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投稿者 : church 投稿日時: 2019-02-17 07:40:28 (640 ヒット)

 本日の聖書  ヨハネによる福音書2章9節

「世話役はぶどう酒に変わった味見をした。このぶどう酒がどこからきたのか、水をくんだ召し使い達は知っていたが、世話役は知らなかった」

宣教題「奇跡と信じる力」 牧師 新保雅雄

主イエスは、5人の弟子を選び、ガリラヤから神の国の伝道活動を始められました。伝道の途中カナで結婚式に招かれました。この結婚式には、主イエスの母マリアもお手伝いの為にきていました。

当時の結婚式は、一週間近くも宴会が続きます。その間、料理やぶどう酒は、相当な量が必要です。主催者は、充分に用意をしていましたが、宴会途中でぶどう酒が無くなってしまいました。

そこで母マリアが主イエスに「ぶどう酒が無くなりました」と相談しました。主イエス様は、召し使いに「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われました。水は清めに使う水がめに注がれました。

何も知らない世話役が味見をすると、良質のぶどう酒なので、宴会の後半に上等のぶどう酒をだした花婿をほめました。通常は、初めに良いぶどう酒をだして酔いが回った頃に、安物を出すからです。

この奇跡を知っているのは、新郎新婦や世話役でもなくお客様でもない、主イエスから指示され働いた召し使い達です。「このぶどう酒がどこからきたのか、水をくんだ召し使いたちは知っていた」神の祝福は、主イエスの働きをする者達の上に大胆に現されるのです

そして「その栄光を現された。それで弟子達はイエスを信じた。」祝福を頂いた新郎新婦が信じたのではない。そこに招かれた者が信じたのでもない。「弟子達が信じた。」のです。

神様の救いを受ける人は、必ずしも、奇跡を行って貰った人たちだけじゃないのです。「指示され水をくんだ召し使い達」「選ばれ従って行く弟子達」に神の栄光は現され、信じる力が与えられるのです。


投稿者 : church 投稿日時: 2019-02-10 07:32:17 (676 ヒット)

 本日の聖書  ヨハネによる福音書4:23

「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」

宣教題「ありのままの告白」 牧師 新保雅雄

主イエスは、弟子達とガリラヤへ向かう途中、サマリアのシカルを通りかかりました。 弟子たちは、食べ物を買うために町に行き、主イエスだけが、ヤコブの井戸と呼ばれる井戸に一人残りました。

そこへサマリア人女性が、井戸の水をくみに来ました。正午ごろは、一日の内で最も暑い時です。通常は、この暑い時間帯を避け、朝か夕方の涼しい時に井戸の水をくみに来るものです。しかしこの女性は、人のいない時に水をくみに来たのです。つまり彼女には、人目を避けなければならない理由があったのです。

主イエスは、この女性と言葉を交わして、私が誰だか知っているならば、「あなたの方から、私に頼み、私は、あなたに生きた水を与えただろう」「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

サマリアの女性は、主イエスが言われる、生きた水を求めました。すると主イエスは、「あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われました。そこで、この女性は、人目を避けなければならない自分の罪深さ、過去に5人の夫がいた。現在も結婚していない男性と同棲している。人目を避ける闇を「ありのまま」に告白したのです。

ここに主イエスの言われる「霊と真理をもって神を礼拝する者」の姿があります。「霊をもって礼拝する」とは、聖霊に導かれて礼拝すること、「真理をもって礼拝する」とは、神の御前に、私たちが「ありのまま」を告白することです。

サマリアの女性が、主イエスに自分自身を「ありのままに告白」したように、神の御前に、私たちが素直になって、正直にありのままの姿をさらけ出すとき、本当の救いがおとづれるのです。 


投稿者 : church 投稿日時: 2019-02-03 06:40:50 (616 ヒット)

 


本日の聖書  ヨハネによる福音書9:38〜39

彼が「主よ、信じます」と言って、ひざまづくと、イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」

宣教題「神を知るとは自分を知ること」 牧師 新保雅雄

生まれついての盲人が、主イエスに癒されて目が見えるようになった。そのことを知ったファリサイ派の人が、真意を確かめる為、癒された人に「どうして見えるようになったのか」と尋ねた。彼は、自分が生まれつきの盲人であること、そして癒されたことの一部始終をお証しする。

しかしファリサイ派の人々は、信じようとはせず、彼の両親を呼び出し、同じ事を尋ねた。両親は「彼が生まれつきの盲人であることは知っているが、誰が、どうやって息子を癒したのか分かりません。これ以上のことは、直接本人に聞いてください。」と言ってお証ししなかった。両親は、ユダヤ人社会からの締め出しを恐れていたからである。

ファリサイ派の人々は、再度、癒された盲人を尋問した。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が、罪ある人間だと知っているのだ」と圧力をかける。しかし彼はファリサイ派の圧力に屈しない。前回以上に「あの方が、神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」と力強く神の力によるとお証しした。

ファリサイ派の人々は「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い彼を外に追い出した。結果的に彼は、ユダヤ人社会から罪人として追放されていく。しかし彼は、どんな迫害よりも真実を語ることによって、神が見え、神と出会うのです。

社会の中で、主イエスをお証しする生活をおくる時、社会は、あなたを受け入れないかもしれない。その証しのために不利益をこうむったとしたら、それはイエス・キリストに、より近づいたことになるのです。

あなたにイエス・キリストは言われる。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」


投稿者 : church 投稿日時: 2019-01-27 07:28:42 (664 ヒット)

 


本日の聖書  マルコによる福音書14:18

「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」

宣教題「裏切りと救い」 牧師 新保雅雄

「最後の晩餐」の席で主イエスは言われました。「あなたがたのうちの一人で、一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」この時12弟子の誰もが「自分は裏切りはしない」とは思えませんでした。「もしかして自分が裏切るかもしれない」と心の中で不安がよぎる。それゆえ「まさかわたしのことでは」と、代わる代わる主イエスに尋ねたのです。

楽しい晩餐の席は、一転して緊迫した雰囲気になりました。続けて主イエスは言います。「わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ」裏切り者は誰なのか。ここで名前は出ません。主イエスを裏切る者の名前が伏せられることで、どの弟子にも主イエスを裏切る心があるということが、あらわになっていきます。

裏切りのユダ以外の弟子たちも、主イエスが捕らえられて行く中で逃げました。この後の22節でペトロは、主イエスのことを3回知らないと裏切りました。同じく弟子達も関係を否定するのです。

主イエスから「生まれなかった方が、その者のためによかった」と言われるのは、決してユダだけではありません。他の弟子たち全員、また私たちも同じ言葉を聞くべき者なのです。

「生まれなかった方がよかった」最悪な言葉です。しかし、この主イエスの厳しい言葉に、自分を置く時にこそ、救いがもたらされるのです。全人類が主イエスを裏切る。だから全人類への救いがあるのです。いざとなったら逃げ出してしまう。それが私たちの本当の姿なのです。はっきりと心の中がえぐり出されるのです。

自分の罪の大さを知るとき、主イエスの十字架が、自分にとって価値のあるもの、救いという大きな恵みにつながります。


投稿者 : church 投稿日時: 2019-01-20 08:24:17 (682 ヒット)

 


本日の聖書  マルコによる福音書6:50〜51

皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが船に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。

宣教題「恐れるな私がいる」 牧師 新保雅雄

主イエスは、弟子たちだけを舟に乗せ、ガリラヤ湖の向こう岸ベトサイダへ向かわせました。弟子たちを乗せた舟は、湖の中ほどまで進んでいきました。穏やかで順調な進みでした。ところが急に逆風が吹いて来ました。舟は風と波を受け、立ち往生してしまったのです。舟に乗り込んでいた弟子たちは、ペトロを初めとして、以前は漁師をしていた者が何人もいましたが、そんな彼らでも激しい逆風と荒波に打ち勝つことが出来なかったのです。

弟子たちは、一晩中、逆風に悩まされ、一向に進むことが出来ずにいたのです。そしてとうとう夜が明ける頃になりました。その時、主イエスは、湖の上を歩いて、弟子たちの所へと向かわれたのです

ところが弟子たちは、湖の上を歩いて来るのが、主イエスだとは分かりませんでした。それより幽霊だと思い、おびえていたのです。

その時、主イエスは、弟子たちに向かって、こう言われました。

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

私たちの人生も、弟子たちの舟旅のように、度々、逆風が吹くことがあります。途中まで順調に見えた人生が、まるで逆風が吹き付けてきたように、急に進まなくなり、いくら漕いでも、前に進まなくなることがあります。そんな時、私たちは、進むべき方向や、方法が間違っているのではないかと思い戸惑います。そして、「こんな筈では無かった」と焦り、疲れ、取り乱します。そしてどうしょうもなく人生半ばで、なげだし諦めてしまう。

そんな時、祈って下さい。主イエスは言われます。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」世の中の声に振り回され神の声が聞こえ無かったのです。そんなあなたに主イエスは声をかけておられます。すべてを主イエスに委ねてみてはどうでしょうか。


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