお腹がすいて、ごはんを食べます。遊んだあとはのどがかわいて、お水をごくごく飲みます。
でもある日、ふと考えました。「ぼくのこころも、なんだかすいてる気がする…」
そのとき、ふわりと風が吹いて、やさしい声が聞こえました。「こんにちは、きんたくん。ぼくはお助けマン。こころの声、ちゃんと聴いてるよ。」
お助けマンは、きんたくんのそばにすわって、静かに耳をかたむけます。きんたくんは、うれしかったこと、さみしかったこと、だれにも言えなかったことを、ぽつりぽつりと話しはじめました。
お助けマンは、うなずきながら言いました。「きんたくんのこころは、ほんとうの愛をさがしているんだね。」
きんたくんは目をまるくしました。「ほんとうの…愛?」
お助けマンは、そっと聖書の言葉をひらいて、こう言いました。「イエスさまは『わたしがいのちのパンです』って言ったんだよ。イエスさまの愛は、どんなときも変わらない。こころがすいても、かわいても、満たしてくれるんだ。」
きんたくんは、胸の奥がぽかぽかしてきました。「ぼく、イエスさまのパンを食べてみたい。こころがあったかくなるような…そんな愛に出会いたい。」
お助けマンはにっこり笑って、きんたくんの手をとりました。「その願い、イエスさまはきっと受けとめてくれるよ。」
その日から、きんたくんは毎日、こころのパンを求めて祈るようになりました。うれしい日も、かなしい日も、イエスさまの愛がそばにあることを感じながら。
そして、きんたくんは気づきました。「ぼくのこころは、もうすいてない。イエスさまの愛で、いっぱいだ。」
「わたしが、そのいのちのパンなのです。わたしのところに来る人は、二度と飢えることがありません。わたしを信じる人は、決して渇くことがありません。」(ヨハネの福音書 6:35 JCB)
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「キリストは人間となり、この地上で私たちと共に生活なさいました。彼は恵みと真実のお方でした。私たちは、この方の栄光を目のあたりにしました。それは天の父である神の、ひとり子としての栄光でした。」(ヨハネの福音書 1:14 JCB)
びっくりするような恵みとまこと・・・
きんたくんは、教会の小さなベンチにちょこんと座っていました。ヨハネの福音書 1:14――「ことばは人となって、わたしたちの間に住まわれた」その御言葉が、心の奥でぽかぽかと灯っていました。
「神さまが人間になったって……どうして?」きんたくんは、ぽつりとつぶやきました。そのとき、ふわりと風が吹いて、教会の扉が静かに開きました。
「こんにちは、きんたくん」お助けマンが、にっこりと現れました。「その“どうして”を、いっしょに考えてみようか」
きんたくんはうなずきました。お助けマンは、やさしく語りはじめました。「神さまはね、遠くから見ているだけじゃなくて、きんたくんの涙も、笑顔も、いっしょに感じたかったんだよ。だから、赤ちゃんとして、馬小屋に来てくれた。誰にも気づかれないような場所で、静かに、でも確かに。」
「それって……すごくさみしい場所じゃない?」「うん。でもね、神さまは“さみしい”を知ってる人に、“いっしょにいるよ”って言いたかったんだ。」
きんたくんの目に、涙がにじみました。「それで……十字架にもかかってくれたんだよね」
「そう。罪の重さを全部背負って、赦してくれた。それは、きんたくんが“もう一度やり直せる”っていう恵みなんだよ。」
きんたくんは、胸に手をあてました。「ぼく、そんな恵み、もらっていいのかな……」お助けマンは、そっときんたくんの肩に手を置きました。
「イエスさまは、“信じる人すべてに”って言ってるよ。きんたくんにも、もちろん。恵みとまことは、きんたくんのためにあるんだ。」
その夜、きんたくんは星空を見上げながら、祈りました。「神さま、ありがとう。ぼくも、あなたのまことを信じます。びっくりするくらいの恵みを、ありがとう。」
星がひとつ、きらりと光りました。それは、神さまのまことのしるしのようでした。
「キリストは人間となり、この地上で私たちと共に生活なさいました。彼は恵みと真実のお方でした。私たちは、この方の栄光を目のあたりにしました。それは天の父である神の、ひとり子としての栄光でした。」(ヨハネの福音書 1:14 JCB)
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「この福音は、私たちがキリストを信じる時、神が私たちを天国に入るにふさわしい者、すなわち、神の目から見て正しい者としてくださることを教えています。それは、初めから終わりまで、信仰によって達成されるのです。「正しい人は信仰によって生きる」(ハバクク2・4)と、聖書に書いてあるとおりです。」(ローマ人への手紙 1:17 JCB)
「信じるって、どういうこと?」―
ある日の夕暮れ、きんたくんは空を見上げていました。風が木々を揺らし、雲が流れていきます。「空気って見えないけど、たしかにあるよね。愛も見えないけど、感じることができる。
神さまも…見えないけど、いるって信じてる。
でも、ぼくの心は、見えるものばかりにとらわれちゃうんだ。」
きんたくんは、胸の奥がちょっともやもやしていました。そのとき、ふわりと光のような存在が現れました。それは――お助けマン。
「きんたくん、心の声を聞かせてくれてありがとう。見えないものを信じるって、たしかにむずかしいよね。でもね、聖書の中の人たちも、みんな最初は迷っていたんだよ。」
「ほんとに?」ときんたくん。
「うん。たとえば、アブラハム。神さまに『行きなさい』って言われて、行き先も知らずに旅に出たんだ。モーセも、海が割れるなんて信じられなかったけど、神さまを信じて一歩踏み出した。彼らは、見えない神さまの言葉を信じて、歩いたんだよ。」
きんたくんは目を丸くしました。「じゃあ、ぼくも…信じて歩けるかな?」
お助けマンはにっこり笑って言いました。「もちろん。信仰ってね、“見えないけど、信じてみる”っていう小さな一歩から始まるんだ。たとえば、祈ってみること。聖書を読んでみること。自然の中で『ありがとう』って言ってみること。それが、信仰の種になるんだよ。」
きんたくんはそっと手を胸にあてました。「ぼく、やってみる。見えないけど、たしかにあるって、信じてみる。」
お助けマンは、きんたくんの肩に手を置いて言いました。「その心が、もう信仰の旅のはじまりだよ。そして、きんたくんが信じて歩く姿は、きっと誰かの光になる。」
その日から、きんたくんは「見えないもの」を感じる旅に出ました。風の音に耳をすませ、聖書の言葉に心をひらき、小さな祈りを空に届けながら――。
「この福音は、私たちがキリストを信じる時、神が私たちを天国に入るにふさわしい者、すなわち、神の目から見て正しい者としてくださることを教えています。それは、初めから終わりまで、信仰によって達成されるのです。「正しい人は信仰によって生きる」(ハバクク2・4)と、聖書に書いてあるとおりです。」(ローマ人への手紙 1:17 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
よかったら、こちらもごらんくださいね。https://youtu.be/G3wtt3rM8Bk?feature=shared
