「たとえ、死の暗い谷間を通ることがあっても、 恐れません。 主がすぐそばにいて、 私の行く道をいつもお守りくださるからです。」(詩篇 23:4 JCB)
「死の陰の谷を歩むときも」
ある日、きんたくんは心の中に黒い霧が立ちこめるのを感じました。それは「安心できないこと」「受け止めたくないこと」が重なって、まるで谷底に落ちていくような気持ちでした。
「ぼくは、ダビデみたいに強く信じたい。『あなたが共におられるから、わたしは災いを恐れません』って言いたい。でも……ほんとは、こわい。自分を守ることで頭がいっぱいになっちゃう。」
そんな時、ふわりと風が吹いて、どこからともなく「お助けマン」が現れました。お助けマンは何も言わず、ただきんたくんの隣に座って、静かに耳を傾けました。
「ぼく、ほんとは信じたい。でも、安心したいって気持ちが先に来ちゃう。そんな自分、いやだな……」
お助けマンは、にっこりと微笑みました。
「それは、自然なことだよ。安心したいって思うのは、弱さじゃなくて、人としての大切な感覚。それを知っているからこそ、誰かの不安にも寄り添えるようになるんだよ。」
きんたくんは、はっとしました。
「……ぼくが、自分の気持ちをちゃんと見つめられたら、誰かの気持ちにも耳を傾けられるようになるのかな?」
お助けマンは、そっときんたくんの肩に手を置きました。
「そうだよ。『死の陰の谷』を歩くとき、神さまは杖と知恵で守ってくださる。でもその守りは、時に“誰かがそばにいてくれること”でもあるんだ。きんたくんが誰かの“そばにいる人”になる日も、きっと来るよ。」
その夜、きんたくんは小さな祈りをささやきました。
「神さま、ぼくはまだ弱いです。でも、温もりと誠実さを忘れたくないです。ぼくの心に、あなたの光を灯してください。」
そして、きんたくんは十字架の愛を感じて、自分を許すことができました。自己保身の気持ちも、そのまま神さまに差し出してみようと思えたのです。
「たとえ、死の暗い谷間を通ることがあっても、 恐れません。 主がすぐそばにいて、 私の行く道をいつもお守りくださるからです。」(詩篇 23:4 JCB)
「しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」 (使徒の働き 1:8 JCB)
「こころの ひかり」
きんたくんは教会で「イエスさまはあなたのために命をささげたんだよ」と聞き、胸がじんわりと熱くなる。「こんなぼくでも、神さまのことを伝えたい」と思うようになる。
でも、まだ友だちと遊びたい、ゲームもしたい、思い通りにいかないと怒りたくなる時もある。不安になって神さまを忘れてしまう。そんな自分に「神さまのことを伝えるなんて無理かも」と落ち込むきんたくん。
葛藤していると、ふわっと風が吹いて、お助けマンが現れる。「きんたくん、聖霊さまはいつもそばにいるよ。まずは神さまに心を向ける練習から始めよう」
きんたくんは毎朝「おはよう、神さま」と言うことから始める。また怒りそうな時は「聖霊さま、助けて」と心の中でつぶやく。少しずつ、心が静かになっていく。
ある日、友だちが悲しそうにしているのを見て、きんたくんは勇気を出して「神さまは、きみのことも大好きだよ」と伝える。友だちの顔がふわっと明るくなる。
もちろん聞いてくれなかったり、否定されることもあるので、きんたくんはまだ葛藤する。でも、お助けマンはいつもそばにいてくれる。きんたくんは「ぼくは、神さまに心を向けるれんしゅう中なんだ」と笑う。十字架の愛は変わらない。
「しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」 (使徒の働き 1:8 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「神は望んでいることをあなたに告げられました。 すなわち、えこひいきせず、公平で、 あわれみ深くあること、 また、謙遜にあなたの神と共に歩むことです。」(ミカ書 6:8 JCB)
「ひみつのレッスン」
きんたくんは、ある日、聖書のことばを読んでびっくりしました。「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか。主があなたに求めておられるのは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ書 6:8)
「えこひいきしないで、みんなにやさしくするって…そんなの、むずかしいよ。ぼくにいじわるするあの子にも…?」
きんたくんは、心がもやもやしてしまいました。やさしくしたいけど、できない。神さまのことも、すぐに忘れてしまう。そんな自分がいやになって、ひとりで泣いてしまいました。
すると、ふわりと風が吹いて、どこからか「お助けマン」が現れました。「きんたくん、どうしたの?」
きんたくんは、ぽつりぽつりと話しはじめました。えこひいきしてしまうこと、いやな気持ちになること、神さまのことを忘れてしまうこと…。
お助けマンは、うんうんと静かに聴いてくれました。何も責めずに、ただ、きんたくんの気持ちに寄り添って。
「聴いてもらえるって…うれしいんだね」と、きんたくんは気づきました。
「そうだよ。神さまも、きんたくんの心の声をいつも聴いてるよ。イエスさまは、きんたくんのために十字架にかかってくれたんだ。だから、きんたくんが誰かにやさしくできない日も、忘れてしまう日も、神さまはきんたくんを見捨てないよ。」
きんたくんは、胸がぽかぽかしてきました。「ぼくも、チャレンジしてみる。まず、神さまに心を向ける練習から。イエスさまの愛を忘れないように…」
それからきんたくんは、毎日すこしずつ、神さまに「こんにちは」と心で話しかけるようになりました。えこひいきしそうになったら、「イエスさま、助けて」とつぶやいてみる。いじわるされたら、まず深呼吸して、神さまに気持ちを打ち明ける。
そして、誰かが悲しそうな顔をしていたら、きんたくんはそっと近づいて、「どうしたの?」と聴いてみるようになりました。それは、きんたくんにとっての「お助けマン」になる第一歩でした。
「神は望んでいることをあなたに告げられました。 すなわち、えこひいきせず、公平で、 あわれみ深くあること、 また、謙遜にあなたの神と共に歩むことです。」(ミカ書 6:8 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
モーセは言いました。「あなたがごいっしょでなければ、この場所から一歩でも動くのを許さないでください。 (出エジプト記 33:15 JCB)
「ともにいてください」
きんたくんは、朝から何をやってもうまくいきません。靴下は片方見つからないし、描いた絵はぐちゃぐちゃになってしまうし、友だちにもちょっと冷たくされてしまいました。
「なんでこんなにダメなんだろう…」きんたくんは、心の中でぽつりとつぶやきます。先が見えないような気持ちに、胸がぎゅっとなりました。
そのとき、ふわりと光が差し込んで、お助けマンが現れました。「きんたくん、今日は心が曇っているね。何があったのか、話してくれる?」
きんたくんは、涙をこらえながら話します。うまくいかないこと、不安な気持ち、神さまのことを忘れてしまったこと…。
お助けマンは、きんたくんのそばに座って、静かに聴いてくれました。何も言わず、ただ、そばにいてくれました。
お助けマンは、そっと聖書を開きました。そこには、モーセの言葉がありました。「あなたご自身がともに行ってくださらないのなら、私たちをここから上らせないでください。」
「モーセも、先が見えないとき、神さまに『ともにいてください』って願ったんだよ。きんたくんも、そう願っていいんだよ。」
きんたくんは、はっとしました。神さまは、忘れられたわけじゃない。いつも、そばにいてくださることを思い出しました。
その夜、きんたくんは十字架の絵を描きました。暗い色の中に、ひとすじの光が差し込んでいます。「この光が、ぼくのマイナスをプラスに変えてくれるんだ。」
お助けマンは微笑みました。「そうだね。十字架の愛は、どんな不安も、悲しみも、希望に変えてくれる。」
きんたくんは、そっと祈りました。
「神さま、ぼくの心に来てください。先が見えなくても、あなたと一緒なら歩いていけます。」
モーセは言いました。「あなたがごいっしょでなければ、この場所から一歩でも動くのを許さないでください。 (出エジプト記 33:15 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「神である主がこう語るからだ。見よ。わたしはおまえたちを生かし、息を吹き返させる。」(エゼキエル書 37:5 JCB)
「いのちのこえ」
きんたくんは、心が重くて動けなくなってしまった。何をしてもうまくいかず、自分を責めてばかり。まるで、砂漠に埋もれた乾いた骨のように、笑顔も希望も失っていた。
そんなある日、静かに現れたお助けマン。きんたくんの話を、否定せずに、ただ「うん、そうだったんだね」と聴いてくれる。きんたくんの涙も、怒りも、沈黙も、全部そのまま受け止めてくれる。
お助けマンは、きんたくんにそっと聖書の言葉を手渡す。「主なる神はこう言われる。わたしはあなたたちに息を吹き込む。あなたたちは生き返る」(エゼキエル37:5)
その言葉が、きんたくんの心にしみわたり、乾いた骨に水が染み込むように、少しずつ潤いが戻ってくる。
ある朝、きんたくんは小さな笑顔を取り戻す。それは完璧じゃないけど、確かに「生きている」って感じられる笑顔。「ぼくも、誰かの話を聴ける人になりたい」と思うようになる。
きんたくんは、泣いている子にそっと寄り添う。「うん、わかるよ。ぼくもそうだった」と言えるようになった。乾いた骨が立ち上がり、命の軍勢となったように、きんたくんの優しさが広がっていく。
「神である主がこう語るからだ。見よ。わたしはおまえたちを生かし、息を吹き返させる。」(エゼキエル書 37:5 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。