「おお主よ。あなたは栄光と誉れととを受けるにふさわしい方です。すべてのものをお望みどおりに造り、存在させておられるのですから。」 (ヨハネの黙示録 4:11 JCB)
わたしたちの視点は、それぞれ見ているところになりますが、ほんの一部しか見れていません。
神さまのように、隅々まですべてを見ることはできません。しかし、わたしたちは、自分とは違う方々と触れ合うことで、見えないところに気付かされたり、考えさせられて世界観は広がっていくのです。
わたしたちは、どのような状況の中にあっても、まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。失敗しても、うまくいかなくても、まず神さまに心を向ける練習です。
「おお主よ。あなたは栄光と誉れととを受けるにふさわしい方です。すべてのものをお望みどおりに造り、存在させておられるのですから。」 (ヨハネの黙示録 4:11 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 (ヨハネの福音書 16:33 JCB)
毎日、食べることにもままならない状況の時は、きっと普通に食べることだけに心がとられてしまいます。
マザーテレサが、インドのカルカッタで出会った少年とその家族は、自分もお腹が空いているのに、パンを分けてもらうと、自分だけではなく、家族と分かち合い、さらに少年のお母さんは赤ちゃんがいるのに、隣の同じような家族にも分かち合うのです。
そのような状況の中にあったら、自分さえ良ければいいになりがちですが、それ以上に痛みを知る人の思いやりと言う温もりがあったのです。イエスさまの十字架の愛は、まさに温もりです。温もりのある愛は必ず勝利するのです。
あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 (ヨハネの福音書 16:33 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「それから、こう宣言されました。「全世界に出て行きなさい。すべての人々にこの福音を宣べ伝えるのです。 」(マルコの福音書 16:15 JCB)
すべての人に福音を知らせなさい。とのミッションです。
すべての人とは、自分を大事にしてくれる人にも、そうでない人にも、もれることなく、関わるすべての人に対してですね。チャレンジです。
福音は、よい知らせです。神さまの愛は、わたしたちが思う愛以上に大きく深く強いですね。イエスさまの十字架の愛はありえないと思うほどの愛です。
わたしたちは神さまに赦されて、神さまが一緒にいてくださいます恵みは、まさに宝であり救いです。自分がしてもらって嬉しいことを同じようにすることは、具体的には相手をイエスさまのように尊重する姿勢です。自分も尊重されると嬉しいし、尊重されなかったら、嬉しくないでしょう。
相手が尊重してくれないから、同じように尊重しないのはとても簡単ですよね。しかし、わたしたちは惑わされないでミッションを続けていく練習です。自分の力ではなく、まず神さまに心を向ける、十字架の愛に感謝しながら、それぞれ、イエスさまの愛を伝えられる方法でいいのです。イエスさまは救い主です。
「それから、こう宣言されました。「全世界に出て行きなさい。すべての人々にこの福音を宣べ伝えるのです。 」(マルコの福音書 16:15 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「悪に負けてはいけません。かえって、善を行うことによって悪に打ち勝ちなさい。 」(ローマ人への手紙 12:21 JCB)
悪に勝つには、やられて嫌なことを同じように仕返しをしないことなのですが、難しいことにも思います。
なぜならば、わたしたちには感情があり気持ちのやり場がないとストレスになってしまうと思い込んでいるからです。
しかし、よく考えると、自分中心のクセがあるので、いつも同じパターンになっています。そのパターンの時は神さまを忘れていることにも気づく必要があります。
そのため、自分に不都合がある時、まず神さまに心を向ける練習だと思うと、そのクセ(習慣)からパターンを繰り返すよりも、本当に良い知恵を求めることができるのです。
十字架の愛は、心を取り戻す力です。神さまの愛に感謝することは、悪に打ち勝つからです。弱い時こそ強いように十字架の愛は必ず勝利するからです。
「悪に負けてはいけません。かえって、善を行うことによって悪に打ち勝ちなさい。 」(ローマ人への手紙 12:21 JCB)
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「ですから躊躇せず、神の御座に近づいてあわれみを受け、時にかなって与えられる恵みをいただこうではありませんか。 」(へブル人への手紙 4:16 JCB)
イスラエルの民が不信仰のためにカナンの地に入ることができなかったように、神さまから離れてしまうとわたしたちは安息の地(神さまが、共におられます安心の居場所)が見えなくなってしまいます。
わたしたちは目の前のことに縛られやすいから、自分の都合がよくないとすぐに不平不満で心がいっぱいになりやすいのです。しかし神の言葉は生きており、鋭い剣のように人々の心を刺し通す力がありますから神さまに心を向けるように気づかされるのです。
イエスさまは、そんな私たちの弱さを理解して助けてくださいます。イエスさまの十字架は、すべてを投げ出してでも、あなたを守ろうとされます本物の愛なのです。
「ですから躊躇せず、神の御座に近づいてあわれみを受け、時にかなって与えられる恵みをいただこうではありませんか。 」(へブル人への手紙 4:16 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。